第110話 ここは……、日本?
目が眩むほどの爆光と、これまでに感じたことのない激震が魔空艦を揺らした。リリシアが必死になって舵にしがみつく中、自動制御装置が動いて魔空艦は急停止を始めていた。
自動制御装置とは魔空艦が墜落の際に、船の二次災害を出来るだけ抑えるために稼働するもので、衝撃を和らげるために、船の真下に魔法陣が張られる。
リュウヤたちが乗る魔空艦は実際に墜落するわけではないが、装置が墜落と誤認するほどの衝撃が船を襲ったわけである。
「やった……!」
リリシアは揺れが収まるのを見計らって顔をあげると、勝利を噛み締めるような声で発した。 リュウヤが放った渾身の一撃は、ネプラスとの戦いやエリシュナの放った魔法を悠に超えている。あれほどの力にはひとたまりもないだろう。流石はリュウヤ様だと、リリシアは誇るような思いでモニターを確認した。
自動制御装置で艦は停止状態となったものの、船体に異常箇所を示した表示は見られない。追手の船も近づいているが、将を討たれた船などどうとでもなる。
あとは解除してこのまま逃げるだけだと、リリシアは窓から身を乗り出したのだが、目に映る光景にその表情が凍りついた。
――生きている?
あの一撃はエリシュナを倒せていたはずだと、リリシアはこれまでの死闘を潜り抜けてきた経験と勘で確信していた。それなのに、エリシュナはダメージを受けた様子もなく宙に佇んでいる。
エリシュナに何が起きたのか理解できず、リリシアは愕然として空を見上げていた。
『人間ごときが……』
リュウヤが放った衝撃波が消えると、エリシュナは刺すような眼光をリュウヤたちに向けたまま、樹から落ちる果実のように、トスンと軽い音を立てて艦の上に降りてきた。
『人間ごときが、よくも、妾に恥をかかせたな』
「くそ……」
リュウヤが立ち上がったみたものの、力を感じさせなかった。体力やルナシウスを失っただけでなく、仕止めそこなった失望が相当な気力をリュウヤから奪っていった。
『くそはこちらの台詞だ。クソどもが!』
咆哮しながらエリシュナは駆け、のし掛かるような圧迫感とともに瞬時に間合いを詰めてきた。リュウヤは残った破片と柄の部分でパラソリアを弾くが、引き換えに残った部分も完全に砕け散った。
パラソリアが跳ね上げられ、エリシュナの胴が空いた。リュウヤは後ろ蹴りを放ったが、エリシュナは前方に宙返りしてかわした。
そしてリュウヤの背後に回ると、パラソリアを使って万力のような力でリュウヤの喉を締め上げてきた。途端に息が詰まり、顔が紅潮して熱を帯びた。
『こうやって、直に手を下して殺してやらんと気がすまん』
「が、ぐが……!」
リュウヤはうっすらと開けた目で、エリシュナが不用意に伸ばした親指を掴み、逆方向にへし折った。
エリシュナが吼えるような悲鳴をあげた隙にリュウヤは身を沈めてパラソリアから抜けると、エリシュナの袖をつかみ、背負い投げで硬い艦の鉄板に叩きつけた。
『ぐはっ……!』
「ちっ!」
エリシュナに大きなダメージを与えたにも関わらず、リュウヤが舌打ちしたのは、投げた際にエリシュナの袖を離してしまい、腕絡みで押さえつけられるチャンスだったのに逃してしまったからだった。
それでも再度、エリシュナに迫ろうとした時だった。
リュウヤの右腕に重い衝撃が奔り、右腕の力が無くなっていた。 危険を察したエリシュナが思いっきり振るったパラソリアがリュウヤの上腕の骨を砕き、そのままリュウヤは地面に叩きつけられていた。
「リュウヤ様ぁ!」
エリシュナの背後に、駆けつけたリリシアが迫っていた。しかし、エリシュナは力を失ったリュウヤを無造作につかみあげると、盾代わりにしてリリシアに示した。
「……!」
リリシアが怯んだ隙に、エリシュナは既に眼前へと迫っていた。
『甘いわよね、あなた!』
嘲笑とともに振りおろしたパラソリアに、リリシアは寸前で神盾(ガウォール)によって防いだものの、衝撃は凄まじく、リリシアを一撃で昏倒させていた。
「リュウヤ、リリシア……」
折り重なって倒れる二人に目を落としながら、クリューネの乾いた声は風に乗って暗い空へと散っていった。
――終わりだ。
クリューネの中には、もはや絶望と諦めしか残されていなかった。
確実に倒せる力があった。一撃も無惨に消え、最後の抵抗も虚しく終わった。
使える呪文は幾つかある。しかし、一気に絶望の底へと転落したクリューネには抵抗する気力も体力もなく、もはや何の策も湧いてこなかった。
