第37話 心眼一閃
爆風が吹き荒れた試合会場には、悲鳴と濃い噴煙が立ち込めていた。
「う……」
危険を直前に察して退いていたことと、試合場のマット上だったおかげでテトラは直撃こそ免れ、倒れて衝撃もやわらいだものの、熱い猛風が肌や髪を焼き、突き刺すような痛みがテトラを締め付けてきた。
コート上でテトラは倒れ込んでいたが、痛みを堪えながら身体を起こす。
煙が肉の焼け焦げた臭いを運んでくる。見渡すと煙の隙間からカルダの介抱にあたっていた医療スタッフは、全員丸焦げとなって炭と化し床に転がっている。
その中心にカルダが立っていた。
カルダは天井を真っ直ぐに見上げている。黒い煙に紛れてキラキラと宙に光の粒子が煌めく。
埃が外からの陽光に反射しているのだろうかとテトラは思った。その光はカルダに降り注いでいるように見えた。
『ジクード様は、死んでしまわれたのか』
カルダが呟く。
『そうか、相手は竜の一族……。リュウヤ・ラング……、あの小娘がクリューネ姫……』
そこまで言うと、カルダの身体が電撃を受けたように震え、肌の色が鉄のように浅黒く変色していく。
狂暴なパワーと殺気の嵐が、カルダの身体から吹き荒れてきた。それまでのカルダと違う、別の何かが乗り移ったかのようにカルダの姿が変わっていく。
『……ジクード様、貴方のご遺志と力、我と共に』
カルダはコートの外に左手を掲げた。
『我が守護剣ゼルガドよ、ここに来い!』
カルダが叫ぶと、テトラの耳が会場の奥から唸りを上げて接近してくるものを捉えた。会場脇、出場選手が荷を預ける保管所のある方向からだった。
不吉で無気味な音。
一瞬の静寂の後、会場の壁を粉砕して一振りの剣が鞘ごと現れた。
逃げ惑う人々を弾き飛ばしながら、主人に呼ばれてやってくる犬のように、意思を持つ生き物のようにして、ゼルガドと呼ばれた剣はカルダの手の内に収まった。
守護剣ゼルガド。
かつて、カルダを守護していたベヒーモスの名前。
ゼルガドの死後、その魂が一振りの剣に封印されている。
『行くぞ、ゼルガド』
その直後、カルダは剣を抜き放って、テトラには目もくれず疾駆した。テトラが視線を向けたその先には、側近に何かを指示しながら、聖剣エクスカリバーを手にしてカルダに鋭い目を向けるアルド将軍の姿が見える。
――カルダの狙いは、あの人か。
だが、テトラは動けなかった。
身体の痛み、そしてカルダへの恐怖が、試合の疲れが、粉塵による呼吸の辛さがテトラの身体を拘束していた。
――もう、関係ないじゃない。
どこからか、自分の声がテトラの耳元に囁く。
自分は元々ムルドゥバの人間じゃない。
関係ない。
関係ない。
どう見たって勝てない相手なんだから、しょうがないよ。
戦ったら死んじゃうよ。
テトラの耳に、こどもな泣き声が聞こえた。女の悲鳴が届いた。男の絶叫が響いた。動かなくなった男を揺すっている若い女の姿が見えた。腹から血を流し床にのたうちまわる老人の姿があった。
護衛としてアルドを囲っていた兵士たちが、カルダに向かっていくが、敵わずに次々と斬り倒されていく。
兵士の誰かが放った攻撃魔法が直撃しても、カルダはその兵士を斬り捨て、怯むことなく猛進する。
カルダの進んだ後には、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられている。
――シアもこんな光景を見たんだ。
テトラは魔王軍との戦いで散った、自分の兄を思い出していた。
シアが何故、メキアに残って魔王軍と戦ったのかわかった気がした。
一度は恐怖によって拘束されていた身体が、新たに噴き出た感情によって解放されていく。関係ない、と囁いていた自分の声も聞こえなくなっていた。
テトラは会場の隅で瓦礫に紛れて自分の長剣が床に転がっているのを見つけると、素早く剣をとった。
怒りの感情がテトラの足を前に進ませる。
鞘を捨て、叫喚の中を駆ける。一直線にカルダへと向かった。
背後から迫る殺気にカルダも気がつき、振り向くと、剣を手に殺到するテトラの姿があった。
『小娘が!』
カルダが守護剣ゼルガドを右斜め上から振り下ろす。刃が空気を切り裂き、既に幾多の兵士の命を奪った刃を、テトラは剣で弾き返した。
おのれとカルダは吐き捨て、口に泡をためて再び剣を振るった。猛烈な斬撃がテトラを襲う。
切れ味の増した攻撃を防ぎきれず、テトラは頬や腕を浅く斬られた。しかし、テトラは構わず間合いを詰めて剣を振う。刃と刃がぶつかり、鉄の焼けた臭いがした。
『今度こそ逃げるかと逃げなかったな』
「こんな光景を見せられて……!」
しかし、テトラには余裕があった。繰り出される攻撃を弾き、
『ちっ……!』
正眼に構え直してカルダが向くと、既にテトラは上段に構えて待ち受けている。
