第134話 グッバイ・デスバレー

“何だ?”


 唸るような異様な声を耳にした気がして、バハムートは周囲を見回していたが、目に映るものは荒涼とした砂漠の大地と、暗雲が立ち込める空が広がっているばかりである。

 まだ嵐は弱まる気配を見せない。ただの風と雨の音かもしれないと思った時、バハムートの身体を金色の光が包んだ。


“もう時間か。終わるまでには、何とか間に合ったな”


 バハムートの巨体はみるみる内に小さくなり、光が消えると、そこには元のクリューネ・バルハムントの姿があった。


「しかし、哀れな姿じゃな」


 クリューネは、足元に倒れるエリシュナを見下ろしながら言った。口を半開きにし、小さな声が時折洩れる。右の顔面は醜く腫れて歪み、落下した衝撃で衣服もボロボロだった。辛うじて生きているのが信じられない状態だった。


「情けは良くない」


 ストンと軽い物が落ちた音がした。チラと見ると、魔空艦から降りてきたリリシアが、クリューネの傍に立っている。


「私たちがこうなる可能性も、充分にあった」

「まあ、そりゃそうだが、こうして見ると、可哀想に思えてな」

「そう考えるのは、もっと後。まだ終りじゃない」


 リリシアは辺りを見渡した。甲板上や砂漠では、生き残った兵士たちがうなだれ、むせび泣き或いは忍び泣きして突っ伏す姿がある。エリシュナが倒されたことで、完全に戦意は失っていた。

 自分たちの勝利だと断言しても、過言ではない。しかし、問題はここから先だった。

 兵士たちを見つめるリリシアとクリューネの視界に、近づく人影が映った。


「リュウヤ様……」


 駆け寄ろうとする二人を手で制して、リュウヤが重い足取りで歩いてくる。疲れきった表情だったが、それでも微笑をつくり、リリシアに近づくと軽く肩を叩いた。


「お疲れ、リリシア。勝てたのはお前のおかげだ。ありがとう」

「いえ、そんな……」


 頬を赤らめ、身体をもじもじさせるリリシアの傍に、クリューネが何気なく寄ってきた。自分もリュウヤに褒めてもらいたいからだ。


「リュウヤ、最後のホーリーブレスによるフェイク、なかなか良かったろ」

「お前はもうちょっとなあ」

「もうちょっと、なんじゃ」

「今回、あんま良いとこなかったな。ホーリーブレスもまた吸収されるし、エリシュナにぶん投げられるし」

「それに動きに迷いがあり、中途半端で力を活かせてなかった。そのために度々不利な状況を招いた」

「……敵の注意をそらしたり、私、これでも頑張ったんだぞ。力の加減が難しいて、お主らも知っとるだろう」


 リュウヤとリリシアに指摘されると、ふてくされ気味だったクリューネは涙目になって、顔をくしゃくしゃにさせた。


「ごめん、言い過ぎた。でも、クリューネのドヤってのが露骨過ぎてさ。ちょっと、からかいたくなっちまった」

「わ、私、そんな顔しとったか?」

「うん、露骨。いかにも“褒めて、褒めて”て顔。あんなの見てたら、誰でも一言言いたくなる」

「……」


 自分ではうまく隠していたつもりだったのに、あっけなく看破されて、クリューネは自分の顔が熱くなるのを感じていた。あまりの恥ずかしさに顔をあげられなくなっていた。

 そんなクリューネの肩にリュウヤはそっと触れ、優しく抱き寄せていった。クリューネが期待した以上の行動に、クリューネは驚きのあまり、心臓がとまるのではないかと思った。


「でも、そういうバックアップしてくれたから、思いきってできたんだ。ありがとな」

「ふ、ふん。今さら褒めたとこで、何もでんぞ」


 ふて腐れ気味な言葉とは裏腹に、クリューネの胸の内は高揚感と幸福感に満たされていた。飛び跳ねたくなるくらい嬉しいのを我慢して、代わりにリュウヤの厚い胸元に、埋めるようにしてその身を寄せてきた。