「リュウヤさん!クリューネさん!」
見張り台の下から、セリナの悲痛に叫ぶような声が聞こえた。どうしようもないことを説明するのが億劫だったが、それを伝えるのが最期の仕事だと思い、傲然と佇むエリシュナに目を向けたまま、セリナに返した。
「セリナ。アイーシャとクリューネを連れて、何とかこの船から脱出してくれ」
「……」
「すまんな。頼りない連中ばかりで」
「……」
「せっかくリュウヤと会えたのにの。すまんが、これでお別れらしい。私が代わりに謝る」
「そんな……」
「アイーシャ、すまんな」
「やだ……、やだよ、お父さんと一緒、一緒がいい!」
気力のないクリューネ、泣きわめくアイーシャの声を聞いているうちに、エリシュナにはまた余裕が生まれたらしい。おほほと小さく笑い声を立て、折れ曲がった親指に回復魔法を唱えて治すと、口調も平静に戻っていた。
『こんなに妾を苦しめて、無事で済むと思う?』
エリシュナはパラソリアを握る手に力を込め、天に向けて魔法陣を描いた。
『魂ごと、あなたたちを消滅させてあげるわ。あの世で会うこともない。バラバラのまま』
あの世に行ったことないけどね、と嘲りながら、エリシュナの頭上では虹色の魔法陣が燦然と輝き、光が強さを増していくごとに、死が近づいていることをクリューネやセリナに予感させた。
せめて、もっと傍に。
セリナは泣きじゃくるアイーシャを強く抱き締めると、アイーシャは抵抗するように、いやいやともがくのが切なく思えた。
「ダメ、ダメだよ。一緒に、一緒に……!」
アイーシャがそこまで言った時、セリナの胸元で何かが光った。
「……?」
見ると、リュウヤから預けられた鎧衣(プロメティア)が発光している。自分ではないとセリナは思った。白い光は不安定に強さを変え次第に輝きを増していく。それはまるで、アイーシャの泣き声に反応しているように思えた。
光はどんどんと強さを増していき、目も開けられないほどの光が艦内に満ちた。その時、エリシュナの高い笑い声がセリナの頭上で響いた。
『それじゃあ……死になさい!』
「ダメェ――――!!!」
アイーシャが絶叫したのと同時に、鎧衣(プロメティア)のプレート板が艦の外に放出され、白い稲光とともに光は拡大していった。それはリュウヤたちがいる魔空艦だけでなく、近接していたエリシュナの船までも呑み込んでいく。
「次はなんじゃ!」
『な、なにごと?』
喚くクリューネと同じように、白い光によって
『“エリシュナ様、危険です。こちらにお戻りください!”』
マイクから発せられたガーツールの声に、エリシュナは飛び下がり、甲板上に降り立った。
「お父さんと……、みんなと一緒にいるの!!」
『あの声……。あの子どもの力なのか』
エリシュナは目を見張ったまま、アイーシャの声がする方向を見つめていた。 近くではガーツールが絶叫しながらマイクに怒鳴って、艦橋の誰かと罵り合っていた。
『“駄目です!船が制御できません!”』
『駄目とは何か!このままでは巻き込まれるぞ!』
『“だから無理なんです!動かないんだから!”』
『だから何とかしろ!』
『“無理は無理と言ってるだろ。馬鹿!”』
『何が馬鹿だ。馬鹿!』
馬鹿バカと罵り合う傍で、リリベルとララベルはガーツールにすがりついて何事か喚いていた。
やがて光は全てを呑み込んでいき、隣にいる者が見えなくなるほどの眩しい光が辺りを覆っていった。
「アイーシャ……。あなたそこにいるの?」
セリナがアイーシャを抱いていたはずの腕に力を込めた。柔らかな身体と体温が確かにそこにある。
いるよと、アイーシャが叫んだ。
「みんなと、みんなと一緒にいるのお!」
次の瞬間、意識が途切れ、夜よりも深く真っ暗な闇がセリナたちの前に広がっていった。
※ ※ ※
白い光は、無人島に漂着したルシフィからも見えた。もっとも、ルシフィはそれまで意識を失っていて、光のあまりの眩しさに目を覚ましただけで、起きた時には既に光は消失していて、暗い雲が覆う空しか映らなかった。
『リュウヤさんと戦っていて、母様が来てそれから……』
何がどうなったのか判然せず、薄ぼんやりした意識の中で、隣に人の姿を捉え、見ると魔王軍の兵士が一人、うつ伏せになって倒れている。左腕の腕章から救護兵だと思った。身体を仰向けにすると胸が上下する。息はあるようだった。
ルシフィは安堵の息をつくと、自身も仰向けになって倒れた。
