第143話 サイタ、サイタ、ジゴクノハナガ
「……意外と重いんだな」
ジルは過重を知らせるコンソールモニターを眺めながら、慎重に核ミサイルを抱き上げるように持ち上げていた。扱うのは魔法とも武器とも言えない奇怪な物体。
アズライルと死闘を繰り広げるリリシアとシシバルにも気にもなったが、雑念と思われるものはすべて振り払って、目の前の巨大物体への作業に神経を集中させた。
敵味方入り乱れる喚声や、砲火や銃声が飛び交う中、ジルはレバーをゆっくりと動かした。核ミサイルには制御装置が働いていて、多少の衝撃や振動にはビクともしないつくりにはなっているのだが、クリューネもリリシアもスマートフォンで見せてくれた映像と、リュウヤが教えてくれた浅い知識程度しかない。
実際には制御装置が働いていて、過去には操作ミスで落下させても爆発しなかった事例もある。
多少の衝撃や振動にはビクともしないつくりにはなっているのだが、クリューネやリリシアにもわからないし、二人に説明したリュウヤ自身にもネットで調べた程度で、そこまで専門的な知識があるわけではない。
ましてや異世界のジルが理解できるわけでもなく、“ホーシャノー”という猛毒の説明にも今一つピンとこなかったにせよ、猛毒と聞けば扱いも過剰と言えるほど慎重となるのはやむを得ないことだった。
「よし……、よし……」
ジルはコンソールモニターを睨みながら機体のバランス調整を行い、抱き上げるようにしてミサイルを両腕で持ち上げた。
「よし」
気がつけば額から大量の汗が吹き出し、目的が半ば済んだことに安堵の息をもらしてシートにもたれかかった。あとは速やかに、この場から離脱するのみ。その後の処理についてはリュウヤと話し合う。
「いくか」
ジルは汗を拭うと気を引き締め直し、レバーに手を伸ばした。
「な、なんだよ!」
核ミサイルは
『ワタ、サナイ』
風にのって声が聞こえた気がして、ジルが声のありか追うと、廃屋の近くに小柄な女が手を掲げて立っている。長身の女が小柄な女を支えていた。
『……どう、妾の
小柄な女――エリシュナ――は掠れた声で呟くと、糸が切れた人形のように、全身から力が抜けて膝から崩れ落ちていった。長身の女――リリベル――の支えがなければ、顔を打ちつけていたかもしれない。
「ちくしょう、余計なことを!」
ジルは
操縦席のコンソールモニターには、異常を知らせる警告表示がされている。
――何が起きてんだ。
モニターを見据えていたジルが言葉を発する前に、『退避しろ』と男の怒声がジルの耳を
見ると金色の炎に包まれたゼノキアが空に浮遊し、大声を張り上げている。
『全軍退避!早く負傷兵を担いで逃げろ!逃げんか!』
近くに蝶を模した光の羽根を生やしたリュウヤがいるにも関わらず、ゼノキアはそれを無視して地上へ降り立ち、戦闘を続ける兵士たちを敵味方構わず殴り飛ばし、あるいは衝撃波で吹き飛ばして無理矢理中止させた。
乱心ともとれる突然のゼノキアの行動に、リュウヤやアズライルを含めた戦場の兵士たちは皆、呆気にとられてゼノキアを注視している。
太陽を超える数百万度の熱波。
半径十数キロの建造物を壊滅させる威力を持つ爆風。
空気や大地、草木や水などあらゆるものを汚染する放射能。
ゼノキアの中には、サナダ・ゲンイチロウの遺した知識がある。それに対応するマニュアルも入っているが、所詮は借り物の知識で実感も確信もない。そんなもので凌げるのかとも疑いすら持つ。
しかし、何もしないよりはよほどマシだと思った。
『およそ十分程度で核ミサイルが爆発する。勝敗はどうでもいいから全軍退避しろ!』
『……』
『硬い岩場、地下、建物、分厚い遮蔽物の陰に隠れろ。間に合わなければ地や溝に顔を伏せぼろ布で身体や顔を覆え!爆発が終わっても次の太陽が同じ位置にあるまでその場を動くな!』
