第186話 大空を飛び回って、命揺らせ
プリエネルから解き放たれた“トゥールハンマー”は、強烈な光で空を照らしながら、猛烈な勢いで真っ直ぐに闇の空を駆け抜けていく。直径数百メートルに及ぶ光軸は大地を抉り、立ちふさがる岩や森や山を吹き飛ばしていった。
生じる衝撃の波は、地上にいるリュウヤとゼノキアまで巻き込み、砕けた岩や砂とともにリュウヤの身体は木の葉のように軽々と宙に舞った。
「くっ……!」
『リュウヤ、何故私を助けた』
「知るか!」
ゼノキアの腕を掴みながら、
「あの先は確か……」
『グリュンヒルデの本陣か』
リュウヤの言葉を引き継ぐように、ゼノキアが言った。声には驚愕の色がある。本陣であるグリュンヒルデの大砦にいるのは、魔王軍だけではない。射線上には交戦中のムルドゥバ軍も多数いるはずだからだ。
『アルドめ、ムルドゥバ軍も戦っているのに、味方も巻き込むつもりか?』
正気とは思えなかった。
ゼノキアですらリュウヤの一対一に応じたのも、フルパワーの戦闘に味方を巻き込むのをおそれたからだが、アルドは何のためらいもない。
『確かに“神”だな。目的を達成するためには、敵味方区別しないということか』
「くそ、やめろ!!」
叫んでも無駄だとわかっていた。
祈るような気持ちを思わず口にしたが、言ったところでどうにもならないことはリュウヤ自身もわかっている。だが、それでも叫ばずにはいられなかった。
リュウヤの叫びを嘲笑うように、強大なエネルギー波は怒濤の勢いで突き進み、リュウヤたちの所へ向かっていたクリューネも、迫る光軸に大声をあげて叫んだ。
「リンドブルム、距離を取れ!」
“は、はい!”
リンドブルムの背に乗るクリューネが命じると、青き竜は、大きく羽ばたいてさらに上昇した。
トゥールハンマーの射線上からは逸れていたはずだったが、それでも猛烈な爆風から生じた圧力はすさまじく、閃光が消えるまでの間、衝撃の波に呑まれて天地がぐるぐると回転していた。
「な、なんじゃ、このパワーは!」
“姫、しっかり掴まってて下さい!”
リンドブルムが荒れ狂う嵐を潜り抜ける中、クリューネが閃光の行方を見守っていると、空の彼方に幾多の爆光が闇の空に瞬くのが見えた。
クリューネたちの後方でグリフォンを駈るエリシュナも、衝撃波になんとか耐えていたが嵐が治まっても、グリフォンは動こうとしない。
『どうしたの、動きなさい!』
よく見ると毛が逆立ち、身体が小刻みに震えている。今の閃光にすっかり怯えてしまっているようだった。石のように固まってまるで前に動く様子を見せない。どんな嵐や砲声にも動じないよう調教してあるはずだが、その限界を超えてしまったらしい。
振り返ると、ついてきた魔王軍も同様で、グリフォン騎兵たちは自分たちのグリフォンたちを制するので精一杯だったし、“ペルセウス”も動きが鈍い。艦内ではよほどの混乱が起きているようだった。
さすがに竜族はクリューネたちを追っていくが、未知の力に恐怖しているのか、これも動きが鈍い。主を先に行かせておいて、敵ながら、エリシュナは呆れる思いで眺めていた。
『これだから男どもは……』
魔王ゼノキア以外、ろくな者がいない。ゼノキア様の手助けが出来るのは自分だけだ。
エリシュナは、自分の翼を広げて動きをたしかめてみた。
多少ぎこちなさは残るが、気にしなければ動きに支障はなさそうだと思えた。
『お前は、ご主人様のところに帰りなさい』
エリシュナはグリフォンの顎をやさしく撫でてやると、グリフォンを残して空に飛翔した。鈍重な竜族たちを一息に追い抜き、クリューネたちの後を追った。
※ ※ ※
ばく進するトゥールハンマーは、一気にグリュンヒルデの大砦まで迫っていた。交戦中の兵士たちは、敵も味方も関わりなく、周りどころか自分の声すらも急に聞こえなくなったことに、きょとんという顔つきになった。
『……なんだ?』
