第71話 竜人リュウヤ・ラング
――まずは間合いを潰さないと。
退けばそのまま押しきられてしまう。反対に前に出ることで、タイミングをズラすことをルシフィは選んだ。
狙い通り、リュウヤの唸る剛拳を柔らかく捌いて転身することまではできた。 しかし、上段から振り下ろした攻撃をかわされると、そこからはリュウヤの反撃を防ぐだけで精一杯となってしまい、やがて“生命の樹”まで押されていった。
――さっきよりも速いし、すごく重い。
霊木でつくられた杖は、リュウヤの猛攻を受けて悲鳴をあげるように大きく軋む音がした。
リュウヤの手の中に魔法ではない、強烈な光のエネルギー波が生み出されている。魔人が使う“気”によるエネルギー波と同質のものだと認識した時、リュウヤの目が赤く輝くのを見た。
“これで、焼け死ね!”
まずいとルシフィの全身から、一斉に血の気が退いていくのを感じていた。
もうもうと煙が立ち込めていたが、それもやがて晴れると、半分以上が吹き飛ばされた“生命の樹”の姿が浮かんできた。
幹を抉りとられ、焼け焦げた箇所から黒い煙をあげている姿は痛々しく、悲鳴をあげているように映った。
“すばしっこい奴だ”
リュウヤは自分が破壊した“生命の樹”など、意にも介した様子もなく舌打ちしている。
かわさなければ、深刻なダメージを受けたのは間違いない。リュウヤのエネルギー波をよけたことは、やむを得なかったことだった。
しかし、役割を終えているとはいえ、“生命の樹”の無残な姿にさせてしまったことで胸がうずき、容赦の無攻撃してきたリュウヤに、ルシフィは反発に似た感情を抱いていた。
『自分の国の象徴といえるものを、ためらいもなく壊すなんて……』
“あの枯れた樹は、貴様らが殺した骸だ。無残な姿のまま放置など俺たちの恥。残したところで何になる”
『そうだけど。そうかもしれないけど……!』
この仕打ちはあんまりじゃないか。
何故か悔しくて泣きたい気分になって、ルシフィが杖を握る手に力がこもった。
一方で、異様な熱波と衝撃音に揺さぶられ、リリシアは暗闇の底から意識を取り戻した。
「目が覚めたか」
声に気がつき見上げると、ルナシウスを抱えたクリューネが厳しい表情で立っている。
視線の先には半壊した“生命の樹”を背にして、杖を構えるルシフィと、炎に包まれて傲然と身構える男の後ろ姿があった。
「あれは、リュウヤ様……?」
立ち上がろうとして脇腹に鋭い痛みが奔り、小さく呻いて脇腹を抱えた。肋にヒビが入っているとリリシアは感じた。
その傍らで、クリューネがそうだと言った。
「ルシフィに一度倒されたが、突然目覚めてああなった。何が起きたのかわからん。見るのは初めてだ」
リュウヤといえば、森深くの泉の水面のように寂静とし、稲妻のような鋭さをというイメージだったが、今の荒々しさは別人のように思えた。
「私は、エリンギアで見た」
「エリンギアで?」
「……たぶん、あれだと思う」
リリシアは少し自信無げにうなずいた。
脳裏にはアズライルとの戦いで見せたリュウヤを思い出している。
今一つ自信が持てない返事をしたのは、エリンギアでは異様な炎など身にまとってはいなかったからだが、何かにとりつかれたように、悪鬼羅刹がごとく猛り狂った雰囲気はそっくりだと思った。
「なんにしても、あいつらには近づけん。今のうちに逃げる準備するぞ。ルシフィは二、三日すれば回復するとは言っていたが、今のお主の様子なら、洞窟まで逃げるくらいはできるだろう」
リュウヤなら、この隙に逃げろと考えているだろう。少なくとも足手まといと思っている。邪魔者は少しでも離れて、存分に戦ってもらった方がリュウヤのためだ。
それに、リュウヤが今の状態になってから、ルシフィを技でも力でもスピードでも圧倒しているが、ルシフィもすんでのところで凌ぎ、踏みとどまっている。
あの異常なリュウヤを何とか凌いでいるルシフィも、尋常でないとだけでは片付けられない非凡な遣い手だった。
まだ、勝負がどう動くかわからない。
しかし、リリシアはクリューネの呼び掛けにも動かなかった。
「私は、リュウヤ様を見届ける」
「お前、ここにいたって、リュウヤの邪魔になるだけじゃろ」
邪魔じゃないとリリシアはクリューネを睨んだ。何がリリシアの琴線に触れたのか、身体が小刻みに震えている。
「リュウヤ様は勝つ!絶対に勝つ!私なんかと違って……」
リリシアは絶叫し、最後は言葉が詰まって嗚咽を洩らしていた。言葉に詰まったのは痛みのせいではなく、ある感情が心の底から溢れてきて、どうしようもならなくなっていた。
――何の役にも立てなかった。
戦闘では、ルシフィから一顧だにされていない感触があった。
箸にも棒にもかからない。そんな扱いだった。
アズライルに敗れてからリュウヤと旅をし、戦いの日々を過ごすなかで、少しは上達したという自負があったのに、それはあっけなく打ち砕かれていた。
――リュウヤ様なら、私の分まで戦ってくれる。絶対に勝ってくれる。
今のリュウヤがどんな異形の姿であろうと構わなかった。リュウヤはリュウヤであり、リュウヤならどんなこともあり得ることだとさえ思い始めている。
今の心酔しきったリリシアなら、リュウヤがどんな姑息な手を使おうが、さすがはリュウヤ様だと絶賛していただろう。
「だから、私は残る。あなただけ逃げればいい」
「……お主を放って逃げるわけにもいかんだろう」
クリューネはそう言って、視線をリュウヤたちに戻した。
言葉の通り、放って自分だけ逃げるわけにもいかなかったのも事実だが、思い詰めたようなリリシアの瞳の奥に、狂気に似たものを見た気がして、それがクリューネを無意識に踏みとどまらせた。
だが、その気がかりも轟いた衝撃音に意識が向かうと、次第に記憶のどこかに埋もれてしまった。
視線を向けた先には、リュウヤが再び光弾を放ったらしい爆発で生じた噴煙から、上空へ退避するルシフィの姿があった。
『この距離なら、簡単に……!』
“追ってこられないと思ったか?”
