第67話 竜の山を越えて

 バルハムントの首都アギーレを囲む山々は、天を高く突き刺すほどの堅牢な山脈が連なり、硬い岩肌には登るための足掛かりとなるようなうたや、くぼみさえもない。渡り鳥さえもここを避けるほどで、竜族ほどの飛行力が無ければ越えることも敵わないような魔の山だった。

 その中でも、竜族によってつくられた砦「竜の山」は、かつては難攻不落と呼ばれていた山で、竜の国が生まれてからこの国を守り続けていた。

 その竜の山を攻略し、竜族を滅亡に追い込んだのが魔王軍だが、当時はまだ魔空艦も建造されていない。

 彼らが選んだ手段は、竜の山に無謀な正面突破を仕掛けることだった。

 ただ、それは魔王軍の兵士が行ったのではない。魔王軍によって脅され、或いは騙されてかき集められた十万の人間たちだった。

 魔王軍の作戦というのは、集められた人間たちに、剣と皮の鎧だけを支給して、わずかな金貨と食料を餌に、彼らを先頭にして突入させることだった。

 ロクに訓練されてもいない人間たちは、竜の山に中に配備された魔法生物や罠の前に、ゴミのように殺されていった。それでも下がれば斬り捨てられる。

 背後の確実な死よりも、前進することで死への恐怖から逃れようという、生存本能が彼らを駆り立て、じわじわと頂上の出口まで迫り、最後の守護する魔法生物と戦うまでに至った。

 その頃には、十万の人間も、たった数人だけとなっていたという。


「……でも、結局はその数人の人間たちも、こいつに殺されて、十万の人間たちはこの山で全滅した。魔王軍が初めて動いて戦ったのはその時が最初だ。魔王軍はほとんど兵を失うことなく、ここまで来られた」

「昔、噂では耳にしたことはありますけど……」

「実際、酷いもんだったろ」

「ええ。予想以上に」


 リリシアはここに来る途中の光景を思い出し、表情が歪んだ。洞窟内に充満した澱んだ空気にはまだ血の臭いが残り、至るところに散乱した人の骨、骨、骨……。

 屍山血河しざんけつがと片付けるにはあまりにも悲惨で、呪いでもかけられたように、入山直後は陰鬱な気分が拭えなかったものだった。


「この山は、十万人の人間の怨念が込められている。リリシアがそう感じるのも、当たり前の話だ」


 リュウヤが足元を探る暗い地面に、巨大な石片が無数に転がっている。

 リリシアの“神楯ガウォール”によって破壊された、竜の山最後の番人であるガーゴイルの石の身体だった。

 それらの石に紛れて、紅い光沢を放つ石がリュウヤの目を捉えた。

 リュウヤはおもむろに紅い石に近づき、抜いたルナシウスの切っ先を紅い石に当て、カツンと割った。


「……これで、ガーゴイルは再生しない、と」


 竜の山に配備された魔法生物は、魔法石を原動力に稼働する。核である魔法石を破壊しなければ何度でも再生し、竜の山に入り込む侵入者に問答無用で襲いかかる。

 生物といっても意思はなく、主に命じられたことのみで動く、単なる機械でしかない。

 守るべきものも滅びた今、訪れた者にただ害を及ぼしにくる魔法生物の存在など、不要としか言いようがなかった。

 リリシアは沈痛な面持ちでうつむいている。

 幼い頃に両親を魔王軍に殺されているリリシアにとって、怒りや嫌悪感を隠せる話ではなかった。

 ふと、視界の端に隅で朽ち果てた人骨が映った。ガーゴイルに破れた、数少ない人間の生き残りだったのだろうか。リリシアは憐れむ視線をその骨に向けた。


「行こう、リリシア」


 リリシアの視界の先に気がつき、リュウヤは先を促した。

 怨念だとか霊と言うつもりはないが、洞窟内に漂う血の臭いや腐臭は気を滅入らせ、心身に多大な影響を及ぼす。これまでは気を張ってきたから精神状態も保っていられたが、いつまでもいる場所ではない。


「ここの坂を登れば、もう出口だ」


 頑張ろうとリュウヤが示した先に、蛇のように曲がりくねった坂があった。

 ひとつひとつの坂の勾配は緩やかだが、何度も何度も折り返さなければならず、出口とおぼしき明かりが漏れている場所まで見上げると、五階建てくらいの建物の高さはある。

 随分とまだるっこしい造りにするとリリシアは思い、そのことをリュウヤに話すと、可笑しそうに笑った。


「一直線の階段にしたら、行商人や足腰の弱い国の使者だとか、通れない人間が出てくるだろ。みんながみんな、俺たちじゃないんだぜ」


 リュウヤが後方に従うリリシアに言った。リュウヤとリリシアは坂を使わず、超人的な跳躍力で軽々と跳びながら、一直線に出口へと駆け登っていた。

 常人なら数時間はかかる坂道を、二人は五分と掛からず、あっという間に登りきっていた。出口に近づくにつれ外から、太陽の光と清涼な空気が流れ込んでくる。

 久しぶりの新鮮な空気に、リリシアは思わず洞窟の外へと足を急がせていた。


「う……」


 暗い洞窟内との急激な変化に目が眩み、リリシアは目を開くこともできずにしばらくの間、その場で立ち竦んでいた。次第に光に慣れ、ゆっくりとゆっくりと目を開くと、眼下には周りには山脈が連なり、山々に囲まれた中に、枯れた巨大な樹木が一本、視界に映った。

