第131話 リュウヤ・ラング対ガーツール

 エリシュナが砂地に倒れたのと同時に、砂塵に紛れて絶叫するような怒号がリュウヤの耳に響いた。


『リュウヤ・ラング!貴様ぁぁぁぁぁ!!』

「もう次の新手かよ」


 休ませろとうんざりしたようにリュウヤは言いながら、その視線は殺到する長身の男からしっかりと離さない。

 長身の男――ガーツール――が羽ばたくようにして上空を飛び上がり、リュウヤに迫っていた。リュウヤは柄を握り直し、脇構えのまま腰を沈める。

 その時、ヒュンと空気を斬り裂く鋭い音に、リュウヤは反射的に身を退いていた。光の筋がリュウヤの眼前を奔ると、宙に激しく舞う砂塵を細切れに斬り裂いていく。


「今のは、糸か?」


 髪の毛ほどしかない細い糸だが、糸は一個の意思を持った生物のようにうねり、しなり、硬い岩石さえも切り裂きそうな恐るべき鋭利さを感じていた。あの糸に斬られれば、人間の身体などひとたまりもないだろう。

 しかし、新たな強敵の襲撃にも関わらず、リュウヤは冷静だった。エリシュナとの戦いで、極限までに研ぎ澄まされた神経が、無意識にガーツールの動きを捉えていたのかもしれない。

 ガーツールの次の仕掛けを待ち構えていると、次いでリュウヤの側面から灼熱の熱波を感じていた。見ると、巨大な火球が無数に迫ってきている。

 大炎弾ファルバスと思う間もなく、リュウヤは鎧衣(プロメティア)でその場を離れると、リュウヤがいた位置に着弾し、爆音とともに強烈な砂塵の嵐を巻き上げ、太い砂の柱をつくりだした。 


「もう一人は、女か」


 リュウヤは大炎弾ファルバスを使った女――ララベル――を一瞥すると、他に敵がいないか気配を探った。しかし、気配はガーツールとララベルしか感じない。


 ――新手は二人。


 リュウヤは敵の位置と数を確認すると、剣先をガーツールに向けたまま、じりじりと足を運んだ。

 ララベルとガーツールの間に立ち、挟み撃ちとなる格好となった。しかし、ララベルとしては、リュウヤの奥にガーツールがいるために攻撃魔法が使えない。


 ――あの女、直接攻撃は得意じゃないようだな。


 背後に控えるララベルの気配を感じながら、リュウヤはガーツールだけを注視していた。

 心得があるなら、選択として武器か徒手などパターンがあるはずだが、次の行動を迷っているばかりでこれまでの攻撃も単調さを感じた。

 おそらく他に、攻撃パターンが無いのだろうとリュウヤは推測した。


『ララベル、先にエリシュナ様の手当てをしろ!』


 ガーツールが怒鳴ると、ララベルは弾かれたように背を伸ばし「はい」と答えると、急いでエリシュナの下へと走っていった。リュウヤに見抜かれたとガーツールも気づいたらしい。苦々しげに舌打ちする顔が見えた。


「一人で良いのか」

『エリシュナ様の治療にはあいつで充分なんでな』

「そうじゃなくて、俺と戦うには一人じゃ不安だから二人で来たんだろ。お前だけで良いのか」

『……我が名は、エリシュナ様が第一の臣ガーツール。貴様なぞに遅れをとらん』


 たとえ見破られていても、戦いの場で素直に答える馬鹿などいない。よほどの奥の手がある時だけだ。

 本心ではララベルの援護が欠けるのは痛かったが、ララベルの迷いや弱点を見破られた以上、そこを突かれる可能性が高い。

 リュウヤが睨んだ通り、ララベルとリリベルは魔族の中では比較的身体能力が低く、物理的な直接攻撃を苦手としているようだった。ララベルには中距離の援護魔法を期待していたが、リュウヤに看破されたことで、もはや連携して攻撃するどころではなくなっていた。


