第69話 天使にラブソングを

 自分の皿を掻きまぜながら、なんじゃとクリューネは不満げに声を荒げた。


「このシチュー、野菜ばかりじゃないか」


 肉がないと今さっき言ったばかりなのに、話を全く聞いていないクリューネに呆れて、リュウヤはため息をついた。


「人の話を聞かねえとこ、相変わらずだな」

「たかが数週間程度でそう変わるか。バカタレ」


 クリューネの悪態に、久し振りに収まるべきところに収まる感覚があって、いいかクリューネと、リュウヤは居ずまいを正しながら向き直った。


「故事には男子三日会ざれば刮目かつもくしてみよ、という偉い格言があってだなだあ……」

「あ、そういうヴァルタス的な説教はいらんからな」


 クリューネがシチューを頬張りながら手を振って遮り、あまりの素っ気なさにリュウヤは愕然として言葉を失った。


「相変わらず、強いか説教臭いしかないの、リュウヤは。つまらんやつ」

「なっ……!」


 石のように硬直したリュウヤを無視して、その間にクリューネは、あれだけ文句を言っていたシチューをあっという間に平らげ、二杯目をどぼどぼと皿に注ぐと、リュウヤの傍に座ってぐちぐちとシチューの文句を言って、騒がしいやりとりが始まる。


 ――仲良いな、あのふたり。


 ルシフィは二人のやりとりがおかしくて、微笑ましく思いながら眺めていた。 ルシフィはリュウヤたちの向かいで、倒れた枯れ木を腰掛け代わりにしてちょこんと座り、膝の上にナプキンを敷いて食事をしている。

 子犬同士がじゃれあっているみたいで、どんなことでもぴったりといった風に見える。

 ルシフィはふと、もう一人のリリシアの様子が気になってそちらを見ると、静かに黙々とスプーンを運んでいる。

 チラチラと視線をリュウヤたちに向けているのは気になっているからなのだろうが、時折、わずかにだが、不敵とすら思える笑みを浮かべるのはなんだろうかと思えた。


「何か……?」

『いや、静かに食べるなあと思って。ごめんなさい』


 ルシフィの視線に気がつき、訝しげにに見返してくるリリシアについ謝ってしまい、気まずくて、そのままシチューを食べることに専念した。


「せっかくのう、客人を招いたというのに肉もないとはなあ」


 クリューネはまだ言っている。


『いや、構わないよ。僕、そんなに肉が食べられないから』

「へえ?」


 目を丸くして三人の注目が集まったので、ルシフィは顔を赤くさせた。


『魚介類は大丈夫なんだけど、牛さんや豚さんみたいな肉類は身体が受けつけなくて……』

「じゃあ、旅していると栄養が偏って大変だろ」

『いえ。そこまででも』


 ルシフィは苦労を微塵も感じさせない、朗らかな笑顔で答えた。実際、近くの鳥たちや動物たちが食べられそうな木の実や果物、魚の住む川の在りかを教えてくれるし、物をふんだんに詰め込める魔法の鞄もある。

 元来の少食やポジティブな性格もあって、ここまでの旅でも食事にそれほど困った記憶はない。


「余計な脂肪をとらないから、あれだけスタイルが良くて、肌艶も良いんじゃな。良いな、あんな可愛い尻桃みたいにプリッと……」

『やめてよ、それ』

「女同士で、何を恥ずかしがっとる」

「いいのう、お主」

『もう……』


 クリューネが羨ましそうに呟き、ルシフィが顔を真っ赤にする横で、リュウヤが不思議そうに首を傾げる。

「ところで、魔導書はどこにあるんじゃ」


 クリューネの質問に、リュウヤは一瞬何のことかという顔をしたが、思い出すと気まずそうに顔をしかめた。


「いや……、まだここに来たばかりで何も」

「なんじゃ、目的も忘れて何やっとった」

「そりゃ、先に飯だろ。腹減ってんだし……」


 まさかリリシアとの情事にふけっていたとも言えず、リュウヤの語気がさすがに弱くなる。ここでリリシアとの関係を打ち明けるタイミングでも無いような気がして、リュウヤは言葉を濁してあわただしくシチューを掻きこんだ。


 リリシアはリリシアで無言無表情のままだが、顔が真っ赤になり、スプーンを運ぶ手つきが三倍ほど速度を増していた。

 今度はクリューネが怪訝そうにリュウヤとリリシアの様子を見つめる中、魔導書という言葉を耳にして、ルシフィの手が止まっていた。

 努めて何気なく、クリューネに尋ねた。


『クリューネさん。前に宝探しと言っていたけど、それってその魔導書のことなの?』

「まあ、つまらん書物だが、バハムート頼みだと長く持たないし、色々と限界があっての。私が勉強し直すために、他の連中にはこうやって苦労してもらっとるわけだ。実際は宝探しじゃなくて、忘れ物探しじゃな」