「……リュウヤ様。これから、いかがいたしますか」


 無言で様子を見守っていたリリシアの一言で、まだ全てが終わったわけではないことを思い出し、夢のような感覚から一気に覚めた。


「魔王軍百余名。このまま放置はしておけないかと」

「……そうだな」


 クリューネが顔をあげると、リュウヤは厳しい顔つきで、兵士たちを眩しそうに見渡していた。

 核を奪って世界制覇を目論み、世界に宣戦布告をした。これまでに多数の死傷者が出ている。力で支配しようとした者の運命など決まっている。

 異世界なら、元軍団長シシバル率いる反乱軍に降伏という選択もあるだろうが、ここは異世界ではない。

 将来、禍根の種となるの疑いようもない。そこまで考えた時、リュウヤの思考を遮るようにクリューネの声が響いた。


「待て、リュウヤ。私が奴等に言おう」


 クリューネはリュウヤから身体を離して言った。


「私はこれでも、バルハムントの王女だからの。立場としては私が一番相応しいじゃろ」

「お前、俺が何を言うつもりかわかっているのか」

「まあまあ。因果含めてやるのが、君たる者の役目じゃ」


 クリューネは魔王軍の兵士に振り向くと、朗々たる声を虚空に響かせた。


「魔王軍の兵士どもよ聞け!私はバルハムント国第十四王女クリューネ・バルハムントである!」

『……』


 魔王軍の視線が、一斉にクリューネへと注がれる


「貴様らの主エリシュナは、我らの手によって敗れた。全世界を敵にしたのだ。お主らも相当の覚悟があってこの戦に挑んだことだろうと思う」

『……』

「しかし、お主らの野望はここに潰えた。この異世界において、お主らがとる道はもはや決まっている。それが何かわかるな?」

『……』


 魔王軍には声もない。

 そこには誰もいないかのように、しんと静まり返っていた。


「誰も答えられんか。では私から告げてやろう。それは……」


 クリューネがそこまで言った時、その前をリュウヤの手が遮ってきた。


「なんのつもりじゃ」

「いいよ。あとは俺が言う」

「何を言うか。これは私の……」

「汚れ役を、お前ばかりに押しつけるわけにはいかないよ」


 リュウヤは優しく微笑むと、クリューネに答える間を与えず、魔王軍を見渡しながらリュウヤ・ラングだと改めて名乗った。


「お前らが取るべき道はひとつだけ」

『……』

「このまま“自決”しろ。それだけだ」


 相変わらず兵士たちは無言だったが、動揺によって空気が揺れ動くのをリュウヤは感じた。そこかしこから、息を呑む音が聞こえた。


「ここは異世界。文明も習慣も言葉も違う。おまけにこの世界に喧嘩を売って、多くの人間を殺した。お前らは人類の敵。住む場所はどこにも無い」

『……』

「たとえ逃げても、必ず捕まる。あのアメリカ軍を駆逐したエリシュナの仲間だ。どんな目に遭うかわからんぞ」


 リュウヤは言いながら、それが真実だと思っている。魔法を操れる異世界の人間なぞ、格好の研究材料ではないだろうか。

 解剖、人体実験……。想像しただけで、リュウヤの身体に悪寒がはしった。

 自分たちも正体がばれる前に、一刻も早く、この地をこの国を離れなければならない。勝利を信じ、家で待っている人たちのためにも。平和で、穏やかな日々を過ごすためにも。


「俺たちに降伏しても、お前らを受け入れる余裕はないし、そのつもりもない。だから、お前たちに改めて言うぞ。このまま生きても地獄が待っているだけ。戦士としての名誉を守るなら、今だけだ」

『……エラソーに言うわね』


 力ないしわがれた女の声に、兵士たちが一斉に振り向いて人垣が割れた。その女の姿に、兵士たちからどよめきが起きる。しかし、それは歓声というより、嘆息に近いものだった。

