第163話 七色の羽根
「……なに、あれ」
リリシア・カーランドは、自分の目を疑いゴーグルを外して魔空艦“マルス”の見張台から地上を注視した。
傍にいる見張役の兵士も魔弾銃を構えたまま、言葉を失っている。
アルド将軍がいるハルザ宮殿で魔王軍との交戦の情報や、鎧姿の幽霊が空を滑空しただの真偽不明な情報が錯綜していた上に、突如発光した魔法陣から蝿に似た新たな魔物が現れた。そうかと思うと、その魔物がアーク・デーモンを喰らいだす光景に半ば驚き、また一難かと半ばうんざりしていた。
「シシバル、新しく魔物の出現を確認。蝿みたいなの。何なのアレ」
リリシアはヘッドセットのマイクで艦橋に通信を送ると、シシバルからは“わからん”と実に明確な回答が返ってきた。
“だが、見た感じからすると少なくとも味方じゃない”
「見事な名推理。さすがエリンギア国代表シシバル長官殿」
“茶化している場合か。それ以外に言い様がない”
ヘッドホン越しでも、シシバルの苦々しげな口調が伝わってくる。
現在、シシバルはエリンギア国の代表を名乗っているが、ムルドゥバの最高位が“将軍”であるところから、遠慮してエリンギアでは“長官”を最高位にしていた。
そのシシバル長官が指揮する魔空艦マルスは、補給の関係でムルドゥバに寄ろうとしていたところだった。リリシアも寺院に顔を出すつもりでシシバルの船に同乗していたのだが、そんな矢先、事件に遭遇し、付近を警戒するムルドゥバ軍の魔空艦と合流していた。
“もう一匹の青い竜はおそらくリンドブルム。身体の大きさから子どもの方だろう”
「よくわかるわね」
“昔、グリュンヒルデの戦いで同じ竜と戦っているからな。それより体つきが一回り以上小さい”
「……その時は、どっちが勝ったの」
“聞くな。俺は取り合えず生きている”
今のシシバルの返答で全てわかった気がして、リリシアはそれ以上、聞くのをやめた。
“それより、クリューネの竜化がまだ終わっていないうちに何とかして、バハムートを結界の外に出さないと。魔空艦じゃあの厚い雲を払えない”
「そうね。やっぱりクリューネの力が無いと……」
シシバルが一旦、無線を切ると、リリシアは懐から懐中時計を取り出して同意した。
様変わりしてしまった街の様子や錯綜する情報、目まぐるしく変化する戦況に、かなり長い時間が経過したように感じたが、時計を確認すると、まだ二十分も過ぎていない。
しかし、バハムートの制限時間や今の状況を考えれば、まだ二十分というより、残り少ないと言った方が良さそうに思えた。
ハルザ宮殿からの無線連絡で、結界とアーク・デーモンは月光に弱いとの情報を得たものの、魔空艦の力では分厚い雲を散らすなど到底できそうもない。
バハムートの力なら散らせるだろうというのがシシバルの見解だったが、そのためには結界を破らなければならない。
ただ虚しく砲撃を与えるだけの状況に、リリシアは歯がゆさを感じながら街を覆う結界を見つめていた。
「……」
結界を眺めている内に、ふとあるものが過って、自然と口に出ていた。
「……シシバル、魔空艦の船底にある魔法陣で、何とか出来ない?」
“え、何だって”
「船底の魔法陣、接舷させて押していけば……」
“無茶言うな。ホーリーブレスだって破れないものを。確かにバリアの役目もするが、船を浮かべるためのものだぞ”
「……そうだけど」
リリシアは口にしてみて、自分の思いつきがどこからきたのかわからなかった。
脳裏を一瞬の閃光のようなものがはしり、それが教えてくれた気がした。
覚えがある。
覚えがあるのだが、それがどこから来るものか、漠然としていた。
