第十二章 エリンギア戦線異状あり
第135話 死の吹き荒れる世界で
ターレスに釣られるように、近くにいた他三名の見張り役の仲間も次々とアクビをし、互いに気まずそうな顔をして苦笑いした。
周囲は岩と瓦礫の山ばかりで、隠れる場所も無さそうなのに、どこかで雲雀が巣をつくっているのか、空高く羽ばたきながら気持ちよくさえずっている。
「いくら陽気だからって眠るなよ」
「その言葉、そっくり返しますよ。ジル隊長」
ターレスが言うと、ジルは苦笑いして前方を注視した。
「あと一時間で見張りも交替だ。それまでは気を張ってろ」
「へいへい」
肩をすくめるターレスに、他の兵士たちも明るい声をあげて笑った。元はエリンギアの高級住宅街というが、今は草木も生えない廃墟と化している。瓦礫の山や、砲撃で掘られた窪みや穴があちこちにあり、兵士たちはそれらを塹壕代わりにしてうずくまっている。
ジル・カーランド
最前線と言える場所で、ターレスにも油断は禁物だということはわかっているが、やはり退屈なものは退屈で、眠いものは眠い。破壊された建物や瓦礫の山といった光景が無ければ、そのまま眠ってしまうような静かで退屈な時間が流れていた。
――あとはビールでもあればな。
魔族との一年余りも続く戦争にも、休戦状態という空白期間はあって、半年前にも一ヶ月ばかり全く戦闘が起きなかった時期がある。今はそれかもしれないとターレスは淡い期待を抱いていた。
この丘に配置されて一週間になるが、廃墟の景色ばかりだと見張らしは良くてもちっとも面白くない。
空いた時間で杭を打ち込み、鉄条網を敷いたりしていたが、その作業も終わってしまった後ではトランプでもして時間を潰すしかなかなかった。その杭や鉄条網も、魔空艦の砲撃であっという間に破壊されてしまうだろうが。
ムルドゥバに戻ることができれば、酒保にしけこみ、旨いビールが浴びるほど飲めるだろうに。
「ねえ隊長、こんところ魔王軍が静かなんは、何か狙ってるんすかね」
暇だとか帰りたいだとか露骨な表現は、戦闘を呼び込む言葉とレジスタンスだけではなく軍人の間でも禁句とされている。その昔、新兵だったターレスも、別の戦闘地域で迂闊に口してから戦闘という流れを一度経験していて、今は直接口にすることはない。
「噂では、王都ゼノキアで動きがあったらしいな。兵も動揺して、幾らかそっちに人を割いているとか」
ジルは腕組みして、地平線まで見渡せる荒れた大地を睨んだ。
魔王ゼノキアもいるため、混乱をさけるために枕詞をつけて話をするのは、魔王軍もレジスタンス側も共通している。
「噂て“リュウヤ・ラング”が、町ひとつ破壊したとかて噂ですか?」
「なんだ、お前も聞いたのか」
「その話なら、今朝他の連中ともしてたんですよ。魔王軍は自分たちの町を壊されて慌てているて」
「ゼノキアに潜入していたゼゼルの話だからな。間違いないだろう」
「でも、俺はリュウヤて奴に会ったことが無いんですが、町ひとつ破壊なんて出来るんですか?」
できるなとあっさりと即答したジルに、ターレスは驚いて操縦席のジルを見上げた。
「俺は
「……」
「俺はこの目で見たが、あのアズライルもリュウヤにぶん殴られて一蹴された。対抗できるのは、魔王ゼノキアくらいなもんだろう」
「あの獣王アズライルが……。本当ですか」
「自分でも話していて、夢でも話をしている気分だがな」