 女は船体にもたれかかり、喘鳴する女は、潰れた右目と血走った左目で睨みながら、口元だけは冷笑しているのが不気味だった。

 ヒヒ、と女は甲高い声で笑った。


「エリシュナ……!」

『リュウヤ・ラング。確かにあなたたちの勝ち。それは認めましょう。言ってることもわかる。その通り。妾たちが待っているのは、“死”しか無いでしょうね』


 エリシュナが言葉を切ると、突然、エリシュナの冷笑が消え、身体がおこりを起こしたように、小刻みに震え始める。歯を剥き、左目から涙が伝った。

 くやしいと、エリシュナは声をしぼり出した。


『く、くやしいわ。し、“深淵の森”の魔族が、あんたたちなんかに負けるなんて。魔族の力を見せつけてやろうてしてたのに。それをこんなとこで。あんたたちなんかに……。あんたたちなんかに!』


 エリシュナの殺気に満ちた視線が、津波のようにリュウヤへと押し寄せてきたが、リュウヤは怯むことなく正面から受け止めた。


「残念だったな。人間を甘く見るな」

『……』

「それとも、まだ戦いを続けるか。俺はこの通りフラフラだぞ」


 リュウヤは“弥勒”の鯉口をゆるめて、前に出るとクリューネとリリシアが傍らに立った。魔王軍の兵士たちは思わず剣を構えるものの、後退りするだけで一歩も足が前に出ない。

 ダメージの少ないクリューネとリリシアに隙が無いのはもちろんだが、疲労困憊なはずのリュウヤも一本の刃が佇立しているようで、まったくの隙も見出だせなかった。


『まあ、まともにやっても勝ち目ないでしょうね』


 どこか明るいエリシュナの声に不審を抱き、リュウヤは急いでエリシュナを注視すると、エリシュナは大きな笑みをつくり、掲げる腕には雷がほとばしっていた。その雷は、船体の核に繋がれエリシュナの頭上まで運ばれていく。


