第53話 信じる子(前編)
街の隅でわっと声が上がって、リュウヤ・ラングが声に目を向けると、立ち止まって眉をひそめた。半歩後ろに従うリリシア・カーランドも同じ思いでその光景を眺めていた。
他に足をとめる者もいたが、野次馬根性で眺めているだけで、多くはかかわり合いになることを避けて、足早に去っていく。
視線の先には、物貰いらしいみすぼらしい衣服を着たひとりの少女が、複数の男たちに囲まれ、執拗に痛めつけられている。歳は十歳くらいだろうかと思われた。
少女は石つぶてで、木の棒で、足蹴で、身体を殴打されていた。男たちの中に、少女と同年齢と思われる子どもも何人か混ざっていて、醜い喜悦の笑みを浮かべながら少女をいたぶっている。何をしたのかはわからないが、胃の底がムカムカとするような、不快な光景だった。
「リュウヤ様」
リリシアが訴えるような目で、リュウヤを見上げ裾を引いた。
――早く行きましょう。
2人にとって、テルケケという町は、単なる寄り道に過ぎない。
メキアと同様に貿易で栄えていた町でメキアと同様に広い面積を持つ町だったが、メキア以上に貧富の格差が激しく、治安の悪い町として知られていた。魔王軍の支配下に置かれている。昔は奴隷がこの港から運ばれ栄えていたというが、主な経済活動を人間に頼り出してから奴隷産業も下火となり、近年は流行らなくなっていた。テルケケに住む人間たちの大多数は、行き場をなくした奴隷たちの末裔だという。
なんにせよ、トラブルに巻き込まれれば目立つ可能性が高く、首を突っ込むのは賢明とは思えなかった。
エリンギアから竜の山まで向かう途中、ルートから逸れてテルケケに寄ったのは、水と食料の調達のために訪れただけで、どこかの店で少し腹に詰め込んだら、さっさと町を出るつもりでいたのだ。少女のように気の毒な人間は、ゴマンといるのだ。
少女には気の毒だが、放っておくしかない。
だが、リュウヤはじっと佇んだまま、少女の様子を眺めている。助けにいったものか迷っている目つきだった。
「リュウヤ様。早く行きましょう」
リリシアがたしなめるように促した時だった。「あっ!」という声が上がり、リュウヤの顔色が変わった。リリシアが声のした方へ視線を向けると、額から鮮血を噴き出し、傷を押さえ込んでうずくまる少女の姿があった。どうやら石つぶての一つが少女の額を割ったらしい。
そんな少女の様子に、男たちは醜い歓声をあげ罵声を浴びせている。
「……」
少女が倒れこんだのと男たちが浴びせる嘲笑にリュウヤの表情が一変し、無言で男たちの下へ歩いていった。リリシアはリュウヤの背を見送るだけで、声を掛けることすら出来なかった。リュウヤの顔は蒼白で眼は血走り、怒りに満ちているのは一目瞭然だった。リリシアはリュウヤに対する恐ろしさで身がすくみ、口を動かすこともできないでいた。
時折、リュウヤはリリシアから見ても、体が震え胸が苦しくなるくらい怖い時がある。
リュウヤは男たちの後ろに近づくと、肩を掴んで押し退け前に進んでいく。「何をしやがる!」と声をあらげる者もいたが、リュウヤの険しい形相のせいか、剣士と見てひるんだのか、突っかかってくる者はいなかった。
「おい、大丈夫か」
リュウヤが少女に声を掛けると、少女は押さえた手の下から、大きく明るい笑顔をつくってみせた。
「うん、だいじょうぶだよ」
「立てるか?向こうで傷の手当てしてやる」
「あ、ありがとう……」
少女を立たせた時に気がついたのだが、いつの間にか額の傷口がふさがっている。見た目よりも傷が浅かったのだろうか。
「おい、そのパアをどこに連れていく気だ?」
男の声が背後から聞こえた。
わずかに後ろを振り向くと、少女に打擲を加えていた男たちが木の棒や石を持ち直し、リュウヤの周りを取り囲んでいる。
「パアて、この子の名前か?」
「そうだよお」
男の代わりに、パアと呼ばれた少女が、ぼんやりと答えた。
「いつもオラ、皆からお前はパア、お前パアて呼ばれてるんだあ」
「……そんな名前は捨てろ。お前に相応しくない」
「そうかなあ?」
真っ黒に汚れた顔の中で、琥珀の瞳だけはキラキラと宝石のように輝いている。少女の呼び名に差別的な響きを感じとり、リュウヤは奥歯に力を込めていた。
「お前の瞳は宝石みたいに綺麗だ。だから、“アイ”て呼び名の方が俺は良いと思う」
「……」
「どうかな?」
リュウヤの問いに、少女は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「いいよ。キレイなんて言われたの、オラは初めてだもん」
「そうか、気に入ってくれてよかった」
リュウヤは立ち上がると、少女を後ろに隠すようにして前に立ち、男たちを睨んだ。
「この子が、お前らに何をした。こんな小さい女の子に、寄ってたかって恥ずかしくねえのか」