そこまで一息に言うと、深呼吸して『全軍退避、生きろ!』と吼えるように怒鳴った。
ゼノキアが言葉を切るとともに、魔王軍は喚声をあげて一斉に逃げ始めた。
核に関しては何もわからなくても、あのゼノキアが『勝敗はどうでもいい』と言っただけで、よほどの事態が発生しているのだと全軍が直感していた。獣王部隊は負傷兵を乗せてナゼルの町の北側にある岩山に駆け、残った徒歩の者は残った建物へと走っていった。
『アズライル、エリシュナとリリベルを連れて岩場に隠れろ!』
アズライルは異常いち早く察知し、シシバルやリリシアから素早く離脱していた。シシバルとリリシアは事態が充分に把握しきれていないで、アズライルに警戒して身構えていた。
『わかりました。しかし、ゼノキア様もお早く』
『わかっているから、早く急げ!』
ゼノキアはアズライルの背中を追い、その向かう先に佇むリリベルと抱えられるエリシュナに視線を移した。アズライルの力なら二人の女など余裕だろうし、待避してくれるだろう。
一方、ムルドゥバ軍は事態が把握できないでわけがわからず、ただボンヤリと逃げ惑う魔王軍を眺めているだけだった。
『リュウヤ、貴様は仲間らを放置していて良いのか』
ゼノキアは笑いもせず、表情を変えないまま、空から様子を眺めていたリュウヤに振り向いた。
『もっとも、貴様も大した対応策も思いつかず、右往左往しているだけだろうがな』
「……くそ」
リュウヤは呪詛めいた言葉を口にすると、ムルドゥバ軍の前まで飛んでいき、「逃げろ」と叫んだ。
「悔しいが、ゼノキアの言う通りにしてここから逃げんだ!」
リュウヤが言うと、整然と行動した魔王軍とは違って、我先にと散り散りになって逃げ始め、衝突して落馬し奪い合い、あるいは喧嘩を始めるなど、目も当てられない醜態をさらしている。
「リリシア、ジル、シシバル!聞こえていただろう。
息をつめたようにリュウヤを見上げていたリリシアとシシバルは、急いでうなずくと、ジルの
『リュウヤ・ラング。勝負はあずける。もっとも……』
ゼノキアはいまだに多数の兵士が居残るムルドゥバ軍に目を向けて、鼻で笑った。
『あいつらに気をとられて、生きていたらの話だがな』
そう言うと、ゼノキアは『さらばだ』と金色の火球に包まれ、アズライルたちや獣王部隊が向かった岩山へと飛んでいった。
リュウヤは唇を噛み締めながら、ゼノキアの後ろ姿を追っていた。一言も反論できる言葉が思い浮かばなかった。
※ ※ ※
「来た……!」
「セリナさん、アイーシャ。下がっていて」
小屋の裏でしゃがみこみながら、テトラは正面を向きながら言った。セリナとアイーシャを小屋の奥に潜めさせると、テトラは神経を集中させて気配を探った。
「……?」
殺気がない。
百人以上もの男たちが迫る声と気配に、様子がおかしいと感じながらも、テトラは念のため
予想通り、悲鳴にも似た喚声と重い足音を乱れ響かせながら、男たちはテトラたちの前を通りすぎていく。
「行っちゃいましたね」
「何か、ただごとじゃないことが起きてるみたいだね」
「私にもよくわからないけれど、ゼノキアさんて変なことは言わないから、早く言う通りに隠れた方がいいと思います。この納屋だと頼りないし」
セリナたちが身を潜めた納屋は、頼りなく隣家に寄りかかっていて、少し押しただけでも倒れそうなほど頼りない。戦火から離れていたためにまだ形をとどめているが、遮蔽物としては何の役割も果たさないだろう。
妥当な場所はないかと周囲を見渡していると、クリューネが息せききって駆けてきた。
「おい、あの小屋に地下室がある。多少狭いが急げ」
クリューネが指差した方を見ると、倉庫らしい半壊した建物の出入り口で操縦士二人が手を振っている。でも、と不安そうにセリナが言った。
「リュウヤさんたちは」
「あいつなら何とかする。これまでもそうしてきた」
