第70話 リュウヤ・ラング対ルシフィ

「お主、本当に私たちの敵なんだな」


 クリューネは悲しみとも怒りとも区別のつかない、抑揚のない口調で立ちすくみ、十二枚の翼を広げるルシフィをじっと見つめていた。


『ごめん。騙すなんて、酷いことだとわかっているけど』

「なんで……、なんでじゃ。お主を信じとったのに」

『……ごめん』

「クリューネ。その男と余計な話をするな」


 リュウヤの言葉そのものではなく、“男”という部分にクリューネもリリシアも、言われたルシフィ自身でさえも、驚いて反応した。


「男?ルシフィが男?」

「ここに来たときからやりとりが妙だと思っていたが、どう見たって立派な男だろ。いつまでも、ふざけた話をしてんな」


 ――あ、この人、いい人かも。


 初対面で、自分を男だと認識した者はいない。

 立派な男と言われたこともあり、戦いの最中ということもつい忘れて、ルシフィはリュウヤを好意を持った目で見ていた。

 遠くから貴様とクリューネの呟く声がした。クリューネは顔を紅潮させて、口をあわあわと動かしている。


「貴様貴様貴様!じゃあ、トレノの風呂で私を誘惑したのも……。あれも騙したのか!」

『誘惑じゃないでしょ!あれは、君が勝手に勘違いしたんじゃないの!僕は絶対に謝らないからね!』


 思わずルシフィが怒鳴り返すと、殺気の嵐がルシフィに向かって吹き荒れた。

「ごちゃごちゃ話してんじゃねえよ!」


 リュウヤが雷嵐ザンライドで突如、奇襲を仕掛けたものの、ルシフィは動じない。


『良い人だけど、せっかち……!』


 ルシフィは十二詩協奏曲ラブソングの光の翼によるバリアで団扇のように扇いで消し去ると、そのままロケットエンジンのように光の粒子を撒き散らしながら、リュウヤに向かって突進した。

 足で駆けるよりも何倍もの速度でリュウヤに接近し、次に繰り出す攻撃に勢いを加えていった。


「てやっ」


 拍子抜けするほど小さな掛け声と、反比例するように振りかざした杖が、ブオンと重い唸りをあげて空気を裂いた。


「ちっ!」


 まともに受ければ大ダメージとなると直感し、リュウヤが身を退いてかわした。しかし、強烈にしなる杖は単発で終わらず、風車のように回して、真下からと予想にしない方向から繰り出される。