「そいつは俺たちの縄張りに勝手に入って、ゴミを漁ってやがった。前も痛い目に遭わしてやったのに、まだ懲りねえ。ちゃんとお仕置きをしてやらねえとよ」
「そんなことで、こんな酷い目に遭わせるのか」
「“そんなこと”だと?」
男たちの一人がせせら笑った。
「俺たちには、俺たちの法てもんがあるんだ。それを破る奴は許しておけねえ。助ける奴も見逃しちゃおけねえ」
「……」
「アンタ旅人みたいだが、この町のルールてやつを知って、世間てものを知った方がいいぜ」
男の一人が残忍な冷笑を浮かべると、他の人間も同調するように、「そうだ!」「思い知りやがれ!」と辺りは怒号と罵声につつまれた。
「やっちまえ!」
誰かがそう叫ぶと、もはや集団心理に煽られて歯止めが利かなくなり、四方から獣のように喚いて躍りかかってきた。リュウヤは身構えもせず、ただ佇んでいる。
――クソッタレが。
醜い。
ただ醜い。
沸騰しそうな怒りが、そのまま言葉となって吹き荒れた。
「黙れっ!!」
喝と吼えたリュウヤの咆哮に跳ね返され、男たちはその場でへたりこんでしまった。
凄まじい殺気の波が男たちを呑み込み、男達から戦意を一瞬で奪っていた。男たちに混ざり、少女をいたぶっていた子どもたちの中には、失禁している者さえいた。
「お前らがお前らの法てもんを押しつけてくるなら、こっちはこっちの法で跳ね返してやるまでだ。……この子は連れていく。追うような真似をしたら、容赦しねえぞ」
リュウヤが剣の鯉口をゆるめながら、男たちをひとにらみすると、ある者は目を逸らし、ある者は這いつくばって逃げようとし、ある者は震えたままリュウヤを凝視していた。
男たちの間から戦意が無くなっているのを確認すると、リュウヤは少女に優しく微笑んだ。
「取り合えず、腹減ってないか?」
「うん!オラ、すっげえ腹減ってるんだ!」
リュウヤは笑みを崩さない少女の肩を抱き、男たちの輪から抜けると、リリシアを目で促してその場から離れていった。
「……ちくしょう」
男たちの誰かが、悔しがるように言うのが聞こえた。だが、後ろから襲撃をしてくる気配はない。
リリシアはリュウヤに追いつくと、後ろの男たちを警戒しながら影のように付き従う。そんな中、少女はニコニコしながらリュウヤとリリシアを見上げていた。
※ ※ ※
「ごちそうさまあ」
ご飯粒ひとつ残さず皿に盛られたピラフを綺麗に平らげると、アイと呼ばれるようになった少女はゲフッと息を吐いて、満足気に腹をさすった。
リュウヤとリリシアはアイを連れ、高級レストランに立ち寄っていた。安心して満足な食事を望むなら、そのくらいしか選択肢が無く、入店した際は3人の風体を見て、ウェイターがひどく不快な顔で出迎えたが、チップを金貨で渡すと手のひらを返したように明るい笑顔に豹変し、換気の良いバルコニー席へと案内した。
「今日は良い日だなあ。こんなうめえもんまで食べられるなんて」
「アイ。食べたいなら、もっと食べていいぞ」
「ホントに?ええと、ええと……」
アイはメニューを忙しく覗き込み、周りのテーブルを見渡す。そんなアイの無邪気さがリリシアにも微笑ましく思えたが、これからを考えると、不安ばかりが頭にもたげてくる。
リリシアは隣のリュウヤに囁くように言った。
「これから、この子をどうするんですか?」
「誰かに頼んで、エリンギアに送ってもらうさ。ジルなら面倒を見てくれるだろう」
面倒を見るということは、レジスタンスの一員として働かせるということでもある。
子どもを戦場に送るようで気分の良いものでもなかったが、リュウヤが連中に恥をかかせた以上、リュウヤたちが去った後でアイに仕返しをすることは目に見えている。
アイを町に残すのは危険だったし、かといって、旅に連れていくわけにもいかなかった。それにレジスタンスの一員となったところで、アイが戦士にむいているとも思えないから、裏方の単純作業で済むだろうという思惑もあった。
「……構いませんが、リュウヤ様は寄る町寄る町で、こんなことを繰り返すつもりですか。似た境遇の子は、数えきれないほどいますよ」
「スマン。迷惑掛けるな」
頭を下げるリュウヤに、リリシアはいえ、と慌てて首を振った。リリシアは自分の発言に後悔している。
正しいことをしたのはリュウヤである。見捨てることを選択したにも関わらず、リュウヤを責めている自分が恥ずかしくなっていた。リリシアは身を乗り出し、まだメニューを決めかねているアイにねえ、と語りかけた。
「これからあなたはこの町を離れて、エリンギアという町に連れて行くつもりなの。でも、私たちは旅に出なきゃいけないから、エリンギアまでの間、少し寂しいけれど……」
「オラ、この町にいるよ」
「え?」
「オラ、探さなきゃならないんだあ」
「……探すって何を?」