 無責任な口ぶりでクリューネが陽気に笑い、それにリュウヤが何か返してきたが、ルシフィの耳まで届いてこなかった。

 じっと空になった皿に目を落としている。


 ――これくらいで、もう充分かな。


 レジスタンスの大きな戦力となっている竜族が、更に戦力を補強するために魔導書を求めてバルハムントまでやってきた。確かに竜言語魔法の存在は厄介だが、まだリュウヤたちはその魔導書を手に入れてない。

 それにクリューネ本人が口をすべらしたように、バハムートに時間制限があることも匂わしている。無制限或いは長時間なら、ここに来るにも、もっと早い段階で変身して飛べばいいはずで、わざわざ山の麓まで来てからバハムートに変身している。

 それにバハムートがそこまで頼りになるなら、魔導書自体が不要だろう。

 おそらく、制限時間は二十分から三十分。

 変身だって何回もできないだろう。賭けにもなる要素も多分にあるが、おそらく今は変身できない。


 ――叩くなら今かな。


 リュウヤたちはルシフィに警戒を許し、すっかり油断している。不意打ちを仕掛ければ優位に事が進められるはずだった。

 しかし、短いながらもクリューネと過ごした日々、今もこうしてリュウヤたちとの食事を共にしているのが楽しいものだった。

 その分、リュウヤたちを騙しているという後ろめたさが増していき、慚愧の念がルシフィの胸を強く締め付けてくる。最後に選択したのは不意打ちではなく、別のものだった。


「ルシフィどうした?暗い顔をして」


 クリューネが隣に座り、ルシフィの顔をのぞき込んできた。


『……リュウヤさん。クリューネさん。僕には黙っていたことがあります』


 空の皿を脇にどけ、丁寧にナプキンを折り畳みながらルシフィが言った。


「なんだ。実は男だったとかか?」


 気を紛らすつもりでクリューネがまぜっかえすように言うと、ルシフィは違いますと憤然とした口ぶりで言った。


『いや、そういうことじゃなくて……。僕はある目的があって来ました』

「何じゃ?」


 ルシフィは深呼吸をし、一息に言った。


『僕の目的は、あなたがた、竜族の生き残りを捕まえることです』

「……」


 急に空気が一変した。

 誰ともなく、息を呑み込む音がした。

 張り詰めた緊張感が辺りを包んだ。

 ルシフィが長いまつ毛を伏せ、悲しげに呟く。


『ごめんなさい。騙してしまって。でも、これが僕のするべきことだから』

「お前……、何者だ?」

『僕はルシフィ。魔王軍を統べる魔族の王ゼノキアを継ぐ者。ルシフィです』


 ルシフィの髪がみるみるうちに変色していく。

 しっとりと濡れた黒髪から、眩く輝くような銀色の髪へと。


「お前ら、どけっ!」


 瞬間、リュウヤが“雷嵐ザンライド”を放ち、吹き荒れる灼熱の熱波がルシフィに襲いかかる。


「ばか……!こんな至近距離で!」


 クリューネの怒鳴り声も、雷嵐ザンライドの荒れ狂う爆発音と凄まじい衝撃波で掻き消された。

 唸るような地響きがやみ、黄色く枯れた草むらからは黒々とした土煙が立ち上っている。鍋もシチューも吹き飛んでしまったらしい。


「いちちちち……。何考えとるんだリュウヤ……」


 煙の中を目を凝らして見ると、逃げるのが一瞬遅れたのは自分だけのようで、リリシアはリュウヤの傍で身構えている。

 不公平だとクリューネはわけもなく思った。


『結構、問答無用なんだね。ヴァルタスさん……、じゃなくて、リュウヤさんで呼ばしてもらうよ』


 黒煙のなかからルシフィの声が聞こえた。山から吹く微風で煙が流れると、すでに先ほど座っていた場所にはルシフィの姿はなく、泉のほとりまで退いて、を手に佇んでいた。


「リュウヤ様は剣を。その間に、まずは私が」


 リリシアの進言に、リュウヤは一瞬ためらった。

 ルナシウスはテントに置いたままだが、至近距離の雷嵐(ザンライド)を、易々とかわす相手である。安易な仕掛けは死を招きかねない。

 その迷いが隙となった。

 ルシフィはリリシアとの間に、風が薙ぐように一瞬で距離を詰めてきた。


神盾ガウォール!」


 リリシアの両拳に魔法陣を浮かばせ、応戦しようとしたが、やはり遅れた。

 ルシフィは杖で拳を弾いて捌くと、そのまま杖で腕を絡ませ、くるりとリリシアの身体を宙へと軽々と投げ飛ばしてしまっていた。


「かはっ……!」


 受け身もとれずに苦悶するリリシアを助けようと、リュウヤが徒手空拳のまま突進する。元々素養はあるし、アズライルさえも素手で打ち崩している。遅れはとらないはずだった。

