第109話 想いは星となって煌めく
悪夢のような砲撃が途切れた後、自分の名を呼ぶ声がした気がした。
それまで操縦席でリリシアの補助をしていたリュウヤは、操縦をリリシアに任せると、再び艦橋の上に身を乗り出した。猛烈な風が吹きすさぶ中、リュウヤは顔をしかめながら艦の後方を注視した。
空が数分前より暗く、雲は重たくなっている。雲間から射し込んでいた太陽の光は今はない。雨がふるかもしれないとリュウヤは感じた。
「おい、エリシュナたちはどこだ」
黒々とした雲に紛れてエリシュナの船は視認できなかった。先ほど確認したレーダーからは、反応も消えている。油断はできないとリュウヤが黒い空を見据えていると、その空から獣が咆哮する声が響いた。
リリシアが声を上げた。
「リュウヤ様、今の声……」
「うん、あいつだな」
他を圧倒するような独特の鳴き声。
間違いなくバハムートだとを判断すると、思わずリュウヤは艦の外にその身を出していた。
追い風に突き飛ばされるようにして艦の上を走り、一度は転倒しかけたが、何とか見張り台にしがみついて免れた。一瞬過った恐怖も、曇る空に影が映るとすぐに忘れて、リュウヤは影に向かって大きく手を振って叫んだ。
「クリューネ!ここだ、早く来い!」
視界にはっきりと映った巨大な影――バハムートの姿は痛々しかった。全身から血を滴らせ、いつもは美しく輝く白い鱗も朱に染まって、薄汚れた無惨な姿となっている。バハムートは艦の真上まで来ると、リュウヤの前にゆっくりゆっくりと降り立った。
“……リュウヤ、……ただいま”
「お帰り、クリューネ」
“セリナとアイーシャに会えたか”
「ああ。やっと会えた」
“二人とも怪我はないか”
「うん。元気だ」
“……そうか。良かったな”
「俺一人じゃどうにもできなかった。お前らのおかげだ。ありがとうな」
“よせ……。照れくさい”
「早く中に入ろう」
“……そうだな”
目を細めて力ない笑みを浮かべたバハムートの身体を金色の光が覆った。やがて、それは小さくなっていき、竜から人の形へと変化していく。そしてフッと光が消えて人間の姿に戻ったクリューネが現れた。しかし、クリューネは意識を既に失っていて、膝から崩れ落ちていった。
「クリューネ!」
船から転げ落ちそうになるクリューネを、リュウヤが駆け寄って抱きすくめた。息はあるものの、いたるとこから新しい血が衣服に滲み始めている。
「しっかりしろ、クリューネ!」
身体を揺さぶりながら声を掛けると、クリューネはうっと呻いて、うっすらと目を開いた。
「すまんの……。」
「待ってろ。すぐ手当てしてやるからな」
リュウヤはクリューネをしっかりと抱え直すと、見張り台へと足を向けた。
軽い身体だとリュウヤは思った。クリューネはリュウヤの体温を感じているうちに、クリューネはリュウヤに気づかれないように、何気なくリュウヤへと身を寄せた。意識はぼんやりとし、全身傷だらけで酷い疲労があるにも関わらず、幸福感が胸の内に溢れてくるようだった。クリューネはもっと甘えたい衝動に駆られ、それは疲弊しきった心には堪えがたいものがあった。
「リュウヤ、もっとぎゅっとして……」
「落ちそうなのか、スマンな」
リュウヤはクリューネの身体を揺さぶって抱え直した。猛烈な向かい風に身をすくめているために、リュウヤの髭面が間近となる。
「気をしっかり保てよ。すぐにリリシアに治させてやるから。セリナも、俺よりは効果のある回復魔法が使える」
「このままが良い……」
「何言ってんだ。おい、しっかりしろよ」
リュウヤはクリューネの意識が混濁しているのかと不安になり、クリューネの表情を確認しようとすると、クリューネはリュウヤの首に手を回し、首元に顔を伏せた。
「どうした?」
さすがにクリューネの行動を不審に思い、顔を伏せたクリューネの金色の髪を眺めていると、見張り台の下から声がした。
「リュウヤさん!大丈夫ですか!」
声を聞き、クリューネは小さなため息をついた。確認しなくてもセリナだとわかる。アイーシャも傍にいるのだろう。
リュウヤを察して、手伝いにきたのだとクリューネは思った。リュウヤは見張り台を覗き込みながら、おうと声を張った。
「セリナ、これからクリューネを降ろす。怪我しているから慎重にな」
「はいっ!」