リュウヤがニヤリと笑った瞬間、熱い風が吹き荒れた。
「なんじゃ!?」
猛る熱風にさらされ、リリシアとクリューネも身を屈めて風を凌いだが、風が治まり顔をあげると、二人は目を疑った。
リュウヤの背中から二本の炎の柱が燃え上がっている。やがてそれは翼に似た形状へと変化していった。
“竜族を舐めるなよ。小僧が”
刹那、リュウヤは目にも止まらぬスピードで飛翔し、ルシフィに近接すると、ゴウッと左の強烈な蹴りでルシフィを地面に叩き落とした。
『ぐはっ……!』
五体がちぎれそうな衝撃にルシフィが嘔吐すると、、上空から陽光を浴びながら、歯を剥き出しに迫るリュウヤが見えた。
――間に合え!
ルシフィの背から十二枚の光の翼が放出され、弾き飛ばそうとリュウヤに迫っていく。
“馬鹿が。そんなものが俺に通用するか!”
リュウヤは光の翼を掴むと、力を込めて引っ張りあげた。異様な音が翼から響き、魔力で形成された光の翼が、素手のリュウヤの力で引きちぎられていく。
『な……!』
驚愕するルシフィにリュウヤが迫る。
ルシフィは光の翼を次々に放ちながら、その場から逃れようとするが、ルシフィの光の翼を掴むとそれを引きちぎり、またルシフィを追う。
それを繰り返しながらルシフィに迫る。
陵辱。
その光景は、悪漢が純情な乙女に襲いかかり、衣服を乱暴に剥ぎ取るように映り、クリューネは思わず目を背けた。
最後の一枚が引きちぎられ、地面に伏すルシフィと、冷酷な笑みを浮かべるリュウヤはまさにそれだとクリューネは思った。
“とどめだ……!”
掲げたリュウヤの手から、眩しく輝く光球が生まれたが、ルシフィはただそれを為すすべなく呆然と見つめるだけだった。
降り下ろせばルシフィの命を一瞬で奪うであろう、凶悪で膨大なエネルギーの塊。
『……かあさま』
何かが光った。
微笑む女性がぼんやりと浮かんだ。うっすらとした記憶しかない母だろうか、と思った時、女性の姿がぐにゃりと歪み、ルシフィの視界が真っ暗となると、意識もそこでプツンと途切れた。
光を見たのは、ルシフィだけではなかった。リュウヤもその光の粒子がルシフィを包むのを目撃したが、次には愕然としていた。
今まさにリュウヤがエネルギー波を放とうとした時、ルシフィの姿が忽然と、目の前から消えていたからだ。
――かわされた?
だが、リュウヤには考える時間も与えられなかった。
ルシフィが被弾するはずだった光弾は大地を抉り、吹き飛ばされた“生命の樹”の残骸も瓦礫が爆風とともにリュウヤを襲ったからだった。
まるで、リュウヤに対して復讐するように。
クリューネとリリシアにも土砂と粉塵が爆風とともに押し寄せ、二人は喚きながら衝撃と嵐に堪えていたが、耳をつんざくような轟音で自分の声すらも聞こえなくなった。
衝撃がおさまったのは、どれほどの時間が経ってからだろうか。
クリューネが恐る恐る顔をあげると、焦土と化したアギーレ土煙に包まれ、煙の隙間から太陽がわずかに覗いて見える。
リュウヤ様、とリリシアの驚愕する声が聞こえ、振り向くと既にリリシアは駆け出していた。
リリシアが向かう方向に目を凝らすと煙に紛れてうつ伏せに横たわっている人影が浮かんでいる。疲れはてたように倒れ込み、包んでいた炎は既に消えていた。
「……リュウヤ!」
クリューネもリュウヤの姿を認めると、やにわに駆け出していた。
ルシフィの姿がない。
リュウヤの光弾に焼きつくされてしまったのだろうか。
だが、とクリューネはルシフィを包んだ、光の粒子を思い出している。
――ルシフィは生きている。
確証があってのことではなく、ただの勘でしかなかったが、それでもクリューネはルシフィが生きていると確信している。
騙され、一度は死の危機にさらされながらも、クリューネはやはりルシフィを憎めないでいた。心の片隅にある生きていて欲しいという願望が、そう思わせているのだが、クリューネ自身は気がつかないふりをしていた。
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