第129話 身を捨ててこそ

「……危ないとこだった」


 リリシアは突如迫った桃色の閃光――天蓋式萌花蘭々コスモス・グランドカバー――をかわした後、自分の全身から大量の汗が噴き出し、衣服をぐっしょりと濡らしていることに気がついた。

 辛うじてかわしたとはいえ、閃光から生じた衝撃波は“グレート・バスタード”を弾き飛ばし、まともに船を操縦することができなくなっていた。艦に搭載されていた自動制御装置のおかげで命拾いしたものの、無かったらどうなっていたかと背筋が凍る思いがしていた。


 ――リュウヤ様たちはどうなったのか。


 滴り落ちる汗を手の甲で拭うと、リリシアはモニターで“グレート・バスタード”の異常の有無を確認し、次いで、地上へと目を凝らした。

 分厚い雲や黒煙に紛れて光弾が飛び交う中で、空に舞う蝶の羽根と、閃光に照されたバハムートの背中が映る。バハムートの口から白い閃光を発するのが見えたが、魔空艦は寸前でかわして巨大な砂柱をつくりだしていった。


「まだ、打ち崩せないのか」


 リリシアは二人の無事を確認して安堵しつつも、すぐに焦燥感が胸中を支配するようになっていた。

 バハムートは力の加減が難しい。

 クリューネが以前話したことがある。ただ魔空艦を撃沈するだけなら、力を存分に使えば済むのだが、あの船には核兵器が積まれている。

 迂闊に攻撃をするわけにもいかなかったし、エンジンに照準を合わせても、力の加減が難しくて定まらない。加えて魔空艦のスタッフが船を巧みに操り、予想以上の粘りを見せていることもある。


「何とかしないと……」


 戦闘直前の打ち合わせでは、エリシュナを一点集中して先に倒し、その後に魔空艦へと向かう予定だったが、上手くいったかに思えたホーリーブレスのエネルギーがエリシュナに奪われたことで、計画が全て狂ってしまっていた。

 前から苦手意識のあったエリシュナに、ホーリーブレスの攻撃を吸収されてしまったことでバハムートはエリシュナに対して動きが消極的になっていたし、リュウヤはエリシュナの相手で他に目を向ける余裕がない。

 今のところはリュウヤが優位に進めているが、鎧衣(プロメティア)のエネルギーが切れたら、状況が不利になるのは疑いようもない。

 どうすると歯がゆい思いでバハムートに視線を向けると、リリシアな舵を握る手に力が入った。

 バハムートの視線とぶつかった

 ほんの一瞬だが、確かにリリシアを見た。

 あの目。


 ――やっぱり、私が最後の切り札になるのか。


 こんな時に自画自賛している自分がおかしく、リリシアは自嘲気味に笑ってみせたが、すぐに表情を戻し、地上の魔空艦を注視しながら舵を握りしめた。


  ※  ※  ※


 ララベルは船に戻ってきたガーツールに気がつくと、飛びついてやにわに唇を重ねてきた。


『ずるいわ、ララベル』


 リリベルも口づけを迫ろうとガーツールに近づいたが、リリベルの行動を遮るように閃光とともに激震が甲板を揺らしたために、リリベルはバランスを崩して尻餅をついてしまった。船の外を巨大な砂柱が佇立し、バハムートが空を旋回していく。


『戯れは後回しだな、リリベル』

『ずるいわララベルだけ……』

『そんな顔をするな。後で可愛がってやる』


 不満げなリリベルに、ガーツールは手を差し出して立たせると、ガーツールはそのままリリベルを抱き寄せて、リリベルの柔らかな唇を吸った。ガーツールの思わぬ行動にリリベルは驚いて目を丸くしたが、やがて陶酔した面持ちとなって四肢をガーツールに委ねた。そんなリリベルを見て、ララベルが色をなしてガーツールにしがみついてきた。


『ずるい、ずるいわリリベル。ガーツールも後でなんて言って、リリベルにちゃんとしてるじゃない』

『悪かったな。許せ』


 顔を寄せてくるララベルにガーツールが舌を出すと、ララベルも舌を絡ませ、それを見たリリベルも競うようにして、ガーツールの舌に絡ませ始めた。


“ガーツール様、いい加減にしてください!まだ戦闘中ですよ!”