耳に手をあてる者、敵同士怪訝そうに互いに顔を見合わせる者、うろたえて周りを見渡す者、様々な反応を示していたが、直後に続く青白い強烈な光が闇の奥から突然広がっていくのを幾人かの兵士が目にした。その刹那、灼熱の熱波がグリュンヒルデの砦や兵士たち、空に飛行する魔空艦や魔装兵(ゴーレム)を山ごと呑み込み骨も残さず消滅させていった。
トゥールハンマーによる灼熱の奔流は、グリュンヒルデで交戦する魔王軍とムルドゥバ軍の命を城ごと瞬時に燃やし尽くし、やがて、光が虚空に抜けて消滅すると、その後には黒々と焼け焦げた地肌をさらす岩山だけが残された。
「やりやがった……」
粒子の残滓が舞い、ビームの軌跡が消滅するまでの間、リュウヤもゼノキアは歯ぎしりしながら、トゥールハンマーの光が消えた虚空を注視していた。強烈な熱波が向かった先で生じた幾多の光球と、地表からもうもう噴き上がる闇より濃い黒煙を目にすれば、その先で何が起きているかくらいは容易に想像できる。
『やはり人間は愚かだ』
リュウヤの手にぶらさがりながら、ゼノキアは冷笑を浮かべながら言った。
リュウヤは
「死にかけは黙って見ていろ」
『助けたのは憐れみのつもりか。情けをかけても礼など言わんぞ』
「考えている暇あったら、テメエなんぞ助けてない」
リュウヤはプリエネルを見上げながら、苦々しげに呟いた。右手にゼノキアの掴んだ手の感触が残っている。細くて頼りなく枯れ枝を握っているような気分だった。“弥勒”の柄の方が幾分細いはずだが、この頼りなさはどうだろうか。
腹を立てていたのはゼノキアを助けたということよりも、手のひらに伝わる感触によって、変わり果てたゼノキアにわずかながら同情する気持ちを抱いた自分に腹が立ったからだ。
一方のゼノキアは口の端を歪めて、弱々しくも侮蔑の笑みを浮かべていた。
『進歩し過ぎた文明、過分な力を得ても不幸と害悪しか生まない。英雄アルドも所詮は愚かな人間だったか』
「だからって、はいそうですかと、テメエらのおもちゃになってるわけねえだろうが」
『質実剛健、身心共に優れた魔族が人間どもの上に立ち、支配するのは当然のことだ。そこを人間はわかっていない』
「堕落だとかで悩んでいた軍はどこの話だ。思い上がるな」
『……』
ここ数年で見違えるように変わったが、魔王軍の将兵の堕落は竜族に勝利した“竜魔大戦”以後に、魔王軍が抱えていた問題である。痛い部分を突かれて、ゼノキアとしては口をつぐむしかなかった。
“どうだい、リュウヤ君。神の力は素晴らしいだろう”
トゥールハンマーの放射が完了すると、プリエネルはミスリル製の肉体をリュウヤたちに向けて、紅いひとつ目を傲然と見下ろしてきた。
――いい気になってるやがる。
ムルドゥバのエリザ宮殿でも気になった、有り余る力を手に入れた者が発する特有の声だと思った。
エリンギアへ送り出す際、付き添ってくれたアルドの朗らかな笑顔が脳裏に過る。
以前のアルドはもう少し人間味のある男だったが、
一種の科学万能主義に取りつかれたのか、今のような傲岸な性格を露骨に見せるようになった。
絶対的な強さを過信して、自身は神になったつもりだろうが、力で屈させようとする暴虐な王と何も変わらない。行き着く先は、新たな“魔王”が誕生するだけなのに。
「何が神の力だ!」
瞬間、リュウヤは光塵を残して地上から姿が消えていた。次には閃光のようにプリエネルの眼前に迫り、弥勒を上段に振りかぶるリュウヤがそこにいた。
プリエネルは巨体からは信じられない速さで後退したが、リュウヤは滑空するようにプリエネルへと接近していた。
“なに……!”
驚きの声をあげながら、プリエネルは尖った両手の指先から、十本の光軸を放ったが、リュウヤは光の麟粉を散らしながら巧みにすり抜けていく。確かにひとつひとつのエネルギーは強大で背筋が凍るほどだが、それを操る技が追いついていないとリュウヤは感じた。
――接近戦ならいけるはずだ。
リュウヤは
“はやい……!”