 ――一旦、奴の間合いから離させた方がいい。


 エリシュナの容態はもちろんだが、客観的に戦況を判断できる位置に退避させ、冷静さを取り戻させる。

 ガーツールはそう判断しし、身を沈めると放たれた矢のようにリュウヤへと猛進した。


『我が斬糸剣“アリアドネ”を受けてみろ!』


 ガーツールは両腕を自らの前で交差させると、何かを投げつけるように、リュウヤに向かって腕をしならせた。

 ヒュンと風を切る音が幾多にも重なり、冷たく鋭い光の線がリュウヤの四方から迫った。ひと筋の閃光がリュウヤの頭上へと襲いかかってきても、リュウヤは佇んだままでいる。

 いつの間にか、刀を腰に戻していた。


 ――もう諦めたのか。


 意外と他愛もないとガーツールが冷笑した時、リュウヤはおもむろに横へと足を運んだ。何でもない、自然な動きのように思えた。

 そのリュウヤの横を、アリアドネが砂地にザクリと音を立てて埋もれた。ガーツールの表情が驚愕に満ちた。


『なに……!』


 偶然だと思い込もうとしたが、リュウヤはアリアドネの斬糸を次から次へとかわしている。蝶の羽根も使わず剣も振るわず、ダンスのステップでも踏むように軽い足取りでかわし続けていた。


『くそっ、くそっ!』


 ガーツールは呪詛めいた言葉を発しながら、アリアドネでリュウヤに猛撃を繰り返すが、風のように斬糸を潜り抜けてしまい捉えることができないでいる。


『逃げてばかりでは私には勝てんぞ!』

「……それもそうだな」


 だが、リュウヤが手にしたのは、中身を失った長船清光の鞘だった。舐めているとガーツールは感じ、ギッと奥歯を鳴らした。


『小僧が!!』


 咆哮したガーツールが、アリアドネをリュウヤに集中させた時だった。リュウヤはついと前へ足を進めて駆けた。右手からの斬糸をかわした後、リュウヤは鞘を立て、次いで左手から放ったアリアドネの斬糸に鞘を振るい、巻くようにして鞘へと絡みつけてしまっていた。


『小癪な。こんなもの!』

『ガーツール、負けないで!』


 不意にララベルの声が、ガーツールの耳に飛び込んできた。視線だけ目を向けると、エリシュナを手当てしているララベルの姿が見えた。


『エリシュナ様は生きている!ひどい怪我だけど、魔法で治療したから、しばらくすれば意識を取り戻すはず!』

『よくやったララベル!』


 リュウヤに目をそそいだまま、ガーツールが叫んだ。


『どうだリュウヤ・ラング。エリシュナ様が加われば、貴様もひとたまりも無いだろう!』

「そうだな。急がなきゃな。だけど、焦っちゃだめだな。こんな時は」

『何をほざくか!』


 ガーツールは鞘を切断しようと斬糸を引っ張ったが、鞘は切られず、岩のように重い感触が糸から伝わってくるだけだった。


『ぬ……、な、何故だ……!』

「モノには切る角度が必要だし、絡まって自分たちの刃同士で締めつけあっている。こんな時は、なかなか切れないものさ」

『なんだと……?』


 ガーツールが目を凝らすと、アリアドネの糸同士が絡みあってしまい、動かそうにも操ることができない。このままでは、せいぜい人間の薄皮を傷つけることはできても、鞘を切断することなどできない。

 おのれとガーツールは唸り、残る右手の斬糸で攻撃しようとしたが、急に強い力に引っ張られて体勢が崩れ、ガーツールはたたらを踏んだ。


『……!』

「その糸は厄介だ。攻撃はさせない。お前を確実に仕止める」


 リュウヤが更にくっと鞘を引くと、ガーツールの上体が前のめりとなった。刹那、リュウヤが身体を沈めて地を払うように、内側へと鞘を巻き上げると、ガーツールの手首が極められ、身体がふわりと宙に浮いていた。


『……なに?』


 自分の身に何が起きたのか、ガーツールにはわからなかった。

 リュウヤ自身の力とも思えない。

 力でもない力に身体が浮かされ、気がつけばガーツールの天地がひっくり返って、背中から地面に落ちていた。


『くそ、また小技に騙されたか!』


 柔らかい砂地が守ってくれたおかげで、ダメージはない。急いで立ち上がろうとしたが、左腕に尋常ではない力が加わって、ガーツールはそのまま砂地に突っ伏さなければならなかった。