『まともに戦ったら、ね』

「エリシュナ、貴様……!」


 雷鞭ザンボルガごときで間に合うかしらと、エリシュナはほくそ笑んだ。


『エリシュナ率いる魔王軍は、今日ここに滅ぶ。だけど、あなたたちも一緒よ』


 エリシュナは甲板を見上げた。残った左目が、甲板上から見つめるリリベルと目があった。


『みんなあ、これで良いかしら?』


 エリシュナの呼び掛けに、どっと上がった喚声がリュウヤたちを圧した。先ほどまでの沈んだ空気から打って変わって、鋭く熱気をはらんだ声だった。


『我々はエリシュナ様とともに!』

『魔王軍、万歳!』

「そうはさせるか!」


 クリューネが臥神翔鍛リーベイルを放とうとしたが、直前にふっと手の内の光球が消失した。


「なんで……」


 その時、クリューネの耳元に、先ほどの異様な唸り声が耳に届いた。だが、その声もエリシュナの高笑いに掻き消されてしまう。


『ざまあないわねえ!これが魔王軍の意地よ!』

「くっ……!」


 リュウヤもリリシアも疾風の如く駈けるが、二人の間を青白く光る風が吹き抜け、リュウヤたちを柔らかく包み込んだ。


「光の風……?」


 この清涼に煌めく光の風に、リュウヤもリリシアも覚えがある。

 風はリュウヤたちだけでなく、エリシュナたち魔王軍ひとりひとりを包み込んでいく。

 そして光が輝きを増したかと思うと、次々に兵士たちは姿を消していった。


『な……?』


 何ごとだと言う間もなく、エリシュナの雷鞭(ザンボルガ)が消え去った。支えるものがなくなり、頭上の核が落下するかと思いきや、それも光に包まれて空中を浮遊している。


『これは……』


 考える間も与えず、青白い光がエリシュナを呑み込むと、次の瞬間にはわずかな光塵だけを残してエリシュナは消失していた。


「いったい、何が起きているんだ?」

「……精霊さんたちが怒ってる」


 天空から幼い声が響いたかと思うと、金色の光がリュウヤたちを照らした。

 目映い光の中に、リュウヤはふたつの人影が浮かぶのを見た。

 クリューネが驚きの声を発した。


「セリナに、……アイーシャか?」

「そうです。クリューネさん」


 セリナがいるのにも驚いていたが、リュウヤたちは純白のドレスに、ハート型の小さな杖を手にしたアイーシャの姿を見て呆然としていた。


「ごめんなさい、お父さん。勝手なことをして。でも、もう、私たちはこの世界にいられない」

「どういうことだ」

「……この声、聞こえる?精霊さんたちの声」


 アイーシャが空を見上げると、リュウヤも倣って空を見上げた。釣られて、クリューネやリリシアも黒く厚い雲が広がる空を見上げた。

 そこには、雲が唸りをあげながら渦をまき、地上からでもその大きさがわかるほどの稲妻が渦から発生し、空を駆け抜けている光景が広がっていた。

 特に目を引いたのが、渦の中に吸い込まれていく砕けた岩の破片や、吹き上がった砂塵、稲妻が発生する度に起きる空間の歪みだった。


「……あれは何だ」

「お父さんたちが戦う力で生まれた、この世界の痛みみたいなもの」

「痛み?」

「誰でも怪我したら、痛いでしょ。お父さんみたいに強い人は我慢してるけど」「……」

「この世界の子たちは、この痛みに、そんな強くない。痛みに耐えきれなく壊れてしまう」


 アイーシャは顔を曇らせて、悲しげに呟いた。

 渦が乱れ歪みながら稲妻を放つ様子は、確かに痛みを訴えているように見えなくもない。


「もし、このまま戦い続けていたら、あの渦がもっと大きく増えて、この世界が壊れちゃう。だからそうなる前に、元の世界に帰ってほしいて」

「精霊さんたちが言ったのか」


 そうとアイーシャが頷いた。


「精霊さんたちがアイーシャに力を貸してくれたんだけど、だけど、力をうまく使えなくて、あの人たちだけでできなかった。みんなで一緒に帰らないと……。ごめんなさい」


 悄気るアイーシャに、リュウヤはいいさと慰めるように言った。抱きしめてやりたがったが、青白い光が壁になってそれも出来ないでいるのがもどかしい。


「じいちゃんたち、このこと知ってるのか」

「うん。行ってきますて言った」

「なら、帰省はまた今度だな」


 リュウヤの思わぬ明るい声に、アイーシャは戸惑いながら、目をパチクリさせてリュウヤを見つめていた。


「精霊さんたちは俺たちが戦わなきゃ、受け入れてくれるんだろ?」

「う、うん。たぶん」

「なら、この戦いにケリをつけて、次はゆとりを持ってこようや」


 それで良いだろと、リュウヤはクリューネとリリシアに振り向くと、二人は肩をすくめて笑ってみせた。