 リュウヤは辛くもかわして、拳の連続攻撃押し込むも、隙を見てルシフィは上空まで翔んで逃げてしまっていた。


「あの翼、形が似ているだけじゃなく、空まで翔べるのか」


 呟いた自分の言葉の半分が、自分の耳まで入ってこなかったことに気がつき、慌てて首を振った。。

 十二枚の翼を広げて太陽を背にするルシフィの佇まいは、どんな美女よりも美しくどんな宗教絵画よりも神秘的で、いつしかルシフィに見とれていたからだった。


 ――あれでは、ホントに天使ではないか。


 自分の頬をぴしゃりと叩くと気を引き締め直し、ルシフィの様子をうかがいながら、倒壊したテントへ走った。


 ――リュウヤにルナシウスを渡さないと。


 ルシフィに対抗できる呪文もなく、バハムートにもなれない今、自分はこうやって走ることしかできない。


「リリシア、行くぞ!」


 クリューネの背中に、リュウヤの声が響いた。

 振り返ると、クリューネの動きを察して、リュウヤとリリシアが、それぞれルシフィに攻撃を仕掛けているところだった。

 しかし、十二詩協奏曲ラブソングの翼は容易に隙をつくらない。

 リュウヤとリリシアの拳を防ぎきり、翼を煽ってリリシアの小柄な身体を弾き飛ばし、杖でリュウヤを地上に叩き落とすと、ルシフィはそのままリュウヤに迫った。

 リュウヤは近くに落ちていた薪ざっぽうを使って、ルシフィの攻撃を凌ぎはするものの、焼け石に水といった類でしかない。

 鉛のような重さを持つ攻撃にいつまでも耐えきれるはずもなく、数合も打ち合えば、粉砕されてしまい、すぐ物の役に立たなくなってしまう。

 二本目に拾った薪が破壊された瞬間だった。

 ルシフィの杖がリュウヤの腕をかいくぐり、左の脇腹をしたたかに打ち付けてきた。

 下段から打たれたまではわかったが、どこからそうしてきたのか、軌道が読めなかった。


「……!」


 打たれた瞬間に息が詰まり、焼けるような痛みが全身に奔った。

 衝撃にリュウヤの膝が崩れかけたが、リリシアが攻勢を仕掛けてくれたことで、体勢立て直すだけの余裕ができた。


『リリシアさんの勇気だけは買うけれど!』


 ルシフィはリリシアの拳を杖で受け流すと、逆手に構えて、リリシアの肩をしたたかにうちすえた。


「ぐ……!」


 リリシアが言葉にならない短い悲鳴をあげる間に、続けてリリシアは胴を打たれた。

 声も発せぬまま、苦悶の表情で崩れ落ちるリリシアを、振り向くことにも堪えて、リュウヤは一気に疾駆してゼロ距離からの雷嵐ザンライドを放った。

 しかし、ルシフィはその攻撃も、被弾する直前に光の翼が魔法を打ち消した。

 なに、と呻く間も無かった。

 羽根の隙間から繰り出された杖の先端が、リュウヤの額を鋭く突いた。

 頭を突かれたリュウヤは身体がのけ反り、額が割れて血が鮮やかに噴き出す。


「リュウヤ!」


 叫びつつも、クリューネは自分の目を疑っていた。

 やられた?

 あのリュウヤが?

 クリューネの腕は、ルナシウスを抱えている。

 バハムートにもなれず、唯一の竜言語魔法も使ってしまった。自分が出来ることはリュウヤの剣を何とか届けること。

 ようやくたどり着いて、あとは渡すだけだったのに。


 ――勝負あった、かな。


 突いた手応えに、喜びよりも安堵の気持ちが勝り、ほっとため息をついて自然と視線が落ちていた。

 そんなルシフィに、ぐっと杖の先を異常な力が込められるのを感じた。

 目の前で凄まじい殺気が膨れ上がり、全身に悪寒が奔(はし)った。視線を戻すと、顔中血だらけにしたリュウヤが、悪鬼の形相で佇立している。杖をつかみ、残る左腕を振り上げる姿が映った。


 ――あの一撃を喰らって?


 不意をつかれ、光の翼も間に合わない。

 左の拳がルシフィの顔面を抉り、たまらずルシフィの軽い身体は地面に叩きつけられていた。右の頬に焼けるような痛みが広がっていく。


『ほんの少しだけ……、身をよけたのか』


 口の中に鉄のような渋い味が広がり、唾を吐くと血が混じっていた。

 意識が揺らぎ、身体を起こすルシフィに、迫る気配がした見上げると殺気をみなぎらせ、リュウヤが突進してくる。


 ――やっぱり凄いな、リュウヤさん。


 ふっと笑みがこぼれた。 リュウヤの打った拳が左だったから、威力も昏倒するほどではなく、意識も冷静さを保てることができた。

 起き上がるとルシフィは足元の杖を、爪先で軽く蹴り上げて手元に把持すると、十二詩協奏曲ラブソングでふわり宙に舞い、トトンと少しだけ前進した。その動きは、クリューネにはダンスのステップを踏んだように見えた。


