第89話 逆襲の魔王軍
――魔王ゼノキア様、ご快癒す。
ゼノキアが政務復帰した知らせは一晩で市民に伝わり、王都ゼノキアはバルハムント制圧以来の祝賀ムードに包まれていた。宮廷の殻倉や酒蔵から酒や食料が配られたこともあって、人々は酒に酔い、笑い、歌い、食い、大いに賑わいをみせていた。
しかし、配られたのはあくまで魔族に限られており、この都市の半数以上を占める下級層の人間たちまでには及ばず、分厚い壁を隔てた貧民街で、羨望混じりの白けた顔で魔族の賑わいに耳を傾けるのみだった。
そんな祝賀ムードのゼノキアだったが、突然現れた二人の男の姿に、町の人々はぎょっとして見送っていた。
赤裸同然の巨漢と痩せた男。
二人とも憔悴しきって、フラフラの足取りだった。
『……や、やっとゼノキアに戻れたわ』
『嗚呼、懐かしき我らが王都。感無量とはこのことだな』
ナギの“
『おいこら、そこの者。止まれ止まれ』
当然、憲兵の目に止まり、五人ほどの憲兵がアズライルとミスリードを呼び止めた。疲労と空腹で
『やあ、出迎えか。ご苦労である』
『私は早く、お風呂に入ってお化粧したいわあ。海水に浸かりすぎて、肌荒れしちゃってるし』
無精髭だらけの顎を撫でながら、ミスリードは身をミミズのようにくねらせる。
『ところで、今日は何の祝いか』
『もしかして、私たちの生還を盛大に祝ってくれているのかしら』
『なるほど。さすがタギル宰相。如才のない方だ』
『……何を言っておるのだ。貴様らは』
一方的に喋り始めるアズライルとミスリードに面食らいながら、憲兵の隊長らしき男が言った。憲兵たちは迂闊にも目の前にいる不審者が、軍団長と副将を務めた猛将だと気がつかないでいる。
『魔王ゼノキア様がご快癒なされ、その祝いをしておるのだ』
『なに、魔王様が復帰?』
こうしてはおれんとアズライルが宮廷に向かおうとすると、憲兵隊長が慌ててアズライルの腕をつかんだ。信じられないような馬鹿力に、引きずられるような格好となる。
『ま、待ちたまえ』
『やかましい!』
アズライルは、どら声を張り上げて大喝した。隊長は突然の大声で気を失いかけていたし、周りの住民は腰を抜かして虚脱している。
『先ほどから生意気な口を利く。くだらぬ話をする暇があるなら、さっさと俺たちのために宮廷までの馬車でも用意しろ!』
アズライルは悪鬼を思わせる表情で隊長を睨みつけると、すっかり恐怖におののいた隊長は涙目のまま、何度も何度も頷いた。ミスリードが残りの兵士たちに向かって言った。
『苦労したせいか、これでもアズライル様は随分と優しくなったんだからね。早くしないとあんたたちが殺されちゃうわよ』
※ ※ ※
『そのやつれた姿を見るところ、相当な苦労をしたようだな』
ゼノキアの重々しい声が朝議の間に響いた。
居並ぶ群臣は、自分が叱責されたわけでもないのに、自然と背筋を伸ばしていた。タギルやネプラス、ルシフィもそうした一人だった。
憲兵には語気荒く、威も猛々しいアズライルだったが、魔王の前にくれば梢然としてひざまずいて、ミスリードとともに頭を垂れている。
――なんという威圧感。
アズライルとミスリードは、顔をあげることができないでいた。
アズライルがゼノキアに対しての一番新しい記憶は、痩せこけて顔中が蜘蛛の巣のように皺だらけな老いた王のはずだった。
しかし、今、目の前にしているゼノキアは、精悍で肌にも艶があり、まるで青年のようだった。一瞬、別人かと疑ったが変わらぬ鋭い眼光と、老いてもなお盛んだった溢れんばかりの気迫は、まさしくゼノキアのものだった。
何が起きたのかアズライルにはわからないことばかりだったが、王の気迫に圧倒されながら、エリンギアでの敗北とこれまでの経緯の詳細を報告し終えると、高らかに一笑してから二人にねぎらいの言葉をかけた。