 船首に備えてあるスピーカーから、艦長の声が実によく響いて、ガーツールたちの意識は現実へと引き戻されていった。艦橋を見上げると、マイクを手にした艦長とスタッフが、一様に鬼のような憤怒の表情をしてガーツールたちを睨みつけている。


“我々やエリシュナ様が命懸けで戦っているのに、戯れなど何事ですか!”

『あ、これはイカン』

『駄目ね、ガーツール』

『残念だわ、ガーツール』


 我々という箇所よりもエリシュナの名に鋭く反応して、ガーツールたちは慌てて身体を離し、漸く本来の仕事へと戻っていった。

 そんなガーツールたちの様子を、艦長は苦々しげに舌打ちして艦橋から眺めていた。


『これだから“深淵の森”の人食い野人どもは……!』


 艦長の家では食人文化は祖父の代で終わっていて、そんな家の出の艦長からすれば、未開人だった頃の残骸でしかない。

 そんな未開人の風潮を、色濃く残すエリシュナたちに抱いていた侮蔑の感情が、つい言葉となって噴出したようだった。

 艦長は、マイクで各砲台にバハムートやエリシュナの位置情報を送るガーツールの音声を耳にしながら、憤然と自分の席に戻っていった。

 エリシュナほどではないが、ガーツールの感知能力は鋭い。神竜を相手に、ガーツールの能力は頼りになるはずだったが、今はその声も煩わしく思えた。


『“深淵の森”の連中て何を考えてんですかね』


 レーダー係のスタッフが苦々しげに呟く。その声には、追従しているような響きがあるのを艦長は聞き逃さなかった。部下の露悪的な発言に、艦長は不用意だったと後悔した。


『口を慎め。戦闘中だぞ』

『ですが、その戦闘中にですよ。ガーツール様だけじゃなく、他の連中だって……』

『君はともに戦う仲間の士気があがると思っているのか』

『……』

『先の発言はあまりに軽率だった。恥じている。忘れてほしい。だから、今の君の発言も忘れる。自分の仕事に専念したまえ』

『あ、は、はい!』


 艦長の鋭い視線と低い声に圧され、レーダー係は表情を強張らせて、慌てて視線をレーダーが表示されているパネルモニターに戻した。二人の様子を目の端で眺めていた他のスタッフも、それぞれの仕事へと戻っていく。

 再び艦橋は喧騒で満ち、緩みかけた空気が引き締まるのを感じると、艦長は無用な対立を起こさずに済んだと、安堵の息を洩らした。

 エリシュナを始め、“深淵の森”の魔族は直情型で、いったんわき出した感情を抑えることが出来ずに流されやすい。

 エリシュナの怒りっぽさもそうだし、今の時と場所もわきまえないガーツールらの痴態もそのひとつある。エリシュナに従った兵士も同様の気質で、外部の魔空艦スタッフらは“深淵の森”の魔族を、野蛮人と揶揄していた。

