第194話 生きてこそ

 疲れは極限の域にあったが、テトラをはじめとした白虎隊の危機にじっとはしていることはできなかった。リュウヤは黒煙漂う空を見据えたまま、鎧衣紡プロメティア・ヴァイスを発動させた。


「リュウヤさん、どこに行くつもりですか」

「ムルドゥバの魔空艇カイトが緊急着陸の信号出してる。テトラたちが危ない」

「でも、どうやって?」

鎧衣紡プロメティア・ヴァイスのエネルギー粒子をクッション代わりにする。羽根で直接守ろうとすると、エネルギーが強すぎて船体を傷つけちまう」

「それなら僕も行きます。竜の力なら、今の僕でも船体を受け止めるくらいできます」

「助かる。頼む」


 急いで短く言うと、リュウヤは空へと飛び上がった。ティアも竜化して七色に輝く羽根を目印にリュウヤを追った。

 一方、ルシフィが魔空艇に気がついたのも、ミスリードの“神威烈撃波(ググレカス)”の熱波が消滅した後である。

 衝撃波はルシフィとアデミーヴを吹き飛ばし、十二枚の翼で身体を包んで衝撃に耐えていたのだが、悪夢のような嵐が去って辺りを見渡すと、アデミーヴの姿が消えている。


『まさか今ので……』


 あの灼熱に呑まれてしまったのかと一瞬、胸がざわついたが、同時にそれにしてはあっけないように感じた。身体は幼い子どもだが、あれだけの強靭の力を示したアデミーヴが、あの熱波ごときでやられてしまうものだろうか。

 不気味に立ち上る黒煙を見据えていたが、ふとルシフィの聴覚に機械の重低音が響くのを捉えた。音を追うと、二隻の魔空艇カイトがルシフィの近くを通りすぎていく。だが、そのうちの一隻が一見して明らかに様子がおかしい。上下に激しく揺れ異様な速度で地上へと向かっていく。


『あの魔空艇カイト……、落下しているの?』


 後続部隊として派遣されただろう。

 船体側面の記章や船の形からムルドゥバ軍のもので、本来なら助ける必要もないのだが、性格上、黙って見過ごすことはできないのがルシフィだった。

十二詩編協奏曲ラブソング”を羽ばたかせて転身すると、魔空艇の先に回り込んで十二枚の翼から羽根を大きく散らした。


『……間に合って!』


 ルシフィの発想はリュウヤと同じものである。

 十二詩編協奏曲ラブソングから舞い散る羽根は推進に使う魔力の残滓が形を変えたもので、使い方によっては、一種のバリアのような役割を果たす。この時も、十二詩編協奏曲ラブソングから舞う光の羽根は緩衝材となって、弾丸のように地上へと落ちていく魔空艇の速度をやわらかく受け止め、次第に勢いを減速させていった。

 通常の降下速度に近づき、機体のバランスも安定を取り戻している。このままなら無事に着陸できるはずだ。


『よし、これで……』


 ルシフィは先に地上に降り、衝撃吸収のために、羽根を絨毯のように敷き詰めて待っていた。舞い散る羽根に導かれるように魔空艇が降下してくるのを、ほっとしながら見上げていたが、それも束の間だった。ブスブスと細い煙があがっていた魔空艇左翼側のエンジンが突然爆発を起こし、船体は横に流されるとあらぬ方向へと急旋回した。舵を失ったらしい。平野から岩肌ばかり目立つ山の斜面へと落ちていく。傾斜は緩やかだが、急激に速度を増してバランスを失った状態ではひとたまりもない。


『くそ……!』


 ルシフィは“最大神速フルボリューム”で魔空艇カイトを追い掛けるが、それでも山への激突は避けられそうもない。必死に詰めようとするルシフィの前に、ひらりと蝶が舞った。魔空艇に先回りする形で、七色に光る麟粉が虚空に乱舞する。

 光の粒子は魔空艇を再び減速させ、崩れたバランスも安定させていく。


『やっぱり、こういう時はリュウヤさんなんだ』


 やはりこんな時にはあの人なんだと、ルシフィは奮える思いで空に舞う蝶を見つめていた。羽根から溢れる大量の粒子によって、再び魔空艇は減速を始めていた。


「ティア君、頼む!」


 リュウヤらしき男の声が風に乗って聞こえた。呼び掛けるとともに、青き竜リンドブルムが飛来して船底に潜り込むと、万歳するようにヒシと両腕で船体をつかみあげた。


“とーーまーーれえぇぇーーー!!”