動こうにも身体が疲れて動けない。魔力は一日寝れば戻るが、体力はそうはいかない。下手するとニ、三日はこのままかもしれない。その間に怪我の悪化、病気になったり、魔物に襲われればルシフィと言えどひとたまりもない。
――ブヒッブヒッ。
ふと、ルシフィの耳に豚のような鳴き声が聞こえた。魔物かと恐怖が襲ったが、観念してゆっくりと首をまわすと、牛のように図体のでかい、ねずみのような髭を生やした獣三頭が、ガラス玉のような瞳で、じっとルシフィたちを見守っている。
『なんだヌイイか……』
いわゆるアザラシの一種で、魔力を影響も受けず海藻を主食としている。他の魔物からも襲われない不思議な生物で、旅の護り神としてあやかる人々も多い。
『もしかして、君たちがここに連れてきてくれたのかい?』
ルシフィが尋ねると、“そうだよ”と言わんばかりに、フゴフゴと頷いてみせる。鳥とも話せるルシフィは、他の動物とも多少のやりとりはできる。
『お願いがあるんだけど、友達がまだ海にいるはずなんだ。探すの、手伝ってくれるかな?』
ヤムナークたちが頭を過っていた。彼らが降りた辺りには島と呼べるもの無かったことを思い出している。無事であればいいが、彼らはまだ海を漂っているかもしれない。放っておけるわけがなかった。
ルシフィはヌイイの一頭の目をじっと見つめると、ヌイイも澄んだ瞳で見返してきた。どんな魔物にも動じないという、彼らの瞳は眩しかった。やがてヌイイは背を向けてしゃがみこんだ。
乗れと背中が語っていた。
『……ありがとう』
ルシフィは力を振り絞って身体を起こすと、救護兵を担いでヌイイのところへと歩いていった。自身の身体も兵の身体も重く、足に力が入らない。たった数メートルが途方もない長さに感じた。
ようやく、ヌイイの背中に乗ることができ、ゆっくりと島から離れ始めた時、ルシフィは霊木からつくった杖が手元に無いことを思い出した。
慌てて振り返ると、ルシフィが横たわっていた近くに、見覚えのある木の棒が二つに折れて落ちている
ルシフィは力の入らない拳を、できる限りの力で握りしめた。
悔しさを示すこともできない。これが無力かと、情けなさで胸が一杯となった。
『ここに置いてくね。ごめん……』
※ ※ ※
「リュウヤさん」
「リュウヤ様」
右腕に広がる温かな光と、セリナとリリシアの声に目を覚ましたリュウヤの前には、緑豊か木々と、葉の隙間からこぼれる陽の光だった。白く小さな雲と、水色の空が葉の間からチラチラと過る。
見覚えがある景色だとリュウヤは思った。
彼岸の墓参り。木々が鬱蒼と生い茂る木立の中を、家族で歩いた。爽やかな風が通り過ぎていった。
「リュウヤ様。腕はどうですか?」
リリシアとセリナが見守る中、リュウヤは静かに手を握ってみた。違和感は残っているが、痛みもなく力も入る。リリシアのかけた回復魔法で、腕の状態は元通りとなっていた。どれほど時間が過ぎたかわからないが、少なくとも魔力回復に要する、一日以上は過ぎたらしい。
「ありがとうリリシア。もう大丈夫だ」
「ごめんなさい、リュウヤさん。リリシアさん優先しちゃって……」
構わねえとリュウヤは身体を起こし、笑って手を振った。
「俺だってそうする。気にすることじゃない。……それよりもアイーシャとクリューネは?何が起きた?ここはどこだ?」
「アイーシャがおトイレ行きたいからて、クリューネさんが連れていってます。でも、何が起きたかとかはよく……」
セリナは力無く首を振った。
アイーシャが何かしたということは理解したが、言葉に表現できないでいる。
「クリューネは身体、大丈夫なのか」
アイーシャには怪我がなさそうだと安堵する一方、足に力が入らず、見張り台にしがみついていたクリューネを思い出しながら言った。
リュウヤの問いに、リリシアはぼそりと答えた。
「クリューネは、馬鹿だけど色々と強い」
「色々と、か」
リリシアらしいクリューネ評だと思い、リュウヤは苦笑いしながら立ち上がった。先程から周りの光景が気になっている。
今までいた世界と異なる懐かしい空気。吸い込むだけで心が奮えるようだ。
「なんじゃ、お主ら!」
木立の奥からクリューネの声が響いた。
リュウヤはクリューネの怒声を聞くやいなや魔空艦を飛び降り、続いてリリシアが後からついてくる。疾駆する間もクリューネはまだ怒鳴っていた。クリューネの金切り声に紛れて別の声がする。
誰かと話している様子だった。
「……だからあ、君が何言ってるかわからないんだけど。ドゥー・ユー・アンダスタン?」
聞こえてくる男の懐かしい響き。
日本語?