 リュウヤからすれば、古流柔術の技を応用しているのだが、ガーツールには自分が何をされているのかさっぱりわからなかった。

 身体を完全に制圧され、リュウヤに攻撃することも敵わない。

 既にリュウヤは慎重な足取りで自身の間合いに入ろうとしている。慎重なのは、ガーツールがやけになって放った一撃を、警戒しているためだった。

 ガーツールの視界に、リュウヤの左手が腰におさめた“弥勒”の鯉口をゆるめたのがみえた。


 ――ここまで差があったのか。


 敵わないと評したエリシュナの言葉を思いだしながら、距離を詰めてくるリュウヤを睨んでいた。

 予想以上の差に驚きはあったが悔しさはない。ただ、敵わない事実を体感し、寂しさを感じただけだ。それにガーツールにはもっと大切なことがある。


 ――エリシュナ様が生きていた。


 生存の確認と、治療に時間を稼げただけでも充分だ。エリシュナ様が生きていれば、魔王軍の負けではない。


『あとは、我が誇りと魂を懸けて、リュウヤ・ラング、貴様を……』


 突如、地に伏すガーツールから殺気が熱風のように吹き荒れて、リュウヤは柄を握る左手に力を込めた。心気が冴え渡る今のリュウヤには、どんな攻撃を仕掛けてこようと応じる用意がある。

 来いとリュウヤは念じた。

 熱い風が巻き起こった。

 リュウヤは鞘でガーツールを押さえつけ、斬ろうと一歩踏み込んだ。しかし、熱い風はあらぬ方向へ逸れ、急に鞘が軽くなった。

 ガーツールの腕が宙に飛び、鮮血がリュウヤの眼前で舞っていた。


「自分の腕を斬った……?」

『これで……、貴様の小細工は通用せんぞ』


 ガーツールは血の気を失った蒼白の顔でニヤリと笑うと、飛びさがりながら残った右腕でアリアドネを放出した。

 リュウヤは鞘を捨てると、弥勒を抜いて五本の斬糸を弾き返した。リュウヤが追撃をしようとしたが、入れ替わるように正面から生じた火球がリュウヤにばく進してきた。

 咄嗟に鎧衣プロメティアを発動させて、リュウヤはプレートから生じるバリアと、蝶の羽根による推進力で火球をよけたのだが、砂地に着弾した爆風に圧されたせいで、バランスが崩れて地面に転倒してしまった。


「しまったなあ。もうちょっとだったのによお」


 悠長な口ぶりとは裏腹に、リュウヤは慌てて体勢を戻した。

 片膝をつく姿勢でガーツールたちが逃げた方向を見据えたが、爆煙が立ち込めているばかりで真っ暗な空間が広がっている。

 闇の奥から、絶叫のような悲鳴とともに炎の塊が射たれてくるが、どれも見当違いでリュウヤには到底当りそうもない。

 ララベルという女は、仲間が怪我をしたことで救援に駆けつけたに違いない。

 判断は間違っていないが、魔法を放った途端に興奮して冷静さを失ったのか、取り乱した乱撃は自分の居場所を教えているようなものだ。


「魔法のタイミングも良かったけどな」


 良い魔導士だが、誰かに守られて力を発揮するタイプで、自分から事態を打開する力は無いように思えた。

 

