第36話 空を翔ける
濃い血の匂いが鼻をつき、ドウと音を立てて倒れたジクードの身体が動かなくなるのを確認すると、リュウヤは沖で戦っているはずのバハムートに視線を移した。
視線の先ではバハムートとデッドマンが互いに咆哮しながら戦っていて、腰まで海に浸かったバハムートが、デッドマンを相撲のように突っ張って押し込んでいる。
――何故、一気にケリをつけないのか。
不審に思ってバハムートの戦い方を見ていたが、その理由はすぐにわかった。
本能によるものか狙いなのかわからなかったが、デッドマンは街に向かって進もうと常に街を背にしている。下手に全力で戦えば、バハムートの攻撃が街に被害をもたらす。
――魔法で援護するか。
リュウヤがそう思って足を踏み出した時、バハムートがデッドマンの肩に噛みついて喰いちぎるのが見えた。
“逃すか!”
野太い唸るような悲鳴をあげて、デッドマンはどす黒い血の吹き出す肩を押さえながら逃れようとしたが、バハムートはデッドマンの身体をつかんで逃さない。
デッドマンの身体を強引に担ぎ上げると、更に沖に向かって放り投げた。
海の中に叩きつけられ、負傷した肩の激痛と呼吸を奪われたことで、デッドマンがもがくように起き上がると、その前にバハムートが身構えている。
そして、バハムートが耳をろうすような雄叫びをあげると、耳まで裂けた巨大な口の中から銀色に輝くブレスを解き放った。
ホーリーブレスとクリューネが名付けた光の柱は、デッドマンの身体をたちまち呑み込んでいき、再構成された肉体を焼き付くしていく。浅黒い巨人の肌はたちまち炭化していき、光が消失した時には、デッドマンは身体中から煙を吹き出し、静かに海の中へと倒れていく。
デッドマンの体格と同じくらいの水柱が立つと、ムルドゥバの街から盛大な歓声が遠くから響いてくるのが聞こえた。
「やった、よくやった!」
「魔王軍、ざまあみろ!」
「ドラゴンさん、ありがとー!」
ああいう歓声がメキアの時は罵声だったなと、嬉しさよりも皮肉に思って声がしてくる街を眺めていたが、視界の端にふとある変化に気がつき、慌てて振り向いた。
息絶えたはずのジクードの身体の周りに、金色の光を放つ魔法陣が浮かび上がっている。その光は徐々に強さを増し、ジクードの身体を覆っていく。
「確実に仕留めたはずなのに……」
その時、リュウヤの頭の中に、ヴァルタスの知識からある答えを告げられ、リュウヤは奥歯を噛み締めた。
「これは転生魔法か?」
ヴァルタスがリュウヤに力を託したものとは系統が異なるが、使用者が死んだ場合、特定の者に使用者の力を与える魔法も存在する。
習得するまでかなりの修行が必要で、使用すれば解除するまで魔力が制限される。使う者など滅多にいないのだが、魔王軍の諜報と暗殺を任務とする部隊に属するジクードは万が一の場合を考え、その転生魔法を使用していた。 リュウヤがジクードの魔法を阻止しようとした時には、ジクードの身体は光の塵となって消失していた。そしてジクードが消えると、街のある方角の空に、魔法陣が映し出された。
街の人々も何事かと空を見上げている。
「あの方向……、試合会場……」
――テトラが、みんなが危ない。
転生先はカルダだと見当はついている。試合結果がどうなったかは不明だが、記憶を転生されて、リュウヤたちの正体や企んでいた作戦が完全に失敗したことを覚ったはずだった。
リュウヤは街の人々と同じく、魔法陣を見上げていたバハムートに向かって怒鳴った。
「クリューネ、試合会場だ。行くぞ!」
バハムートがわかったとうなずいたが、足元で影がうごめき動きがとまった。
“……なんだ?”
バハムートが海に目を凝らした時、突如、海面が盛り上がり、海中から倒したはずのデッドマンが再び姿を現した。
“まだ生きていたか!”
バハムートがブレスを放ったが溜めが少なく、デッドマンの左腕を吹き飛ばしただけだった。デッドマンは絶叫を挙げ、泣き叫ぶように街の方向へ逃げようとする。
“させるか!”
バハムートは港に先回りし、デッドマンの直線に立った。
――これで肉体ごと消滅させてやる!