結界に目を凝らすと、魔力が絶えず流動しているのがわかる。力を拡散させ衝撃を和らげる働きをしているのだろう。特殊な結界を注視している内に、漠然となっていた感覚は鮮明な記憶となってリリシアの中で甦っていき、思わず自分の拳をさすっていた。
「……もしかして、エリシュナの“傘”と同じタイプ?」
自問した時には、リリシアの中で回答が出ていた。
オリハルコンの糸で編まれた魔道具“パラソリア”。
リリシアはその名を知らないが、傘が生じたバリアは覚えている。あの時は魔法を吸収するバリアに吸収されず、打ち破れたこと自体が奇跡と思っていたが、別に理由があったらしい。
魔空艦のバリアで結界を破り、バハムートの力で空の雨雲を散らすことができれば……。
リリシアの神盾(ガウォール)と魔空艦のバリアは、同一とは言い難いが、リリシアとしては自分の思いつきに賭けるしかない。
「シシバル、クリューネに連絡して!」
リリシアは、マイクに向かって大声で叫んでいた。
※ ※ ※
リンドブルムは蝿の怪物――ベルゼバブ――の狂暴な姿に呑まれそうになり、身体が自然と後ずさりしていた。
“でかい……”
バハムートの倍近くの大きさもある化物が、血と体液で汚れた手をすり合わせ、長い舌で舐めまわす姿にはおよそ知性も品性も感じなかったが、それだけに何を仕掛けてくるかわからないおそろしさがある。
力はどれほどか。スピードは、どんな特殊能力を持っているのか。
――それに……、勝てるのか。
未知の敵を相手に、これまでにない緊張感がリンドブルムの身体を縛り、迂闊に近づくことが出来ないでいた。
ベルゼバフからだらりと垂れ落ちた唾液は、地上に落ちるとジュワという焼けつく音とともに、蒸気が立ち上るのが見えた。
強烈な酸性を含んでいるらしく、じわじわと融解していく瓦礫の光景もまた、リンドブルムに不気味さを与えた。
“……?”
リンドブルムの少し後ろで、ベルゼバフの様子を窺っていたバハムートは、視界の端に小さな光を捉えていた。見上げた先には星のようにチカチカと瞬くものがあり、それは魔空艦マルスからの光信号だった。
“……イマカラ、ケッカイ、ヤブル、リュウ、アマグモハラエ?”
意味がわからず訝しげに注視していると、マルスは前進し船底に浮かぶ魔法陣を結界に衝突させてきた。
高エネルギー同士が衝突したことで、凄まじい光と衝撃波が生じ、それは大地を激震させるほどの力があった。マルスの魔法陣が結界の分厚い殻を徐々に侵食していくのが激光の下でも確認できた。
アーク・デーモンたちが月の光に弱いことはバハムートも知っている。しかし、シシバルの意図を察することができたのは、この時になってからだった。
“しかし、無茶だ!それでは艦も無事では済まんぞ!”
だが、他に手立てがない。
自分の不甲斐なさに奥歯を噛みしめながら、マルスを見上げていたバハムートだったが、魔物たちがあげる絶叫がバハムートを我に返らせた。
光を嫌うベルゼバフをはじめとする闇の生物たちは、強烈な光を浴びて怯え怒り、狂ったように暴れ始めている。何の目的も計画もなくただ暴れる。
辺り構わず火を吹き、破壊する。時には自分の味方さえも攻撃した。
人々の悲鳴や絶叫が、再びリンドブルムの鼓膜を刺激する。
“やめろーーー!!”
リンドブルムは激昂し、ベルゼバフに突進していった。
サンダーブレスをベルゼバフに放ち、無数の稲妻が束となって空を駆け抜け、ベルゼバフの身体に衝突した。高エネルギーの熱波に焼かれ、ベルゼバフはガラスを引っ掻いたような悲鳴をあげた。
唾液を撒き散らしながらよろめき、飛散した唾が物に落ちると、ジュワという焼ける音ともに、蒸気の柱が何本も立ち上る。
“ぐっ……!”
飛散した唾の幾つかが、リンドブルムの皮膚を焼き、あまりの激痛にその場にうずくまってしまった。
“大丈夫か、リンドブルム!”
