第113話 セリナの休日
きっかけはリュウヤに言った母の一言だった。
「あの子、ちょっと疲れているんじゃないの」
「セリナが疲れてる?」
あの子とはセリナのことを指すのは、母の視線でわかった。視線の先では、セリナが洗濯物を干しながら、池の鯉を熱心に眺めている娘のアイーシャを心配そうな顔で交互に視線を動かしている。
池に落ちないようアイーシャの面倒をみなきゃな、とリュウヤは思いながら母の話も気になっていた。
「明るく振る舞って、見せないようにしているのよ。竜也もずっと一緒にいてわからない?」
母の咎める口ぶりにリュウヤは少々うろたえ、改めてセリナを注視した。
確かに、セリナはベッドに入るとすぐに、泥に沈みこむように眠ってしまう。それでも朝は誰よりも早く起きて母を手伝う。元が手作業主体な宿屋の娘なだけに、電気で動く洗濯機や掃除機を使っての家事洗濯はなんでもはずないのだが、セリナからすれば平和な異世界に移ったものの、馴れない環境に緊張がまだ解けていないのかもしれない。
「竜也。明日はセリナさんたちを連れて、どこかに遊んできなさいよ」
「でも、あいつ、きっと遠慮しちゃうぜ」
元来の働き者な性格と、堅い生活を過ごしてきたからか、何かしていないと落ち着かない様子だった。
「だから“遊びに行く”なんて言わずに、“買い物に行く”て誘えば良いのよ。それに言葉も道もまだわからないのだから、あなたが案内してあげなさい」
物は言い様だな、とリュウヤは蒙を啓かれた気分になっていた。買い物という名目があれば、セリナにも後ろめたさなどなく楽しめるだろう。何より母のセリナに対する心遣いが嬉しかった。
「まだ一週間も過ぎてないけど、私より掃除は上手いし、料理の勘も良い。それに一生懸命だし、あんな良い子は絶対にいないわよ。大事にしなきゃ」
※ ※ ※
「……と、まあ、来てはみたものの」
リュウヤはぐったりと疲れきって、通路中央にあるベンチに座りこんでいた。その手には、バナナクレープがある。
隣では、アイーシャとセリナがさっき買ったばかりのイチゴのクレープを、ニコニコしながら頬張っていた。
「アイーシャ、うまいかあ」
「うん!」
頷いたアイーシャの笑顔は、実に幸せに満ちた表情をしていると思った。
「リュウヤさん、いつもこんな美味しいの食べていたんですか」
「いつもじゃないよ。小野田とたまに食べてたくらいだ」
そう言って、リュウヤはクレープを口に運んだ。ここに来ても、意味もなく雑談していただけのような記憶しかないが、その程度でも今は懐かしい。
リュウヤたちは現在、衣服や生活用品を求めて近くのショッピングモールへと買い物に出掛けていた。
リュウヤも高校時代よく遊びに行ったものだが、大型電器店や映画館が出来たおかげで、当時よりもさらに規模を増し、人や車で溢れ賑わっていた。
「賑やかじゃの、きらびやかじゃの」
クリューネはそんなことを喚きながら、嬉々とした表情でリリシアと店を廻っていた。クリューネたちほど浮かれてはいないが、セリナやアイーシャもきらびやかな店内に目を輝かせていた。
そんな単純に驚きを示すセリナたちに、当初は微笑ましさを感じたリュウヤだったが、やがてその表情は曇っていき、午後にはぐったりと疲れきってしまっていた。
アイーシャ含めて女四人の構成である。
買い物には時間が掛かり、あれやこれやと物色しては次の店に移り、中でも女性もの衣服では、二時間も粘ってリュウヤをうんざりさせていた。
昼飯をマックで済ませ、初めて口にしたコーラに、クリューネとリリシアが驚いて同時に噴き出すというハプニングを経てから買い物も一区切りつき、それぞれ迷子にならない程度の自由行動をとらせていた。
突然、正面のゲームコーナーからワッとどよめきが起こった。
