第132話 私たちは、これから帰るために
『リリベル様、どうしました!』
突然甲板に崩れ落ちたリリベルに、小隊長の男がどこか怪我をしたと思って顔色を変えた。小隊長はリリベルと戦いが起きている正面を交互に見比べている。
リリベルは呆然と床に目を落としている。胸に手を当てると異様に早い鼓動が手のひらに伝わってくる。
胸を貫くような衝撃と激痛は、リリベルにある予感を告げていた。
『……ララベルが、死んだ』
この世に同じく生を受けてから、いつも一緒だった。姉でも妹でもない、特別なもう一人の自分。片方が悲しいと感じれば一方がその感情を共感できたし、怪我をすれば痛みをわかちあうことができた。
全てがシンクロする。双子の姉妹だけに通じる特別な感覚が二人にはあった。
それが今、失われた。
『死んだなんて……。そんな、嘘……』
うなだれるリリベルに、小隊長の檄が飛んで、リリベルの腕を掴むと無理矢理立たせた。
『リリベル様しっかりして下さい!兵たちは戦っているんですぞ!』
『死んだ……。ララベルが……』
『リリベル様!』
力なくうなだれるリリベルに肩を貸し、小隊長が正面を睨み据えた。その先には、ひとり、また一人と仲間の兵士が打ち倒されていく。
それも一人の少女によって。
『……リリシア・カーランドが、これほどの強さだったとは』
小隊長は唇をかみしめて、一人無双するリリシアに目をそそいでいた。
魔法の盾を武器として操る女拳士の名は、エリシュナ以下魔王軍の兵士にも伝わっていた。単身、船に乗り込んで来たときにはその度胸と無謀さに驚きを隠せなかったものだが、まだ心には余裕があったのだ。
多くの者は、リリシアがいかに強くても、所詮は人間の小娘だろうとタカをくくっていた。警戒すべきは一にバハムートで、二にリュウヤ・ラングだろうと。
小隊長もその一人だった。
警戒する順番は間違っていなかったかもしれないが、軽視しすぎたと小隊長は後悔していた。心構えが違えば、戦い方も違っていただろう。
『弓兵、何をぼさっとしている。矢を放て!』
小隊長は声を張り上げて指示すると、数名の弓兵がボウガンでリリシアに狙いをつける。リリシアはそれに気がつくと、印を結んで雷撃を放った。
『ぐああああ……!!』
強力な電磁波に焼かれ、一瞬にして炭化した男たちが床に転がると、衝撃で五体はバラバラに砕け散った。
『
小隊長は思わず息を呑み込んだ。声が震えているのが自分でもわかる。
エリシュナをはじめ、ガーツールやララベルも不在。本来、兵を指揮すべき大隊長は、戦闘開始直後にリリシアが放った
『おのれっ!たかが、子どもが!』
「子ども……?」
歯噛みをしながら一人の兵士が踊りかかる。リリシアは振り下ろした剣をかるくいなすと、がら空きとなった胴に拳を叩き込んだ。
「子ども呼ばわりするな」
兵士は近くにいた数人の兵を巻き込んで船の端まで吹き飛び、男たちはそのままぴくりとも動かなくなった。
「私は子どもじゃない。ちゃんとした大人」
リリシアは血の海と化した佇みながら、男たちの死体を見つめた。リリシアも血に染まっていたが自身の血ではなく、
リリシアに向かった兵士は焼かれ、骨を砕かれ、脳しょうを甲板にぶちまけて倒されている。
「あとは、せいぜい五、六十人かな」
何人か逃げた兵士もいるようだが、今は放っておけばいい。
ふと、リリシアは自身の拳に目を落とした。幾分、複雑な思いがリリシアの胸中にある。
「ここまでやれるのも、やっぱり“あの力”の影響、か……」
一年余りの旅を経て、薄々感じていたことがある。
飛躍的に向上した魔力。
魔族に勝る膂力。
修行の成果だけではないものが身のうちにあることを以前から感じていたが、それが今、確信に変わっていた。
「とにかく、この戦いを終わらせるのが先」
リリシアは不意に上空を睨み上げた。リュウヤの援護に向かったはずのバハムートがまだそこにいる。
「クリューネ、何をしている。やれると言ったのに。この心配性」
憤然を見上げる視線に気がつき、バハムートは肩をすくめた。「怒るなよ」と言っているようにリリシアには見えた。
“思ったよりもやるな。リリシア”
八面六臂の働きをみせるリリシアを、バハムートは上空から見下ろしていた。
リリシアはできると言ったので任せてはみたものの、不測の事態を考えれば離れることもできないでいた。一方でリュウヤも気がかりとなっていたから、中途半端な位置で待機する格好となっていた。
“あの様子なら、任せて大丈夫か”
バハムートはようやくリリシアに任せる気になり、リュウヤの位置を探ろうとした。その竜の目に何かが映った。同時に強烈な殺気が波となって押し寄せてくる。
“この焼けるような殺気……。まさか”
桃色の火球に包まれた魔王軍の王妃が、猛然とした勢いで飛来してくる。
“エリシュナ!”