ドゥー・ユー・アンダスタン?
それにこの間の抜けた声。
リュウヤは疲れも忘れて、足を急がせた。
クヌギや栗の木といった木々が通り過ぎる。似たような木々はあるが、今まで過ごしてきた世界と少し異なる。
どこか懐かしい。
やはりこの光景、見覚えがある。遊んで迷子になり、親に叱られた記憶もある。その時もこんな景色だった。この林を抜けるとたしか……。
「だから貴様、この私にわかるように言わんか!ここはどこじゃ!」
「ええとね……」
リュウヤが木立を抜けると、クリューネとアイーシャの向こうに一組の男女がそこにいた。
濃いグレーで長方形の墓石が建ち並び、男女は「片山家之墓」と漢字が刻まれた墓石の前に立っていた。
男は若く、赤いネクタイにグレーのスーツ姿だった。黒い髪はオールバックで、陽の光にキラキラと反射している。
もう一人は男よりはかなり年輩の女性だった。黒髪の間に、白髪がチラチラと混ざっている。葬儀に使われる喪服だが、どちらもリュウヤがいた世界とつくりが異なる。
リュウヤが元いた世界のものだ。
何よりも、二人の顔にリュウヤは自分の目を疑っていた。
「おおリュウヤ。聞いとてくれ。今どこか聞いても、ちっとも言葉が通じん。主要言語はおさえとるのに、どこの未開部族じゃ」
「……」
「リュウヤ?」
男たちを凝視するリュウヤを、不審に思ったクリューネやリリシア、そしてアイーシャがリュウヤを見つめる。
リュウヤの顔を見た男女も、同様の反応をしていた。
「……竜也。お前、片山竜也なのか」
「そういうお前……、小野田か?」
聞いたこともない言語でやりとりするリュウヤに、クリューネもリリシアも呆気にとられていた。
「お前、この五年、一体今までどこに。突然俺の前から消えてさ……。今日は月命日で仕事の合間をぬって墓参りに来たんだ。そしたらお前がいるだろ。いったい……」
小野田と呼ばれた男は、感極まった様子で顔をくしゃくしゃにすると、浮かんだ涙を拭いて、傍らの女に振り返った。
「ほら、片山さん。息子さんが帰ってきましたよ」
「え、ええ……」
女は言葉にならないらしく、口をパクパクさせているだけだった。
「……ただいま、母さん」
「本当にどこに行っていたのよ……。髭なんて生やして」
「色々とあったんだ」
陳腐な表現と思いつつ、今はそんな言葉しか思い浮かばなかった。梢然とうつむくリュウヤに、アイーシャがそっと寄り添う。母がアイーシャに気づいて言った。
「……ええと、その子は?」
「俺の子。アイーシャて言うんだ」
「……」
「ほら、アイーシャ。おばあちゃんに挨拶しな」
「……あの、えと、こんにちは」
おずおずと緊張した面持ちで、聞いたこともない言葉で挨拶してくる子どもに、竜也の母は無言のまま目を見開いていた。
「リュウヤさん」
かさりとリュウヤの後ろで、葉と木の枝が揺れる音がし、リュウヤを呼ぶ声にリュウヤが振り返ると、セリナが木の傍に佇んでいる。心配になって追い掛けてきたらしい。
リュウヤがセリナを指して言った。
「あの子、俺の嫁なんだ」
「……」
小野田も驚いていたが、突然現れた家族に、竜也の母は混乱の極みにあった。
「それはそれは……、おめでたいわねえ」
竜也の母は、笑みとも言えないぎこちない笑みを張りつけたまま白目を向き、直立した姿勢で、唸って勢いよく後ろへと倒れていった。
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