ゲームコーナーの一角に人だかりが出来ている。
クリューネとリリシアが持ち前の身体能力を活かしてダンスゲームで高得点を叩き出し、クリューネたちの周りに集まった見物客だった。
「あいつら、どこ行っても目立つな」
「そう……ですねえ」
人垣の隙間から揺れ動いて見えるリリシアの髪を眺めながら、セリナは複雑な笑みを浮かべて見せた。
「私なんか地味で……」
「そんな格好して言うなよ」
リュウヤもセリナとは違った種類の複雑な笑みを浮かべていた。
セリナたちは、さっそく購入した服に着替えている。
といっても、クリューネは短パンにフード付きのジャケットと代わり映えせず、リリシアはジーンズに七分丈の黒Tシャツと、リュウヤと似たような格好をしている。ただ、セリナは普段の控え目な性格がどう作用したのか、太ももを露出させたデニムのミニスカートに胸を強調させるようなぴったりとした服選んでいた。
年相応で、可愛らしく非常に似合っているとは思うのだが、目のやり場に困るし、子持ちとしてはどうなのだろうかとリュウヤはいささか複雑な気分でいる。
「何だかさっきから、人がじろじろと眺めていく気がするんですけど」
「そんな格好をしてたら当たり前だろ」
呆れるリュウヤと恥じらうセリナの間に、ヤッハハと快活なクリューネの笑い声が割り込んできた。
「いやいやいやいやいや、愉快満足。久しぶりに良い汗かいたわい」
ダンスを終えたクリューネは、意気揚々と歩いてくる。リリシアはクリューネの後ろからついて歩き、いつもの涼しげな表情のまま、手を見物客に振っている。
「セリナもやってみんか。楽しいぞ」
「こんな格好で踊ったら、パンツ見えちゃいますよ……」
セリナは顔を真っ赤にさせて、恥ずかしそうに身体をもじもじとくねらせた。
――こいつ。
ホントに可愛いよなあと、リュウヤは恥じらうセリナに改めて見とれていた。
リュウヤにしたら、踊っているセリナを見てみたい気持ちはあるが、人には見せたくない。リュウヤの心はそんな葛藤で激しく揺れ動いていたが、きょとんとリュウヤを見上げてしているアイーシャの視線と、クリューネとリリシアのいささか冷たい視線に気がついて、慌ててコホンと小さな咳をして誤魔化した。
「つ、次に行ってみたいとこあるか?」
「隣にある、“ヤマモトデンキ”という電器店とやらに行ってみたいの」
クリューネの要望にリュウヤはよしと言って立ち上がった。リュウヤの動きが慌ただしいのは、照れ隠しのつもりだった。
「じゃあヤマモトデンキ行って、帰りにどっかで飯でも食べに行こうか」
「夕食の準備しなくていいんですか?」
「じいちゃんは互助会の集まりだし、母さんは父さんと出掛けるてさ」
「そうなんですか……」
説明を聞いて、セリナはほっと安堵したような表情をした。楽しんでいるように見えて心のどこかで引っ掛かっていたのか、思わず顔に現れたように見えた。
「今日くらいは家事を休めよ。母さん、疲れてそうて心配してたぞ」
「ごめんなさい。でも、私は疲れてなんか……」
「お前は頑張っちゃうからな。良いところだけど、そう言うと思ったから黙ってたんだよ」
「ごめんなさい。私なんかのために……」
「“なんか”て言うな」
リュウヤはセリナに手を差し伸べた。
「セリナには、ずっと明るく元気でいてほしいからな」
「リュウヤさん……」
セリナは瞳を潤ませながら、リュウヤの手をとって立ち上がった。セリナの心を幸福感が満たし、アイーシャも嬉しそうに二人を眺めていたが、クリューネとリリシアは何となく白けていた。幸せを見せつけられているようで面白くない。
嫌味のひとつでも言ってやろうかとクリューネが考えていると、どよめきがどこからかわき起こった。先ほどの歓声といったものではなく、悲鳴に近い。