リリシアの質問に、さあ?とアイはニコニコしながら首を傾げた。
「よくわかんない。でも、ずっと前に無くしちゃって見つけなきゃいけない。だからオラ、この町にいなくっちゃ。だから残るんだ」
アイの言葉の意味がわからず、互いの顔を見合わせるリュウヤたちを余所に、アイはチキンピラフを指して、「これ欲しい!」と叫んだ。
※ ※ ※
リュウヤ・ラングは港の傍にある橋の欄干上に腰かけてしゃがみ込み、沖を眺めていた。時おり、通行人がリュウヤに怪訝な目を向けながら通り過ぎていった。
ふとリュウヤに音もなく近づく気配がした。だが、リュウヤはじっと正面の沖を見つめている。振り向かなくても気配でわかる。
「どうだった?リリシア」
むずかしいですねとリリシアがため息をつくように言った。
「この町では、孤児を引き取るような施設もありませんし、自分の身や家族を守るだけで手一杯みたいです」
「そっちもか。金のありそうなのはマフィアか魔族に繋がりあるのばっかで、それこそアイが危ない」
リュウヤとリリシアは予定を変更し、テルケケの町でアイを連れて一晩宿をとることになった。翌日、二人はアイを引き取ってもらえそうな施設や家を廻り、あわせて聞き込みを行っていた。しかし色好い返事はなく、あっても人身売買と勘違いする輩ばかりで、リュウヤは荒廃したテルケケに、絶望的な気分となっていた。
「私たちも旅の身。この町に長居するわけには……」
「もう一度話し合って、エリンギアに行ってもらうしかないかな」
危険だが旅に連れていくか。しかし、これから向かう竜の山は、強い魔物や険しい道のりが続く。アイには過酷すぎ、死なせに連れていくようなものだった。
安い正義感でドツボにはまったと後悔しながら、リュウヤは欄干を降りてリリシアと宿に戻ることにした。気のせいだろうか。幾分、足取りが重い。
「聞いた話だと、アイを頻繁に見掛けるようになったの。ここ一年くらいだそうです。いつの間にかテルケケにいたみたいで。でも、昔からいたという人もいて、……不思議なんですが」
「俺が聞いた。アイと昔遊んだてじいさんいたな。ちょうどあの辺り……」
リュウヤは町の高台にある城を指しながら言った。魔王軍の長官が、昨年建設した城だという。
「かなりの年寄りだったからアテにはならんけど、古くて大きな樹があって、そこで良く遊んだとか」
「何か変な話、ですね」
リュウヤとリリシアは顔を見合わせながら、宿に入った。
「あれ?アンタら、あの子どうしたんだい?」
宿に戻るなり、太った女主人が怪訝な顔つきでリュウヤたちを見た。
「あの子?」
「あのキッタナイ子。アンタらが出ていった後に、聞いてきたから、外に出掛けたよて教えたら、追いかけていったんだよ」
「起きたら、部屋で待つよう伝えてくれと言ったでしょ!」
リュウヤは色をなして声をあらげた。しかし、女主人は悪びれた様子もなく、いかにも自分が被害者だと迷惑そうに手を振っている。
「アタシは言ったよ。でも、それであの子が行くか待ってるかは知らないね。宿代は前払いでもらってるし、出るならどうぞてとこだよ」
「クソッ……!どいつもこいつも」
リュウヤは吐き捨てるように身を翻すと、宿の外へと駆け出していった。リリシアも慌てて後から追いかけてくる。
「リリシア、手分けして探そう。俺は昨日のところへいく!」
リリシアが頷くのを確認すると、リュウヤは昨日、アイが絡まれていた場所へと疾駆した。ゴミ捨て場には昨日の男たちが集まっていて、うずくまっていたり看板に寄りかかったりして何事か話をしている。その中で一人が目ざとくリュウヤを見つけると、鬼のような形相をしたリュウヤに驚いて一斉に逃げ出した。
だが、脚力でリュウヤに敵うはずもなく、一人があっという間に追いつかれて地面に組伏せられた。
「おい、アイはどこだ」
「あ、アイ……?」
「お前らが“パア”て呼んでた奴だ。ここに来たろう」
「こ、ここ、来ねえよ。見てねえよ」
「……ホントか?」
「ホントだよお。ホントに来てねえんだよお!た、助けてくれよ……」 命乞いをするような作り笑いには恐怖の色があり、嘘をついているようには思えなかった。行け、と手を離すと男は振り向きもせずに逃げ去っていった。
「リュウヤ様!」
リュウヤの耳にリリシアの声が響いた。見ると、リリシアが猛然と駈けてくる。
「長官の城にアイがうろついていて……、兵士に連れていかれるのを見たという人が……」
そこまで言って、リリシアは言葉を切った。リュウヤの瞳が異様な光を放ち、全身から殺気が漂っている。既に腰にさげたルナシウスの鐺(こじり)に手が掛かっている。
「リリシア、行くぞ!」
リュウヤは高台の城に目を据えながら、猛然とした勢いで疾駆した。
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