「次来るときは、もっと遠出がしたいの。全然、観光しとらんし」

「……私は色んな本が読みたい」

「なんだ。せっかく異世界来て読書か。地味だの」

「まだまだ学ぶべきことが多い。クリューネも遊ぶことばかり考えないで、向学心を持つべき」

「う、うるさいな」

「……と、まあ、そういうわけだ」


 クリューネとリリシアのやりとりを見守っていたリュウヤが、いたずらっぽい笑みをアイーシャに向けると、アイーシャも釣られてクスリと笑った。

 それでいいとリュウヤは思った。アイーシャは懸命に力を尽くしているだけだ。アイーシャが悩む必要なんてどこにもない。


「そろそろ帰ろうか」

「じゃあ、アイーシャ。お願いね」


 セリナがアイーシャの手を握ると、アイーシャは大きく頷いた。

 そして、アイーシャが瞳を閉じて力を集中させると、光が輝きを増していきリュウヤたちの姿を光の中に隠していく。

 太陽のように燦然と砂漠を照らした。だが、その瞬きは一瞬にして消失すると、まるでリュウヤたちがいなくなったのを見越したように嵐が止んだ。

 渦まく厚い雲も元に戻り、隙間から光が射し込んでくる。やがて穏やかな風が雲を払うと、一面、青い空が砂漠の上に広がっていた。

 一見、穏やかで何事ない光景のように見える。

 しかし、そこで激戦があったことは、朽ち果てた魔空艦と、風に吹かれて砂漠から姿を現す、死者と兵器の残骸が物語っていた。


  ※  ※  ※


「何だったの、アイツラ」


 マリーは誰もいなくなった砂漠を注視していた。

 あの竜は何か。何のために戦うのか。あの親子は何者か。何故日本語を理解したのか。

 他にも疑問だらけで、考えただけでも気が変になりそうだが、世紀の大スクープをしたという自負と実感はある。


「この映像を視聴者が見たら、情報も入ってくるでしょ」


 刀を持って戦う男が東洋人だったとマリーは認識している。突然現れた女が日本語を話したところから、そっちの方向で調べれば何かわかるかもしれない。


「これで、ピューリッツァー賞は間違いなし」


 高揚感が高ぶるあまり、ウェヒヒヒと奇妙な笑い声が洩れた。インタビューや受賞時の自身の姿を想像すると、頬が弛んで、いてもたってもいられなくなる。

 傍ではおかしいなとエヴァンズが首をひねっていた。


「何やってんのよ」

「いや、カメラの調子が悪くて再生できないんだよ」


 再生できない。

 エヴァンズの言葉は雷鳴のごとくマリーの耳に響き、マリーはエヴァンズからカメラを奪い取ると、必死になって映像確認を始めた。


「……」


 だが、そこに映るのは白黒の砂嵐ばかり。決死の覚悟で撮りためた世紀の映像などどこに残されていなかった。

 栄光のピューリッツァー賞が。本社勤務が。これで大人気ニュースキャスターとなるはずだったはずだったのに。

 思い描いた野心は、白黒の砂嵐という無惨な形となって、マリーに示されることとなった。


「あの子どもの光を浴びた時から、調子がおかしくてさ」

「……何で言わないの」

「マリーが熱心に喋っているから、言い出しにくかったんだよ」

「……」

「でも、兵士の遺体や戦車の残骸なんかはあるんじゃないのか」

「そこに生きている奴がいなかったら、死体に価値なんかないわよ。ただの軍の不祥事になるだけよ」


 今度はエヴァンズが黙る番だった。


「おそらく事故死として片付けられる。一連の事件も闇の中」

「これだけの大事件だぜ。そんなことができるのか」

「だって、見ている私たちでもわかんないし、政府だって正体を把握してない。“光とともに消えました”なんて誰が信じるのよ。エリシュナてやつを、形だけ手配するんじゃない」

「じゃあ、俺たちどうすんの」

「忘れましょ」

「忘れるって。そんな簡単に」

「そう?覚えていたってしょうがないでしょ。私はすぐに忘れられるよ」


 マリーは澄み渡る青空を見上げながら言った。

 一度は失意と虚無の底に落とされたが、話をしている内に、落ち込んでいる場合ではないと頭を切り替えていた。下手に騒げば、政府の隠ぺい工作に巻き込まれる。死んだ兵士たちのように誤魔化され、省みられない死などマリーには御免だった。


 ――次だ、次。


 逃がした魚は大きかったかもしれないが、悔やんでも戻ってくるわけではない。次の魚を狙いにいった方がいい。

 マリーはレインコートを脱ぎ捨てると、晴れやかな空に向かってウンと背伸びをした。爽やかな表情で、既に砂漠で繰り広げられた激戦など、マリーの中から消えかかっている。

 