「泥棒!」
誰かの叫ぶ声がした。声がした方を見ると、床に品の良さげな老婆が倒れ、伸ばした細い手の先に、駆け去る男の背中が見えた。茶色のニット帽を被り、人々を荒々しく押し退けていく。男の手には小さな黒いバッグがある。
「クリューネ」
「わあっとる!」
リリシアとクリューネは同時に駆け出していた。
「無茶するなよ!」
リュウヤの声が後ろから響き、クリューネは走りながら軽く手を挙げた。
二人は人混みをすり抜け飛び越え、駆けていく。人々にはあまりの速さと機敏さに、風がすり抜けていったとしか思えなかった。
人混みに紛れて男の後ろ姿が見えた。
幾分距離があるが、茶色のニット帽がよく目立つ。加えてクリューネの竜眼がある。
「この私から、逃れられると思うなよ!」
「私じゃない。私“たち”」
「弱いものから奪うとは感心せんな!そんなんじゃ盗みの技は向上せんぞ!」
「前者には同意する」
クリューネの叫びに、リリシアがいちいち突っ込みを入れながら、二人は男を追った。人間離れした脚力により、みるみるうちに距離が縮まっていく。
「こいつら……!」
尋常でない走りに男は焦りを感じたが、「おい!」と下の一階フロアで手を挙げる細身の男の姿にニヤリとニット帽は笑った。
「そらよっ!」
ニット帽はやにわにバッグを放り投げると、弧を描いて細身の男がバッグを掴みとって、そのまま走り去ろうとしていた。
「ちっ、仲間がいたか!」
「クリューネ。追って」
リリシアの指示にクリューネがおうと応じ、通路の手すりを踏み台にすると、一気に下まで飛び降りていった。視線をクリューネに向けていたわずかの間、急にリリシアの前に暗く重い影が覆い被さってきた。
ニット帽の男が立ち止まり、リリシアに向かって掴みかかろうとしているところだった。小柄な女だとたかをくくっているのか、既に勝ちを確信したような笑みをつくっている。
「このクソガキが。大人を舐めるなよ!」
「ガキ……?」
リリシアの眉がぴくりと動いた。次の瞬間、ニット帽の男の表情が凍りついた。
リリシアの小さな拳が男のみぞおちにある。拳はふかくみぞおちを抉り、男の身体はくの字に折れ曲がっていった。
「私はもう十八歳。ガキじゃない」
「こ……の……、ガキ……」
「まだ言うか!」
リリシアは叫ぶなり、後ろ蹴り放った。
蹴りは男の胸部を捉え、凄まじい勢いで後方に吹き飛ばされていった。男の身体はランジェリーショップの店内を転がっていくと、試着室のカーテンを破って室内へとなだれ込んでいった。
中にいた太った中年女性が、獣のような悲鳴をあげる。
「だ、だ、誰かぁぁぁ!ヘンタイ!ヘンタイよおぉぉぉぉ!!」
「……」
「ま、まだ、い、息があるわ!しねっ!死ねっ!シネッ!」
恐怖にかられた女は、全力で男の身体を押し退けると、上に跨がってマウントパンチを浴びせ始めた。ゴツッゴツッと鈍く重い音とともに、男の顔がみるみるうちに腫れ上がっていき、原形がもうわからなくなっている。
「そうっだ。恐れないーでみーんなのために!」
あまりに気が動転してしまったのか、女はアンパンマンの歌を歌いながら男を殴り続ける。日本語がわからないリリシアには何かはわからなかったが、自分を馬鹿にした男の惨めな様に、ざまあみろと思いながら冷たい目で睨んでいる。
そんなリリシアの耳に、階下から物の壊れる音と悲鳴が届いた。
「クリューネはどうなった……?」
リリシアがバッグの行方を思いだし、急いで通路に出て下のフロアを覗き込んだ。
「終わったぞ。リリシア」
リリシアの姿を見て、クリューネはニカッと笑って親指を立てた。もう一方の手には盗まれたバッグが提げられている。