 しかし、そんな空気は相手に伝わるもので、これまでに大小様々なトラブルを起こして、トラブル解決に当たる艦長を悩ましていたのだった。


 ――この世界に来て、頼りになるのはコイツだけだな。


 艦長は席に備え付けのホルダーから赤い缶を手にとって、輪状の小さな蓋を開けた。

 プシュと小気味の良い音とともに琥珀色の泡が飲み口に溢れてくる。喉に流し込むと、冷たく甘い液体から発する小さな泡が喉を刺激し、爽やかな潤いを与えてくれる。

“コーラ”と呼ばれる異世界の飲み物は艦長のお気に入りで、一日三本は必ず口にしていた。


『艦長、ガーツール様から連絡!バハムートが再び左舷側より急速に接近してとのこと』

『我々の動きをよく読む。この砂漠から、出さんつもりか』


 艦長は空になった缶を握りつぶし、ぎっと正面を睨んだ。嵐に埋もれた黒い砂漠が広がっている。戦闘に突入してから、さほど風景が変化していない。


『構わん。どうせ攻撃は脅しだ。このまま突っ切るぞ』

『ですが、バハムートが……』

『奴は核に被弾するのを恐れている。どうせ、こけおどしの攻撃しか出来ん。……全砲左舷集中、射てえ!』


 艦長が怒鳴ると魔空艦の全ての砲口は、迫るバハムートに向けられ、強大な熱量を含んだ紅い閃光が一斉に射出される。

 バハムートからもホーリーブレスが放たれたが、艦長の予測通り白光するエネルギー波は魔空艦を逸れ、砂漠に砂混じりの黒煙を立ち上らせるだけだった。

 濃い煙が艦橋を覆い視界を奪う。砲手もバハムートを見失い、激震が魔空艦を揺らし、スタッフが騒然とする中、艦橋にガーツールの声が響いた。


“バハムートは五時の方向に離脱。怯むな!”


 鋭敏な視力と嗅覚を持つ船首のガーツールだけが、バハムートの動きを捉えていた。バハムートが右舷側に避け、そのまま船の後方の黒煙の中に消えていったのを見ている。


『よし、このまま突き進め……!』


 多くの人間が居住するサンフランシスコに入れば、デスバレーで戦うよりも魔王軍が圧倒的に有利になる。

 しかし、艦長の言葉がそこで途切れた。爆発音とは異なる轟音が頭上から聞こえ、異様な圧迫感が艦橋を襲っていたからだ。


『なんだ……?』


 艦長の疑問に答えたのは、窓にもっとも近い操舵手だった。天窓から漆黒に包まれた空を覗き込んでいたが、現れたものにあっと悲鳴をあげた。


『どうしたっ!?』

『ま、魔空艦がそこに……!』

『何?』


 艦橋にいる者全ての目が天窓に集中した時、突如黒煙が砕け散ったのを見た。

 煙の中からリュウヤ・ラングが奪った魔空艦がそこに現れていた。船は艦長たちがいる、艦橋の眼前へと迫っている。


『何故、こんな近くまで』


 魔空艦を動かす魔力を感知するはずのレーダーには、何の反応もない。エリシュナの天蓋式萌花爛々コスモス・グランドカバーが放たれた際には、モニターに反応があったはずなのに。

 そういえば、起動した際に魔空艦の底に生じるはずの魔法陣が消えている。


『まさか、動力を切って“落ちてきた”のか?』

「……普通に近づくだけでは察せられる。動きを止められない」


 小柄な身体を吹き飛ばすような圧力に耐えながら、リリシアは舵を握りしめていた。敵の魔空艦は目前に迫っている。驚愕と恐怖にかたまった魔族の顔が見えた。


「この身を懸ける。この状況を打開するには、これしかない。でも……」

『馬鹿な、死ぬ気か!?』

「死ぬ気なんてない。あくまて“接舷攻撃”」


 艦長の独白が聞こえたかのように叫び、リリシアはエンジンを稼働させると舵を一気に左舷側へと回した。


「後はお願い!グレート・ハスタード!」


 リリシアは“グレート・バスタード”の船体は素早く向きを変るとバランスを崩し、魔法陣の浮かんだ船底が向く格好となって、敵の魔空艦の艦橋へとのし掛かっていく。“グレート・バスタード”は小型とはいえ、落下の勢いと魔空艦の船体がまともに衝突してはひとたまりもない。

 船は艦橋を艦長やスタッフの身体を押し潰していき、窓や装甲板を粉々に砕いていった。


「やった……!」


 しかし“グレート・バスタード”も無事では済まない。無数の鉄骨や破片が装甲板を破り、操舵室の中へと突入してくる。

 だが、リリシアは冷静だった。

 リリシアは両手に力をこめ、“神盾ガウォール”を発現させると、魔力を両手に集中させた。

 放出された神盾ガウォールの魔力はいつもの拳大の大きさではなく、身体を覆うほどの大きさに形成され、獰猛な野獣のように牙を剥く装甲板の破片や鉄骨を次々と弾き返した。

 しかし、弾き返すといっても衝撃はリリシアの身体にそのまま伝わってくる。小さな身体はボールのように軽々と跳ね返され、天地が上下もわからず宙を回転していた。


「うあああああああっ……!!」


 絶叫しながら、リリシアは鉄屑の嵐に呑み込まれていた。

 不意に背中に柔らかな感覚があたり、砂塵の波がリリシアに覆い被さってきた。


 ――砂漠?


