第187話 悲しいほどに強い魂

 最初、異変に気がついたのはテトラだった。闇の奥から全てを焼きつくすほどの、禍々しい殺意の塊が猛烈な速さで向かってのを感じ取り、テトラの全身が総毛立った時には叫んでいた。


「船の高度を下げ!総員、何かに掴まれ!」


 テトラが怒声に即座に機長が反応した。急いで操縦レバーを動かして高度を下げると同時に、機内を強烈な光が射し込んできた。だが衝撃波までは避けきれず、直後にはテトラ率いる白虎隊を乗せた魔空艇カイトが、ひっくり返しそうなくらいの激しい揺れに襲われた。


「うわあああっ!!」


 まだ戦闘区域から距離があったので、誰もベルト等で身体を固定しておらず、突然の激震に、機内の兵士たちは悲鳴をあげながら座席や手すりなどの固定物にしがみついていた。


「きゃあ!!」

「セリナさん!」


 非力なセリナは衝撃に堪えきれず、負担が少なくて済む床から投げ出される格好となった。咄嗟にテトラが庇ってくれなければ、セリナはそのまま頭から壁に激突するところだったろう。

 揺れがおさまったところで、テトラの胸元に顔を埋めるセリナに声を掛けた。


「大丈夫?セリナさん」

「す、すみません。テトラさんこそ大丈夫ですか!?」

「まあ、鍛えているから」


 冗談めかしてテトラは笑顔を見せたが、額には脂汗が滲んでいる。庇った際に、背中を相当打ち付けたに違いなかった。


「鍛えているとね、痛みを堪えることに馴れるのよ」


 テトラは陽気に笑ってみせたものの、一言だけでは納得しかねるのか、それでも心配そうに見つめてくるセリナの視線を感じていた。テトラは苦笑いしながら言葉を継ぎ足した。激震も治まり、兵士たちも一応の落ち着きを取り戻している。戦闘準備をと副長に告げると、あとは副長に任せてることにした。


「私たち、相手斬ったりぶん殴ったりしてる仕事でしょ。勝つには、痛いとこなんていちいち気にしてらんないのよ」

「……強いんですね」

「強いんじゃなくて、意地っ張りになるのよ。鍛えているのに、情けないとこ見せたくないじゃない」


 テトラはセリナを座席に座らせて、自分も隣に腰掛けた。

 戦闘準備中である。腰を落ち着けて雑談するためではなく、戦闘に備えてセリナに救命器具や安全帯をつけさせるためだ。テトラなら手探りでも素人のセリナより手際がいい。


「それに元気な子を産まないとね。これからの未来に大事な子を守らなきゃ」


 救命胴衣を着せて、お腹に負担が掛からないよう胸辺りで安全帯を繋げ終わると、テトラはそっとセリナのお腹に手を当てた。まだ目立ったものではないが、わずかなふくらみがある。テトラの鋭敏な感覚は、そこから確かな命の鼓動を手のひらに感じていた。


「ごめんなさい。みなさんに迷惑掛けて」

「気にしないの。私も真実が知りたいから、あなたに付き合ったの。私だって白虎隊のみんなに迷惑掛けているし。ねえ、副長さん?」


 テトラが副長に声を掛けると、副長はまったくですと肩をすくめた。


「おかげで、息子に語って聞かせる冒険談には困りませんがね。しかし、今回は話が大き過ぎて信じてくれるかどうか」


 副長が冗談めかして言うと、他の男たちはどっと笑った。テトラは男たちの笑い声を背に、セリナに微笑んでみせた。

 白虎隊の男たちは、いずれも百戦錬磨の戦士だとセリナでも知っている。魔法の扱いだけで言うなら、リュウヤより巧みな者も多数いる。この不明瞭な事態にも関わらず、隊長の行動や選択がそんな男たちから好意的に受け入れられているところに、セリナはテトラの凄味を知った気がした。


