第118話 金現様はけもの耳(後)
クリューネを先頭にし社より表に出れば霹靂閃電、黒雲が空を覆い激しくほとばしる稲妻が闇を照らした。
闇に浮かぶ十数もの人の影。それぞれ錫杖を手にし、いずれも鳥のような翼を伸ばしている。
影の群れから、雷鼓の如く怒号が虚空に響き渡った。清麻呂の声だ。
「金現よ!さきほどの屈辱忘れはせんぞ。今度は螺丸衆の力を見せて、貴様の妹君を貰いうける!」
耳障りな咆哮に奈多耶がアイーシャの腕を掴んで身体を寄せてくる。身体の震えがアイーシャの身体に伝わってきた。奈多耶はあの赤ら顔の天狗を怖がっているのだ。
待てと金現様が叫んだ。
「慌てるな清麻呂よ。お主が望んでいた者はここに来ている」
「なに?」
「コンゲンサマが妹君、奈多弥殿に相応しき者はここにおるぞ!」
金現様の後に続いてクリューネの大音声で怒鳴ると、アイーシャが奈多耶を抱き寄せたまま、二人は前に出た。クリューネはアイーシャの当て字が記された札を、清麻呂に向けて高々と掲げている。
「ここにおわすは誰あろう“愛紗蘭虞竜王神”。奈多弥様の夫となりし者。貴様ら螺丸衆など来るに及ばず。即刻、この神域より立ち去れい!」
「……クリューネ、なかなか堂々としている」
迷うな。
臆するな。
来る途中の打ち合わせで、はったりのコツをクリューネは金現様に語っていたが、いざとなれば大したものだとリリシアは感心して金現様を横目で見ていた。
感心するその一方でクリューネとアイーシャの後姿を視界に入れながら、リリシアは“螺丸衆”の動きに油断なく目を配っている。わずかにでも動きを見せれば、彼らより早く仕掛ける用意がリリシアにはある。
黙れと清麻呂の怒声が響いた。
「今一度、我らが螺丸衆の力を見せてやる。何が竜王神だ。そんな神など聞いたことがない。そこの小僧にそんな力があるものか!」
思い知らせてやれと清麻呂が喚くやいなや、微量の砂塵を残してリリシアの姿が忽然と消えていた。
背後にいた金現様がリリシアの姿を求めると、上空から悲鳴が起きた。
声に釣られて見上げた先に、既にリリシアがそこにいた。仕掛けようと動いた螺丸衆の一人にあっという間に殺到し、手刀によって一撃で打ち落としていたのだった。
「なっ……!」
動揺する螺丸衆に、リリシアは自身の“
烈風猛火の勢いで放つ拳は、次々と螺丸衆の荒くれ天狗たちをなぎ倒していく。けなげにも錫杖を振るって抵抗する天狗も何人かいたが、リリシアが放り投げてきた仲間と衝突し、或いはリリシアの岩のような拳に砕かれ虚しく撃沈していった。リリシアが何ごとも無かったかのように、地上へと着地した時には、半数の天狗どもが力なく伏して呻いていた。
清麻呂は凄まじきやとあまりの圧倒的な力に愕然としていたが、それでも清麻呂には頭領としての意地がある。太い指先に力を籠めた。
「将を討てば……、これでも喰らえ!」
「なに!?」
「しまった……」
クリューネとリリシアは驚愕の声をあげた。
アイーシャの傍に奈多耶がいるため、清麻呂が攻撃を仕掛けてくるとは思わなかったのだ。アイーシャが奈多耶を逃すかかばうと想定しての攻撃か。これまでの経緯から、見た目よりも致命傷の威力はなかったかもしれない。どちらにせよ問答無用な攻撃は、クリューネとリリシアには予想外のものだった。
勝ち誇る清麻呂と青ざめるクリューネたちだったが、ただ一人、アイーシャは表情を変えなかった。
おもむろに右手を掲げると、雷撃がアイーシャたちに激突する直前、アイーシャの前に生じた金色の光が壁となって、雷撃は四方に光塵と化して拡散していった。
「……そんな力があるのか!」
清麻呂は呻いたがそれでも諦めない。さらに続けて雷撃を放ったが、突如、地上より昇る光の竜が清麻呂の雷撃を容易く掻き消した。
「キヨマロよ。“臥神翔鍛(リーベイル)”をもう忘れたか」
漂う濃い光塵の隙間から、クリューネが不敵な笑みで清麻呂を睨みあげている。
「どうじゃキヨマロ。力の差がわかったろう。ナタヤは諦めろ」
「くそ、まだだ。俺はまだ認めんぞ」
「ホントに諦めは悪いのう」
クリューネは小さく嘆息すると、リリシアとアイーシャに視線を送った。
リリシアもアイーシャも、クリューネと目が合うと無言で頷き返した。
最終手段として二人だけには話している。