駆け寄ろうとするバハムートを、リンドブルムが手で制した。
“僕は大丈夫。それより、姫は姫がやるべきことを……”
苦悶するリンドブルムは立ち上がると、雄叫びをあげ、爆煙をかき分けるようにして猛進していった。
血だらけになりながら、ベルゼバブたちに向かうリンドブルム。
アイーシャを抱えながら、バハムートはホーリーブレスを放ってリンドブルムを援護する。
「お父さん、アイーシャはここにいるよ……」
アイーシャはバハムートの腕の中で、うわ言のように呟いていた。
※ ※ ※
はじまったなとアルドが、蝿の怪物――ベルゼバフ――とリンドブルムの戦いと、結界を突破しようとする魔空艦マルスを交互に一瞥すると、隣にいるケインに視線を向けた。ケインはアデミーヴの背後にまわり、背中を開いて搭載してある魔石と回線のチェックをしている。
「まだ直らないのか」
痺れを切らしたようにアルドが言った。
アデミーヴはリリベルを消滅させた後、アルドとケインのところまで戻ってくると、急に力を失ったように床にしゃがみこんで動かなくなってしまっていた。
「それが急にエネルギーが低下してしまい……。どうもあの女魔導士相手にエネルギーを使い果たしてしまったようで」
「なんという燃費の悪さだ」
「いや、維持ができないと言った方が正しいかと」
いつものように、焦って回答するかと思いきや、ケインは意外と平静に返してきたのでアルドは思わず興味を持った。
「どういうことかね」
「アデミーヴは人の身体と違って、本来が鎧を基本にした魔法生物なだけに、莫大な量のエネルギーを入れることができますが、長時間動かすには向いていません。魔法生物が罠や見張り等特定の条件で使われるのもそのためです」
「……」
「底に穴が空いた浴槽みたいなものです。どんなに水を入れても、どんどん抜けていってしまう」
「穴を塞ぐには?」
「やはり、人の身体、生命体が必要かと。それもアデミーヴの力を受け入れられるほどの」
「わかった。アデミーヴは今はもういい」
アルドはケインから離れると、負傷しながらも任務を遂行している将校たちに振り向いた。
アデミーヴの力を受け入れられる人間。
それはやはり、アデミーヴに力を与えることが出来た人間くらいしか思い浮かばない。だが、それを考えるのは後だとアルドは思った。
この場を何としても乗り切らなければ。
「諸君、
※ ※ ※
穴を掘り進めるように、魔空艦のバリアは徐々に結界の表面を抉り、半分までには達してきていた。だがその分、衝撃の波はマルスに跳ね返ってきて、激震が船を襲っていた。
「うわわっ!」
見張台から転げ落ちそうになった兵士を、リリシアは体つきからは信じられない力で、兵士を軽々と掴みあげた。
「大丈夫」
「あ、まあ、はい」
「ベルトか縄で、身体を固定させてなさい」
「あ、はい……」
兵士が慌ただしく救命用のロープを結着している横で、リリシアは結界に視線を戻していた。
「魔空艦のバリアだと、少し弱いか……」
魔力を一点集中するリリシアの
――私が直接……。
“駄目だ!このままだと船がヤバい。一旦離脱する”
艦橋からシシバルの叫ぶような声が、リリシアのヘッドホンに届いた。
“仕切り直しだ。出力変えてやってみる”
「もう少しなのに……」
マルスが結界から離脱すると、何事もなかったように激震がおさまった
ただ、マルスが衝突した箇所には窪みのようなものができ、水が流れたこむように、魔力が渦を生じさせながら結界を修復させていく。
リリシアは拳を握りしめながら、眼下の街を見下ろした。燃え盛る街がすぐそこにある。悪魔にも果敢に立ち向かうリンドブルムや、リンドブルムを援護しながら、船を見上げるバハムートの姿も見えた。不成功に終わった後ろめたさもあって、リリシアの目には心なしかバハムートが失望しているように映った。
“……左舷後方から?”
艦橋でスタッフとやりとりしているらしい、訝しげなシシバルの声と、周囲のざわめくがリリシアの耳に飛び込んできた。
「どうしたの」
“リリシア、レーダーに左舷後方から強大なエネルギーがある。こっちに急速接近てことだが、そこから何か見えるか”
「援軍?」
“向かっている魔空艦の反応はあるけど、段違いの速さだ”
リリシアはシシバルが言う左舷後方に目を凝らした。空からの雨と、地上の炎で視界が滲む。だが、その闇の空にほのかな光が揺らいだかと思うと、七色の光がキラキラと流れるのが見えた。
おぼろ気だった光は急速に鮮明な輝きを放ち始め、みるみるうちに接近してくる。ただの光だったものは、数十メートルもの広さはある七色に光る羽根となって、リリシアの視界に形成されていた。
「……蝶の羽根」
目にしたものを言葉にしてみて、リリシアは声をあげた。
「まさか、リュウヤ様!?」
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