「まあ、そういうわけでね、セリナさんは気にせず、リュウヤくんとアイーシャちゃんのことだけ考えていればいいの」

「はい、ありがとうございます。あの……」

「ん?」

「いえ、なんでも」


 頬を紅潮させて恥ずかしそうに俯き、身をもじもじさせるセリナは、二十代となっても無垢な少女に見える。しかし、その内心では複雑な想いが揺れ動いていた。


 ――私に何かあったら、リュウヤさんをお願いします。


 セリナはテトラとリュウヤの過去を知らない。知らないが、どちらかに師弟という間柄以上の感情があっただろうと何となく推測している。テトラならリュウヤを充分に支えられるだろうと思った。

 だが、喉まで出掛かっていたその言葉を、セリナは寸前で呑み込んだ。脳裏にはリリシア・カーランドの顔が浮かんでいる。自分よりリュウヤと深く長い関係にあるリリシアに対して、深く暗い嫉妬や羨望はいまだに払拭出来ないでいるが、あの女を除くことはできない。

 不公平に思えたからだ。


 ――それに、クリューネさんもいる。


 わざわざ言わなくても、この三人なら何とかしてくれるだろうとセリナは思った。

 リュウヤとリリシアとの関係を知ってから、リリシアに対して抱いた憎悪にも近い感情に気がついたことで、同時に自分の本性をわかった気がした。

 自分に出来ることはリリシアにも出来る。だが、リリシアに出来て自分に出来ないことが多すぎる。どうしようもないやっかみや妬み。リリシアが最も近かったから敵意を抱きやすいだけで、それがクリューネやテトラだったら、彼女らにも同じ思いを抱いただろう。


 ――あの頃の私はどこに行っちゃったんだろうな。


 内心、苦笑いしながらセリナは思う。

 ミルト村にいた頃は、誰にでも明るく優しい子だと言われていたし、自分でもそうなのだろうと思っていた。だが、聖霊の神殿で記憶を取り戻した今では、自分の明るさや優しさは村限定のものだと今は思っている。

 世間を知らないから出せた優しさ。

 リュウヤに捨てられたくなくて、愛情をますます深めていったが、それは暗く必死で、振り返れば恥ずかしさで消えてしまいたくなるようなものでしかない。


「ホントにどうしたの?」

「いえ、何でも。ちょっと緊張して」


 急に黙り込んだセリナを不審に思い、テトラが問い掛けると、セリナは無理に笑みをつくって答えた。怪訝そうに見つめるテトラから顔を背けて、窓の外を覗くと空には黒い雲が立ち込めている。


「こんな状況じゃ無理もないか。でも、安心して。絶対にセリナさんを守るからね」


 セリナの言を信じたらしいテトラの励ましが、胸に鋭く突き刺さってくる。ぎこちなさを感じながらも軽く微笑んで見せると、セリナは再び窓の外を注視した。


 ――なんでも良い。後はアイーシャは助けることだけ考えないと。


 セリナはそれ以外は考えないことにした。

 自分の代わりは他にもいる。

 確かにお腹の子のこともある。

 だが、ここに来たのは何のためなのか。アイーシャもいてこその家族や平和。そのために自分の娘を諦め、犠牲にすることなどしたくはなかった。

 それに頼みもしないのに介入して翻弄してくる権力や強者たちに、いい加減セリナもうんざりし、怒りに満ちていた。非力は非力でも娘を取り戻すために、少しでも抗いたかったのだ。

 そんなセリナの行動や心境は、他者から見れば無謀だの自暴自棄としか言えないものだったが、セリナ自身はリュウヤを託せそうな女が三人もいるという安心感からか、妙に強気で根拠のない自信があり、瞳にも迷いがなくなっている。