 ただ一本の枯れた巨樹。

 その根本には町らしき跡があるものの、全て打ち壊され、瓦礫が枯れ果てた黄色い雑草のなかに埋もれている。

 あれが竜の国だと、リュウヤは言った。


「あれがバルハムント。そして首都アギーレ。あの巨樹が人間で言う宮廷。“生命の樹”て言うんだ」

「“生命の樹”、ですか」

「うん」

「枯れてますよね」

「生きていれば死ぬし、死んだらあんな感じになる」

「死んでいるんですか?あの樹」

「……残念だけどね」


 リュウヤが寂しそうに笑い、リリシアの傍に寄って肩を抱いた。

 死んだ巨樹。

 無残に佇む姿は、リリシアには洞窟内で見た、あの人骨たちと重なって映った。


「ホントに、廃墟なんですね……」

「俺も正直、驚いている。誰もいない。魔物すらの気配もない。ホントに廃墟なんだな」


 アギーレを取り囲む岩肌には道が造られ、山に沿うように道が下っていく。貨車などを考慮してか意外と幅が広く、リュウヤとリリシアは安心して寄り添いながら坂を下っていった。

 リュウヤは、ヴァルタスの記憶と自分の感情をごちゃまぜにしながら、感慨深げにアギーレを見下ろしている。

 アギーレをかつて住んでいたミルトと錯覚していた。リュウヤの記憶が、ヴァルタスの記憶に変わっている


「あそこにテパがいて、狩りで待ち合わせするのは、いつもあの場所だったかな。懐かしいな。セリナがそこにいて、アイーシャを抱えて……」

「……あの、リュウヤ様」

「ん、どうした」

「リュウヤ様が掴んでいる私の肩……、少し痛いですけど」


 言われてリリシアの肩に力を込めすぎたことに気がつき、ごめんと言って、リュウヤは慌てて手を放した。


「痛かった?」

「いいんです。リュウヤ様ですから」


 身を寄せてくるリリシアに、リュウヤはそっと抱き寄せた。二人はその姿勢のまま、しばらく無言で歩いた。

 歩くうちに、自分たちに漂う異臭に気がつき始めたのか、リリシアは自分の衣服を嗅ぎ始め、ため息をついた。


「そろそろ、お風呂にでも入りたいですね。変な臭いが気になるし」

「町の外れに泉がある。毒でも投げ込まれてなければ、何でも使えるよ」


 クリューネの生家の傍に小さな泉がある。普段から人目につかない。あそこなら無事かもしれないなとリュウヤは思った。

 そう思っていると、傍らでリリシアがあの、と言った。


「リュウヤ様にお願いがあるんですけど」

「ん?」

「前みたいに、私と一緒に洗いあっこしていただいていいですか?」


 顔を真っ赤に染めながら、リュウヤを見詰めるリリシアの瞳に、淫靡な光が宿るのを認めていた。

 いつのことか、そこでどんなことをしたのか、当時の光景がありありと浮かんでくる。しかし、リュウヤは素知らぬ顔をして、そっぽ向いただけだった。


「洗うって……どんなことをやったっけ?忘れちったな」

「それは……」

「言ってくれないとわからないなあ」

「……いじわる」

「でも、いじわるされるのが好きて、お前言ってたじゃん」

「……」


 リリシアは返事をしなかった。

 その代わりに、リリシアは自分の身体をリュウヤに委ねるようにしてしがみついてくる。


「……リュウヤ様」

「ん?」

「愛してますよ」


 今度はリュウヤが無言のまま、リリシアの小柄な身体をぎゅっと抱き寄せた。


  ※  ※  ※


「……というわけで、この向こうにバルハムントがあるんじゃな。ここまではわかるか」

『はあ……』


 クリューネが指差しルシフィが見上げる先には、天空までのびる高い山々がそびえ立っていた。クリューネに連れられ、トレノから旅をして野を越え谷を越え、ここまで山を登ってきたものの、突如現れた垂直の岩壁には畏怖を感じていた。


「入り口となる竜の山は、ここからだと数日掛かる。罠もあるし、魔法生物もいるだろうから何かと面倒なんじゃ」

『へえ……』


 ルシフィも竜の山のなかに、魔法生物がいまだに存在している、という情報くらいは持っている。魔王軍の会議でもその対策が取り上げられたのだが、廃墟となったアギーレに用は無いということで、そのまま放置という結論になったはずである。

 入り口まで行くのに日数が掛かるだろうし、確かに面倒だろうなと、ルシフィはぼんやりと頂上付近を眺めていた。


「と、いうわけで、私はここから飛び越えようと思う」


 突然の発言に、ルシフィは耳を疑った。

 飛び越えるという意味がわからず、クリューネを見つめていると、クリューネはふっふっふと不気味な笑い声をあげてルシフィを見上げている。


「貴様には何かと世話になったからの。旅の土産に良いものを見せてやろう」


 バハムートかなと思いつつ、知り合って間もない人間に披露しないだろうから、もしかしたら別の何かかもと思って言葉を濁しながら尋ねた。


『ええと……、なにかな』

「まあまあ。楽しみにしておれ。お主なら信頼できそうじゃからな」


 そう言って、ニンマリとクリューネが笑みを浮かべると、突然、クリューネの周りを眩しい金色の光が包み込んでいった。


 ――これが竜化か……。


 クリューネにとっては奥の手のはずで、今の自分をそこまで信頼してくれているのかと、クリューネを騙しているという後ろめたさに、ルシフィの心がチクリと痛むのを感じていた。

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