「でも……」
「今から行っても間に合わないし、私らじゃ役に立たん。奴を信じろ」
クリューネの強い光に気圧されて、セリナはうなずくしかなかった。心の底から信じているという瞳がセリナには眩しかった。考えてみれば、リュウヤとクリューネの付き合いは自分よりも長い。生死をともにした旅の日々を重ねて、その関係はかなり深いはず。
そういえば、テトラを運ぶ時もそうだったけど、お互い、目と目だけで通じ合っているような場面を片山家の暮らしの中でも何度か目にした気がする。
もしかしたら……。
「はやく行こう」
テトラの声で我に返ると、ええと恥ずかしさの反動で力強く答えた。
――こんなときに、何を考えているんだ。私は。
よしとテトラが促して、セリナが後に続こうとしたが、ぐいっと強い力に引っ張られ、不意の力にセリナは少しよろめいた。
アイーシャがまだしゃがみこんだままでいる。
「どうしたの?どっか怪我したの」
ううんとアイーシャが首を振った。
「これ、アイーシャが頑張らなきゃ」
「頑張る?」
「あの怖い爆弾さん。アイーシャが頑張るの」
アイーシャがそこまで言うと、青白いの光がアイーシャの身体を包み込んだ。猛烈な風が吹き荒れ、小屋をなぎ倒し、半壊して脆くなった建物の壁を吹き飛ばした。
突然の風圧にテトラも立っていられず、よろめき倒れセリナが急いで助け起こした。
「何、何が起きたの」
テトラの傍で張り上げるセリナの声がした。耳鳴りがして思わず耳を押さえるほどの高い声だった。
「アイーシャ、無茶よ。やめなさい!」
「わたしがやらなきゃ。たくさんの人が死んじゃう。お父さんもとっても危ない。だから、わたし頑張るから」
「空から声……?」
テトラは声がした方を思わず見上げた。テトラの視界には闇の世界しか広がっていないが、そこから感じる魔力の強大さにテトラは圧倒されていた。
※ ※ ※
『この強大な魔力……、誰だ』
ゼノキアが止まって見渡すと、視界の先に青白い光球が静かに空に佇む姿が映っている。小さな子どもの姿が見えた。
『あの娘……、アイーシャ・ラングか』
魔力の強さだけなら、バハムートのホーリーブレスや聖歌福音鐘(ジングルベル)を遥かに凌駕している。以前、聖霊の神殿で目の当たりにしたが、当時よりも力が増している。
「アイーシャ、何をしている。早くお母さんのところに行け」
「お父さんも、残った人たちを助けたいから逃げてないんでしょ。ならアイーシャだって頑張るもん」
「アイーシャ、お前……」
リュウヤは口を開きかけたが、静かにという娘の声と剣幕に口をつぐむしかなかった。
「爆弾さんが、爆発する」
制御装置を失った核ミサイルは臨界状態に達し、鉄の筒から発せられる高熱は、異常な圧力となってリュウヤの身体を圧迫してきた。
「だめえ!」
アイーシャは叫んだ。
清流のような青い光が核ミサイルへと押し寄せて浸し、鉄の筒を包み込んでいく。青い光は金色の光へと変化していき、球体となって空にふわりと浮かんだ。核ミサイルが光に包まれてしまうと、圧してきた熱も忽然と消え、大気を揺るぎもおさまっていた。
あの小さなアイーシャが、核ミサイルを封じてみせた。
リュウヤも遠くで見守っていたゼノキアも、あまりの出来事に言葉を失っていた。
「……アイーシャ、お前すごいな」
他に言葉が見つからない。
興奮を抑えきれないといった様子で、喜悦の表情を浮かべていたリュウヤだったが、次に移した我が娘の苦悶する表情を見て、すぐにそんなものはどこかに消えてしまっていた。
「だめ、すごい力……、このまま抑えきれないかも……」
「なら、どこかに。お前の転移の力で、そこに運べないか」
「お父さん、どこに……」
『大気圏だ』
考え込むリュウヤの傍らに、いつの間にかゼノキアが立っていた。リュウヤは身構えたが、ゼノキアは構わず話を続けた。