「コンゲンサマ、ナタヤちゃん。ちょっと下がってて」
「え、何……?」
「いいから。危ないよ」
アイーシャのぴしゃりとした一言に、金現様は口をつぐんでクリューネを注視しながら奈多耶と後ろにさがっていった。
薄暗い境内にふわりと金色の光が生じて、クリューネの身体を包んでいった。
「愚かなり螺丸衆よ。これ以上、竜王神様に逆らうならば……!」
金色の光は次第に激しさを増し、みるみる内に大きく膨れ上がっていく。凄まじい猛気が周囲を圧し、清麻呂をはじめとした螺丸衆の男たちは誰も身動きができなくなっている。
「ひ、ひいいい……!」
光は一個の巨大な生物へと変化し、ふたつの鋭い眼が清麿呂を睨みつけた。尋常ではない殺気が身体を貫き、その時になって清麻呂は自分が誰に喧嘩を売ったのか漸く理解し、そこではじめて後悔していた。
“我は神竜バハムート。愚かなる下賤な神々よ。我ら竜の力、思い知るがいい”
光が消え、その下から現れた真っ白な竜の姿に、螺丸衆は恐怖に怯え、その場に凍りついてしまっていた。
螺丸衆だけではない。
金現様や奈多耶も、見たこともない巨大な白竜に愕然としていた。
「何も怖くないよ。心配しないで」
震える金現様と奈多耶の手を、アイーシャがぎゅっと握りしめた。
「クリューネのお姉ちゃん、いつもはあんなんだけど、いざという時、すっごく頼りになるんだから」
「……」
アイーシャの小さく温かな手が、金現様と奈多耶の心を溶かしていく。冷静さを取り戻して、金現様はバハムートに対しての震えがわかった気がした。
畏怖。畏敬。
バハムートの巨大な背は、そびえ立つ霊峰を想起させた。
“喰らえ、我が聖なる炎を!”
バハムートの咆哮とともに、白い炎が口中から放たれ、猛烈な熱波が天を焦がした。
「ひいい!!」
「た、助けてくれ!」
もっとも、バハムートとしては螺丸衆を焼かないよう慎重に息を吐き、精一杯制御したに吐息のようなものだったが、恐怖のどん底に陥れるには充分な威力があった。
清麻呂ら螺丸衆は、恥も外聞もなく慌てふためき、仲間を見捨てて一斉に逃げ出そうとするが、動きが止まった。後方には既にリリシアが待ち構えている。両拳に“
“仲間を見捨てる卑怯な奴らめ。業火に焼かれ永遠の地獄をさ迷うが良い”
「ど、どうかお助けを!」
ひざまずき、憐れみを乞う清麻呂と螺丸衆に、バハムートが炎を口に溜め込みながらゆっくりと近づいていった。強大なエネルギーを感じさせる炎は、みるみるうちに口中に膨れ上がっていく。
「……やめよ、バハムート」
落ち着きのある澄んだ声が、バハムートを制した。
「もう彼らに戦意はない。戦いをやめよ」
清麻呂ら螺丸衆やバハムート、リリシアの目が一斉に声の主へと注がれる。
そこには、アイーシャ・ラングが堂々とした佇まいでバハムートを見上げていた。
※ ※ ※
隣で歩くアイーシャが急によろめき、リリシアが手を繋いでいなかったら転倒するところだった。のぞきこむとアイーシャは目をしょぼしょぼとさせている。
「どうしたの」
「……疲れちゃった」
「じゃあ、おんぶするから乗って」
リリシアがしゃがみこむと、アイーシャはしなだれかかるようにリリシアの背に乗って全体重を預けてきた。私も疲れたわいと、自分の肩を揉みながらクリューネはため息をついた。
「とんだ冒険じゃったのう。おかげで、せっかくの一日が終わってしまったわ」
まだ時刻は早いはずだが、秋の日差しは既に傾きはじめ、午前中は暖かかった空気もひんやりと冷たく、日差しも弱まったせいか町の景色も幾分白っぽい。
金現神社を後にした三人は、途中まで金現様に送ってもらって神林町まで戻っていた。短い間に様々なことが起きたせいか、町の光景が変に懐かしい。
「ま、キヨマロも諦めたようだし、解決できて良しとするかの」
「アイーシャの働きも大きい」
「そうだの。なかなか堂に入ったもんだった。起きたら誉めてやらんと」
クリューネはアイーシャの頬をくすぐりながら、くすくす笑った。
清麻呂は奈多耶を諦め、螺丸衆を引き連れて自らの里へと帰っていった。
アイーシャの前で平伏し、自らの非を認めて二度とこの地に近寄らないことを誓約しただけではなく、喚ばれればいつでも手足となって働くとまで言ってきた。
