第193話 天使のはしご

 ミスリードの“神威烈撃波ググレカス”の威力はテトラやセリナたちが乗る魔空艇までにも及び、機内に激光が満ちて魔空艇カイトが上下に激しく揺れた。これまでとは段違いの激震に、テトラは立つことが出来ず、機内の天井に繋げた安全帯にしがみついている。

 駄目ですと、機長が操縦席から悲痛な叫び声を放った。


「どうしたの!?」

「今の衝撃で左翼エンジン損傷!こいつはマジでヤバイ……」


 これより緊急着陸行いますという次の叫びも、テトラには激震と轟音に乱され、ひどく遠く聞こえた。

 墜落。

 その二文字がテトラの頭を過り、戦場まであとわずかというのに、なんて間抜けなんだろうとテトラは唇をかんだ。確かに、いかに鍛えた戦士でも、流れ弾や泥濘に足を取られて雑兵に首を掻かれるのが戦場である。しかし、だからといって、こんなことでいきなり死に直面するとは。


「ヤバくても何とかしなさい!」

「当たり前すよ。私もここで死にたくないですからね!」


 怒気を孕んだテトラの叫びに、機長は操縦悍にかじりつくようにして怒声を投げ返していた。

 青ざめる白虎隊の面々は緊張と恐怖に強ばり、目を見開いたままテトラに凝視していた。テトラはそんな彼らに射るような厳しい目を注いだが、何を怖がってるのよと明るく笑いながら大喝した。


「ムルドゥバの精鋭たる白虎隊が、こんなことで死ぬわけないでしょ!一眠りすれば起きたら地上よ」


 死ぬのを恐れるなとは、テトラは言いたくなかった。

 死は誰にとっても恐ろしいものであり、泰然と構えるには相当のタフな精神がないと難しい。

 白虎隊の戦士たちは相当のタフな精神の持ち主で、いずれも心に鉄芯があるような男たちだったが、必死の覚悟でアルドと対峙するのである。その直前で墜落などいう緊急事態であるから、ここで死んでは相当の無念が残るだろう。

 同じ死を考えるのなら、負担を少しでも軽くさせ、最期を迎えるまでは前向きな気持ちにさせた方が、まだ気持ちは落ち着いていられるのではないかというのがテトラは考えだった。


「……」


 テトラの言葉が白虎隊の面々の心に響いたのか、皆一様に無言だったが顔色には生気を取り戻し、何人かは目を閉じて「……そうだ。俺が死ぬわけがない」と、ブツブツ念仏のように呟いたり、強がってタヌキ寝入りを始める者もいた。


「……テトラさん」


 隣に座るセリナが、テトラの腕にしがみついてきた。尋常ではない震えが伝わってくる。テトラはセリナを包み込むように抱きすくめた。


「テトラさん。私……、怖いです」

「大丈夫、大丈夫よ。ここまで来たんだもん」

「……ええ」

「リュウヤ君やアイーシャちゃんに会うまでもうすぐよ」

「……はい」


 蚊の鳴くような声で返したと同時だった。テトラの励ましを嘲笑うかのように、激震する機内がさらに激しさを増していく。最早声を発することも出来ず、セリナはテトラの腕の中で身をすくめていた。


 ――リュウヤさん。


 震える心の中で、セリナはリュウヤの名を叫び続けていた。


  ※  ※  ※


 灼熱の嵐が去ると、地に身を潜めていた兵士たちが這い出て、地表からもうもうと立ち昇る火山の噴煙に似た濃い煙を眺めていた。

 誰もが言葉を忘れて、固唾を飲んで巨大な煙を注視している。グリュンヒルデの荒野は静寂に包まれ、辺りには風の鳴る音しかしない。

 やがて雲間が割れ、空から穏やかな光が差し込んでくる。その光景は神々しく荘厳で、見る者は教会や美術館に展示されてあるような、神話を描いた絵画を思い出させた。


『やったのか……?』


 救われたという思いが、言葉となって現れた。

 最初に声を出したのはアズライルでもミスリードでもなく、魔王軍の兵士だった。興奮気味に拳を震わせている。


『やった……。ミスリード様が……、やった、やったぞ!』


 我が大将が正体不明の敵を駆逐したのだと歓喜に奮え、吼える魔王軍の兵士に釣られるように、どこに隠れていたのか、ムルドゥバの兵士が地表にわらわらと這い出てきた。敵も味方も関係なく入り雑じり、唸り猛ってこだました歓声は、グリュンヒルデの地を大きく揺らした。


『他人がやると、愚かな様がよく見えるわね』

『何のことだ』


 ミスリードが歓喜に沸く両軍の兵士たちを見渡しながら、独り言のように言った。似合わず神妙な口調だったので、アズライルが思わず訊ねた。アズライルの着ていた軍服は裂けて無くなってしまい、腰以外は全裸の状態でいる。