 テトラから顔を背けていたから、機内では死角になっていて誰の目にも触れられなかったが、悲壮感漂うセリナの瞳には、野獣のように狂暴な光が宿っていた。


  ※  ※  ※


「な、何が起きた……」


 アルドは突かれた額を抑えながら身体を起こすと、プリエネルの機体も同じ動きをして上半身を起こした。

“コア”と呼ぶ球状の結界内は全方位がモニターとなっていて、アルドは結界内で浮遊した状態でいる。

 アルドの背後には、抜き身のエクスカリバーが影のように従い、嵌め込まれたエメラルドの宝石は淡い光を宿していた。

 聖剣エクスカリバーは主の意志に反応する。

 その特徴を利用して、機神オーディンプリエネルはエクスカリバーがプリエネルの魂であるアルドと、プリエネルの肉体とを繋げる脳波制御装置ブレイン・マシン・インターフェイスの役割を担っていた。そのエクスカリバーが、身体にのし掛かる瓦礫の硬く重い感触をアルドの肉体へと伝えてくる。


「あれが姫王子ルシフィか……」


 何の装飾もない樫の杖を使うと聞いていたが、神と呼ぶこの身体を、軽い一撃で吹き飛ばすほどの腕前とは想像していなかった。


「だが、今のは油断しただけだ」


 プリエネルは瓦礫を押し退け、躍るように宙に飛び上がると、主の下に駆けつけたアデミーヴを置き去りにして、機体を今来た方向へと推進させた。

 そう、油断しただけ。

 魔族とはいえ、神の攻撃を浴びればひとたまりもない。

 アルドはスクリーンに蝶の羽根と十二枚の翼を捉えると、神に一撃を喰らわせたルシフィに目標を定め、プリエネルを一気に突進させた。


「援護要るか」

『頼みます』


 リュウヤの問いにルシフィは短く答えると、ルシフィは抱え杖に構えてプリエネルの巨体に向かっていった。


“なにっ!?”


 かわすと思いきや、無謀にも突進してきたルシフィにアルドは虚を突かれていた。瞬時に懐へと潜りこまれ、下から吹き上げる熱い風とともに鋭い突きがプリエネルの顎を跳ねあげると。重くしなる長杖がプリエネルの頭部を激しく揺らした。


“がはっ……!”

『神とかいう力があっても、父上の力があっても、使うのはアルド将軍、あなただ』

“……”

『残念だけど、あなたの心技は僕らに追いついていない』

“姫王子ごときが、神に向かって……!”


 離れ際を狙ってプリエネルは指先から閃光を放とうとしたが、プリエネルの側面から伸びた衝撃波がプリエネルの動きを止めた。天翔竜雷アマカケルリュウノイカズチだと、剣を振り下ろした恰好のリュウヤが佇立している。


『ナイスです。助かりました』


 強烈な一撃を受けプリエネルの気が逸れ、動きが完全に止まっている。リュウヤはクスリと微笑んだ。


『……さすが天才剣士。隙を見逃さないな』

「今だ、ルシフィ!」


 リュウヤの叫びに呼応するように、ルシフィの翼が燦然と輝きを増した。


『“十二詩編協奏曲(ラブソング)”……』

“この……!”

『最大神速(フルボリューム)”!!』


 ルシフィが叫んだ刹那、ひらりと舞う幾多の羽根を残して、プリエネルの前にルシフィが杖を振りかぶって迫っていた。


“……!”


 アルドに声を出させる時間を与えず、ルシフィの杖はプリエネルの額を打ち据えていた。プリエネルは指先から放つエネルギー波を、刃に形成してルシフィを斬りかかったが、ルシフィは霧のようになって散っていった。


 ――幻影?


 プリエネルの警報センサーが、光の速さでアルドの脳に危険を知らせて来たが、振り向き様にルシフィの強打で機体が大きく揺らいだ。エクスカリバーから伝わる衝撃で脳も揺れ、意識が一瞬途切れたが、それでも持ちこたえたのは、アルドの尋常ではない精神力のおかげかもしれない。


“おのれ!おのれおのれ、おのれぇ!”


