第128話 待っているぞ

“……再び映像を繰り返します。さきほど、アメリカANNに新たなニュース映像が入りました”


 緊張した面持ちで、男のニュースキャスターがモニターが並んでいるであろう方向に視線を向ける姿勢になると、画面が切り替わり、映像には嵐のなかでレインコート姿の女性レポーターの姿が映し出された。何事かまくし立てていたが、彼女の背後で激光が奔り、カメラが移動する。


 闇の空を背に、船の形状をしたものが空に浮かび、紅い閃光を空に射出していた。その先には、巨大な翼を生やした生き物が虚空を旋回して紅い閃光をかわしていた。その生き物の近くで、青白く輝く蝶が舞ったかと思うと、桃色の光と激突している映像がそこに流れていた。


「……リュウヤさん」


 あそこでリュウヤが戦っている。

 セリナは胸が締め付けられる思いで、テレビを見つめていた。

 茶の間にはセリナの他、兵庫と小野田が固唾を呑んでテレビから流れる映像を見守っている。数分前までリュウヤの母もいたのだが、気を失いかけて、健介に連れられて自室で休んでいた。


「先生、おはようございます!」


 庭から明るい胴間声が、茶の間の重い沈黙を破って入り込んできた。

 兵庫が目を向けると、撃剣道具を担いだ丸藤と、野村が後からついて歩いてくる。丸藤は室内の重い空気に戸惑いを見せたが、兵庫は無理して笑顔をつくっておはようと丸藤らに返すと、やあやあと満面の笑みを浮かべて縁側に腰掛けた。


「丸藤さんに野村も。どうした、こんな朝早く」

「いえね。竜也君……じゃなかった。仕事前に若先生に稽古をつけてもらおうかな、と。この若先生、朝稽古しているそうじゃないですか」

「まあ、な……。野村もか?」

「ええ、俺もそうなんですけど……」


 野村は落ち着かない様子で茶の間を見渡した。セリナに会釈し、顔だけは知っている小野田を見て不審そうな顔をしたが、すぐにそれどころではないといった様子で、あの子はと兵庫に尋ねた。


「あの、リリシアちゃんて子ですけど、いないんですか」

「今は、竜也とクリューネさんと一緒に出掛けておる」

「こんな朝早くからですか?どこへ出掛けてんです」


 不審そうな目をする野村に、人のことは言えないだろと兵庫は苦々しげに言った。まさか、アメリカで命を懸けて戦っているとも言いにくい。実際にテレビを通して見ていると現実味がなく、あそこにリュウヤたちがいるとは思えなかった。

 テレビを注視する兵庫に気がつき、丸藤がニュース映像を見ると、「これかあ」と呑気そうな声で丸藤が言った。


「来る途中、ラジオでもしきりにやってたから、何だとは思いましたけどね」

「ドラゴンボールみたいっすよね。“すげえ、映画がじゃねえのか、これ”みたいな」

「確かに、映画でも見ている気分だよなあ」


 再放送、リメイク等によりドラゴンボールは世代を越えて知られていても、いちいち野村のように台詞まで覚えていない。丸藤はセル編における通行人の台詞を聞き流し、ニュース映像を物珍しげに眺めている。

 その平和さ、他人事のようなやりとりが兵庫には苛立たしく、また羨ましくもあった。今でも現実味が無いのに、国外の戦闘な上に、リュウヤが関わっていなければ兵庫にとっても他人事だった。丸藤らと同じように、呑気な感想を述べながら現場のニュース映像を眺めていたはずである。


「……で、若先生はいつごろ戻りそうなんです」

「いや、どうだろうな」


 兵庫は返答は曖昧だった。

 生きて帰ってくるかわからないと言いたいのが本音だったが、考えただけで身体が震えるようだった。

 彼らは死地にいる。

 これまで、剣に生きてきた者として、門下生にも命のやりとりだの心を明鏡の如くだの説いてきたが、激しく揺れ動く今の自分の心境を思うと、軽く薄いものを口にしてきたように思えてしまう。


 ――まだまだ修行が足りんな。


 考え込む兵庫の背後で、スッと襖の開く音がした。リュウヤの母が戻ってきたのだろうかと思って、兵庫が後ろを振り向くと、パジャマ姿のアイーシャが襖に寄り添うように佇んでいた。