「そんなミスリル板くらい、断ち切ってやるさ!」
気を滞留させた刃が、唸りをあげて振り下ろされた。だが、プリエネルの顔面に到達する寸前、巨大な岩がのし掛かるような圧力を感じて身を翻すと、アデミーヴが突進し手もとから閃光が瞬くのが見えた。
かわしきれず、
「リュウヤ・ラング。あなたを
「アイーシャ、やめろ!」
追撃を仕掛けてくるアデミーヴに、リュウヤは防戦一方となっていた。
『リュウヤ、手を出せ。勝てない相手ではないだろう』
じれったそうにゼノキアが唸ったが、リュウヤにしても隙が見出だせないわけではない。だが、その見えている隙は急所であり、そこを突けばアイーシャを確実に殺すことになる。だから手も出せず、猛烈な攻撃を受けることしかできないでいる。次第に、リュウヤの表情に顔を歪めることが増えていった。右腕は添えるだけとなっている。リュウヤの魔力では回復が不十分で、激しい攻撃に耐えきれず、右腕の痛みが増したようだった。
「くそっ……!」
ついには力が入らなくなり、右腕がだらりと下がった。
リュウヤはアデミーヴから離脱しようと
「よせ、アイーシャ!」
「わたしの名前は、アデ、ミーーヴ」
無機質な声とともに繰り出してきた鉄甲に覆われた拳を、
“やはり君は脆いな。いや、そもそもこれが、ヒトの限界ということか”
起き上がれず、倒れ伏すリュウヤの頭上に、アルドの声が響いた。
“どれほど鍛えようが、ヒトの肉体では落石ひとつも耐えきれず、高山から飛び下りても無事ではすまない。虚しいものだ”
見下ろすプリエネルの傍らで、アデミーヴが静かに手をかざした。小さな手のひらにエネルギーが集まり、光球が生まれていた。
“さて、ここまでご苦労だった。リュウヤ君がいなければ、魔王ゼノキアの力を手に入れることは、困難を窮めただろう。君の働きは大きい。神が統治する新世界を、君に見せられないのは残念だ”
「……何が新世界だ。思い上がるな」
“だが、思い上がる私は無傷で、君がこうして倒れている姿を見下ろしている。そして君は、君が愛していた娘に殺される。これが現実だ”
「……」
“私は
アデミーヴに蓄積される光が強さを増した。目が眩むほどの激しさに、アデミーヴもプリエネルの姿も光に紛れて見えなくなった。
身体が動かず、
これで終わりなのか。
光で滲む視界に、ひらりと鳥の羽根がやわらかく舞うのを見た。
はじめは光の錯角による幻覚と思い、天使でも迎えに来たのかと苦笑いしたが、すぐにそうではないと気がついた。プリエネルのひとつ目の頭部の傍に人影が立っている。
『よくないよ。そんな悲しいこと』
プリエネルのそばで、詩を吟うような声がした。 いつの間にそこにいたのか。アルドもアデミーヴも気配を捉えることができなかった。
やわらかく光る十二枚の翼を生やし、木製の素朴な長杖を手にしている。風に流れる長い銀の髪に、艶のある褐色の肌。
悲しげな瞳がプリエネルをじっと見つめながら、杖をくるりと手の内で回し中段に構えた。
『人の命を弄ぶのは、神様がすることじゃないよ』
その正体に、リュウヤとゼノキアは息を呑んだ。
「
ルシフィの手から、音もなく杖の尖端がスッと伸びた。ただの中段突き。静かで何気ない動作に見えた。アルドの目にも他愛もない一撃に映った。
だが、カツンと硬い音を立てて、杖がプリエネルの額に当たった瞬間、猛烈な衝撃が額を駆け抜けてアルドが仰け反ると、プリエネルの巨体は空気を砕きながら吹き飛ばされ、十数キロ先にある高い岩山に激突した。岩山は粉砕され、大量の瓦礫でプリエネルの機体が埋もれていった。
「
アデミーヴが身を翻すと、後ろを振り返ることもなく主の下へ飛翔していった。
『アイーシャちゃん、待って!』
ルシフィは叫びながらアデミーヴの後ろ姿を迷いながら見送っていたが、治療が先だと思い直したらしく、急いで地上に降りると、リュウヤに近づき負傷した右腕に手をかざした。あたたかな光が負傷した腕や肋を治療していく。
「良いのか。俺たちは敵同士だぞ」
『こんな状況で、敵味方言ってられないでしょ』
ルシフィはリュウヤを治療しながら、遠くにうずくまる老いたゼノキアを眩しそうに見つめていた。
『あそこにいるの、父上ですか』
「ああ、アルドに力を奪われてああなった。さっきの鎧の化物……、プリエネルて言うんだが、アルドがゼノキアの力を使って動かしている。アイーシャは、敵に操られている……と思う」
アルドと聞いて異常事態を察したらしい。ルシフィは厳しい表情のまま、耳を傾けていた。
『確かアルド将軍、自分を“神”て言ってましたね』
「アルド将軍は、この世界の神になったらしい」
『……』
「その神様を一撃で吹っ飛ばしたんだ。さすが天才」
リュウヤが白い歯を覗かせると、ルシフィの厳しい表情がゆるんで、はにかむような笑顔をみせた。治療が終わり、リュウヤの腕から手をはなした。先ほどまでの身体を苛んでいた苦しい痛みが、嘘のように消えている。
『天才剣士にそう言ってもらえると、僕も嬉しいですよ』
ルシフィとリュウヤは互いに顔を見合わせ、小さな笑みを浮かべたが、二人はすぐに表情を引き締めると、立ち上がってプリエネルが激突した岩山に向き直った。もうもうと煙が立ちのぼり、火山の噴煙のように見える。
『でも、あの神様、まだ倒されたわけじゃないんでしょ』
「手伝ってくれるか」
『もちろん。色々ありますけど、何より、アイーシャちゃんを助けないと』
「ありがとな」
ルシフィはうずくまったままのゼノキアを一瞥すると、深く息を吐いて真っ直ぐに視線を向けた。そう。話したいこと聞きたいことは色々ある。山ほどある。
しかし、今やらなければならないことは、それらに比べれば大したことではない。
重い地鳴りがし、積み重なった瓦礫が崩れ始めている。
「行くぞ」
リュウヤが言うとルシフィは無言でうなずいた。ふたりの背中から形成された蝶の羽根と十二枚の翼が
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