 グリュンヒルデの地域は空気が冷えやすい。汗が乾けば、ひんやりと冷たい風が身体を通り過ぎていく。

 温暖な気候にすっかり慣れてしまったミスリードとしては、寒くないのかと思うのだったが、この鉄のように頑丈で屈強な男には、少しばかりの寒さなど関係ないのだろう。


『エリンギアのことよ』

『ああ……』


 肩をすくめて苦笑いするミスリードに、アズライルは渋い表情をして口をかたく結んだ。

 魔族が多く居住するエリンギアの市街地で、二人が周囲の状況を考慮せずに戦ったせいで、魔族にも多くの死傷者を出した。そのために軍団長同士の不和を招き、やがてシシバルが反乱を起こすことになる。

 アルドも同じ轍を踏んでいる。

 プリエネルの搭乗者はアルドの偽者と思われているようだが、それは無差別攻撃によってアルドに不審を抱いたからである。本物だとすれば、アルドに対してはやがて失望へと変わるだろう。

 ムルドゥバはバラバラになるだろうし、魔王軍としては喜ぶべきことなのだが、手放しでは喜べなかった。

 歓喜するムルドゥバ兵の姿に、自分たちがエリンギアでの行為によって、もたらした結果と重ね合わせていたからだ。加えて、魔王軍もシシバルの反乱以降、国内は疲弊しきっており、覚悟で臨んだ一戦ではあったが、勝ったとは到底呼べるものではない。


『何にせよ過去の話だ。当時、我々は最善を尽くした。前に進むしかないだろう』

『ま、それもそうね』


 苦い過去ではあっても、いつまでも感傷に浸る柔な二人ではない。既にミスリードもアズライルも、今後について頭が切り替わっている。


『また休戦か。今度は長くなりそう』


 グリュンヒルデの大砦から兵だけでなく、大量の食糧や武器や資財が焼失している。アルドと思われる人間はプリエネルとともに倒されたが、こちらも魔王ゼノキアの安否も不明である以上、魔王軍も混迷は避けられず、復興までには途方もない年月が掛かるだろう。


『これから忙しくなりそうね』


 同じことを考えていたのか、アズライルは無言でうなずいたが、急に身震いを起こすと、大きなくしゃみをひとつした。


『あら、猛将アズライル様が風邪かしら。あなたもそんなに若くないんだから、身体は大事にしないとね』

『それは、お前もだな』


 アズライルの返しに、ミスリードは肩をすくめただけだった。

 一見、ミスリードは平然としているが、“神威烈撃波ググレカス”を放った右腕に力が入らず、腕が上がらないでいる。激痛が全身をはしり、額には脂汗が浮かんでいた。

 痛みの具合から脱臼や複雑骨折しているとは感じたが、周囲の手前や軍団長としての意地もあって黙っていたのだ。

 力みすぎたかなとミスリードは小さく笑った。


『威力凄いけど、全力でいくとあの魔法はそう使えないわねえ』


 ミスリードは汗を浮かべたまま朗らかに笑ってみせると、アズライルはふんと鼻を鳴らして、大きなくしゃみをまたひとつした。


  ※  ※  ※


 薄明光線。

 光芒。

 天使のはしご。


 確かそんな名称だったかと、黒い雲の間から差し込んでくる光の柱を見上げながら、リュウヤはさきほど、何かを耳にしたものを思い出していた。


「ティア君、さっき何か聞こえなかったか?」


 誰かに呼ばれた気がしてリュウヤがティアに尋ねると、自身の治療をしながら、ティアは訝しげに首を振った。


「わかりません。自分の声も聞こえないくらいの爆風でしたから」

「そうだよな」

「何か気になることでも?」


 いや、とリュウヤ首を振った。空耳かもしれないと思うことにして空を見上げた。

 半日過ぎたばかりなのに、久し振りに陽の光を目にしたような気がした

 ミスリードの“神威烈撃波ググレカス”の衝撃波はリュウヤたちまで押し寄せたが、鎧衣紡プロメティア・ヴァイスと近くの厚い岩山が守ってくれて、傷ひとつ負わずにすんでいた。

 嵐がやみ、岩場の陰から外を覗くと、地上は立ち込める黒煙ばかりだったが、空から差し込む光明に、戦いが終わったという予感をリュウヤにもたらしていた。

 はじめ、不審な声を耳にしたのは鎧衣紡プロメティア・ヴァイスで耐えている時だった。声は微かだったが、聞き覚えのある声だと思った。あれは複数の子どもの声だった気がする。

 リュウヤが黒煙越しに、闇の空から差し込む“天使のはしご”を眺めていると、黒煙に紛れて小さな光が瞬くのがリュウヤの目に映った。それは一定のリズムを持ち、光信号だとすぐにわかった。


「……ビャッコタイ、キンキュウチャクリクカイシ。チジョウブタイハタイヒセヨ……?白虎隊……、テトラの船か!?」


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