 口を固く結び、じっとテレビ映像を注視している。


「アイーシャ、おはよう」


 兵庫がぎこちない声で挨拶すると、アイーシャうなずいただけで、再びテレビを見つめた。セリナが傍に寄った。


「……お父さん」

「お父さんたち、ちゃんと帰ってくるから。大人しくいい子にしてようね」

「アイーシャ、夢でお父さん見たの。ダメ……、やっぱりダメなの」

「何がダメなの」

「私たち、やっぱり帰らないと」

「帰るてどこに。私たちの家はここでしょ」


 そうじゃないよとアイーシャは悲しそうに首を振った。異世界の言葉で会話をしているため、周りの者には二人が何を話しているのかわからない。しかし、深刻な表情からただ事ではないということは伝わってきた。


「夢の中で聞こえたの。この世界の、精霊さんたちの声が」

「精霊?」

「この世界には無い、異世界の強い力同士て戦ったら、世界が壊れてしまうて。この世界で起きている戦争より、もっともっと怖いことが起きるって」

「……」

「だから、一緒に連れて帰って欲しいお願いされたの」


 室内に小さな風が凪いだ。

 風はアイーシャの身体を包むと、突如アイーシャの身体は柔らかな青白い光を放つ風となって、アイーシャの小さな身体がふわりと宙に浮いた。


「精霊さんたちがアイーシャに力を貸してくれた。私、お父さんたちや、あの怖い人たちと一緒に元の世界に帰らなきゃ。この世界で戦っていたらいけない」

「アイーシャ、あなた……」


 それ以上、セリナには言葉が続かず、宙に浮く我が子を見上げていた。

 他の者、兵庫や丸藤だけでなく、茶の間に戻ってきた母や健介も何が起きたのかと呆気にとられている。


「アイーシャ、お父さんのところへ行ってくるね」

「待ちなさい、アイーシャ!」


 セリナは声をあらげて立ち上がった。アイーシャの小さな手を握りしめ、瞳を震わしながらアイーシャをじっと見つめた。


「あなたは小さな子どもなのよ。お父さんが戦っている人たちが、どんな人たちかわかっているでしょう?」

「怖い人てわかっているもん。でも、これはアイーシャにしかできないことだから、行かなきゃ」

「アイーシャは、お母さんを置いていくつもりなの?」


 ひたりと凝視してくるセリナに、アイーシャは瞳を潤ませて視線をそらした。


「アイーシャより、お母さんの方が危ないよ。ここで暮らした方が……」

「あなたまでいなくなったら、私はどうやって生きていくの。ずっと泣いて暮らしていくの?」

「……」

「アイーシャ。私は、アイーシャのお母さんなのよ」「……」

「お願い連れていって。それとも、お母さんはアイーシャには必要ないの?」


 セリナがアイーシャを覗き込むと、アイーシャは顔をくしゃくしゃにさせ、ううんと激しく首を振った。


「一緒にいてほしい」

「ありがとうね。アイーシャ」


 うなだれるアイーシャを抱き締め、息を呑んで見守る兵庫たちを、セリナはゆっくりと見渡した。

 アイーシャには強大な力を秘めていることはセリナにも充分わかっている。夢の中で、精霊たちがアイーシャ告げたことも、真実であることは疑いようもない。

 この世界の精霊たちは、危機を回避するため、そのアイーシャの秘めた力に懸け力を託したのだ。

 もう覚悟を決めるしかなかった。

 ごめんなさいとセリナは日本語で言った。


「みなさん、私、アイーシャの力で、リュウヤさんと向こうの世界、帰ります」

「突然何を言い出すの。セリナさん、駄目よ。そんな危険な……」


 一瞬の間の後、やはりと言うべきか、最初に反応したのはリュウヤの母だった。


「ごめんなさい。でも、これは世界が、とても危ないなんです」

「それはどういう意味だい。セリナさん」


 健介が尋ねるとセリナは伝えるのむずかしいです、と力ない口調で言った。リュウヤがこの場にいれば通訳はしてくれるだろうが、それでも意が伝わると思えない。


「リュウヤさんたちの戦う力、大きすぎ。それでこの世界が危なくなる。アイーシャがそう言ってます」

「アイーシャが言っているから行くて……。子どもの言うことでしょ。遊園地に行くのとはわけが違うのよ」

「……」

「ねえ、セリナさん。あなたも母親なのよ。きちんと……」

「黙らんか馬鹿者!」


 泣きわめくリュウヤの母に、兵庫の一喝が室内を揺るがして、腹の底まで響くような怒声に、誰もが背筋を伸ばした。母は凝然と兵庫に目を見開いている。気の弱い母は、生まれて一度も兵庫に怒鳴られたことはない。