『高層大気圏に運べば、爆発しても非致死性はほとんどなくなる。電磁パルスの発生が増すが、この世界なら大した影響ないだろう』
「てめ……」
『いいからやれ、死にたいのか!』
アイーシャは目を閉じ、掲げる手のひらに力を集中させた。金色の光は更に輝きを増していく。だが、「ダメ」と泣きそうな声でアイーシャが首を振った。
「バリアみたいなのに弾かれちゃって、全然、向こうに持っていけないの」
『アイーシャの力でも無理か……』
ゼノキアは呻いて空を見上げた。
惑星にも力がある。
惑星というものが星の形態をつくり、生物の出現に役割を果たすなら、成層圏も一種のバリアと似たようなものなのかもしれない。また、宇宙も凄まじい破壊と汚染をもたらす異世界の兵器を拒否しているのかもしれなかった。
「……竜の山」
ふいにリュウヤが言った。
高く分厚い堅牢な山脈が連なり、外部の侵入を許さない。あそこなら核爆発も封じ込めてくれるはず。リュウヤにはそれ以外に思いつく場所は他にない。
わかったとアイーシャが呻くように言った。
「お父さん……、その場所を教えて」
「どうしたら良い」
「私の光に手を当てて、その場所を思い浮かべて」
わかったとリュウヤは、アイーシャを包み込む光に触れた。脳裏に竜の山の光景を思い浮かべる。
鉄のように硬く重厚な岩肌に、雲をつらぬくほどの山や、住む者もなく荒れ果てた廃墟の町。朽ち果てた家屋の傍に湛える湖。
竜の山に囲まれたバルハムントの都アギーレ。
「……見えた!」
アイーシャが声をあげると、金色の光は完全な球体となり、忽然とアイーシャの前から姿を消した。と、同時にアイーシャの身体からも光が消え、そのまま地上へと落ちていった。
「アイーシャ!」
リュウヤが咄嗟に腕をつかみ、抱き寄せた。激しく喘ぎながらアイーシャはうわ言のように何か呟いている。
「……なさい」
「なんだ」
「ごめんなさい。アイーシャにできるの。これくらいだった」
「良いんだよ。充分だ、充分なんだよ……」
リュウヤが顔をあげると、竜の山があると思われる方向からぽっと白い光が発するのが見えた。
青い空を隠してしまうほどの、強烈な白さを持った光が空に広がった。圧倒的な閃光が拡散するとともに、衝撃波が空を駆け抜ける。マルス他の魔空艦も戦闘どころではなく、衝撃に耐え、光に艦首を向けて空を漂っている。地上では、大地が悲鳴をあげるような重い地鳴りと、激震がリュウヤたちのいる場所まで伝わってきていた。
エリンギアから竜の山まで、千キロ以上の距離がある。
しかし、それでもその禍々しさや秘められた破壊力は目にする者を圧倒させた。おそらくこれだけの光量なら、ムルドゥバ本国にも核の光は見えているのかもしれない。
アズライルもジルも、魔王軍もムルドゥバ軍も誰一人として言葉もなく、呆然と白い光を見つめている。
爆発のきっかけをつくったエリシュナも同様だった。
『……あれほどの威力があったのか』
動画で目にしていたとはいえ、エリシュナは実際の爆発を目の当たりにすると、後悔に似たため息を深々とついている。
一方、仲間たちと空を見上げていたクリューネは身体を震わせていた。
ホーリーブレスなどを超える力に、あれがここで爆発していたら、と考えただけで震いが止まらなくなっていた。
自然と傍にいたセリナにしがみつく格好となり、セリナもクリューネと同じように身体を震わせしがみついてきた。
やがて、白い光が消えても、その場から誰一人動くことはなかった。
誰もが空一点を見据えている。
――地獄の花。
近くにいた兵士の誰かが口にした言葉がリュウヤの耳に聞こえ、リュウヤも口の中で繰り返しながら、アイーシャトともに、空高くのびあがるキノコ雲をまっすぐに見つめていた。
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