戦いが終わった後、アイーシャが負傷した螺丸衆を治癒したことに清麻呂は心の底から感動したらしい。ぼろぼろと滝のような涙を流したかと思うと平身低頭し、これまでの非礼を詫びるのだった。
「嗚呼、なんと優しき御方哉。素晴らしき哉。将の中の将。神の中たる神。この君こそ奈多耶殿に相応しき御方哉」
荒くれ者といっても事が終われば単純な男のようで、帰るに至っても別れを惜しんで感泣し、何度も振り返って挨拶してくるので、アイーシャも最後まで容易に気を抜くことが出来なかった。
「力使うよりも、スゴく疲れたよお」
黒い雲が去って、螺丸衆がいなくなると、アイーシャはうんざりした様子でぼやいていたものである。
全身の力が抜けた拍子に、
「でも、かっこよかった。あの時のアイーシャ」
「奈多耶も惚れ込んだくらいだしな」
別れ際、「アイーシャさんが本当に殿方でしたら良かったのに」と奈多耶が頬を染めていたのを思い出し、クリューネは可笑しそうにふふと声を漏らした。
「最後のあれ、クリューネの指示?」
うんにゃとクリューネは首を振った。
「神様らしくキリッとしとれとは言ったが、あれはコイツのアドリブじゃ。なかなかの威厳ぷりに、私もホントに驚いたぞ」
「この子も大きくなってる。だんだんと」
「そうじゃなあ、寝顔はまだまだたいして変わっとらんが」
クリューネは指先でアイーシャの頬をふにふに弄ると、アイーシャがむずかって小さな声をあげた。
「とにかく腹が減った。けっきょく弁当も繰っとらんし……あっ!」
急にクリューネが大声をあげた。リリシアだけでなく、近くの庭で洗濯ものを片付けていた主婦までが驚いて手を止めるほど大きな声だった。リリシアが主婦に何でもないと言わんばかりに愛想笑いしながら、頭を下げて過ぎていく。
「しまった。勿体ないことをした」
「なによ」
「コンゲンサマとの話に夢中で、出された大福とやらも食っとらん」
「そんなことか……」
げんなりしてリリシアは深々とため息をついた。
「大福だったら、家にあるはず。昨日、リュウヤ様のかあさまが近所の方から貰っていた」
「まことか」
クリューネは目を輝かせると、やがて見えてきた片山家の門に足を急がせた。疲れを感じさせない実に軽い足取りをしている。帰ったらリュウヤ達に今日の冒険話をどう聞かせてやろうか。金現様の屋敷に比べれば、随分こじんまりとした家を眺めているうちに気分が高揚し始めていた。
「ほれ、急げ。リュウヤたちに食われたら大変じゃ」
「リュウヤ様はクリューネのように意地汚くない」
クリューネの軽々しい台詞を、リリシアが冷静に返す。いつものやり取りを繰り返しながら歩く中、アイーシャはリリシアの背に揺られて夢を見ていた。
陽射し差し込む境内に、照らされ佇む二人の姿。
一人は奈多耶、その傍らには金現様がいる。
別れを惜しみながら、小さな身体を精一杯伸ばして大きく手を振っている。
ありがとう。
さようなら。
声は聞こえなかったが、金現様の口の動きから意味はしっかりと伝わってくる。
――また、会おうね。
――うん。また、遊びに行くね。
しかし、アイーシャの寝言はあまりに小さすぎて、リリシアの耳にすら届かなかった。
何か耳にしたと思ってリリシアが一瞬訝しんだが、庭先でクリューネが何か騒ぐ声がすると意識はそちらに向いてすぐに忘れてしまった。リュウヤとセリナもそこにいるようで、二人の声がする。
「アイーシャ、帰ってきたよ」
リリシアは囁きながら揺すってアイーシャを背負い直すと、クリューネの後を追うように庭先へと入っていった。
やがてリリシアの声が交じり、互いの声と声が重って更に賑やさを増していく。森閑としていた片山家の庭先から花が咲いたように、クリューネたちの声の波紋は大きく空へと広がっていった。
※ ※ ※
瀬々後・神林線に揺られて最寄駅より徒歩で約30分。
人里離れ、自然に囲まれた林の中にひっそりと佇む金現神社。
古びて現在は修復中のため戸は閉ざされ、お堂の中まで覗くことは出来ない。
しかし中を見れば、奥の三社造の神棚に、“愛紗蘭虞竜王神”とその両脇に“梨理詩亜”“琥竜音”と記された真新しい札が祀られているのを、見ることができるはずである。
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