 減速したといっても凄まじい圧力がリンドブルムにも掛かり、それはリンドブルムにも予想以上の力で、抵抗してもどんどんと押し流される。リンドブルムは咆哮しながら疾駆し、ついに斜面にまで到達し、何百メートルも駈けたところで、ようやく魔空艇の動きが止まった。あと数十メートルもすれば壁のように佇立する山の急斜面に衝突するところだった。


『リュウヤさん、よく気づいて……、あの竜の子も……』


 急に胸が熱くなり、ルシフィの視界が滲んた。涙に気がつくと慌てて顔を拭い、表情を引き締め直して魔空艇を追った。まだ無事に済んだわけではないのだ。

 リンドブルムは魔空艇をゆっくり下ろすと、足に力を失い、よろめいてドスンと尻餅をついた。


「ティア君、ありがとう。君がいてくれて助かったよ」

“どうってことないですよ……”


 駆け寄るリュウヤにぐったりとしながら、リンドブルムは親指を立ててみせた。


“それより中の人を……”


 喘ぎながらリンドブルムがそこまで言った時、ちょうどルシフィが降りてきた。『大丈夫ですか』と泣きそうな顔でリンドブルムとリュウヤを交互に見ている。突然現れたルシフィに、リュウヤは訝しげな顔をしていた。


「アイーシャはどうなった?」


 この質問は当然かとルシフィは思った。

 ルシフィと交戦中だったはずである。不安に駈られながらリュウヤが尋ねると、わかりませんと申し訳なさそうに首を振った。


『あの熱波が消えたら、アイーシャちゃんの姿もなくて。探そうと思ったんですけど、これも放っておけないから……』


 そうかと安堵とも失望とも言えないような弱々しい吐息をつき、リュウヤは魔空艇へと踵を返した。


「俺は怪我ないから、ティア君の方を看てやってくれ」


 それだけ言うと、リュウヤは後ろも見ずに魔空艇へと走っていった。

 減速させたとはいっても、所々で岩と接触したため、船体の表面はボコボコでひどく損傷している。分厚い窓の防弾ガラスにもヒビが入って中のようすもわからなかった。左翼側の吹き飛んだエンジン部分からは小さな煙があがっていて、またいつ爆発を起こすとも限らない。

 リュウヤはいそいで左翼に登ると、衝突で歪んだエントリードアを蹴破って、いそいで機内を覗きこんだ。

 外から陽がわずかに差し込んでいるが機内はうす暗く、人の顔も判別しにくい。とにかく知っている名前を呼び掛けることにした。


「テトラ!そこにいるのか!」


 リュウヤの声にぴくりと反応した影があった。


「……その声、リュウヤ君?」

「そうだ!リュウヤ・ラングだ!」


 機内の奥で影が揺れ動き、エントリードアの出入り口に近づいてきた。背が高く、明らかにテトラのシルエットだ。傍らに誰かいると思ったが、負傷兵だろうとリュウヤは思い込んでいた。


