第208話 お主ならやれるさ

「あの野郎……!」


 リュウヤは掠れた目でエリシュナを睨みつけたが、もはや、リュウヤにはそれが精一杯の抵抗でしかなかった。残った魔力を使って自分とクリューネに治癒魔法を掛けてはみたものの、さほどの効果もなく着実に身体から力を失い、迫りくる死の到来を感じていた。おそらくだが、クリューネも同様の状態なのだろう。息絶え絶えにも関わらず死へ抵抗するように、か細い呼吸を何度も繰り返している。


「……リュウヤ」


 耳元にクリューネの声がした。

 戦場で、これまでに何度も耳にしたことがある。消えそうでか細く、死にゆく者の声だと思った。目を向けると、クリューネ目元に隈が生じている。

 まるで生気がない。

 クリューネのそこにあるものは、死相と呼べるものだった。

 ここまで来たのにと、リュウヤの心に贖罪しょくざいに似た想いが胸を締め付けてきた。


「ごめんな……。最後の最後に」

「……」

「今度こそ、みんなでさ、にぎやかに暮らせると思ったんだけど」


 聞こえているのかいないのか、クリューネは虚ろな瞳でリュウヤを見つめているだけだった。もう意識は薄れているのかもしれない。

 死はすぐそこに。

 それを思えば、リュウヤには何もかもがどうでも良くなっていた。セリナもアイーシャも遠ざかり、隣に苦楽を味わったクリューネが傍にいてくれる。

 リュウヤはそれだけで満足していた。


「……リュウヤよ」

「うん?」


 この世の最期だと、甘えたい気持ちでリュウヤが返すと、弱った心を叱咤するようにクリューネの鋭い声が鼓膜を刺激した。


「私の名を呼べ」


 何を言い出したのかわからず、リュウヤはクリューネの顔を見返した。

 虚ろだった瞳に光が戻っている。クリューネの強い眼差しは、リュウヤをとらえて離さなかった。


「リュウヤ、私の名を呼べ」

「お前、何を言い出すんだよ」

「私の竜眼は見た。エリシュナの心はとっくに壊れておる」

「何……?」

「奴は何も創造などできん。見た目は以前のようだが、奴の心に生じた負の感情があのエメラルドに増幅されて、どす黒い邪気になって喰われてしまっている。見境の無い行動もそれじゃ。奴の破壊の先にあるもの。それは虚無しかない」


 そこまで一息に言うと、クリューネはスッと目を閉じた。疲れきった様子で喘鳴ぜんめいしている。ふたつほど咳をすると、口の端から血が垂れて落ちた。


「……リュウヤ、私の名を呼べ」

「だからなんで……」

「ヴァルタスだ」


 クリューネの小さく告げた名に、リュウヤは息を呑んでいた。何を言おうとしているのか、その名を聞いただけで瞬時に理解できた。

 お前には見えるかとクリューネが言った。


「私の目には、魔法陣が見えている」


 かつてゼノキアがサナダを喚び、ヴァルタスがリュウヤを喚んだ魔法。

 そしてアルドがアイーシャとアデミーヴを利用して得た魔法。

 限られた者のみ、死の間際に生じるという奇蹟きせきの魔法。

 それがクリューネの前に現れ、使おうとしている。


「バカを言うな。そんなこと……」

「バカはどっちだ貴様!」


 どこにそれだけの力が残っていたのか。

 厳しい声とともにクリューネがカッと目を見開き、リュウヤを睨みつけてきた。バハムートを連想させる目で、本気で怒っている時の目つきをしていた。失いかけた指先に力がこもる。


「この期に及んで何を腑抜ふぬけたことぬかす。セリナやアイーシャと、生まれてくる子と一緒に暮らすんだろ!その子には、まだ名もつけてないんだぞ!」

「……」

「エリシュナは自分を真の神という。あれが真の神というものなら、この世界に神などいらぬ。プリエネルやエリシュナ、そしてバハムート。神はただの強大な力を誇示しているだけ……。貴様は、そんなチンケな神などというものになるな」


 そこまで言った時、上空から高笑いが響いていた。

 正気を無くした女の笑いかと思うと、怒りや憎しみを通り越して哀れみさえ感じてくるような声をしていた。


「正直、私はバハムートの力を上手く使えなかった。だが……、お主なら、ヴァルタスの力を使いこなした貴様なら、バハムートの限界を超えられるはずじゃ」


 クリューネはかすれた声で、血を吐きながら訴える。

 言葉だけではなく、残された力全てを使って、その心と魔力と想いを。


「リュウヤよ、神を超えてみせろ」

「……クリューネ」


 選択肢はない。

 迷ってはいけない。

 すべきことをする。

 ただひたすらに、真っ直ぐと。

 全てをここに。

 リュウヤはクリューネを握る手に力をこめると、地面に魔法陣が描かれ燦然と輝きを放った。


『な、なに!?』


 突然の強烈な光にエリシュナが慌てて目を向けると、リュウヤとクリューネが横たわる大地に魔法陣が描かれ、白い光が二人を包んでいくのを目にした。光の中で、リュウヤとクリューネはまっすぐに見つめあっていた。長い濃い付き合いではあったが、これほどまでに愛しく思えた時があっただろうか。


