第137話 見据えるその先に

『今の魔力は……』


 魔空艦“マルス”を指揮するシシバルは、突如全身を駆け抜けた悪寒に震えながら、魔力を感じた方角を見つめた。そこには艦橋の壁しかないが、シシバルの目は、自身にしか見えないものを見つめている。

 視線の先には、魔王軍の追撃に向かったガルセシム隊がいるはずだ。


『シシバル様、ナザル付近に膨大な魔力の発生を確認!』

『敵か。数は幾つだ』

『敵のようですが……。一瞬だけ、それもたったひとつだけですが、この異常な反応は……』

『ゼノキアだな』


 シシバルはオペレーターの言葉を遮るように、即座に返した。これまでに何度も感じた強大な魔力だ。この感覚は間違いないと、シシバルは奥歯に力をこめていた。

 ゼノキアの名を聞いて沈黙する艦橋に、再び警報アラームが鳴り響く。一斉に視線がオペレーターに注がれると、モニターには数十もの赤い点が猛スピードでガルセシム隊へと接近していくのが映し出されている。


『ガルセシム隊に高エネルギー反応を持つ部隊が接近中。この速度と力……。おそらく獣王部隊です』

『アズライルもいるな』


 レーダーを表示するモニターには、数十の赤い光に、ひときわ大きな赤い光が点滅している。ゼノキアほどではないが、他よりも数倍の大きさをしている。


『……随分と接近を許したもんだな』


 シシバルは苦々しげに顔をしかめた。

 魔力を感知する索敵レーダーも万能ではない。

 レベルを下げて調整すれば、僅少な力でも感知できるが、虫や土地の精霊まで感知してしまい役に立たない。敵を区分け出来るほどだと、隠密行動のような静の動きが感知できなかった。

 

『しかし、数は少ないが、かなりの精鋭のようだな』


 表示される光は、どれも高エネルギーを示す強い力を放っている。だからといって、単純な強さの比較にはなりもしないのだが、それでも思考の材料にはなる。

 ここでシシバルの脳裏に浮かんだのが、ここ二週間ばかり流れている、魔王軍のエリンギア撤退という噂だった。

 突然の遠距離からの砲撃。大隊長の誘きだし。選び抜いた精鋭部隊の投入。この戦闘に懸けるゼノキアの熱意。それは焦りと呼べるものかもしれない。


 ――逆に討つチャンスかもしれないな。


 シシバルは顔をあげると、スタッフに怒鳴った。


『魔空艦マルスは転進!ガルセシム隊の救援に向かうぞ!』


 シシバルが声をあげると、突如、激震が魔空艦マルスを揺らした。


『な、なんだ!』

『逃走中の魔空艦五隻、反撃に転じてきました!』

『やはり奴等の思惑があったか』


 シシバルは拳を固め、ナザル付近に集まる紅点に目を細めていたが、憤然と自身の手のひらに打つとパンと乾いた音が鳴った。

 あそこには自身が反乱する根元となった魔王ゼノキアと、暴将アズライルが近くにいる。この一年追い求めても、片手で数えるほどしか戦うことができていないのに。


『……ここを任せていいか』


 シシバルはオペレーターに訊いた。シシバル率いる反乱軍は人手も少なく、シシバルが艦長を兼ねていた。任せられそうなのが、情報をまとめるオペレーターくらいしかいない。


『魔空艇と連携をとって、防いでくれ』

『し、しかし、シシバル様。こんな上空からどうやって』

『俺を誰だと思っている。“魔手ブリューナク”シシバルがゼノキアやアズライルに負けるとでも?』


 シシバルがオペレーターを睨み付けると、炎のような殺気に、オペレーターは顔を真っ青にさせ、息を詰めたまま急いで首を振った。


『近くでいい。応戦しながらナザルまで転進しろ!』


  ※  ※  ※


 それまで負傷兵の治療にあたっていたテトラは、異様な魔力を感じて立ち上がって宙を一点睨んだ。その視線は、ガルセシムが進行した方向に向けられている。


「どうした、テトラ」

「何か、向こうで起きてる」

「起きてるて、そりゃ逃げたやつと交戦してりゃあ。撃ち合いくらい起きるだろ」


 機体整備中のジルは、油まみれの顔をあげて、テトラと同じように耳を澄ませた。風に乗って、重量感のある砲声が微かに聞こえてくる。

 ムルドゥバ製である最新型の魔装兵ゴーレム六体に、魔弾銃を装備した銃騎兵部隊が三千。ちょっとやそっとで負けるとは考えにくい。

「これ、砲声だけじゃない。まるで獣のような声や足音も混ざっている。……数はそれほどでもないけど、凄い力を感じる」


 ジルは改めて荒野に耳を集中させたが、テトラが言うような音は何も聞こえてこない。だが、テトラが持つ超人的な聴覚や勘は、軽く聞き流すことなど出来ないものだ。

 

「おい、レーダーはどうなってる」


 ジルが近くの索敵係に訊ねると、それまで疲れてぐったりと風を浴びていた索敵係の女操縦士は、慌てて魔装兵ゴーレムのレーダーを確認し始めた。戦闘が終わった直後で、明らかに気が緩んでいたが、ジルはそこを咎めるつもりはなかった。指示もせず、緩んでいたのは自分も同じだからだ。

