第213話 風に立つライオン

 風がさらりと、リュウヤの横を駆け抜けていった。

 本来なら心地よい冷たさを含んだグリュンヒルデの微風が、今のリュウヤには煩わしい。胸の内には、風が虚しく吹き抜けるのを感じていた。

 リュウヤは膝をついたまま、エリシュナの遺体に目を落としたままでいる。

 いつか倒さなければならない相手だとわかっていたが、赦しを乞う悲し気な声がしばらく頭の中から離れなかった。

 

『エリシュナ様……!』


 風に乗って後方から声がした。振り向くと十数メートル先に複数の男たちが遠巻きにして佇んでいる。鎧もボロボロで顔も埃だらけ。陽炎のようにふらふらと頼りなかった。

 この魔空艦の残骸に避難していた魔王軍の兵士だとすぐにわかったが、怪我人を肩にして武器も持たず、憔悴しきった彼らからは、リュウヤに対する殺気や戦意もは感じられなかった。


「シーツ……、なんでもいい、エリシュナを覆えるものはあるか。このままじゃあいつが可哀想だ」


 リュウヤが声を掛けると、兵士たちは力のない足取りで歩いてくる。そのうち何人かの兵士がフラフラとエリシュナの周りに集まると、崩れ落ちるように膝をついた。やがて、身体が震えて背中から嗚咽が漏れるのをリュウヤは耳にした。


「おい、そこのお前」


 リュウヤはシーツを手にした兵士を呼び止めた。若い魔王軍の兵士で、年齢は人間なら10代後半の青年だった。青年兵が抱えているシーツはどこにあったのかくしゃくしゃと皺だらけで、しかも埃で汚れていたがそれでも一番まともなものなのだろう。


「いいか。この先にルシフィやアズライルたちがいる。エリシュナの遺体を担いでそっちに向かえ」


 自分が抱えて戻る方が早いが、ゼノキアの妃であり一軍の将でもある。戦いが終わった今、処置は彼らに委ねるべきだとリュウヤは考えていた。リュウヤは目印代わりのつもりで、魔王軍の大砦があった山を指差していた。


『あの山目指して行け。距離は相当あるけど、お前らなら大丈夫だろう。そこでルシフィとアズライルに会って遺体を渡し、今後の指示を仰げ」

『……』

「いいな」

『あ、ああ……』


 立ち去ろうとする兵士から、リュウヤに向ける瞳に怒りの色を認めると、リュウヤはおいと思わず兵士を呼び止めていた。呼び止めてはみたものの、何故呼び止めたのかリュウヤも自分ではわからなかったが、何か引っかかるものがあったのだ。だが、向かい合うことでようやく気がかりの正体がわかった気がした。

 青年兵の瞳に浮かんでいた怒りに、ミルト村を滅ぼされた時の自分が重なっていたからだった。

 ミルト村を滅ぼした魔王軍と、自分が同じ。

 問われれば決して違うと断言できるが、怒りが当時の自分と同質のものであるなら、やがて復讐のために立ち上がるのかもしれない。そして誰かが犠牲になり復讐を誓う。こうして、負の連鎖が続いていくのだろうか。

 それが戦なんだ。

 仕方のないことなんだ。

 降りかかる火の粉は、振り払えばいい――。

 だが、しかし。


「あの地響きみたいな大声だ。アズライルとエリシュナの話の内容くらい、お前にも聞こえていたよな」

『ああ……』

「だったら、もう全部何が起きたかわかるはずだ。エリシュナがやったことも、なにもかも。正直、俺はもうウンザリしている」

『……』

「俺は正直、疲れた。家に帰りたい。お前らはどうなんだ」

『俺は……』

「大切な人や、家の人が待っているんじゃないのか」


 そこまで言うと、兵士はリュウヤから目を逸らして、エリシュナの遺体に視線を向けた。そのまま硬直したように動かないでいる。だが、やがて兵士の肩が小さく震え始めた。唇を噛み締め、苦しそうに顔をしかめる兵士の両目から涙がこぼれ落ちた。