リュウヤはどうなったのだと思う間もなく、バハムートの眼前にエリシュナは迫っていた。口に泡を噛み、怒りと憎悪で醜悪な形相に変わっている。顔の右にはしる深い傷痕のせいで、さらに凄みを増していた。
『がああああああ!!!』
吠えるエリシュナに、バハムートは巨木のような太い腕を振るった。
しかし、エリシュナはするりとかわすと、パラソリアでバハムートの横っ面を思いきり殴打した。
“くそ、舐めるなよ……!”
体勢が崩れたふりをしてバハムートは身体を反転させると、勢いに乗せた尻尾がエリシュナの身体を薙ぎ倒すようにして衝突した。
――どうだエリシュナ!
いかに魔族の特殊な存在でも、ひとたまりもないはず。不意をついた一撃に、バハムートは手応えを感じていたが、異変に気がついた。尋常ではない力がバハムートの尻尾に掛かっている。やがてその影からエリシュナが姿を現し、歯を剥いたまま、バハムートを凝視していた。
“バカな、まともに喰らって……!”
『うらああああああっ!!』
エリシュナはバハムートの尻尾を掴むと、体重を乗せてそのまま地上へと放り投げた。その先には逃亡した兵士が、エリシュナに向けて絶叫していた。
『エ、エリシュナ様、我々がここに……!』
叫ぶも虚しく、バハムートの巨体と轟音に、自分たちの言葉も聞こえなくなった。ドウンと大地を震わすほど地響きが鳴り、バハムートに押し潰された逃亡兵は、一瞬にして砂漠の一部と化した。
「クリューネ……」
地面に落下したバハムートに、リリシアは呆気にとられていた。呆気にとられたのは、リリシアだけではない。歓喜すべき魔王軍の兵士もエリシュナの異様さに恐れをなしていた。
『貴様ら、それでも魔王軍かあっ!!』
エリシュナの咆哮が天地を揺るがした。
『逃亡する者は朽ちて死ね!生きたい者は戦って生き延びろ!』
『……』
『リリベル、顔をあげろ。それでも妾が側近か!』
『……エリシュナ様』
『ガーツール、ララベルは死んだ!』
泣き顔に表情が崩れるリリベルに、顔をあげろと言ったはずだとエリシュナの怒号が飛んだ。
『貴様は頼るものも、分かち合うものも失った。貴様は一個の存在となったのだ。つまらぬ甘えなど許さんぞ!』
『……』
『生まれ変われリリベル!』
エリシュナの怒号は、一種の雷撃にも似ていた。言葉に打たれたリリベルの身体がぶるりと震え、震えは小隊長の身体に伝わってきた。
『一個の存在……、生まれ変わる……』
呟くリリベルの身体から、ゆらりと紅い炎が立ち上る。リリベルの一変した雰囲気に、リリシアは気を高めて身構えた。
静かに口を開いたリリベルから、澄んだ声が響く。
“……我らは、はにかむ
舌を出し、我らは喜ぶ
火によって讃えよ
風とともに讃えよ
全ては汝が為”
――この詠唱。
リリベルの詠唱は、地に伏すバハムートまで届いていた。逃げろと叫ぼうとしたが、受け身がとれずに息が詰まって声が出ない。
甲板上では、リリベルの両手から猛火と烈風が生じ、高エネルギーを発する光球へと変化していく。
『ララベル、ガーツール。これが私の、新しい私の……
呪文名を告げると同時に、巨大な炎の柱が屹立してリリシアに突進していった。
「この力、まずい……!」
火柱がリリシアを呑み込む寸前に、リリシアは横に飛び跳ねて身をかわした。しかし、
『とりあえず邪魔者はどかせた。よくやったわ、リリベル』
エリシュナがリリベルの前に降り立つと、小隊長の名を呼んだ。
『そろそろ、アレの準備しなさい』
『アレと申しますと』
『アメリカ軍から奪った最強魔法があるでしょ。あいつらに使ってやる時よ』
『し、しかし、あれにはホウシャノウという猛毒があるとかで、安易に使うのは危険かと』
『毒くらい妾が防いでやるわよ。妾の力を知っているんでしょ』
『……』
『妾はムカついているのよねえ。いい加減、世界征服も邪魔されて、船も壊されて部下もなくした。おまけに……』
エリシュナは自分の顔につけられた傷痕をなぞった。途端に指先がふるえ、形相が一変した。
