第54話 信じる子(後編)

 城門に差し掛かった時、子どもの悲鳴と何かを訴える泣き声がリュウヤとリリシアの耳を捉えた。

 アイの声だと思った時、兵士らしい男の怒声がした。


「オラ、さっきの人がつけているのを見つけたんだよお。オラに返しとくれよお!」

『黙れクソガキ!あれは長官殿が、この城を建設された際に見つけられたものだ!』

「だから、あれはオラの……」

『やかましい!』


 坂道を上がりきったリュウヤの目に兵士のひとりに斬られたアイが、鞠のように跳ばされて、地面を転がっていく光景が飛び込んできた。ギッ、と奥歯を鳴らしルナシウスの鯉口を弛めた。

 他に二人の兵士がいて、ひとりが迫るリュウヤとリリシアに気がついた。


『貴様、何用だ!』


 兵士は槍を構えようとしたが、その時にはもう遅かった。

 リュウヤは更に足を早め、懐に潜り込むと、軽々と兵士の首筋を斬り裂いていた。


『なっ……』


 誰が発した声なのか、それは最期までわからなかった。

 なぜなら、鮮血が噴水のように噴き出しながら倒れる姿に気をとられる間に、ルナシウスの閃光が奔り、他の兵士は喉を突かれ、あるいは顔面を割られて即死していたからだった。

 数秒というにも満たない時間の間に、三人もの兵士が肉塊と化して地面に横たわっていた。


「しっかりしろ、アイ」


 即死こそまぬがれたものの、斬り裂かれた胸の出血が酷い。喘鳴するアイを助け起こすと、アイは顔をくしゃくしゃにさせてリュウヤを見上げた。


「……オラの探していたもの見つけたんだ。あれは、オラのだもん」

「どんなものなんだ」

「白くて透明な石。赤い立派な服着たおじちゃんが首から提げてた」

「わかった。俺が取り返してやる。リリシアと隠れて待っていろ」


 赤い立派な服。

 おそらく長官だと目星をつけ、リュウヤはそのまま城内へと足を運んでいく。「リュウヤ様!」と、リリシアの戒めるような声がしたが、振り向きもしなかった。


 ――どいつもこいつも。


 この街に怒っていた。

 弱いものをいたぶって、喜んでいる連中に怒っていた。アイに無関心な連中に怒っていた。結局、力に頼る自分に怒っていた。

 その怒り全てを、目の前の魔王軍の兵士に向けていた。


 ――そんなものが正義か。


 怒りに燃える心のどこかで、冷静な自分の声が聞こえた。

 知恵の足りない、子ども一人の戯言に耳を傾けるのか。

 確かめもせず、感情のまま、怒りに任せて無用な戦いをするつもりか。


 ――やかましい!


 リュウヤは自分の冷静な心を叱りつけるとともに、斬りかかってきた兵士を一撃で斬り伏せた。

 正義や理屈はどうでもいい。あのアイのいつもの澄んだ瞳と、悔しそうな表情だけで十分だ。

 理屈で人を黙らすことは出来ても、動かすことはできない。


『敵襲だ!』

『長官を護れ!』

『まだ他にいるかも知れんぞ!』


 正面から斬り込んできたリュウヤ一人とは思わず、混乱した魔王軍に憶測が混ざったことで、更に混乱に拍車を掛けて、もはや組織として機能していなかった。

 浮き足だった魔王軍を打ち破るは容易く、振るうルナシウスの刃が煌めく度に血煙が舞い、リュウヤの歩いた後には骸と化した兵士が倒れている。リュウヤは城内を、無人の野を歩くように突き進んでいった。


『な、なにをしとるか!早く殺れ!』


 上ずった声が吹き抜け式の階上から響き、見上げると三階辺りの手すりから、赤い法衣のような衣服をまとった魔族の男が覗き込んでいる。胸元には金の首飾りに装飾されて、白く透明な石が垂れさがっていた。


 ――あの男が長官か。


 リュウヤは腰をしずめてやにわに疾走すると、襲いかかる兵士を薙ぎ払いながら階段を飛び越え、手すりを踏み台にして一躍し、猿のような跳躍と身のこなしで、一気に長官の傍までたどり着いていた。


『貴様、レジスタンスの一味か』

「関係ない。アイから奪ったものを返してもらうぞ」

『何のことだ』

「その胸元にさがっている白い石。それはアイのもんだ」

『何を抜かすか!これはここの老木が産み落としたものを、私が手に入れたんじゃ。何で貴様ごときに渡さねばならん!』

「渡せば、命だけは助けてやるぜ」

『ほざけっ!』


 長官は咆哮すると、剣を抜いて上段から振り下ろしてきた。長官だけに剣には勢いがあったが、リュウヤは身を引いてかわした。おのれ、と蛇のような目でリュウヤを睨みつけると、長官は口に泡をためながら再び踏み込んだ。横から殴りつけてくるような剛剣を、リュウヤは一歩前に足を出すと同時に跳ね上げ、長官の体勢が崩れたところで脇腹を存分に斬った。