「お前も剣の家に生まれ、少しは学んだ者なら、覚悟を決めろ。セリナさんとアイーシャが好き好んで行くと思っているのか。リュウヤも剣をただ振りにいったわけではない。ワシたちを守るために、戦いを修めるために向かったのだ。泣いたところで誰も守れんぞ!」


 兵庫の大喝に、リュウヤの母は言葉もない。憔悴した色がうかんで、力が抜けていったように健介の胸元へと崩れていった。ひ弱な娘の取り乱した姿が憐れだったが、娘には健介がいる。


「セリナさん。リュウヤを頼む。風邪をひくなよ」

「……はい」

「全部片付いたら、アイーシャもまた遊びに来てくれよ」

「きっと来るから。じいじいちゃんも元気でね」

「ワシはいつまでも元気でいるぞ」


 兵庫が笑うと、微笑むアイーシャを包む青白い光が強さを増し、その眩しい光が室内を満たしたかと思うと、次の瞬間にはセリナもアイーシャの姿も忽然と姿を消していた。


「先生、いったい何が……。若先生がいないのと……、いや、そもそも子どもが宙に浮くとか……」


 ようやく意識を現実に引き戻したものの、異様な出来事を続けて目の当たりにしたせいで、丸藤の頭の中はすっかり混乱していた。

 野村も口をあわあわと動かしているだけで、激しく混乱しているのは丸藤と同じだった。小野田だけは腕組みをしたまま、厳しい表情でいる。


「竜也たちは帰った。また、しばらくは帰って来ない」

「帰ったって、どこに?」

「そんなことより、丸藤さんに野村。何をボサッとしている。早く道場に行かないか。稽古に来たんだろ」

「そりゃあ、まあ、そうですが……」

「早く着替えて準備したまえ。ワシが相手をしてやる」

「先生がですか?」

「なんだ、この老骨では不服か?そりゃあ、竜也ほどの腕はないがな」

「とんでもない、光栄です。しかし……」

「ワシもまだまだ修行せんといかん。やるべきこともできた。早く着替えに行きたまえ」


 兵庫は丸藤たちに質問させる間を与えず、急き立てるようにして道場へと向かわせた。乱れた足音が遠退き、茶の間が静けさを取り戻すと、健介が介添えしながらリュウヤの母を立ち上がらせた。自室に戻るのだろう。

 健介君と、兵庫は庭に視線を向けたまま、健介を呼び止めた。


「これからも、娘をよろしく頼むな」

「……はい」


 兵庫の後ろでうなずく気配がし、襖の閉まる音がした。兵庫は立ち上がって、同じように庭を眺めていた小野田の傍に立った。

 庭木は色が変わって枯れ枝が目立つようになり、庭は敷物が敷かれたように落ち葉で埋め尽くされていた。陽は高くなっているのに、朝の冷気が残っているのかひやりとした冷たい空気が入り込んでくる。


「そうか、もうすぐ冬だったな」


 この一週間のあまりの間で、季節がすっかりと変化してしまったことに兵庫は驚いていた。茶の間はいつも賑やかで、リュウヤたちの体温で暖められていた。

 それが急に失われ冷え込んだ室内に、夢でも見ていたかのような錯覚に襲われていた。

 だが、夢ではない。ちゃんとした現実。いつか帰ってくる竜也たちをがっかりさせないためにも、大地に根を張るようにしっかりと生きねば。


「少しの間、寂しくなるな」

「……少しの間ですか」

「もちろんだ。用が済めばまた帰ってくる。小野田君だって、仕事に忙殺されて、ロクに話していないんだろ」

「そうですね。もっと話がしたかったな」


 具体的にどんな話がしたかったと問われれば、すぐには思い浮かばない。しかし、顔を合わせていれば色んな話が出来たはずだった。

 どんな下らない話でもいいから、もっとゆっくりと話がしたかった。

 過ぎ去った時間が取り返しのつかないように思えて、後悔の念が小野田の心を浸してくる。暗い面持ちでいる小野田を、励ますように兵庫が言った。


「また帰ってくるさ。それまでに、ワシにもやるべきことができた」

「さっきも言ってましたよね。何です?」

「ひとつは身体が動く限り、一人でも多く竜也みたいな剣士を育てたい。もうひとつはな……」

「もうひとつは?」


 小野田が尋ねると、兵庫は振り向いてニコリと微笑んだ。少年のように、眩しいくらいに無邪気な微笑みに思えた。


「もっと腕をみがいて、竜也に試合を申し込む。あいつから一本とるんだ。あいつの悔しがる顔が見たい」

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