セリナとリュウヤの柔らかなやりとりに、クリューネは淡い嫉妬を覚えた。二人のやりとりには、これまでの五年余り培ってきた関係を、簡単に吹き飛ばしてしまう何かがあった。
――おしまいか。
こんなに密着できる機会なんて、もう無いかもしれないのに。
しかし、いつまでもこうしているわけにはいかず、クリューネは未練がましい気分を抱えたまま顔を上げた。
「……?」
チラリと何かが視界に入ったと思った。クリューネはそちらに視線を移し、その何かの正体が判明した時、クリューネは愕然とし、次に自分の軽率さを呪い、後悔した。
振り切ったというのはクリューネたちのまだ戦場から離脱できたわけではない。それなのに、好きな男に抱えられただけで浮かれていたなんて。
クリューネの視線の先に、コウモリの羽を生やした女の姿が映る。女の顔は怒りに満ち、歯を剥き出ししたその形相は悪魔という表現が相応しい。
白い日傘を手にした女は、傘の先で宙に円を描くと、虹色の魔法陣が生まれ強く輝いて発光を始めた。
「リュウヤ、後ろ!」
クリューネの叫び声と、エリシュナが日傘を振り下ろしたのが同時だった。
『その汚ねえ臓物を撒き散らせクソとも!』
「どけ、リュウヤ!」
クリューネは既に痛みも疲労も忘れていた。
『ほうら、“
クリューネはリュウヤから腕をほどくと、艦上に降りて呪文の印を結んだ。
「この……、
竜言語魔法で対抗したいところだったが、詠唱する時間がない。高位魔法とはいえ、正面からぶつかっては
クリューネの狙い通り、ピンク色の刃の群れは、艦の脇を奔り抜けていく。
直撃こそ免れたものの、それでも
「大丈夫なの、アイーシャ!」
「う、うん……」
怪我はなく、泣きもしなかったが、不安と恐怖の感情を顔一杯に広げて、セリナを瞬きひとつせず見上げている。
大丈夫と言って、セリナはアイーシャを抱き締めた。
「お父さんたちが守ってくれるから……ね?」
アイーシャを励ますセリナの声は震え、どちらかというとセリナ自身に言い聞かせていた。恐怖で足がすくみ、身動きすらできなかった。
二人は通路にうずくまり、見張り台から覗く暗い空と瞬く激光と、響く怒号を怯えて、狭い空を見上げるだけしかできなかった。
『ちいっ!』
「なんとかかわしたが、こりゃ参ったの……」
クリューネの呼吸はひどく乱れ、互いの魔法が消失すると、ふらふらと見張り台にもたれかかるとズルズルと座りこんだ。
「クリューネどうした」
「ちと……疲れての。まだ、呪文は幾つか使えるがの。駄目じゃ、立てん。ゴメン」
「立てないのはいい。そんなことよりクリューネ。
「使えるが、あやつはあの傘で魔法吸収できる。魔法攻撃は無駄じゃ」
「……」
「それとあの
「なら、クリューネの魔法が、それ以上の威力があれば良いんだな」
「リュウヤ、いったい何を考えとる」
「耳を貸せ」
リュウヤはクリューネに耳打ちすると、話が進むうちにクリューネの目が見開いていった。驚愕した表情でリュウヤを見返す。
「そんなこと出来るのか」
「
「だが、お主の身体が。
「でも、今はやるしかねえよ」
『なにを、こそこそ話し合っているのかしらん?』
状況が優位になったためか、ゆとりが冷静さを取り戻し、エリシュナの口調が元に戻っている。エリシュナは冷笑を浮かべながら、クリューネとリュウヤを見下ろしていた。
『もうあなた方は詰んだも同然よ。妾、死に物狂いで追い掛けたんだからあ』
たしかによく見れば、平静を装っているが、額からは大量の汗が吹き出し、呼吸は乱れて肩が大きく揺れている。死に物狂いという表現は誇張ではなく、エリシュナもかなり疲れているようだった。接近戦を仕掛けてこないのは、体力に不安があるのかもしれない。どちらにせよ、このままだとエリシュナ優位なのは変わらない。
『そのうち私の船も追いつくでしょうけど、その前に片付けてア・ゲ・ル』
不安だったのが魔空艦の援護射撃だったが、それが無いとエリシュナが洩らしてリュウヤは安堵した。不用意な発言だと思った。
『これで、ぐちゃぐちゃのミンチにしてあげるわね』
エリシュナはゆっくりと傘を天に向かって掲げた。勝利を確信しているのだろう、悠然とした手つきで魔法陣を描きだす。
「……クリューネ、いいか!」
「わかった。あの嫌味たらしい女に泡を吹かしたれ」
クリューネはしゃがみこんだまま、印を結び詠唱を始めた。
“母なる地よ
紅の竜を風に乗せ
空にその威を示せ……!”