「怪我人は俺が運ぶから……」


 寄越せと言おうとしてリュウヤが手を差し伸べた時、エントリードアから差し込む光がテトラの連れてきた人物を照らして言葉を失った。


「リュウヤさん……」


 震える声で見つめるセリナに、リュウヤはまだ頭の中が真っ白なままで、口をパクパクと魚のように動かしているだけだった。


「どうして、ここに」


 ようやくそれだけ口にすると、セリナは無言のまま潤んだ瞳のままリュウヤを見据えた。こんな目をするのかと、鋭く強い眼差しにリュウヤは戸惑いを覚えるほどだった。


「決まっています。アイーシャを取り戻すため」

「でも、お前がここに来ても仕方ないだろ」

「……みんな、死んじゃった」


 リュウヤを見つめるセリナの瞳から、大量の涙が溢れて落ちた。


「みんな……、みんな真っ黒焦げになって、海の上を漂ってた。身体もバラバラ、誰が誰で、どれが船の残骸かあの子たちかもわかんなくて……集めても集めても、全然わかんないのよ!」


 食いしばる歯を剥き出しにして、怒りと悔しさを露にするセリナの目は血走り、憎悪に満ちた凄惨な表情にリュウヤも思わず息を呑んだ。


「だから、アイーシャだけでも、アイーシャだけでも!」


 怒りの感情は燃え盛る炎のようで、セリナにこんな一面があったのかと、リュウヤはたじろいでいた。


「とにかく、早く船から出ましょ。油断は出来ないよ」


 やりとりに耳を傾けていたテトラに促され、リュウヤは我に返るとセリナの肩を抱いて、魔空艇カイトから表に出た。外に出ると、駆けつけてきたルシフィとティアと遭遇し、二人は凄惨なセリナの形相に唖然としている。

 思い詰めたセリナの剣幕にルシフィは声を掛けることも出来ず、セリナも気がついた様子もない。


「ティア、ルシフィ。済まないがテトラを手伝ってくれ」

「は、はい」


 ティアが背筋をのばして返事をすると、魔空艇カイトから離れる二人の後ろ姿をルシフィは黙って見送っていた。

 贖罪。

 懺悔。

 グリュンヒルデの大地に差し込む薄明光線に向かって歩くリュウヤとセリナの後ろ姿は痛ましく、神に救いを乞う哀れな夫婦のように思えた。


  ※  ※  ※


『まずはひと安心……、かな』


 激震が収まるのを待って、シシバルは熱波でグズグズとなった破城槌の壁を解除させると、急に目眩がして足下がふらついた。


 ――力を使いすぎた。


 足が力を失って膝から崩れ落ちようとした時、腕を掴まれぐいっと引っ張られ、地面に顔から倒れ込まずに済んだ。


「さすがシシバル」


 声につられてシシバルが見上げると、空中に佇むリリシアがシシバルの腕を掴んでいる。雲間から差し込む光明を背に、リリシアが微笑して親指を立てるのが見えた。颯爽とした佇まいが美しく、シシバルは思わず疲れも忘れて笑ってしまった。


『どうだ。俺も大したもんだろ』

「うん。器用貧乏な上に地味でケチ臭くて、頼りない元軍団長だと思っていたけれど、やるときはやるのは意外」

『言ってくれるな』


 シシバルは苦笑いを浮かべたが、すぐに笑みを消すとじっとリリシアを見つめた。自分が映るくらいの大きく紅い瞳が見返してくる。


『クリューネの面倒、頼むな』


 真剣な顔をしたままシシバルがリリシアに親指を立てて返すと、リリシアは小さくうなずき、身を翻してバハムートの下へ飛んでいった。

 しばらくの間、シシバルはリリシアの後ろ姿を見送っていたが、姿が遠退いておそらく声が聞こえない距離だと見計らってから、急に大の字になって倒れ込んだ。

 もう一度、近くに誰もいないのを確かめてから、シシバルはあらんかぎりの声を発した。


『あー、もう疲れたあ!』


 普段、部下には弱音を言うな泣き言吐くなと、何かと厳しいシシバルである。

 普段なら口にしないし、やかましく言っている部下には絶対に聞かれたくない言葉だったが、今日は口にしないではいられなかった。


 ――俺は生きている。


 早く風呂入りたい、酒飲みたいなどとうわ言のように呟きながら、頬を撫でる冷えた心地よい風に、シシバルは生き延びたという実感を味わっていた。

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