『勝敗は兵家の常という。気を新たにし、次なる戦で挽回してみせろ』
ゼノキアはそう言って、アズライルとミスリードを咎めることもしなかった。
『軍団長も半数が倒れ、裏切者も現れた。私の体力が戻るまでもう少し時間がかかる。今は少しでも戦力が欲しい時だ。アズライルよ。やってくれるな?』
『はっ、もちろんです。粉骨砕身、アズライルはゼノキア様のために……!』
『よし、アズライルは下がって休め。次にミスリード』
『なんでしょう。魔王様』
『貴様はアズライルを良く支えてくれた。その功として軍団長に命ずる。実力的にも申し分無い』
『せっかくのご命令ですけど、私、副将辺りの気楽な立場が良いんだけど』
『お前には新しいパートナーと組ませてやるから、軍団長をやれ』
魔王の威厳を前にしてもマイペースさを失わないミスリードに、ゼノキアも思わず失笑してしまう。
『新しいパートナー?』
“こんニチは。ミスリード”
甲高い声がミスリードの耳に届いて、声の主を探すとゼノキアの傍らからポウと光が発し、ふわりと宙に浮かんだ。群臣たちからどよめきが起きた。
“はジめまシて。私のナマエはミラ”
光のなかのウサギのぬいぐるみが無表情のまま、ミスリードに語りかけてくる。
『あら、ぬいぐるみさん。なかなか可愛らしいわね』
“あリガとウ。私、むカつくことガあっタから、ブっ飛ばシたい奴がいルの。私と組ミましょウ。あナたの潜む力ヲ最大限二引き出シてアゲるから”
『面白そうね。やってごらんなさいよ』
ミラの身体がミスリードのもとに寄ると、まぶしい光が朝議の間を満たした。
光が消え視力が戻ると、ルシフィや他の家臣たちは呆然と変わり果てたミスリードに呆然となっていた。
『……なんたる姿』
『まさしく、化け物だな』
白地に銀の模様が装飾されたドレス。純白のニーソックスに銀のハイヒール。なんともおぞましい姿となったミスリードが佇立している
『どうせなら……』
ルシフィ様に着させれば良く似合っただろうにと、タギルが言いかけて慌てて口をつぐんだ。傍にルシフィがいるからでもあるが、それが誉め言葉にしろ、感性や容姿が女の子なだけで、ルシフィは決して喜ばないからだ。
『ナニコレ。パワーがどんどん溢れてくるこの感じ。それに、なかなか可愛らしい格好じゃない。気に入ったわ』
顔にも化粧が施され、ミスリードは銀色のドレスをヒラヒラと舞わしながら嬉しそうに言った。異形と呼ぶにふさわしい姿に隣のアズライルはもちろん、群臣たちは目を背けたり或いは嘲笑していたがミスリードは一向に気にしない。
『どうかな。ルシフィちゃん。私、可愛らしいでしょ』
『……どうして、僕に聞くんだろ』
ルシフィは口のなかで呟く。
非礼な口ぶりに対する不満をちょっぴり感じていたが、相手がミスリードであることと気が優しいルシフィだから、真剣に美点を探し、良く似合うよと素直に感想を述べた。
『ミスリードのスレンダーさと、上手く合っていると思う』
『ふふん。そうでしょ』
得意になるミスリードは、喜悦の表情を浮かべたままゼノキアの前にひざまずいた。
『魔王様。このミスリードとミラちゃんとで、必ずやレジスタンスどもを討ち果たし、名誉挽回いたしますわ』
ゼノキアは鷹庸にうなずき、アズライルとミスリードをさがらせると、次にタギルの名を呼んだ。
『……あの親子は、どうしている』
『はっ、やはり、我々を警戒しています。ゼノキア様の指示通りに国賓級の扱いで丁重にもてなしておりますが、我々を容易に近づけさせません』
『ふん。まあ、そうだろうな』
ゼノキアが連れてきたセリナ・ラングとその娘アイーシャは、宮廷の貴賓室に住まわせている。だが、セリナはアイーシャを片時も離すことなく、部屋の片隅でうずくまり、飢えた獣のように
『娘は健康ですが、母親にはこの数日ろくに食事や睡眠もとっていないせいか、若干、衰弱の徴候が見られます。この状態が続けばやがて倒れるだろうと医師は申しております』
それは不味いなと、ゼノキアは舌打ちをした。
『今はまだ、あの母親が必要だ。何とか出来んか』
『そうは言いましても、ああも完全に心を閉ざしてしまっては難しいかと。それに、私はあの親子に掛かりきりというわけにもまいりません』
タギルとしては、宰相としての仕事が多く残っている。たかが人間の親子に振り回されてはたまらない。
ゼノキアはタギルのそんな顔色を素早く読み取り、傍に控えるルシフィに目を向けた。
『では、ルシフィに命ずる。あの親子の面倒は貴様が見ろ』
『僕……、ですか?』
突然に話を振られ、いささか面食らって、ルシフィは目をしばたたかせてゼノキアを見返した。
『でも、僕にはそんな……』
『リュウヤやクリューネから情報を探りだしたのは貴様だ。やってみせろ』
『……』
『あの女を、貴様の母親と思って接してみればいい』
『貴様の母親、ですか。名前で呼んでくださらないのですね』
ルシフィは顔をあげて、ゼノキアを見つめた。
貴様の母親という他人事のようなゼノキアの言い方に、ルシフィは反発を覚えていた。
『不服か?』
『……いえ』
ルシフィはゼノキアから目をそらし、一礼すると足早に朝議の間から退出した。廊下に出ると、隅に控えていたヤムナークが後ろからついてくる。足早に歩くルシフィの様子から、不機嫌だと気がついたらしい。
『何か、ご気分が悪いようですが』
『うん。名前くらい呼んでくれたっていいのに』
不意にルシフィの足が止まった。
『は?』
『……ごめん、何でもない』
気にしすぎかもしれないとルシフィは首を振り、口をつぐんだ。ゼノキアの冷淡な口ぶりは今に始まったことではない。
若返って意気軒昂となったゼノキアからは、余計にそう思えるのかもしれないと、ルシフィはヤムナークを促して、貴賓室へと足を進めた。貴賓室の前まで来ると、ラング親子の世話係のメイドが、扉の前で静かに佇立している。室内に入ると、セリナの警戒と疑惑の混じった鋭い視線が飛んできた。
『はじめまして。セリナ・ラングさん。アイーシャちゃんも。僕の名前はルシフィと言います。今度、あなた方のお世話をするよう命じられました』
「……」
『えと、あの、母親と接するようにしろ、なんて命令されちゃって、ちょっと恥ずかしいけど……。僕も母親いないし、そのつもりで頑張りますから、あの、よろしくお願いしますね』
ルシフィはもじもじと身を揺らし、上目使いにセリナたちを見ると、警戒から怪訝といった表情でルシフィを見ている。
『ええと、とりあえず、身の回りのものは……、充分ですね』
室内には豪奢な衣服や宝石類や装飾品、東西の珍物名物が所狭しと置かれている。しかし、セリナは目もくれず、来たときの粗末な衣服のままでいる。
ルシフィはそんな室内を見渡しながら、照れたようにはにかむと、可愛らしい穏やかな笑みつられたように、セリナとアイーシャがまとう張りつめた空気も幾分か和らぎをみせた。
「大丈夫です。ありがとうルシフィさん」
「ありがとう。お姉ちゃん」
母の真似をして礼を述べたアイーシャに、ルシフィは失笑した。
『ひどいなあ。僕は男の子なんだよ』
ルシフィの返事に、えっとセリナが言った。アイーシャも目をぱちくりとさせている。
「ごめんなさい。てっきり、女の子とばかり思ってました」
『いえ、よくあることなので、こういうこと慣れてますから』
「……でも、ルシフィお姉ちゃん、とっても綺麗だよ」
『綺麗かあ……』
「こら、アイーシャ」
セリナが顔を真っ赤にして、アイーシャをたしなめる。
アイーシャはルシフィが男だとなかなか呑み込めず、不思議そうにルシフィを見つめている。