バハムートは体内の力を集め、大きく身体を反らして息を吸った。デッドマンの後方には海しかない。
フルパワーでブレスを放てるはずだった。バハムートの体内には、原子レベルまで消滅させる力を溜め込んでいた。
あとは力を解き放つのみ。
その直前、バハムートの身体を光に包まれた。溜め込んだエネルギーがみるみる失われ、それとともにバハムートの身体も小さく、竜から人の姿へと戻っていく。
「こんな時に時間切れじゃと……?」
光が消えると、そこには人の姿に戻ったクリューネが焦る表情で佇んでいた。そして、デッドマンの影がクリューネの小さな身体を覆う。
バハムートの力を失って何の抵抗もできない事実が、圧倒的な圧力を前にクリューネを怯えてしまい、クリューネの身体は恐怖で強張り、身動きが出来ないままデッドマンを凝視していた。
「クリューネ!」
叫ぶやいなや、リュウヤは疾走していた。
隣の埠頭。
相当の距離はある。
しかし、今はやるしかない。
――竜みたいに飛べはしねえが……。
リュウヤは倉庫の屋根に一息で跳び上がり、デッドマンに向かって駆けた。
ヴァルタスから託された力を全て出しきるつもりで、駆ける足に力を込めた。屋根の縁に足を掛けた時、跳躍して一気に空へと躍り上がった。
「〝跳んで〟翔けてやらあ!」
剣を肩にのせ、跳躍したリュウヤの身体は、風を砕きながら一直線でデッドマンへと向かっていた。轟音を轟かせて突き進むリュウヤの肉体は、凄まじいエネルギーを放出させながら空気を切り裂いていった。
「ウラアアアアアァァァ!!」
剣を脇構えに構えたリュウヤは、力を柄に込めた。
生も死も考えなかった。
成功も失敗も考えなかった。
ただ、無心にデッドマンのある一点を狙い、思念を一刀に全てを懸けて柄を握った。
「ダアッ!」
激しい気合いを発し、リュウヤは剣を振るった。
振るったルナシウスの刃が、デッドマンの首筋に吸い込まれる。
リュウヤの気や勢いが刃に力を与え、リュウヤの身長の半分程度しかないはずの刃が、巨木のようなデッドマンの首の肉や骨を斬り裂いていく。
リュウヤが地面に着地した時、振り向いて剣を構えるとデッドマンの動きはピタリと止まり硬直していた。
次第にデッドマンの首が後ろへ、後ろへと垂れ下がる。
やがてデッドマンの首が重い音を立てながらドウッと海に落下していった。
残した身体も首に引っ張られるように後ろへ傾き始める。
その時になってデッドマンの身体から大量の血が噴き出し、海を朱に染めながら飛沫をあげて海の中へと沈んでいった。
「大丈夫か、クリューネ」
リュウヤは肩で息をしながらクリューネに近づいていった。クリューネはまだ呆然とした面持ちで、真っ赤に染まる海面を見つめている。
「おい、クリューネ」
リュウヤが優しい手つきで肩を揺さぶると、クリューネは錆びたロボットのようにぎこちなくリュウヤを見上げた。
「リュウヤ……」
クリューネの両目に涙が浮かんだ。
「リュウヤ、リュウヤ……」
「怪我は無いか?」
「……はい」
リュウヤが尋ねると、クリューネは顔をくしゃくしゃに歪ませ、リュウヤの胸元に飛び込んでむしゃぶりついてきた。思わぬ殊勝な返事にリュウヤは戸惑ったが、その間にリュウヤの胸元に熱いものが広がっていた。
「……怖かった。もう駄目かと思っていました」
「いいよ。もう奴は死んだ。安心しろ」
「バハムートのくせに倒せなかった。……ゴメン、ごめんなさい」
「ごめんなさいなんて言い方、クリューネらしくねえだろ」
リュウヤは小さく笑いながら、震えるクリューネの背中をさすった。華奢で薄い背中が憐れに思えた。
「もう、泣くな。まだ仕事が残っているから」
「……」
「テトラたちが危ない。俺は試合会場に行くから、クリューネはここで待っていろ」
「……いやだ」
「何、こんな時にわがままを」
「いやだ。お前は私のパートナーじゃろ。仲間を助けにいくのに私が行かんでどうする」
「だけど」
「だけどもへったくれもあるか。私がお前を放っておけんと言ったのだ。一緒ついていくわ」
クリューネは顔をごしごしと拭ってリュウヤを睨んだ。先ほど見せた泣き顔はもう消えて、口調もいつものクリューネに戻っている。リュウヤはまっすぐにクリューネを見つめた。
「……それなら頼む」
リュウヤを見つめ返していたクリューネの表情が、一瞬だけ崩れた。
少しでも力になりたい。
クリューネはそう言っているように思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます