第88話 俺たちに明日はあるのか

『敵は少数だろう!何を手間取っているか!』


 強襲の知らせを受け、シシバルとルオーノは一隊を率いて、魔空艦の機関室の前で侵入した敵と遭遇していた。

 敵はたったの三名しかいない。

 しかし、ルオーノら精鋭二十数名の剣士でも、そのたった三名に敵わなかった。

 数で有利でも通路が狭く、襲い掛かるには数名が限界であることと、特に剣に模した杖をつく女剣士が尋常でない剣技を使い、瞬く間に斬り殺されていった。

 今も二人の魔王軍の兵士が斬られ、女剣士は悠然と佇んでいる。


「私の名はテトラ・カイム。ムルドゥバ国白虎隊隊長である。この魔空艦は我らが支配下になりつつある。これ以上の抵抗は止めて、降伏せよ」


 傍らの兵が剣を振りかざして襲い掛かるが、一刀で斬り伏せられ、血煙をあげながら倒れていった。杖にまとう淡い光が不吉なものにルオーノには映った。

 テトラは杖をおろすと、床と死体を探りながら、ゆっくりと前に足を進めてくる。


『あの女、目が……』


 魔王軍が不具者相手になんてザマだと、ルオーノは歯軋りしながらテトラを睨みつけた。


『ルオーノ、ここは我々に不利だ。艦橋前のフロアまでさがろう』


 シシバルが後ろから囁いた。艦橋前のフロアは兵の集合や点呼場所に使われており、この狭い通路よりは有利に戦闘がすすめられるはずだった。


『貴殿の兵は損害を受けすぎだ。ここは狭すぎる。広い場所まで戻り押し潰そう。貴殿の号令で攻撃を仕掛ける』

『やむをえんか……』


 斬られたのはルオーノの部下ばかりで、シシバルの部下は臆したように、ルオーノ隊の後方にいる。

 将兵ともに情けない連中だと思いながら、こうなれば頼るしかない。

 退けと、ルオーノはテトラを注視したままさがり始めると、部下たちもおののくように後退していく。目が見えないとわかりつつも、ゆっくりと足を進めるテトラから放たれる威圧感に、ルオーノたちは容易に手出しができないでいた。

 やがて、フロアに差し掛かると、兵は散開し半円のように隊形をつくった。ルオーノとシシバルが中央に立ち、テトラを待ち受ける。

 二人の軍団長に周りには魔王軍の精鋭たち。

 しかし、テトラは臆することなく、ルオーノたちに悠然と歩いてくる。


『馬鹿め。その目では状況もわからんか』


 ルオーノは嘲笑うと、右手を掲げた。


『掛かれ!』


 瞬間、ルオーノの表情が凍りついた。背中の右脇腹付近に鋭い痛みが奔り、息が詰まる。喉の奥からこみあがるものがあり、吐き出すとそれは大量の血だった。


『な、なに……?』


 油が切れた機械のようにぎこちなく首を痛みがしたところへと向けると、ルオーノの脇腹に深々と突き刺さる短剣の刃と、滴り落ちる血。柄を握りしめるシシバルの姿があった。


『シシバル、貴様……』

『エリンギアの不満を抱えていたのは、イズルードとタナトスばかりではない』

『……魔王軍を、裏切るつもりか』


 レギルはと、シシバルが言った。


『エリンギアの元長官レギルは、私の兄となるはずの男だった』

『……なに?』

『奴には妹がいた。私の妻になるはずだったのに。炎に焼かれて死んだ』

『……』

『裏切ったのは魔王軍だ。レギルやその妹だけじゃない。エリンギアでは、私の親族が何人も殺された。なのに何の謝罪も償いも無い。仲間を、親類を、見殺しにされて、恨みや憤懣を抱えているのは私だけではない!』


 突如、ルオーノの周りで悲鳴と絶叫がわき起こった。

 目を向けるとルオーノの部下がシシバルの部下に斬り殺されていく。人数が減り、奇襲を受けてはひとたまりもなく、あっという間にルオーノの部下は全滅した。そして、テトラの後方から後続部隊が現れると、シシバルの部下とともに艦橋の制圧へと向かっていった。


『……シシバル、正気か』

『正気だ。イズルードやタナトスらはエリンギアの始末に不満を感じていても、体制を変えるほどの意志はない。ただ、与えられたおもちゃに満足しているだけだ。だが、私や同志は違う!』

『……』

『私は破壊されたエリンギアを復興させ、新たな国作りとともに、新たなる魔族の発展を目指す!』


 シシバルは柄に力を込めて、ルオーノの脇腹を抉ると、さらに激しい鮮血が流れだした。ルオーノは口をぱくぱくと動かしていたが、何も言葉を発することができないまま、床に転げ落ちていった。

 肉の塊となったルオーノを、シシバルは呆然と見下ろしていたが、テトラが近づく足音を耳にして顔をあげた。


「ごくろうさまです。コードネーム“A”」

『……ああ、シシバルだ』

「あなたの協力のおかげで、魔空艦の制圧が容易に進みました。礼を言います」『まだ、礼は早い。聖霊の神殿の戦闘が終わっていないからな』


 シシバルはテトラの差し出した握手を拒否して、艦橋に入った。艦橋の床には、斬り殺された艦長の死体が転がっていた。主だったスタッフは、皆、シシバルの協力者であり、魔王軍、白虎隊の兵士たちが入り交じり、何事かやりとりをしながら艦を運航している。

 テトラとシシバルはまっすぐに歩いて、艦橋の窓のそばに立った。


『魔王ゼノキアがあそこにいる。あそこのケリがついてからだ』


 聖霊の神殿から濃い噴煙が立ち上るのを見ながら、シシバルは腕を組んだ。


  ※  ※  ※


 激しい閃光がクリューネの視界を覆っても、クリューネはじっとヴァルタスが立っていた方向を見据えていた。

 わずかなためらいが呪文の詠唱を遅らせていたが、ヴァルタスから放たれるエネルギーを感じて、それでも充分、間に合うと思うだけの余裕がある。


 ――神竜に選ばれし者の力を見せてやるぞ。


 クリューネは何の高揚感もなく、心の中で寂しげに呟いた。ヴァルタスから見捨てられたという寂しさが大きかったが、もうひとつにはルシフィとの闘いで感じたはずの脅威的なパワーを、今のエネルギー波からは感じないことだった。

 ヴァルタスの力が衰えたのではない。

 竜の魔導書を手に入れて竜言語魔法の習得に努めた日々が、短期間でクリューネの魔力を飛躍的に増大させ、ヴァルタスのパワーを凌駕してしまっていたからだった。

 いつの間にと自分に驚く一方で、ヴァルタスは何も気がついていない。そのことに対する寂寥感があった。

 

“これで吹き飛べ!”


 ヴァルタスは咆哮し、掲げた両手から呪文を放とうとした。


“う……!”


 ヴァルタスが呻き、突如光の塊が一瞬で消え去ると、あとには苦悶の表情に歪めてうずくまるヴァルタスの姿があった。


“うう……。がああ……!”

「……?」


 何がヴァルタスに起きたのかわからず、クリューネは怪訝に思いながらも構えは解かず、注意深く様子を見守っていると、身体を包む禍々しい闘気と、瞳に妖しく爛々と輝く光が消えていった。


「こ、この竜野郎。調子に乗るんじゃねえ……!」

「……その声、もしかしてお主、リュウヤか?」


 クリューネは構えを解いて、駆け寄ろうとすると、「来るな!」と怒鳴って制した。声の調子から、間違いなくリュウヤのものだと思った。


「まだ、抑えきってねえん、だ……」

“リュウヤ!貴様、我の復讐を邪魔するか!貴様に力を託したのは何のためか!”


 リュウヤの左側の目に紅い光が宿り、ヴァルタスの重いが洩れる。右側がリュウヤの表情で、半分だけ仮面を被せたようにクリューネには映った。


「セリナやアイーシャまで巻き込むなんて、約束してねえよ!」

“人間が、我に歯向かうか!”

「貴様こそ、アイーシャを二度も死なせる気か。何を考えてやがんだ!」

“黙れ、黙れ、黙れ!”


 リュウヤとヴァルタスが互いの意思を争い、その身体は地面にうずくまったままでいる。

 クリューネは手出しが出来ずに、リュウヤたちを見守っているしかなかった。だが、そのことがゼノキアの存在を一瞬、忘れさせてしまっていた。

 その間隙を突くように、傍らから猛風が吹き荒れ、クリューネやナギ、そして子どもたちが凄まじい風圧に飛ばされていった。


「リュウヤさん!」


 上空からセリナの叫ぶ声がする。クリューネが見上げた先には、バリアに包まれたセリナやアイーシャと、翼を広げて宙に佇むゼノキアの姿があった。



『貴様らのおかげで、なかなか、面白いものを手に入れることができた』

「ゼノキア!セリナたちをどうするつもりじゃ!」

『用があるのは、このアイーシャという娘だ。だが、母親が付き添わなければ、子どもは色々と面倒だろう』

「くそ……、ゼノキア……」


 呻くリュウヤの声が、途中からヴァルタスのものへと変質する。


“おのれ、リュウヤめ!仇を目の前にして!何をするか!”

「黙れ、ヴァルタス……!」


 リュウヤたちは、特にヴァルタスが怒りにまかせてセリナたちを助けるつもりもないために、互いの肉体を懸けて主導権を争うのに必死となっていた。

 クリューネは愚かしいと思いながらも、人質をとられて手出しができない点では、クリューネもリュウヤたちと同様だった。


『それでは、さらばだ。来れるものなら我が王都ゼノキアまで来るがいい』

「待て、ゼノキア……!」


 高笑いしながら遠ざかっていくゼノキアに、リュウヤがそこまで言った時、リュウヤの身体が紅蓮の炎に包まれた。やがて炎は竜の姿を形成していき、意思を持つ生き物となって雄叫びをあげた。


“惰弱なる男め!もはや貴様も不要!我、不完全なれども、魔王ゼノキアを前にして見過ごせるか!”


 炎がリュウヤの身体から上空へと離れていくと、炎の竜――ヴァルタスは、咆哮しながらゼノキアへと突進していった。不完全というヴァルタスの身体は下半身は炎の状態で、その咆哮は、リュウヤには痛みを堪えるような絶叫にも聞こえた。

 暴れ狂った炎の化身は猛スピードでゼノキアに迫っていった。凄まじいパワーに、金縛りにあったように動きが止められ、ゼノキアも驚愕の眼差しで迫るヴァルタスを見つめていた。


“ゼノキアァァァァァァ!!”


 全てを瞬時に焼き尽くす竜が叫び、ゼノキアをセリナもろとも呑み込もうとした。しかし、その直前、二つの巨大な影がヴァルタスの身体をつかみ、ヴァルタスの行く手を阻んだ。その影を見て、リュウヤは愕然とした。


「……あいつら、生きていたのか」


 完全に破壊し、中の操縦士も死んだものと判断していたファフニールとヒュドラが、ヴァルタスの肉体をつかんでいた。四肢が破壊されたファフニールは、双竜尾砲ツインテールのコードをヴァルタスに巻きつけている。


『……ゼノキア様。早く逃げて下さい!』


 喘鳴したイズルードの声が、ひどいノイズに混じって聞こえた。タナトスらしき声も聞こえたが、こちらは完全に壊れているらしく、『……れ、……です』としかわからなかった。


 ――エリンギアの件で、私や魔王軍に不満を抱えていると聞いていたが。


 まだ自らの身を投げ出すほどの忠義が残っていたのか、とゼノキアの心は感動で揺れていた。

 そんな若い勇士たちを見捨てることが惜しく思われたが、自分にはすべきことがあると深く頷いた。


『……このゼノキア。貴様らの忠義を忘れんぞ』


 ゼノキアは残った魔力を自身の翼に溜めると、残光を散らしながら、瞬く間にセリナたちを連れて空の彼方へと向かっていった。


『ゼノキアだ撃て!撃て!』


 途中、制圧された魔空艦に発見され、シシバルが激しい砲撃を放ってきた。


『……で、何の不満も露にせん者から咬まれたか』


 ゼノキアは砲撃をかわしながら、激しく舌打ちした。

 逃走に専念したゼノキアを魔空艦は捉えることができず、砲弾は空しくゼノキアの身体を逸れていく。

 瞬く間に点と化したゼノキアに、ヴァルタスが叫んだ。


“待て、ゼノキアァァァ!!”

『忌まわしい炎の竜よ。貴様は、我らとともに闇に帰るのだ!なあ、タナトスよ』


 ファフニールの中のイズルードが吠えると、それまでろくに音が出てこなかったヒュドラのスピーカーから、タナトスの叫ぶ声が響き渡った。


『……ゼノキア様!魔王軍に栄光あれ。万歳!!』


 タナトスが叫ぶとともに、ファフニールとヒュドラから膨大な熱量を持った火球が生じ、上空から発した閃光が大地と空と海を照らした。


“な、な、なんだとおぉぉ……!”


 熱波と衝撃波が、ヴァルタスの身体を砕いていく。リュウヤの身体を使っていた時には堪えられたであろう衝撃波も、不完全な肉体では力も発揮出来ずにひとたまりもなく、炎の奔流に呑み込まれていった。


“リュウヤめ!貴様のせいだ。貴様が、貴様があ……!”

「ヴァルタス……」


 ヴァルタスの呪詛めいた絶叫は地上のリュウヤまで届き、リュウヤは怒りとも悲しみとも判別のつかない感情を抱えたまま、消失するヴァルタスを見上げていた。

 やがて巨大な火球は空中に黒い煙を残して消え、不吉な黒い煙も風に払われると、大地をまぶしく照らす大陽と澄んだ青空が視界に広がっていた。

 そんな青空のなかを大海を泳ぐ鯨のように、重い音を立てながら魔空艦が接近してくる。

 信号弾が空を駆け抜けて赤い花火が咲いた。。

 レジスタンスが用いる合図だ。


 ――勝ったのか、負けたのか。


 魔空艦はレジスタンスが制圧し、二体の巨人は倒しはしたものの、魔王ゼノキアが復活し、セリナとアイーシャは奪われ、何よりヴァルタスを失った。

 リュウヤの頭は痺れを感じたまま、大陽を隠す魔空艦を呆けたように眺めていた。

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