『竜言語魔法?確かにすごい魔力を感じるけど、私の萌花蘭々(コスモス)と力は互角よん』
「……」
『激戦続きで魔力も尽きかけているはず。無駄な抵抗はよしなさいな』
「その頬の傷な」
ぼそりとリュウヤが言った。トントンとリュウヤはエリシュナの傷と同じ位置を指した。
『あん?』
「もっと深く抉って、忘れられないもんにしてやるよ」
リュウヤの一言に、エリシュナの表情が固まった。怒りと嘲りがエリシュナの中で混ぜ合わさり、目を細めてニヤリと笑みをつくってみせるエリシュナの顔は邪悪そのものだった。
『やあってみなさいよねえええ。クソムシが……』
エリシュナの怒りが伝わったように、虹色の魔法陣は先ほどよりも、強い光を放ち、身も凍りつくようなおどろおどろしい殺気が、リュウヤたちの頭上に襲いかかってくる。
エリシュナは冷たい笑みを大きくした。
後悔しなさい。クソムシが。
『この
パラソリアの先端に浮かぶ魔法陣から、コスモスの花びらに模した魔力の塊が乱舞しながらリュウヤたちに向かっていく。獲物を前にして飛びかかる狂暴な獣をリュウヤに連想させた。
「来たぞ!」
「おう!」
叫ぶリュウヤに応じて、両手に炎のエネルギーの塊を形成したクリューネは、それをエリシュナではなく、リュウヤのルナシウスに向けた。
「
竜言語魔法の力が、水晶でつくられたルナシウスの刀身に吸収され、内部で反射して魔力を増大させる。
ネプラスの
「ぬ、ぬうううう……!」
『きゃははは!そんなんで、マトモに剣が振るえるのお!?』
「く、くそお……」
――お前らしくない。
「誰だ……?」
――いつもなら、力任せに剣を振るいはしない。思い出せ。さっき、それがやれたじゃないか。この感覚を忘れるな。
あたたかく励ますような言葉に、急に心が静かになった。
身体を縛るものがなくなり、ルナシウスが羽根のように軽くなっていく。
――ルナシウス。お前の声か。
幻聴かもしれなかった。
自分の声を他者として聞いているだけかもしれなかった。しかし、リュウヤとってはどちらでもいい。
その言葉がリュウヤに、力と勇気を与えてくれた。
――ありがとう。
胸のうちで感謝し、静かに息を吐いて炎が吹き荒れるルナシウスを上段に構えた。そして迫る刃の嵐にひたりと目を見据えた。
一つの太刀。
全ての思いを刃にのせて。
「だあああぁぁぁぁ!!」
リュウヤは力強く踏み込んで、大きく大きくルナシウスを振り下ろした。
ルナシウス内で増幅された
『な、なにい!?』
強烈な熱波。
ばく進する炎にも似た雷の柱。
すべてを焼き尽くす灼熱の業火が迫り、それまで勝利を確信していたエリシュナは、あまりの意外な光景に、痴呆のように立ちすくんでいた。炎の竜が口を開けてエリシュナを呑み込もうとしたその時になって、恐怖という感情がエリシュナを支配した。
いやだ。いやだ。死にたくない。
助けて、助けて。
「うわあぁぁぁっっっ!!」
リュウヤは衝撃に耐えて叫びながら、剣の柄に力を込める。炎の竜はエリシュナの魔法を呑み込みエリシュナへと迫っていく。
あとすこし。あと少しのはずだった。
リュウヤの耳にピシリと小さな音が響いた。音はルナシウスからだった。そう思った瞬間、刃に無数の亀裂が奔るのが見えた。
「ルナシウスが……!」
口にしたその時、ルナシウスの刃が粉々に砕け散った。水晶の破片が宙を舞い、星のように煌めきながら風に流され消えていく。そして雷の竜もエリシュナを呑み込む直前に虚しく消滅していった。
「……嘘だろ」
柄とわずかに残った水晶の破片を見つめながら、リュウヤは力なくへたり込んだ。
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