「あのまま、逃げてればいいのによ」


 リュウヤは砂に埋もれていた長船清光の、折れた刃を見つめながら呟いた。


  ※  ※  ※


『よせ、ララベル。敵に居場所が知られる』


 無我夢中になって大炎弾ファルバスを放つララベルに、ガーツールが激しく肩を揺さぶると、ようやく夢から覚めたようにララベルは両手をだらりと下げた。

 そして大きな瞳から涙が溢れさせると、ガーツールにすがるようにして失った腕の傷口に、重ねた両手を当てた。光が手のひらから溢れ、柔らかな光が傷口を癒していく。


『もう充分だ。痛みは消えたぞ、ララベル』

『嗚呼、ガーツール。私のガーツール。こんな……、こんなことって……』

『武人の名誉と思え。何ほどのことか。それよりもエリシュナ様だ。ご無事なのか』


 はいとララベルは蚊の鳴くような声で言った。


『ですが、意識はまだ戻らず、右の頬から額に受けた傷も深く、醜い痕が……』

『そうか……』


 ガーツールは沈痛な面持ちを浮かべたが、すぐに気を取り直し、ララベルを励ますような明るい声を出した。


『喜べ。私にも一生ものの傷がある。私はこれでエリシュナ様に近づけたのだぞ。第一の臣として、これほど誇りに思えることはない』

『……』

『ララベル。まだ戦いは終わっていない。エリシュナ様が目覚めるまで、我々がリュウヤを食い止めるのだ』


 ガーツールは辺りを漂う、靄のような黒煙に目をそそいだ。嵐が強さを増し、煙を散らしていく。

 この奥に、強敵リュウヤ・ラングが我々を仕留めるために待ち構えている。片腕を失いはしたが、今はララベルが傍に戻ってきた。

 ここを持ちこたえれば、エリシュナが意識を取り戻す。時間も過ぎ、バハムートも限界に近づいてきている。長期戦となれば、勝利は自分たちに傾くはずだ。


『では、頼むぞ』


 ガーツールが立ち上がると、それを見越したように、ビュンと一迅の強い風がガーツールたちの間を駆け抜けた。砂を大量に含む強風に、ガーツールは思わず目をつむった。


『ぬ……、こんな時に……。クソッ!大丈夫かララベル』

『……』

『警戒を怠るな、ララベル!』


 ガーツールは埃だらけの顔を拭っていると、傍でサクリと砂地にモノが落ちるような音がした。うっすらと開けた視界に、何故か両膝をついて座り込むララベルの姿があった。


『……ララベル?』


 ガーツールの問いかけに、ララベルの頭ががくりとうなだれた。

 ララベルは目を見開いたまま、じっと一点地上を見つめている。だが、その瞳は虚で、ガラス玉がはめられているようだった。

 ララベルに似た人形かと、一瞬錯覚した。


『ララベル。おい、どうした。敵はそこまで来ているぞ……。おい、ララベル』


 ガーツールの声は上ずり、声が震えていた。

 ララベルに返事はない。

 さっきまで話をしていたのに。

 互いに死ぬ覚悟はしていた。

 だが、まさか。こんな形で。あっさりと。

 ララベルの額から、突き出ているものがあった。それは鈍い光沢を放っている。リュウヤが所持していた武器と同様のもの。

 ガーツールには見覚えがある。

 エリシュナに折られた刃のはずだった。

 それが今、ララベルの額に突き刺さっている。

 ララベルの額から流れ出た血が、ぬらりと刃を伝って、そして落ちた。

 血は砂地の中へと、静かに吸われていく。

 リュウヤは、ララベルの乱れ打った魔法で位置を推測し、落ちていた長船清光の刃を位置に向かって投げていた。そして刃はララベルの額を貫き、一瞬にしてその命を奪っていた。


『ララベル……、ララベル、ララベル、ララベル……!!!』


 ガーツールの全身の血が煮えたぎり、頭が爆発しそうになっていた。身体の震えがとまらない。熱い涙が知らない間にこぼれ落ちてきた。獣の咆哮のような絶叫が、喉の奥から発せられた。


『う、うあああ……!うおおおおおおお!!!!』


 泣き叫ぶガーツールの目に、青白く光る蝶の羽根が浮かんだ。それは黒煙を砕き、黒い影がガーツールに迫った。果たして、ガーツールの眼前に現れたのは、剣を脇構えに突進するリュウヤ・ラングだった。


『リュウヤ、貴様!』


 怒りが頂点に達し、醜く歪んだガーツールがアリアドネを猛然と放った。ぎらりと光った斬糸がリュウヤへと落ちかかってきた。

 リュウヤは顔色も変えず、足を横に運ぶとゆるやかに身体を反転して、ガーツールの左側へとその身をかわした。


「怒りすぎだ。感情に流されて、身体が強張っている。その武器が無駄に死んでいる」


 平静な声で、リュウヤが言った。

 刀は変化して下段の位置にある。


「今までで一番、動きが雑で遅えよ」


 そこで言うと、リュウヤは足を踏み込み、ガーツールの右脇から左肩にかけて剣を摺り上げた。刃に存分に斬った感触が伝わってきた。


『がは……!』


 ガーツールの身体は弾かれたように後方に飛ばされ、それでも踏みとどまろうとしていたが、力を失った足ではどうにもならず、ドウッと音を立てて砂地に倒れていった。


「エリシュナは……」


 リュウヤはふうと息を吐いたが、エリシュナの存在を思い出すと安心している場合ではないと気を引き締め直した。

 倒れたガーツールたちを捨て置き、エリシュナの姿を探した。だが、そこには倒れた敵の死骸と、荒涼たる砂漠しかない。斬ったはずのエリシュナが消えていた。

 まずいなとリュウヤは周囲を探っていたが、ふと上空から尋常ではない殺気が地上のリュウヤにまで伝わってきた。


「息を吹き返したか。厄介だな」


 舌打ちして見上げると、エリシュナとおぼしき燃え盛る桃色の火球が上空を走り、朽ち果てた魔空艦やそこで戦う戦士たちを照らしている。

 炎から放たれる殺気は、どんどんと勢いを増し、多少の冷や水をかけたところで、到底おさまる気配も見せなかった。

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