『おやすみなさい。リュウヤさん』


 躍りかかるリュウヤを柔らかく捌くと、強烈な胴打ちを放ち、リュウヤの身体がくの字に曲がったところで背中を思いきり打ちすえた。


「……」


 リュウヤの膝が崩れ、無言のまま地面に倒れ込む。 地面に横たわるリュウヤに、そんなとクリューネが声を震わせた。


「リュウヤが……、負けちゃった……?」


 クリューネは身体を震わせ、剣を抱えたまま地面にへたり込んだ。


『やっぱり、剣を持ってなかったのが大きかったよ。剣での真っ向勝負は一番やりたくなかった』


 ルシフィは大きく息をしながら、動かないリュウヤを見下ろしている。右の頬が痛み、うっと顔をしかめた。予想以上にダメージや疲労が酷いとルシフィは思った。


『残るは君だけだ。バハムートにもなれないし、竜言語魔法も使えない。魔導書も手に入れられない。もう詰みといったとこかな』

「私を、どうするつもりだ」

『君とリュウヤさんをゼノキアに連れていく。君にもちょっと手荒なことするけど。あとは向こう次第かな』

「……殺すということか」

『竜族を滅ぼすのは魔王軍の方針だし、レジスタンスに参加し、聖戦と謳った君たちをそのままにしておけない』

「リリシアもか」


 普段、仲がそれほど良くない相手だが、リュウヤに関してであって、かけがえのない仲間だ。仲間をむざむざと魔王軍に殺させたくはない。


『リリシアさんは、そこまで脅威じゃない。ここで二、三日過ごせば一人で山を下りられるくらいには回復する。僕らにとって、一番の脅威は竜族の生き残りだけ』


 ルシフィはクリューネから顔を背けていた。はっきりと伝えることができないでいた。処刑などと口にしたくもなかった。だが、それが自分の役目なのだ。


「リュウヤを……」


 クリューネがか細い声で言った。あのクリューネに似合わない、懇願するような、気弱な声を発していた。


「リュウヤを助けてくれんか。あいつには大切な奴がおるんだ。頼む。あいつだけでも……」

『無理だよ。ごめん』


 ルシフィはきっぱりと告げ、首を振った。口を真一文字にし、鋭く視線を注いでいる。

 だが、心の内では感動に奮えていた。


 ――好きなんだな。リュウヤさんのこと。


 君臣の間柄、これまで戦った仲間というだけで、こんな命乞いができるだろうか。超越した愛をクリューネから感じていた。

 だが、ルシフィは情に流されないよう、手のひらに爪を立てて、必死に堪えていた。


『あの人は魔王軍の人を斬り過ぎている。それにヴァルタスであり、レジスタンスの中心。彼には死以外、考えられない』

「……」

『それに他に家族がいるなら、それは家族にも累が及ぶ。大切な人の話は聞かなかったことにしておくよ』


 クリューネは絶望してうなだれた。

 自分の無力さが恨めしい。情けない。

 何も出来なかった。

 力になりたかったのに。

 せっかくここまで来たのに。

 これで終わり?


『……じゃあ、少し眠ってもらうよ』


 目の端にルシフィが傍に寄り、杖を抱える姿が映る。クリューネは観念して目をつむった。足音と影がルシフィに近づいてくる。

 さくりと草を踏む軽い足音が急に止まった。見上げるとルシフィが傍に立っていて、目を見張って後ろを振り向いていた。


「……?」


 クリューネがルシフィの視線を追った。その先に映るものにクリューネは驚愕して声をあげた。


「リュウヤ!」


 そこには、顔面を朱に染めるリュウヤが立っていた。

 禍々しい殺気を放ち、先程よりも荒々しく狂暴で、燃え盛る炎のように思えた。

 

“汚らわしい魔族ごときが、我らがバルハムントの地に再び足を踏み入るか……!”


 リュウヤの口から漏れた声は低く掠れていて、別人のように思えた。


『君は……、誰?』


 問いかけには答えず、リュウヤは咆哮した。

 閧の声。雄叫び。

 慟哭。絶叫。

 いずれにともとれるリュウヤの叫びは、大地を揺るがし大気を震わせ、リュウヤの身体から噴き上がった灼熱の炎が、燃える火だるまのように包んでいった。 炎と一体となり叫び狂うリュウヤの姿は、クリューネには、一匹の竜が佇立している姿と重なって見えた。


「あの姿、ヴァルタス……」


 刹那、リュウヤの姿が忽然と消えた、かと思うと激震と轟音が辺りを多い、岩盤が激しく砕け落ちる音がした。

 音がした方へと視線を追うと、そこには激しく肩で息をするリュウヤの後ろ姿と、岩盤に叩きつけられ、口から血を流して呻くルシフィの姿があった。

 ルシフィの周りを、散り散りとなった十二詩協奏曲ラブソングの光の粒子が無数に漂い、クリューネには不思議と幻想的な光景に思えた。

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