 しかし、ルシフィの繰り出す杖の動きは生き物のようで、容易に内に潜り込ませない。


「だああっ!!」


 接近したところを見計らって、リュウヤは雷鞭ザンボルガを放ったが、直前で自動結界の魔法陣に阻まれてしまった。


『危なかったあ』


 リュウヤたちから間合いをとり、ルシフィは小さく息を吐いた。

 リュウヤの目からしても信じ難い動きを見せて、リュウヤたちが肩で息をしはじめたのに対し、ルシフィは軽く息が弾んでいる程度だった。


 ――超高位の魔法使いでないと、雷鞭ザンボルガレベルを弾く自動結界なんて張られないんだがな。


 リュウヤの口から、思わず失笑が漏れた。

 これまでにない強敵を迎えたことに、リュウヤの身に強い緊張感が奔った。リリシアですら一蹴され、しかも手元には剣がなく、ルシフィは容易に取りにはいかせない。


 ――まいったな。


 リュウヤに浮かんでくる言葉がそれだけだった。


 一方、クリューネは戦闘に参加出来ず、傍らから眺めていることしかできないでいた。

 ルシフィが魔族という事実も受け入れがたく、さっきまで仲良く飯を食べていたのに、何故戦っているのか、わからないでいた。

 ルシフィが裏切った。  そう思えば良いのだろうか。

 だけど、とクリューネの脳裏に、魔族と告げた時の悲しみにくれたルシフィの顔が過る。

 憎めない。

 だけど。

 だけど、何とかしないと。

 クリューネは歯を喰いしばって立ち上がり、印を結んで詠唱を始めた。


“母なる地よ、紅の竜を風に乗せ、空にその威を示せ……!”


「クリューネ。“臥神翔鍛リーベイル”を使う気か……!」


 リュウヤはリリシアを助け起こすと、巻き込まれるから離れるぞと言った。


『すごい熱量……。あれが竜言語魔法のひとつなのかな』


 まともに受ければ命が無いことがわかっているが、クリューネに対して怒りがわかなかった。ただ、こうした出会いでなければと寂しく思うだけだった。

 それ以上に、魔族の王子としての使命感が先にあった。

 僕がここで何とかしないと。

 魔族の誇りに懸けて。

 ルシフィは胸のペンダントを握りしめ、印を素早く結ぶと、小さな口から澄みきった歌声にも似た詠唱が始まった。


“我は片翼の天使

 同じく片翼の天使である汝らに告げる

 共に集え

 共に歩め

 共に励め

 共に唱え

 欠けるもの全てがひとつとなり、奏でられる歌は我らの讃歌なり……”


 ルシフィが詠唱する間にも、クリューネを覆う光は激しさを増した。クリューネの身体が光球と化し、太陽の光を消し去るほどの光量が、乾いたアギーレの町を照らした。


臥神翔鍛リーベイル!」


 現在、ただ一度だけ使える竜言語魔法が、クリューネの小さな身体から解き放たれた。紅の竜に形を模した巨大な火柱が、咆哮らしながらルシフィの華奢な身体に襲いかかる。

 まともに受ければ炎の竜がルシフィを飲み込み、骨まで蒸発させるはずだった。

 だが、炎の竜がルシフィに着弾する直前、強烈な轟音とともに炎の竜が掻き消された。

 光の粒子が宙に舞っている。

 それらは一枚一枚が羽根の形に似ていた。


「なに?一体、なにが……」


 クリューネは突然の出来事に頭が真っ白となっていた。クリューネだけでなく、リュウヤもリリシアもそれは同じだった。

 見つめる先に、光の翼が浮かんでいた。

 それらは幾重にも折り重って、卵のようにも見える。やがて、光の翼が一枚一枚剥がるようにして広がっていく。一枚一枚の翼はわずかに形が異なる。

 その光の翼の間からルシフィの姿が現れると、リリシアが息を呑んで呟いた。


「天使みたい……」


 十二枚もの光の翼を背中に形成するルシフィの佇まいは、神々しくて天使をイメージさせるものがあった。


『……リュウヤさん。クリューネさん。これが僕の魔法なんだ。リリシアさんの神盾ガウォールと理念は似ているところがあるかも』


 ルシフィは優しく微笑んでいた。

 リュウヤたちには、天使が降臨したとしか思えなかった。


『これが僕の最大級の魔法“十二詩編協奏曲(ラブソング)”』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る