ターレスは知らず知らずのうちに、口に湧いた唾を飲み込んだ。周囲にいる仲間も、自然とリーダーの話に耳を傾けていた。
アズライルの恐ろしさは、ターレスも身を以て経験している。それを一蹴したというのだから、リュウヤという男は化物以上の存在ということになる。
「それにバハムート化したクリューネの、ホーリーブレスも防いだしな」
「クリューネて……、語尾になんじゃつける、なんじゃ女ですか」
「クリューネに聞かれたら殺されるぞ」
ターレスの言い種は噴飯ものだったが、クリューネのため必死に笑いを堪えた。
もっとも、ジルがイメージをしているのは、紅竜ヴァルタスの力を持っていた頃のリュウヤ・ラングで、今では過大評価になっている部分があることを、さすがにジルは知らない。
町を破壊といっても、ゼゼルから提供された爆薬や鎧衣(プロメティア)のおかげであって、それでも、せいぜい王宮の三分一程度を破壊したに過ぎない。
リュウヤにはそこまでの力もないのだが、町を破壊という情報も、ゼノキアの町が暴徒化した民衆の略奪や破壊行為が誤ってレジスタンス側に伝わったものである。
しかし、これまでの凄まじい戦いを目撃し共に戦っていた者から話は広く伝わっており、期待もあってリュウヤ・ラングは一種の伝説的な人物となりつつある。
「はやく、そのリュウヤて奴、エリンギアに戻ってこないですかねえ」
ターレスのそばにいた若い兵が、話に加わってきた。
「やっぱ、こう膠着状態が続くと、退屈だし、暇で暇で眠くて仕方ないっすよ。ここらで……」
「馬鹿!」
「てめえは口を閉じてろ!」
へらへらと語る若い兵に、ターレスとジルの怒声が飛んだ。若い兵はきょとんとターレスとジルを見返している。自分が何を口にしたのかわかっていないのか。或いは軽視している。そんな顔つきだった。古参になるほど、縁起の悪い言葉ひとつに過敏となる。
「てめえ、余計なことを口にするな!」
「え?俺は暇だって……」」
「うっせえぞ!見張りに戻れ!」
急に剣幕が変わり睨み付けてくるターレスやジルに、若い兵がうろたえながら元の位置に戻る矢先、不意にドウンと腹の底に響き、重低音とともに大地が震動した。
「この砲撃、魔空艦か?」
誰かが呻くように声を発した。
「まさか、この晴天でも、やつらの姿なんて全く見えないぞ」
“全員、塹壕に身を伏せろ!”
長い経験で轟音の正体を一瞬にして悟ったジルはマイクに怒鳴ると、激しく舌打ちをして、操縦席のコントロールパネルを急いで叩いた。
おそらく、今から後退しても間に合わない。
「……これだから最近の若い奴はよ」
古参兵は速やかに準備にかかるのに対し、今の若い兵を含めた他の新兵は狼狽えた様子でベテランの真似をして座っているだけだ。今の砲撃音でも事態が把握しきれず、心構えがまるでできていない。
“
ジルがマイクに向かって指示をすると、ターヒルたちは大地に身を委ねるように深い窪みや穴に伏せた。まごまごしている若い兵をターヒルが引っ張りこんでうずくまった。
後ろで控えていた残りの
「早く位置と時間を確認しろ!」
ジルが索敵係の女操縦士に向かって、咆哮するように指示した。女操縦士も負けじと怒鳴り返し、胸部のスピーカーから割れんばかりの声が響いた。
“熱源の距離にして約百キロ。角度五十。到達まで残り十……、九……八……!”