 幾ら叫ぼうとも、ルシフィの速さにプリエネルはついていけず、切り裂くのはルシフィの幻影ばかりだった。しかし、ルシフィの連撃はプリエネルの巨体を確実に捉えていく。

 すげえなと、リュウヤは戦闘を見守りながら苦笑いしていた。頼みますと言いながらも、リュウヤの入る隙がない。

 少し見ない間に、また一段腕をあげている。


「あの天才に、次やったら勝てるかな」


 複雑な思いを吐露した時、ルシフィが放った胸部へのひと突きは、プリエネルを硬い岩盤が広がる大地へと再び叩きつけていた。

 

  ※  ※  ※


「この“神(マスター)”が樫の杖ごときで……」


 テトラはミスリル製の杖でリュウヤは鋼の片刃刀。

 だが、ルシフィのそれはただの木でつくられた杖でしかない。

 樫の杖だろうと、使用者の気を伝導しやすい武器が最も優れた武器だとアルドもわかってはいるが、ただの木製の武器で神である肉体が弾き飛ばされて思い浮かんでくる言葉は「屈辱」でしかない。

 アルドの中から次第に怒りの感情が沸々と沸き起こり、アルドの感情はエクスカリバーに伝わると、エメラルドの光は徐々に強さを増していった。


“ご無事ですか。マスター


 睨み据える瓦礫に覆われる真っ黒なスクリーンの奥から、アデミーヴの声が聞こえてきた。


「この“マスター”が、アデミーヴごときに心配されているだと……」


 神とはこんなものではないとアルドは思った。

 神とはただ与え奪う存在のはず。絶対的な存在で、すべてを超越し、他者からの哀れみや助けなど不要のはずだった。

 アルドから発せられた怒りの感情がエクスカリバーによって増幅され、エクスカリバーから逆流した感情がアルドの脳を刺激し、さらに怒りを倍加させていった。アルドの知識と機体に蓄えられた膨大なデータが、エクスカリバーによって混ざり合わさり、アルド自身でも気がつかない間に幼少期の頃から読み聞かされた神話や伝承と、現実が同じものとなっている。

 神に逆らい、神の身体を傷つけた。

 あの二人は神に逆らう敵。

 神に対する反逆者。

 エクスカリバーによって増幅された感情は歪んで変化していき、そこまで考えが及んだ時に、そうかとアルドは呟いた。


「彼らは、私にとって悪魔の存在なのか」


 アルドの中でひとつの結論が出た時、プリエネルは雄叫びをあげるように、白銀の機体から嵐のような衝撃波が巻き起こった。プリエネルを覆う瓦礫は一息に粉砕され、細かい破片となって四方に散った。


『様子が変わった……?』

「気をつけろ」


 リュウヤが土煙に紛れて佇むプリエネルを見据えたまま言うと、ルシフィは緊張した面持ちでうなずいた。

 雰囲気が先ほどとはガラリと変わっている。プリエネルから発せられている殺気は殺気には変わりないのだが、傲慢や酷薄といったヒトとしての殺気から、今はもっと凶悪で、どろどろとした怨念の塊のように思えた。


“新世界のためにも、憎き悪魔どもを祓わなければ。頼むぞ、アデミーヴ”

「はい、マスター


 プリエネルが天を仰ぐように両手を広げたその時、シンと一瞬凍りつき、辺りが静寂に包まれた。


『来ます!』


 ルシフィが身構えた刹那、プリエネルの胸部が紅い球体を剥いた。


「トゥール・ハンマー……!」


 リュウヤが叫ぶ間も与えず、プリエネルの球体から二度目の“トゥール・ハンマー”が放出された。超高熱の閃光は轟音とともに虚空を焦がしながら猛進してくる。


「世界を滅ぼすつもりか、アルド!」


 トゥール・ハンマーの強大なエネルギー波は空気でいくらか減殺されても、凄まじい破壊力を持っている。どこまで伸びるのかわからなかったが、射線上に街や村があれば壊滅的な打撃を受けるはずだ。

 リュウヤは絶叫しながら回避したものの、ルシフィとは左右に別れて分断される格好となってしまっていた。その直後だった。リュウヤの背後に、巨大な殺気が覆い被さってくる。重々しいアルドの壮厳な声がリュウヤの耳に響いた。


“悪魔よ、去れ”


 全身に悪寒がはしり、振り向くとそこには、プリエネルの紅い目がリュウヤを見下ろしていた。

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