 手にしたシーツで涙を拭おうとしたが、エリシュナを包むものだと思いだしのか、慌ててシーツから離すと背を丸めてエリシュナのところへと歩いていった。

 青年から、瞳から怒りの光が消えていたのをリュウヤは認めていた。

 想いが通じたのかはわからない。

 彼らにしてみれば独善的で、ただの勝手な言い分かもしれない。

 だが、伝えるべきことは伝えなくてはいけないとリュウヤは思っていた。

 リュウヤの話が届いていたのか、兵士たちは集まってすすり泣き、或いはむせび泣きながらエリシュナの周りに鎮座ちんざしている。


「エリシュナを頼むぞ」


 リュウヤは兵士たちにそれだけ言って、背を向けた。

 あとは先に戻って、待っている仲間や敵だった連中に伝えるべきことを伝える。

 飛び立とうとしたその時、奇妙なざわめきが身の内から生じていた。


「なんだ……?」


 それは、はるか遠方から発せられる力に反応していた。

 リュウヤが兵士に、ルシフィたちの居場所を指差した方角。そこから突如、強大な魔力が沸き起こり、リュウヤは咄嗟に弥勒の鯉口を弛めていた。大地が揺れ、不気味な地鳴りが響いた。


「この魔力……ゼノキア?いや……」


 アルド・ラーゼル。

 リュウヤは心の中でその名を口にすると、全身に悪寒がはしった。急いで闘気を生じさせると、猛然と空に飛び上がった。


  ※  ※  ※


「こ、これは……」


 テトラが信じられないといった様子で、剣杖ロッドを正眼に構えていた。

 エリシュナが死んだことで集まった雲が去って空が晴れ渡り、すべてがやっと終わったとテトラたちも安心しきっていたのだ。

 反対に魔王軍は酷く落ち込み、アズライルなどは地面に突っ伏して号泣し、ルシフィがアズライルに寄り添って慰めているような有様だった。

 これで両軍の将は倒れた。

 アイーシャが拐われたことと、セリナたちが襲撃された現場を目の当たりにしたテトラには、アルドに対する思いも離れていたため冷静で、次のことに考えが移っていた。

 今、ここには主だった将が集っている。戦後処理について話すには良い機会だと思い、アズライルたちが落ち着くのをテトラが見計らっていたところだった。

 その矢先の出来事だった。

 魔空艦や魔装兵ゴーレムの残骸が積み重なった場所がある。爆風の影響で滞留したものらしく、焦土の中で小さな山を形成している。

 膨大な魔力は小さな山の下から発生していた。

 突然の激震に大地には亀裂がはしり、一部が盛り上がって残骸が散らばっていく。割れた大地や残骸の間からは、凄まじい殺気と魔力が火山の噴火のように噴き上がっていた。

 カハッと掠れた咳が聞こえた。或いは笑っているとも受け取れる男の声がした。


「ゼノキアも死に、エリシュナも死んだ……か」


 吹き荒れる爆煙を背に、一人の影が残骸の中から這い出てきた。クリーム色の軍服に、胸にはムルドゥバの最高位である勲章を下げている。顔も軍服も汚れて傷がついていたが、その勲章だけは太陽の光に浴びて、立派に輝いて見えた。


「だが、私はこうして生きている」

「アルド将軍、まさか、ホーリーブレスをまともに受けたのに」

「私にも何故生きていたかわからないが、これが運命なのだよ。運命が告げる。生きよと。そして使命を果たせと。だが……!」


 アルドの足下に、燦然と輝く蛇の紋様をした魔法陣が描かれた。空中には無数の鐘が生じ、ルシフィはそれを見て顔を青ざめさせた。

 魔王ゼノキアの最大魔法。


『それは……』

「そう。ゼノキアから奪った力。最大魔法“聖歌福音鐘ジングルベル”。リュウヤ・ラングが戻る前に、君たちを吹き飛ばしてあげよう」

『くそ……!』


 ルシフィとテトラ、リリシアが突進した。プリエネルは既にない。そのプリエネルでも、何度も追い込むことは出来たのだ。魔王ゼノキアの力があるとはいえ、アルド一人なら倒せる。