 柔らかい砂地のおかげて、大したダメージを受けずに済んだらしい。ざらりとした感触で落下した場所は落下した場所は何となく予想できたが、考えることができたのはそこまでで、リリシアは神盾ガウォールを広げ、亀のように身を竦めて嵐が過ぎるのを待っているしかなかった。

 それからどれほどの時間が過ぎたのか。実際は数分にも満たないのかもしれなかったが、リリシアには途方もなく長い時間のように感じた。

 次第に耳を突き刺すような爆発音も収まっていくと、くぐもった獣にも似た声がリリシアの耳に届いた。


“リリシア、無事か”


 聞き慣れた声に安堵して、リリシアはふっと軽く笑った。

 目を開くと、リリシアの前には、魔空艦の船体をがっしりと掴んでいる神竜バハムートの姿がそこにはあった。

“グレート・バハムート”は、リリシアが咄嗟に起動した魔法陣がバリアとなって、一応の原型を留めているものの、操縦席は無茶苦茶に破壊され、艦橋に埋め込まれたような状態で、できの悪い前衛芸術でも見ているような気分だった。


「……お陰さまで。そちらもグッジョブ。私の考え、よくわかったわね」“お互い、それなりに濃密な時間を過ごしているからな”


 バハムートが囮となって、“グレート・バスタード”が敵の魔空艦に突撃を仕掛ける。しかし、魔空艦に核が積まれている。その核が墜落により爆発を起こさせないよう、バハムートが船体への衝撃を食い止める。

 リリシアが咄嗟に思いついた案な上に、ただの目配せでどれくらい伝わるのか不安があった。だから、バハムートが自分が期待していた以上の動きをしてくれたことに、リリシアは正直驚きを隠せなかった。


「ありがとう、クリューネ」


 リリシアは立ち上がると、バハムートに向かって親指を立てた。バハムートと呼べと言ってから、バハムートは言葉を続けた。


“状況も膠着しているのに、大した働きをしていないからな。打開するのはお前しかいないと思っていたからな”


 バハムートは自嘲気味に笑うと、ゆっくりと船体を地上に降ろしていった。


“やるとしたらこれしかないととは思っていた。そんなところへお前の視線を感じた。私にはそれで充分だった。なんにせよ、これでやっと、神竜にもそれらしい仕事ができたわけだ”


 そこまでバハムートが言った時、悲鳴と怒号が不時着した魔空艦からこだまし、武装した兵士たちが甲板上に次々と姿を現すのが見えた。

 武装といっても出で立ちは皆バラバラで、兜を忘れたり、鎧を身につけるのも不充分だったり、上半身裸に剣とバラバラというのと恐怖や焦りの色が濃く支配しているという点は共通していた。

 艦と艦長を失い、他にまとめる者も不在で混乱の極みにあるらしい。バハムートの姿を見つけても、武器を手にしたまま右往左往している。

 叩くなら今だと、リリシアの本能が告げていた。

 頼みがあるとリリシアがバハムートに言った。


「……あの船の上まで運んで欲しい。クリューネはリュウヤ様のお手伝いを」

“バカな。兵士相手にひとりでやるつもりか”

「やれる。主だった者はいない。今がチャンス」

“……わかった。だが、その前にリリシアに言うことがある”

「なに」

“いい加減、私をバハムートと呼べ”

「使い分けるのは、面倒くさい。だから嫌」

“まったくお前は……”


 憮然とする神竜に、さっさと行くわよとリリシアが素っ気ない口調でうながした。


「文句は後で聞くから」


 リリシアは右手の拳で左の手のひらをパンと軽く叩いた。小気味の良い乾いた音が、リリシアの気を引き締めていった。

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