『……』


 長官は信じ難い表情で目を見開いていたが、やがて剣を落とすと膝をついて、重い音を立てながら前に倒れた。長官の身体の周りに大量の鮮血が広がっていった。


『に、逃げろ!』


 長官が倒れたのを目の当たりにし、兵士たちは絶叫と悲鳴をあげながら、我先にと争いながら、城から逃げ出していく。

 リュウヤは兵士たちの悲鳴を遠くに聞きながら、長官の身体に近づき、首元にそっと手を伸ばした。


「これはアイに返すぞ」


  ※  ※  ※


「あり……がとう……」


 不吉な咳をしながら、リュウヤが差し出した白い石を手にすると、アイは穏やかに微笑んで石を眺めていた。リリシアの回復魔法のおかげで一命はとりとめたが、身体はかなり衰弱している。リュウヤたちは城を出た後、町の離れにある小高い丘まで逃れていた。ここなら、町や海の様子を一望できる。黒煙がところどころに立ち上っている。悲鳴や怒号か微かに聞こえてくる。

 長官が討たれ魔王軍が逃げたために、テルケケは混乱し、大暴動が起きているということは容易に想像できた。


「これ、オラがずっと探してたもんだあ……」

「なあ、アイ。これでいいだろ。こんな町を出よう。エリンギアに行けば、似たような子がたくさんいて、友達だってすぐに出来るぞ」


 リュウヤが言うと、アイは石を見つめながら、弱々しく「ダメなんだ」と首を振った。


「オラ、ここにいないと」

「何故だ。命はとりとめたが、身体は衰弱している。それにこの町にいたら、酷い目に遭わされるだけだぞ」


 口ではうまく説明できないんだと、アイは言った。


「この石みたいなのを手にして、思い出したんだ。これね、オラの一部みたいなもんなんだよ」

「これが、アイ?」

「うん。この石みたいなのて、元々は種なんだ。ほんで、オラがどこか良い場所見つけて種と一緒に眠ってずっと待つんだ」

「“シルジェナの樹”か……」


 リュウヤはヴァルタスに残された記憶からではなく、噂で耳にした記憶からこの白く透明な石が何であるか思い出していた。

 シルジェナの樹。

 樹齢は千年を越し、太い幹や大きく張り巡らした枝の荘厳な佇まいから、霊木としても知られている。

 といっても霊木というのは人間の視点からで、竜族から見れば、大した霊力があるわけではない。自然、宿る聖霊も微弱だから、ヴァルタスが把握していないのも当然かもしれない。

 この樹が命を終えるとき、一粒の種を落とすが、白く透明な宝石のようで富裕層から珍重されていた。


「オラさ、あの高台にあった樹に、ずっとずうっと昔からいた」


 アイは懐かしそうに、シルジェナの種を握り締めていた。


「あんときはもっと森や動物がたくさんあって、人間も石を投げてこなかったんだけど。オラみたいな仲間も周りにいっぱいいたはずなんだけど、いつの間にか、オラ独りだけになっちゃった。だけど、おかしいなあ。町の子とはもっと明るく遊んでたのに、いつからオラに石を投げてくるようになったんだろ」

「……」


 リュウヤとリリシアが答えに窮している中、アイの身体がほのかな光を帯び始めた。


「なあ、リュウヤのあんちゃん、リリシアの姉ちゃん。頼みがあるんだ」

「何?」

「オラ、ここがいい。この場所、気に入った。ここに埋めてくれねえかな」

「ああ、わかった。そうするよ」

「オラ、頭悪いからすぐ忘れちまうけど……、アイて名前、ぜってえ忘れないからな」

「そうか、ありがとな」

「へへ……」


 出会った時と同じように明るく笑ってみせたのを最後に、アイの身体は光の粒子と化し、ふわふわと頼りなげに空に向かって散っていった。その後には、一粒のシルジェナの種が残されていた。


「……リュウヤ様、私がやります」


 リリシアが申し出て、ナイフの鞘を使って穴を掘って種を埋めると、リュウヤは「行くぞ」と呟いて歩き始めた。リリシアは何度もアイが埋められた場所や町からのぼる黒煙を振り返り、不安を隠せないままリュウヤに言った。


「リュウヤ様、あの町でアイが笑える日が来るんでしょうか」

「来るさ。きっと」

「どうして断言できるんですか。あの町を見ていると、私は祈る程度しか……」

「祈る何かにすがるみたいで、祈りなんて使いたくない。今のあの町は腐っているが、アイが戻ってきた時、また一緒に笑って遊べるような町に戻っている。アイはそう信じている。アイが信じているなら、俺も信じるさ」

「……」

「そのために、俺たちがやれることをやってかないと」


 リュウヤは不意に立ち止まって、後ろを振り返った。


「アイが信じているなら、それに応えないとよ」


 と、自分に言い聞かせるように呟くと、正面を向いて足早に歩き始めた。リリシアはリュウヤの後に従い黙ってついてくる。じっと、リュウヤの背中を見つめていた。

 丘を下り森を抜け、バルハムントまでの道に戻ると、いつもは一歩さがって歩くリリシアが横に並んだ。珍しいことだと思って横目でリリシアを見ていると、不意に身体を寄せてリュウヤの腕を組んできた。


「どうした。リリシア」

「一人で抱え込まないでください。私がお側にいますから」

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