 間合いに入ろうとした瞬間、ルシフィは地面から膨大な熱がせりあがるのを感じ、本能で身を捻らせていた。その身体スレスレを灼熱の炎の柱が屹立していた。

 炎の柱はその一本だけではなく、地面の至る箇所から放出され一種の壁のようになって、リリシアもテトラも行く手を阻まれる形となってしまった。

 炎壁ペルソナと呼ばれる高位魔法のひとつだが、扱える者は魔王軍でもわずか数人にしかいない。ルシフィはその一人をよく知っている。


『父上の魔法を……』

「やはり、魔王ゼノキアの力は凄まじいな。君たちでも近づくことすらできまい」

「高位魔法だけでも難しいのに、異なる魔法を同時に使うなんて」


 リリシアが“神盾ガウォール”で、テトラを熱波から防ぎながら呻いていた。

 同時魔法は集中が困難で、しかもあれだけ強大な高位魔法を操る。驚くリリシアを見透かしたように、アルドのせせら笑う声がした。


「“ゼノキアは恐ろしく強いが馬鹿”だと誰かが言っていたが、その通りだ。彼は自分の魔力の使い方をよくわかっていなかったようだ」


 アルドは懐から小さな欠片を取り出してルシフィに示した。白銀に輝く手のひらに納まってしまうほどの小さな欠片。


「これはプリエネルの破片。ミスリルの欠片。まだ私の意思に反応してくれる。私はこれを魔石の代わりに用いて、魔力をため込みトラップとして仕掛けた」

『……!』

「破片はそこら中に散らばっているから、踏み込めば痛い目を見るのは君たちだ。……そして!」


 どこに隠していたのか、ミスリルの欠片を挟むアルドの指に、手品のように新たなミスリルの欠片が現れた。


「さらに応用すれば、こんなことも出来る」


 二つ目のミスリルの欠片が光を帯びると、アルドの後方で魔空艦や魔装兵ゴーレムの残骸が蠢き、集まって突起物のようにせり上がっていく。やがてそれは人の形を形成し、一体の巨人となっていった。


『うっそ。鉄屑でデッドマンをつくっているの?』


 ミスリードは目を見開き、呆然と立ちすくんでいた。

 死の巨人“デッドマン”は、元が生を宿す者だから出来る魔法で、そのあたりの無機物を集めて巨人をつくるには途方もない魔力が必要となる。


「魔王ゼノキアは確かに強大な魔力の持ち主だった。だが、彼は正面でぶつかることしか知らなかったのだ」

『……』

「“恐ろしく強いが馬鹿”。この万能性を生かせなかったところをみると、やはり彼に相応しい言葉だ」

『黙れ!』


 ルシフィの背中から十二枚の翼が、光の羽を撒き散らして広がった。


『父上の、これ以上の侮辱は許さない!』

「この距離と仕掛け……、その木の棒が私に届くかな」

『命に替えても、あなたを倒す!』

「だが、もう無理だ。聖歌福音鐘ジングルベルが発動する。リュウヤ・ラングも間に合わない。そしてこの距離。どれだけが生き残れるか」


 冷笑とともにアルドを囲う鐘が荘厳な音を鳴らし始めた。

 膨張する衝撃の波が、寸前まで迫ったルシフィの行く手を阻み、その細身の体を後方へとはじき返していった。


『くそ、もう少しなのに……!』

「さらばだ!」


 叫んだ瞬間、近くの鐘が爆発した。何が起きたかわからず、アルドが驚き、声を発する間もなく、爆音に紛れて押し殺したような声がアルドの耳に届いた。


「いい加減にしてよ」


 声の在処ありかを追い、たどり着いた先を目にしてアルドは言葉を失った。金色の光をまとったアイーシャ・ラングが傍らにいた。涙を溜めたまま、獣のように歯を剥いてアルドを睨みつけている。


「空間転移だと……!」

「もう、こんなのいい加減にして!」


 アイーシャの意思に反応して、鎧衣紡プロメティア・ヴァイスが発動し、強烈な光が電流のように放出された。ジルを救った清浄な青く光る風ではなく、怒りを体現したような金色の光。

 周囲に散り、“聖歌福音鐘ジングルベル”の鐘は次々と爆発を起こして散っていく。聖歌福音鐘ジングルベルの鐘だけではなかった。炎壁ペルソナを放ったミスリルの欠片も、ことごとくアイーシャの光に焼かれ消失していく。デッドマンも光を浴びて、巨大な爆発を起こすと、手をかざしたまま沼地に沈んでいくように足下にから崩れ落ちていった。