『あのクソどもをぶっ殺してやらないと、こっちの気が収まらないんだよ!』
※ ※ ※
それまで固唾をのんで戦況を見守っていたマリーは、ふと我に返ってカメラに向かってまくし立て始めた。
「凄い光景です。全く信じられません。人が空を飛んで戦い、怪しげな光を放ち、物語でしか存在しなかった竜がいます。我々は……」
マリーの言葉がふっと消えて、エヴァンズが訝しげにカメラを外した。
「どうしたの、マリー。まだ撮影中だぜ」
「……」
マリーに返事はなく、あんぐりと口を開けたままだった。エヴァンズは不審に思い、マリーの視線を追うと愕然として表情が固まった。
いつからそこにいたのか、パジャマ姿の小さな女の子を連れた女が並んで岩場に立っている。激しい雨に打たれながらも、親子――セリナとアイーシャ――の目はひたりと砂漠の戦場へと向けられていた。
「……あそこにリュウヤさんたちがいるのね」
セリナの問い掛けに、アイーシャがうなずいた。
「でも、まだ随分と距離があるわ。どうするの」
「精霊さんたちが言ってた。私たちを運べるのはここまでだって。あとは私に力を託すて」
そう言うと、アイーシャの足元から金色の光が発せられた。空から大地から光の粒子が集まり、アイーシャに降り注いでいく。
「な、なに、何なの?」
マリーとエヴァンズが唖然とする中、アイーシャの身体が発光すると、着ていたパジャマは純白のドレスのような衣服へと変化していった。そして集まった光の粒子は小さな杖を形成していく。
頭部にハート型の装飾が施され、アイーシャの手におさまるほどの小さな杖。
「……この世界を守って欲しい。この杖には、精霊さんたちの想いがこめられている」
アイーシャは杖を額に当てながら言った。精霊たちの想いが、その杖から流れ込んでくるのだろうとセリナは思った。
セリナはアイーシャの手にそっと触れた。身体が震えている。
「怖いの?」
「うん。少し……」
「お母さん、何もしてあげられないけど、ずっと傍にいるからね」
「ありがとうお母さん。アイーシャ、幸せだよ」
明るく笑うアイーシャに、セリナは答える代わりにアイーシャの手をぎゅっと握りしめた。
マリーたちには、セリナたちが話す異世界の言葉はわからない。しかし、突如出現し目の前で起こした事象は、彼女らが異質な存在だということ告げていた。
「あ、あのー、あなたたちどこから来たの。戦っている人とお知り合いかな?」
「おい、マリー」
それでもマリーはジャーナリストだった。恐怖よりも好奇心が勝り、好奇心がマリーの背中を押していた。
エヴァンズの静止を無視し、異質な存在と知りながらも、マイクを向けながらおずおずとセリナたちに近づいていく。
「ハ、ハロー、ニーハオ、コンニチハ」
「あ……、こんにちは」
――日本語が通じた?
マリーは慌てて、数年前に習った日本語を記憶の倉庫から引っ張り出し、継ぎはぎだらけの日本語でセリナに質問した。
「あなたがた、なにもの。何をしにきたのですか」
セリナはじっとマリーを見つめていたが、静かに笑みをたたえた。困ったような微笑がマリーのなかに沁みてきて、何故か心が疼いた。セリナの微笑がオクラホマの母と重なっていた。
「……これから帰るためにきました」
流暢な日本語で答えたセリナの隣で、アイーシャの身体が金色に輝きをみせる。
「待って、待ってください。まだお話を……」
我に返り質問を続けようと手を伸ばすが、目が眩むような強い光がマリーの言葉を遮っていた。次の瞬間には光が忽然と消え、セリナたちはその場からいなくなっていた。
「……私たちは、とんでもない世界に触れているのかもしれない」
マリーはぺたんと地面に座り込んだ。ぽっかりとした胸の穴が開いたのを感じながら、マリーはセリナたちがいた岩場を見続けていた。
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