「とりあえず、帰りに一杯飲みましょ」


  ※  ※  ※


『あの光……。アイーシャという子どものか』


 見覚えのある光が消えるのを見届けると、長身で銀髪の男は岩場を伝って歩き出した。男は片腕だった。

 空が晴れ、まぶしい太陽が男の背中を照らす。


『この世界に残されたのは私だけか』


 ガーツールは生きていた。

 リュウヤから受けた一撃は、確かに致命傷となる一撃のはずだった。しかし、ガーツールは生きていた。

 リュウヤがかわしたアリアドネが地表を跳ね、それがわずかにリュウヤの刃に触れて即死を免れたのかもしれない。

 もしくは強靭な肉体によるものか。

 それとも心に燃え盛る復讐心が、命を辛うじて繋ぎ止めたのか。

 ガーツール自身にもわからなかったが、こうして生きている。残った力を振り絞り、回復魔法で歩けるまでにはなっていた。


『リュウヤ・ラングめ。見ていろ』


 ガーツールはリュウヤの幻影を浮かべて、憎悪に満ちた眼光を注いでいた。


『リュウヤ。いつか貴様はこの世界に戻ってくるだろう。その前に貴様の肉親や仲間を見つけだし八つ裂きにしてやる……』


 ララベルと愛しき者の名を口にした時、心が切り刻まれるような苦しみと痛みで胸をおさえ、悔しさで身体が沸騰するように熱くなった。


『ララベル。奴等にもこの悔しさを味わらせてやるぞ』


 あまりに興奮しすぎたためか、ガーツールは目眩を覚え、近くの岩肌に寄りかかった。

 復讐を遂げるために、まずは鋭気を養わなくてはとガーツールは思った。

 乱れた呼吸を静め、再び歩き始めると、前方の岩場から小石が崩れ、物を引きずる音とともに人影が現れた。


「やあ、ガーツールじゃないかあ」

『なんだ、ジョージか』


 敵ではないと安堵したものの、ジョージの姿を改めて見直してガーツールは眉をひそめた。

 素っ裸にアメリカ軍から奪ったらしいヘルメットとジャケットを装着し、ジェニファーの死体を抱えている。

 命は無事だったみたいだが、魔空艦から放り出されたために、顔はひしゃげ左手の指はあらぬ方向へ向いている。ジェニファーの死体も、長い距離を引きずったせいで足がちぎれかかっていた。

 激痛がジョージを襲っているはずだが、ラゴミソの実で感覚が麻痺しているジョージはニヤニヤと不気味な笑みを湛えている。


「ガーツール、僕らも連れてってくれよ」

「いりません。邪魔です」


 元来の性分か、律儀に英語で返すガーツールに、ジョージが馴れ馴れしくしがみついてきた。


「良いじゃないかガーツール。広い世界へ飛び立とう。ジェニファーも一緒だよ」

『おい、離せ……!』


 さすがに閉口して、ガーツールはジョージを振りほどこうとした。この中毒患者は何の役にも立たないだろうし、食料としても、身体を壊すだけだ。


「いいじゃないか。これあげるからさあ」


 ジョージは懐から何かを取りだし、ガーツールの手を握ってきた硬い感触がでのひらに伝わってくる。


「僕らは旅立つんだ。あの空へ、山を越えて」

『なんだこれは』


 ガーツールは戸惑っていた。

 急に寝転び、ジェニファーの死体にしがみつきながら、歌うように独り言を呟くジョージと、銀色に光る細い物体を見比べていた。

 何に使うものなのか。

 細いネジというのか、例えようがない金属製の物体。


「さあ、いこうガーツール。この死の谷を離れて。歩もう未来へ。ぼくらはかつて死にかけた開拓者のように、僕は谷に向かって叫ぶんだ」


 身をよじったジョージの懐から、コロリと球体の物体が転がり落ちた。


『……?』


 見覚えがあるとガーツールは考え込んでいたが、それが何かに思い当たった時、全身から血の気が一斉に引いた。

 この世界のものより自分の低位魔法の方が強力と、せせら笑った記憶がある。ネットでジョージが説明していたではないか。ピンを引き抜き、時間差で爆発させて殺傷する武器。

 そのピンがガーツールの手の内にあるものだ。


「手榴弾、だと……?」


 ジョージの懐がはだけるとジャケットの内側には十数個もの手榴弾がおさまっている。


『うそ』

「……」


 ジョージが何かを口にしたと思った刹那、手榴弾が爆発を起こし、次々に誘爆を引き起こした。爆光がガーツールの目を潰したかと思うと、凄まじい灼熱の嵐と熱波がガーツールとジョージを襲いかかった。

 さすがのガーツールも数千度の炎に身を焼かれてはひとたまりもなく、炎はガーツールを一瞬にして骨まで炭化させ、次に吹き荒れた熱風が、四肢を粉々に砕いてしまっていた。


「グッバイ・デスバレー」


 意識が途切れる直前、ガーツールはジョージがそういったように聞こえた気がした。

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