 アルドのジングルベルも消滅し、後には軍服姿で佇む一人の男だけが残された。

 素晴らしいと震える声で言った。瞳は潤み、恐怖はなく感動すらしているようだった。


「アイーシャ・ラング。その力、栄光ある未来のために永遠の勝利のために、今一度考えてみる気はないか」

「私はゼノキア様に教えてもらった」

「ゼノキアに?」

「あの人が何故機械を嫌ったか。文明の進歩に消極的だったか」

「……」

「ゼノキア様やエリシュナ様はお父さんやお母さんを苦しめた人だから嫌い。でも、二人はともに愛する人がいて、守る国や誇りがあった。でも、あなたは何もない。自分だけ。自分の欲望だけ。そんなあなたは、もっと嫌い」

「……」

「あなたが力を望むなら、争いを望むなら、その果ての世界に行けば良い」


 かざしたアイーシャの手のひらから小さな光球が生まれたかと思うと、無数の電撃が鞭のようにしなってアルドに襲いかかった。絶叫と轟音がグリュンヒルデにこだました。


「アイーシャ!」


 ようやくリュウヤが到着した時には、アルドは電撃に紛れて姿がわからないほどになっていた。


「この力で、あなたを連れていってあげる」

「うっ……、うあああああああ!」

「私とこの鎧衣紡プロメティア・ヴァイスで、あなたが望む世界へ」


 目が眩むほどの激光が辺りに満ちたかと思うと、次の瞬間には光が忽然と消えた。消えたのは光だけではなく、アルドの姿もそこにはない。ブスブスと焼け焦げた地面や残骸から立ち上る煙がゆらゆらと揺れているにすぎない。

 アイーシャはゆっくりとその場に降りると、膝から崩れ落ちていった。うずくまったまま喘ぎ苦しむアイーシャだったが、あまりの出来事に、誰もアイーシャの傍に駆け寄ることができないでいた。セリナでさえも。

 リュウヤだけがアイーシャの傍に降り,小さな身体を抱きかかえた。


「アルドはどうなった。……まさか」


 殺したと言葉に慄然とし、リュウヤは言葉を続けることができなかった。だが、言葉の意味を察したアイーシャは力なく首を振った。


「ゼノキア様が喚んだ人の世界。戦いの果て。哀しい世界……」

「喚んだ人て、……サナダがいた世界か」


 うんと、アイーシャは声にならない声で頷いた。ぶるっと震える感触がリュウヤの腕に伝わってきた。

 サナダ・ゲンイチロウがいた世界。

 リュウヤがいた時代よりも遥か先の未来から来たのだろうということは、リュウヤにもおぼろ気ながら想像できるが、アイーシャに見えている世界がどんなものなのか。怯えた様子から、未来は決して明るいものではないというのは、はっきりと伝わってくる。暗く重い気分が胸を苦しめた。

 身体の震えがおさまった頃、お父さんとアイーシャが言った。


「……わたし、頑張る」

「頑張るて何を?」


 意を決した声に思わず誘われ顔をあげると、真っ直ぐに見つめてくるアイーシャの瞳があった。怯えも怒りも既に消えている。迷いのない、強い意志を感じさせる眼差しだった。


「わたしね、これからのことが見つかった気がする。こんな辛いこと、悲しいこと。絶対にあったらいけない。ゼノキア様やサナダさん、アデミーヴ……。わたしがしてきたことは、きっと意味があることなんだよ。意味あるものにしなくちゃいけないんだよ。死んだみんなのためにも」


 最後は自らに言い聞かせるように、強く頷いてみせた。


 ――やはり憶えていたのか。


 と、リュウヤは小さく吐息を漏らした。

 身も心も支配されていたとはいえ、自ら手を掛けた子どもたちやグリュンヒルデの戦いでは間違いなくアイーシャに暗い影を落とし込む。忘れてくれれば良いと願っていたのだが、所詮は願望でしかなかったようである。

 加えてゼノキアやサナダの記憶。

 それでも、アイーシャはすべてを背負って前に進もうとしている。

 何か掛けてあげる言葉があるはずだった。それなのに、励ましの言葉もろくに浮かばない浅い自分が恥ずかしくなった。


「頑張れよ、アイーシャ」

「うん」


 我ながら陳腐な励ましだと情けない思いがしていたが、アイーシャは力強く返してきた。その瞳には眩しいくらいの光が宿っている。


「わたし、お姉ちゃんだもの」

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