カルダはにじり寄って足を進めると、逸らすようにテトラは右へと動いた。
再びカルダが走り、風を切り裂きながら剣を振るってきた。正眼から上段に変化した激しい連続した攻撃は嵐のような勢いがあった。しかし、テトラは落ち着いて剣を避ける。巧みにかわすテトラに焦れたカルダが、不用意に踏み込んだ剣を狙って、テトラは胴を払った。危機を察して捩ってかわしたが、硬質化しているはずの脇腹が斬られた。
――動きが違う。
血が滲む脇腹を押さえて、何が起きたのかとカルダは内心、驚愕していた。
少し前まで怯えた兎のようだった女が、何の心境の変化かこの数合の間に剣の冴えを増し、試合の時よりも見違えるような動きになっている。
ジクードから移された記憶が、テトラとリュウヤを重ねているのがカルダには気に入らなかった。何を怖れるかと自分を叱咤し、剣を握り直した。
対するテトラは怒りによる熱は過ぎ、奇妙な冷静さで身構えている。
『鬱陶しい奴だ。今度こそケリをつけてやるぞ』
「……」
周りの人間は介入する余地もなく、息を殺して二人を見守った。
カルダが短い気合いを発して走ってきた。鬼が走っているように見えた。
テトラも駆ける。
互いの剣がぶつかり合ってすれ違った。足を踏みとどまらせ、再度走って打ち合う。金属のぶつかり合う音と火花が散った。
テトラは足を踏み変え、弧を描くように転身する。 そこから下段で鋭く斬り込んだ刃が、浅くもカルダの胸を裂いていた。
『ちいっ……!』
魔人化したジクードと同様、受け継いだカルダも硬質化した肉体を持っている。それを斬るためにはリュウヤと同等か近い実力が必要なはずだが、この短時間で、テトラは急速に成長していた。
だが、テトラ本人はそのことに気がついていなかった。目の前の敵を打ち破ることだけに専念している。
――たかが人間が……!
剣では押し気味だといい気になっている、とカルダはプライドを傷つけられ歯ぎしりをした。人間のくせに、と。
そう。所詮は人間。
魔人化した俺とは身体のつくりが違う。
自分もダメージを受けるだろうが、人間ならただでは済まないだろう。
カルダはニヤリと邪悪な笑みを浮かべると、巨大な火球を手の内につくった。地面に叩きつけた。
「なに……!?」
激しい熱風がテトラの顔を焼き焦がし、皮膚の一部がただれ、灼熱の痛みとともに目の前が闇に包まれた。
「が……ああっ……!」
筆舌し難い激痛に顔を押さえながら、テトラが絶叫する。周囲の人間もアルドを含めて熱風に吹き飛ばされていた。
『ハ、ハハハ。ざまあみろ!やはり所詮は人間だな。この程度の熱波を間近で喰らっただけでその様か!』
自身も酷い火傷を負いつつも、喘ぎながらカルダが哄笑する。
『まずは、貴様から始末してやる』
テトラはカルダが剣を構えた気配を察知し、痛みを堪えて自分も身構えた。闇の中でカルダの殺気がじりじりと迫ってくるのを感じた。カルダのせせら笑いが聞こえた。
『そんな身体で何ができる』
――もう駄目か。
責め付ける激痛だけでなく、狼狽と焦燥の念がテトラの息を荒くした。
このまま斬られるのだとテトラは観念していた。
――せめて一撃でも。
テトラの脳裏にリュウヤが聞かせた言葉が過った。
――心を平静にしろ。生きるも死ぬも考えるな。
心の眼を開け。
自分にそんなものがあるのかはわからなかった。
だが、今は無心でただ一撃にすべてを込めて振るう。
そう決意すると、ざわめいた心も静けさを取り戻し、焼けつくような痛みも、周囲の叫喚も遠のいた。
静かに上段に身構え、カルダを待つ。
暗黒の中で、左手から狂暴な殺気の塊が殺到してきた。上から襲ってくる熱風を反転してかわすと、暗闇の中に白い線のようなものが見えた。
テトラは一歩踏み込み、その線をなぞるように大きく振り下ろした。
カルダの絶叫が間近に響いた。そして、剣の床に落ちる金属音が鳴り響いた。
「テトラ!」
漸く到着したリュウヤの声が遠くからした。複数の駆ける音がする。クリューネも傍にいるのだろう。
それほど時間も経っていないのに、ひどく懐かしく思えた。
酷い怪我だと、呻くようにクリューネが言った。
リュウヤらしき腕に抱えられ、顔に温かいものが広がる。リュウヤかクリューネのどちらかが回復魔法を使っているのだろう。
「あいつは、カルダは?」
僅かな間の後、死んでいるとリュウヤが言った。
「肩から一撃で即死だ。よく、こんな状態でやれたな。すげえぞ、テトラ」
「……そう」
テトラはほっとため息をつくと、急に身体から力が抜けていくのを感じた。
リュウヤが耳元で何か必死に叫んでいたが、その声も小さく遠くなり、更に暗い闇の中に落ちていくように、テトラは急速に意識を失っていった。
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