ミスリードではあるまいし、綺麗と言われてまごつくだけなのだが、セリナとアイーシャの緊張や警戒も随分と薄らいだと感じることが出来れば、アイーシャの無邪気なホディブローにも失笑程度で済む。
『じゃあ、何か要望があったら、いつでも呼んでください』
「あ、あの……」
部屋から出ようとするルシフィをセリナが呼び止めた。
「少し気になったんですけど、さっき、お母さんがいないって……」
『僕が幼い頃に、病気で死んじゃっているんです。魔族じゃないから、心労もあったみたいで』
「魔族、じゃない?」
『ええ。母は人間でした』
「……」
『だから、セリナさんたちを見ていると、母を思い出すんですよ』
本心だった。
我が子を必死に守ろうとするセリナの姿は、母のタムネシアと重なり、ルシフィの心を揺れ動かしていた。ゼノキアの命令だからではなく、ルシフィ個人として、母に仕えるように接しようと決めている。
『では、また』
ルシフィはそこまで言うと、セリナに優しく笑ってそのまま部屋を後にした。
※ ※ ※
『……そういうわけで、最近では一緒に食事をとり、娘のアイーシャも、ルシフィ様によくなついているようです。アイーシャと二人で外に遊びにも行くとか』
数週間後、タギル宰相からラング親子の報告を聞くと、ホウと傍のネプラス将軍が感心したように声をあげた。ゼノキアは無表情のまま、黙って聞いている。
ゼノキアたちがいる閲兵台の下では、数万の兵士たちが整然と隊列を組み、指揮官の指揮の下、調練を行っている。その中には軍務に復帰したアズライルやミスリードの姿も見えた。
ゼノキアが政務に復帰してから、ベヒーモスを駆る騎獣部隊を指揮するアズライルと、魔導士部隊を指揮するミスリードを両翼として兵制が一新されていた。
魔空艦と自動車、鉄道の敷設を除き、新型の
――それらは闘うに、美しくないものだ。
機械や科学などという胡散臭いものに頼らず、剣と魔法の向上に力を入れ、将官から一兵卒に至るまで質実剛健、胆勇無双の兵を育成する。
それがサナダの膨大な知識や科学技術を受け継ぎながらも、ゼノキアが出した結論だった。なにより莫大な金が必要であり、魔王軍の財政を圧迫している部分も多分にある。
『……しかし、ルシフィ様は至誠のお方。口だけ巧みでも、こうはいかん。あの鉄の塊のようだった母親の心を溶かすとは。一見、柔弱な方と思われがちですが、ゼノキア様の後継者として王たる者に……』
『貴様も老いたな。ネプラス』
ゼノキアが兵士たちを眺めたまま、にべもない口調で遮った。
『私はルシフィを、後継者などと思っていない。ルシフィをセリナにあてたのは、ネプラスが言う“至誠”とやらを利用したにすぎない』
思わぬ発言に、ネプラスとタギルは互いの顔を見合わせていた。ルシフィを後継者と定めたのは、ゼノキア自身ではないか。
『あれは息子二人を失い、老いた私がやむを得ず選択したものだ。今の若い力を取り戻した私に、奴が必要だと思うか?半分、汚らわしい人間の血が混ざった後継者など』
『しかし、それでは……』
『まだ、口出しするか』
鋭く睨んでネプラスを黙らせると、ゼノキアは従者を呼び軍鼓を鳴らせた。かき鳴らされる軍鼓が天地に響くと、数万の兵士たちは一斉に唸りと地響きをあげて、魔王ゼノキアの下へと集結する。
整然と集う精鋭たちの目がゼノキアに注がれ、その曇りのない眩しい瞳に、ゼノキアは満足気な笑みを浮かべながら、居並ぶ兵士たちを見渡した。
彼らは美しいとゼノキアは思った。
誰もがかつての勇猛果敢で、栄光ある戦士の目をしている。ここ数年、人間どもに苦戦したが、我らが魔王軍の力を思い知るがいい。
『聞け、美しく盛況なる諸君。今日は我らが復活した歴史的な日である』
ゼノキアの荘厳な声が虚空に響いた。
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