「クリューネ。絶対に、絶対にみんなを守るからな!絶対に……!」

「やれるさ、お主なら」

「……」

「なんせリュウヤは、“竜に喚ばれた男”だからな」

「クリューネ……!」

「あとは頼むぞ。真伝流師範片山竜也よ」

「クリューネ!」


 真っ白な光の中にクリューネが呑まれていく直前、リュウヤはクリューネがいたずらっぽく微笑んだように思えた。


  ※  ※  ※


『う……』


 突如生じた爆風と小さな石がルシフィとリリシアの頬を叩き、闇の底から引き戻されていった。ゆっくり目を開くと、目映い白光がルシフィたちを照らしていた。

 光は更に強さを増し、闇の世界すべてを白く染めるほどに広がっていたが、やがて光が収まり、エリシュナが目をしばばたかせなが眼下を見下ろすと、ぐったりとするクリューネを抱えて佇む一人の男の姿があった。


「リュウヤ……さん?」


 セリナは自分の目を疑っていた。テトラも男から伝わってくる力に言葉を失っている。

 リュウヤ・ラングは青白い炎に包まれていた。髪は真っ白に変色し長く、バハムートのたてがみを連想させた。

 長く白い髪は身の内より吹き荒れる白い炎に煽られ、激しくなびいている。魔族の銀の髪とも異なる純白の髪。


『リュウヤさんがまとっている白い炎……。まさかホーリーブレスか?』


 リュウヤが放つ強烈な闘気に刺激され、ルシフィとリリシアは意識を取り戻していたが、触れれば吹き飛ばされるような力に圧倒されていた。バハムートの象徴とも言えるホーリーブレス。リュウヤから生じる闘気は、それと同質のものを感じていた。

 だが、その力の大きさは。


 ――これまでと全く違う。


「……リュウヤ様」


 リリシアが呆然と呟くと、リュウヤが振り向いた。長い髪に紛れてわかりにくかったが笑ったように思えた。

 すると、風がフワリと舞いリュウヤが忽然と消えた。


『え、どこ!?』


 エリシュナはリュウヤを追ったが、姿を求めるといつの間にかアイーシャの前にいる。


「お父さん……」


 クリューネの遺体がリュウヤの腕の中にある。

 言葉が見つからない。アイーシャは、それだけ口にするのが精一杯だった。


「待たせたな」


 優しく声を掛けて、リュウヤは軽く右手を振ると、アイーシャを拘束していたバリアがあっさりと粉砕された。ガラス片のように散る中、リュウヤはアイーシャの身体を抱きすくめると、一瞬で転進させてセリナたちの下へと戻っていた。

 グリュンヒルデには精鋭たちが集っている。

 しかし、彼らには風が鳴り、白光が闇にチラチラと瞬くだけで、誰もがリュウヤの動きを追うことが出来なかった。ミスリードやテトラだけでなく、ルシフィやリリシアでさえも。


「クリューネを頼む」


 リュウヤは慎重にクリューネの遺体を地面に降ろすとそのまま膝をつき、無言のままクリューネの頬についた汚れを指先で優しく拭っていた。やがて拭い終わると、ごめんなと謝った。


「今はこれくらいしか出来ない。あとで綺麗にしてやるからな」


 リュウヤは静かに立ち上がり、クリューネの遺体から背を向けた。誰もがリュウヤに声を掛けることが出来ないでいる。その中で、アイーシャが駆け寄ってきた。


「あの、お父さん、これ」


 アイーシャは首にかけていた“鎧衣紡(プロメティア・ヴァイス)”のペンダントを外してリュウヤに渡そうとすると、リュウヤは軽く手を挙げてアイーシャを制した。


「ありがとう。でも、俺には必要ない」

「……」

「この力だと、おそらく“鎧衣紡プロメティア・ヴァイス”が俺を制御しきれずに壊れちまうだろう。それは、お前が皆を守るのに使ってくれないか」

「でも……」

「クリューネも頼むな」

「う、うん……」


 こうしようもない絶対的な力と、それとは正反対に言い様のない温かさと包容力に、アイーシャは思わず頷いていた。

 ルシフィでさえも、今のリュウヤには口出し出来ないものを感じている。

 絶対的。

 無限大。

 他に、今のリュウヤを言い表す言葉があるだろうかと思えた。

 言葉を探す間に甲高い笑い声が響き、ルシフィは空を見上げた。闇に紛れて、エリシュナはキーロック片手に自分の肩を叩いている。洞穴で響くような虚ろな笑い声が止むと、エリシュナの表情から冷笑が消えた。


『リュウヤちゃん、そろそろ白黒つけようか』


 リュウヤ・ラングはエリシュナを見据えたまま、じっと佇んでいる。


「クリューネから託された意思と力。みんなの想い……」


 迷うものは何もない。

 リュウヤは、握り締めた自分の拳に視線を落としていたが、再びエリシュナを睨み上げた。


「お前が世界を破壊するというのなら、俺はこの世界を護るぞ」

『やってみなさいよ』

「やってやるさ」


 リュウヤの身体から闘気が爆発したように放たれ、青白い炎がその身を包んだ。

 光の尾を残しながら飛翔するリュウヤを、アイーシャたちは固唾かたずを呑んで見守っていた。

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