クリューネの傍で、ニット帽の仲間である細身の男が昏倒している。いったい何をどうしたのか、細身の男は、両手にマラカスを持ち、口にはおもちゃの笛をくわえて、白眼をむきながらピーピーと笛を鳴らしていた。
「クリューネもやる」
リリシアはぐっと親指を立てて返した。
「あいつら……。だから、無茶するなって……」
ただ一人、リュウヤは青い顔をして頭を抱えていたのだが。
※ ※ ※
「……まったくお前らはよ」
帰りの電車内、リュウヤは腕組みしながらぐったりと席に沈み込んでいた。窓の外は夕陽に照らされ、町は赤一色に染まっていた。
リュウヤの左側には、セリナを挟んでアイーシャが正座する格好で席に座り、町の光景を熱心に眺めている。右側にはクリューネとリリシアが小さくなって座っていた。車内には、リュウヤたちの他に誰もいなかった。
「だから、無茶するなと言ったのに……。しばらく、あそこに行けなくなっただろ」
「犯人捕まえたのだから、堂々としとれば良いだろうに」
「リュウヤ様、意外と小心」
褒められるかと思いきや、反対に叱られることとなって、クリューネとリリシアはふて腐れ気味にぼやいていた。
そんな二人に、バカとリュウヤの鋭い声が飛ぶ。
「お前らなら、普通に組み伏せるぐらいできるだろう。それを店まで巻き込んで叩きのめす必要がどこにあんだよ」
「だって、私をガキなんて言うから……」
普段おとなしいリリシアだったが反発する時は反発する。憤然とするリュウヤにリリシアが反論したが、口の中だけだから周りは誰も聞こえない。リリシアは自分でも感情が先走りしすぎたとは、心の片隅では思っている。
「まあ、いざとなったら、小野田がおるじゃろ」
「そういう、尻拭いさせる頼り方は良くない」
リュウヤは憮然としたまま腕を組んだ。
ひったくりとその仲間を捕まえると、リュウヤは傍で呆然としていた警備員にバッグとともに引き渡し、そそくさとショッピングモールを後にしていた。
言葉も通じない上に戸籍もないとわかれば、ひったくり犯とは別に、余計な騒動となるのは間違いない。小野田の手配が終わるまで、大人しくするしかないと思った。
――せっかくのセリナの休日が。
最後で台無しになってしまったと、長い嘆息をしながら天井見上げていると、傍らから忍び笑いが聞こえてきた。見るとセリナが背中を丸めて身体を震わせている。
「どうしたセリナ」
「ご、ごめんなさい。リュウヤさんが頭を抱えている姿を思い出しちゃって……」
「そんなに変だったか?」
ええ、とセリナは顔をあげて涙を拭った。
「あんな情けないリュウヤさん。初めて見たから……」
そこまで言って、また青ざめたリュウヤの顔を思い出したのか、プッと噴き出すと、今度は腹を抱え声をあげて笑い始めた。活達な笑い声が車内に響き、リュウヤたちは笑い転げるセリナを呆気にとられて眺めていた。
「そんなにおかしかったかな」
「え、ええ……、とっても……。ククッ……」
笑い声が止まらないセリナに釣られるように、リュウヤは力のない笑い声をあげた。情けない気持ちがあるが、セリナがこんなに笑ってくれるならまあいいかという気分になっている。
リュウヤのそんな気分はやがて周囲にも広がっていき、クリューネもリリシアもアイーシャも、声をあげて笑い始めた。明るい声が車内に満ち、ひとしきり笑ってしまうと、いつの間にかさっぱりとした気分になっていた。
何だかんだ色々あったが、セリナが喜んでくれた。
それで良いじゃないか。
リュウヤがそんな結論に至ると、急に空腹感を覚え、腹の虫が鳴り始めた。
そう言えば、帰りにどこかで夕食でもしようという話をしていたんだったか。
そこまで思い出して、リュウヤはウンと背伸びをした。
「腹減ったな。駅に着いたら何か食うか」
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