 女操縦士はレーダーを確認すると、敵ですと驚愕した声で叫んだ。


「ナザル付近、レーダーに強力な反応を確認。おそらくベヒーモス、獣王部隊です!ガルセシム隊に接近。数は約二十」

「二十?それだけか」

「でも、ひとつひとつの魔力が半端無いですよ。バカでかい反応もあるし」

「アズライルか」


 獣王部隊の精鋭なら、それを指揮する獣王アズライルも当然いるだろう。

 やはり罠か。

 ジルの中でひとつの結論が出た時、上空に赤い光が瞬いた。濃い白煙を引きながら、青空の中、星のように輝いていた。


「あれはムルドゥバの救援信号……」


 呟いた時には、ジルの身体に重りのようにのし掛かっていた疲れなど、既にどこかへ消え去っている。

 ジルは素早く手にしていた修理道具をしまい込むと、魔装兵ゴーレムを起動させ、マイクに叫んで兵士たちに告げた。


“ターレス、歩兵の後退を指揮しろ。魔装兵(ゴーレム)は俺についてこい”

「ジル隊長が行くなら俺たちも行きます!この新式連射銃の威力を、存分に味わわせてやりますよ」

“駄目だ。傷だらけのお前らじゃ、足手まといになるだけだ”

「……ジル、私を連れていきなさい」


 ふと近くで声がし、隣を見ると、いつの間にかテトラが魔装兵(ゴーレム)の左肩に乗っている。剣杖ロッドを耳元に添えるようにして座り、視線はじっと正面を見据えていた。

 闇の中から吹き荒れる殺意の熱風が、テトラの身に押し寄せてくる。


「テトラ、ガルセシム大隊長がここにいろて言ったろ」

「“ジル隊長と”て言ってたはずだけど」

「そうだけど……」

「だから、あなたが動くなら私も行っても問題なし。それに……」

「それに?」

「私は犬じゃないから。ムルドゥバ随一の女剣士テトラ・カイムだから」


 盲目とは思えないテトラの宝石のように輝く瞳がジルにひたりと向けられた。

 ジルはそんなテトラの瞳をまぶしそうに見ていたが、やがて「わかった」と言って、操縦席からヘッドセットとゴーグルをテトラに渡し、自身もヘッドセットとゴーグルを装着した。操縦席のハッチを閉じると、テトラの捕まる場所が無くなってしまう。


「点検に使うヘッドセットだが、移動中ならこれで充分だろう」

「……」

「そこから振り落とされるなよ」

「うん。しっかり捕まっておく」


 テトラは操縦席の縁をギュッと握りしめていた。いささか心もとないが、手すり代わりにはなる。


「テトラの姉さん、あんただけ狡いぜ!」


 置いてきぼりとなるターレスが、泣きそうな声で吼えると、テトラはごめんなさいと肩をすくめて微笑んだ。


“俺たちはこれからデートなんだ。邪魔すんじゃねえよ”

魔装兵ゴーレム引き連れてデートなんて、聞いたことありませんよ」

“まあ、頼むわ”

「まったく……」


 ターレスは呆れながらジルを見上げていたが、諦めがついたのか、「俺の分まで頼みますぜ」と親指を立てながら身を引いた。


「サンキュな、ターレス」


 ジルは感謝の意を込めて親指を立てて返すと、「行くぞ!」と怒号して魔装兵(ゴーレム)を発進させた。荒涼とした大地に砂塵を立てながら猛進するジルを追う形で、二体が後に従う。


「くっ……」


 途端に強烈な風圧がテトラの身体に襲いかかり、少しでも油断すると吹き飛ばされそうになる。


“どうだい、俺とのデートは!楽しいだろう!”


 ヘッドセットからジルの声が聞こえた。


“ええ、さいっこーの気分ね!”

“テトラ。おそらく敵にアズライルがいる。かなり危険な相手だ。やれるのか”

“やれちゃうのが、私のすごいとこでしょ。アズライル君とはこれまで何回か戦ってんだし”


 間髪入れずに、テトラは即答に、ジルは確かにと笑った。

 ジルは噂でしか耳にしていないが、テトラはアズライルと三度戦っている。その内容は互角で、アズライルとの激闘がテトラ・カイムの名を魔王軍に知らしめた。

 盲目というとてつもないハンデを背負いながら、無謀とも言える度胸と自信。それに裏打ちされた実力。それがムルドゥバ随一の剣士テトラ・カイムだった。


“スゲえな、あんたは”

“……目標としている人がいるからねえ”


 テトラの脳裏にリュウヤの姿と、棒切れ一本で心を砕かれた時の光景を思い出していた。

 同時に、かつて愛し、無謀な旅に向かう男を引き止めるため、リュウヤにすがりつき懇願した自分の醜態が過り、テトラの心を激しく苦しめた。

 あの時よりも、もっともっと自分は強くなったはずだ。


 ――追いついてみせるからね。リュウヤ君。


 テトラは闇の中でアズライルよりも、もっと先を歩く男の背中を見つめながら、剣杖ロッドを握る手に力をこめた。

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