「いいか、敵は百キロ地点から射っている。おそらく精度も低くて出鱈目だ。だからこそ、この砲撃は必ず防ぐぞ。最大出力で出し惜しみするな!」
地平線と接する青い空に、小さな紅い光がきらきらと星のように瞬いた。瞬間、降りかかるように禍々しい力を宿した無数の光軸が、ジルたちに牙を剥いて迫ってきた。
「きたぞ!全機、
「ぐうぅ……!」
肉体を一瞬で消滅させる悪夢のような衝撃と熱波に耐えながら、ジルたちは
――やっぱり、リリシアのように上手くはいかないか。
ジルの脳裏には、
リリシアのそれと違って、機械によって人工的に発せられた神盾(ガウォール)は出力の調整が出来るだけで、機体の正面にバリアを張るだけしかできない。魔力の消費も多く、最大出力となれば魔装兵(ゴーレム)の魔力はほぼ空となってしまう。
強力なバリアが張られても、わずかな隙間をぬって砲撃が打ち込まれ、土砂が立ち上り、爆音の間に兵士たちの悲鳴が起きた。
耐えろ……。耐えろ……。
激震がジルたちを襲い、数分間が途方もない時間に感じられた。ダメかと心が折れかけた時、後方から轟く砲撃音と貫く紅い閃光がジルを救った。
「もう少し早く来たら、お前らにも良いとこを見せられたのによ!」
安堵しながらも軽口を叩いてみせるジルは、漸く見上げることができた空に、芋虫に似た船体と、白い長翼の鳥に似た船が飛翔しているのが見えた。
砲台から放たれた紅い閃光の一群は、遥か彼方の魔空艦の砲撃を抑え込んでいく。
「シシバルめ。よくやるな」
敵に反撃のチャンスを与えない巧みな砲撃に、ジルは感心しながら、上空を見上げていた。
これまでの激戦で、修繕箇所ばかりが目立つオンボロ魔空艦――“マルス”と名付けられた――と、ムルドゥバからの派遣された四機の魔空艇。
“マルス”を追うようにして、エリンギアの東側から、地上から砲撃を聞きつけた六体のムルドゥバ軍の
ジルが見たところ、その数は三千はいると推測した。
“大変だったな。ジル隊長”
ジルは操縦席のハッチを開いた時、
ムルドゥバの大隊長クラスを示す、紅い炎の紋章が
大隊長ならほとんどの将校と面識あるが、この声には聞き覚えがないとジルは思った。
“ジル隊長、怪我は無いかね”
「ええ。ええと……」
“君とは初めましてだな。ガルセシム・ウィルだ。3週間前に士官学校を出たばかりの新任将校だがね”
「へえ……」
士官学校出たばかりとしたら、さっき怒鳴りつけたレジスタンスの新兵より歳下である。
ジルはガルセシムの部下でもない。横柄な口調に、ジルは幾らか反感を覚えたが、こんな連中が最近、増えた気がする。
“ま、後は我々に任せたまえ”
「追撃、ですか?」
“マルスを見たまえ”
ガルセシムに促されてジルは“マルス”に目を向けると、船の艦橋から光信号が送られてくる。
「“ナンセイ二、テキエイアリ。ソノママナンセイヘタイキャクチュウ。ワレハセイホウノ、マクウカンヲオウ”……」
“魔王軍は砲撃に紛れて、総攻撃を仕掛けるつもりだったのだ”
しかし、それも失敗に終わったと、声だけでもガルセシムが嘲笑っているのがわかった。
“奴等を叩く絶好の機会だ。いまだに剣だの弓だの頑迷固陋な魔族に、ムルドゥバの文明の力を見せつけてやる”
ガルセシムが乗る魔装兵(ゴーレム)は、人指し指を立てて何事かで合図を送ると、ムルドゥバの銃騎兵たちは一斉に右手を挙げた。ガルセシムらの魔装兵(ゴーレム)を囲むように方円の陣形を組み、敵影を追って南西方面へと前進していく。
「……俺たちの出番は、ここまでかな」
ゲリラ戦なら得意だが、大規模な戦闘ではやはり正規の軍隊には敵わない。面白くはないが、これ以上はガルセシムという男に任せた方が良いとジルは思った。
「ターレス、怪我人はいないか」
「みんな擦り傷だらけですけど、なんとかね……」
疲れきった表情でも笑ってみせるターレスから視線を移し、通り過ぎるムルドゥバ軍を見送っていると、その内の一騎が一台の荷馬車を連れて、部隊から離れてジルの下へと駆けてくる。騎馬は二人乗りで、騎手の後ろには白い甲冑を身にまとった褐色肌の女が乗っていた。
「お疲れ。ジル隊長」
見慣れた顔を見つけて、ようやくジルの中で緊張がほぐれていく気がした
「よお、テトラ・カイム隊長。会えて嬉しいぜ」
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