第22話 綺麗なお姉さんは好きですか

 一時間ほど前から微かに聞こえていたのだが、港に上がる頃には街に響く勇壮な演奏は明瞭なものとなっていた。

 時刻は夕暮れ時となっていて、茜色の陽射しが海から町に届き、ムルドゥバの町や人を一色に染めていた。

 紙吹雪や歓声に満ちる人だかりの中を音楽隊が列を先頭にして、その後を剣を手にした歩兵部隊や騎馬隊などが整然と並んで進行していく。


「ムルドゥバ、万歳!」と、ムルドゥバの象徴である獅子の紙旗を振りながら叫んでいる老人や、道行く兵士にキスの洗礼を与える娘たち。

 街は熱狂的な祝賀ムードに包まれていた。

 リュウヤは青果店の前で行列を眺めていた店主の男に、宿を尋ねるついでに

何があったのか聞くと、店主は目の端に溜めていた涙を拭いた。知らんのかという顔をしたものの、風体から旅人だと納得したらしく、「勝ったんだよ」と感慨深げに言った。


「一週間前に魔王軍が国境付近に攻め込んで来て、アルド将軍が見事に撃退した。その軍隊が今帰ってきたんだよ」


 店主は話している内に興奮してきたらしく、通り過ぎていく軍隊に向かって「アルド将軍、万歳!」と叫んだ。リュウヤは店主に“りんご亭”という宿を教えてもらうと、クリューネとリュウヤは群衆を掻き分けるようにして宿に向かった。

“りんご亭”は木造三階建ての建物で、青果店から数百メートル先にあり、りんごの看板が掲げられている。一階が酒場となっていて、リュウヤとクリューネは二階の一番隅の部屋をとった。


「ま、若干手狭だが寝られるベッドがある分、船内の硬い床よりマシかの」


 クリューネは鴨の肉を口に運びながら言った。これまでの疲れと久しぶりのビールを口にしたせいか、一杯目で早くも顔を真っ赤にしている。

 リュウヤとクリューネは荷を宿に置くと、一階の酒屋まで降りて食事をとっていた。席はほぼ満席で店内は喧騒けんそうに満ちている。戦勝祝いということもあって、“りんご亭”から酒が無料で振る舞われていた。


「……で、リュウヤよ。ホントにお前は格闘技大会に出場せんのか」

「目的はレジスタンスの連中を探すことだ。試合なんてしている暇はねえよ。それに……」

「それに?」

「俺が出たら優勝しちまうだろ」

「随分と自信だの」

「だって、そう思うだろ」

「まあ、確かに優勝はお前だろうが」


 クリューネは三杯目のビールをすすりながら周りを見渡した。出場予定とおぼしきいかつい身体つきの男たちや悪相の連中もいるが、見たところリュウヤと比べればどれも大した腕ではない。

 レジスタンスにアピールするには好都合ではあったが、優勝者はムルドゥバへ仕官をしなければならず、話を聞いた限りだと賞金だけ貰ってサヨウナラというわけにもいかないらしい。


「お主も、宮仕えという柄でも無いしの」

「普段から姫のワガママに付き合わされているし、これ以上は充分だ」

「ワガママとは私のことか?」

「他に誰がいるんだよ」


 ジロリと睨むクリューネにリュウヤはいたずらっぽく笑ってビールを口に運んだ。そんなリュウヤをクリューネはじっと見つめている。リュウヤの顔色に大した変化は無いが、いつもより言葉が軽く感じる。少し酔っているかもしれないとクリューネは思った。


 ――あの事を聞いてみようか。


 クリューネの脳裏には、“聖霊の神殿”でリュウヤが口にした“セリナ”という女性らしい名前が浮かんでいる。

 リュウヤは自分に何が起きたのか、まだクリューネに打ち明けていない。魔王軍に襲撃を受けたことまではクリューネも想像がつくが、想像で終わっているのがクリューネには不満だった。

 随分距離は近づいたはずだが、まだ、どことなく壁を感じる。

 酒の勢いを借りて事情を聞いてみたいという欲求が生まれたが、口に出して聞くにはまだ酒の力が足りないような気がしていた。

 勢いをつけようとして、給仕の姿を求めた時、男女一組がリュウヤたちに近づいてくるのが見えた。どちらも若いが、陽に良く焼けた褐色肌の女の方は、長身で見事な長剣を背に差しているのに対して、片割れの男――というより少年――は、生白く気弱そうでこそこそと辺りを窺っている。


「ここ、座ってもいいかな?」


 澄んだ明るい声で女が尋ねてきた。

 足に脛当ては装着しているものの、その他はおおよそ剣士という雰囲気からはほど遠い。髪は全体的に短めなのに対して、前髪は少し長く、右目付近を少し隠すほど垂れている。太腿を大胆に露出させたジーンズの短いパンツをき、着ている黒いシャツも大きく豊かな胸を強調するようにゆさゆさと揺れていた。

 やけにデカい胸だなと、クリューネとリュウヤは同時に同じことを考えていた。


「他の席は強面の連中ばかりで、こいつが怖がっちゃってさ」

「いえ、テトラ・カイム様。あなたに何か起きればこのジクード、粉骨砕身してテトラ様の身を守る所存しょぞんでございます」


 痩せて小さな身体を無理して胸を張るジクードに苦笑したあと、テトラ・カイムと呼ばれた女は再び「どうかな?」と微笑した。

 テトラという女は黙っていると〝クールで綺麗なお姉さん〟といった知的な雰囲気を漂わせているのだが、感情表現が豊かなのか、言葉に応じてクルクルと表情が変わっていく。そこがリュウヤにはたまらなく魅力に思えた。

 

「私は構わんぞ」


 リュウヤと目があうと、クリューネがテトラに向かって頷いた。今のテトラとジクードとのやりとりで、警戒心も解けている。

 クリューネが注文に給仕を呼ぼうとすると、ジクードが押し留(とど)めた。


「では、テトラ様。私がビールを持って参ります!他の方もそれでよろしいですね!」


 ジクードは席を温める間もなく立ち上がり、自らビールを運ぼうとカウンターへと小走りに駈けていく。


「ウチのと比べて、良く働く家来じゃのう」


 感心したようにジクードを見送るクリューネを、リュウヤは舌打ちしてクリューネの皿から鴨の肉をすばやく奪いとった。


「リュウヤ、貴様!」

「姫様が鴨肉に苦戦して置き捨てたままでしたので、臣がいただきました」

「楽しみにとっておったのに!返せ、貴様!」


 テトラは二人のやりとりで間柄を察したらしいが、へえと感心した顔つきで、揉み合う二人を眺めている。


「あなたたち、主従関係なんだ」

「そうじゃ、私はクリューネ・バルハムント。これでもある地方領主の娘での。こいつはケ・ラ・イのリュウヤ・ラングというんじゃ。テトラとやら。何なら、お主の家来ジクードと交換して構わんぞ」


 こっちも姫様、交換してもらえないかなというリュウヤの独り言に、クリューネは「なんじゃと!」と声を荒げる。自分からからかったくせに、リュウヤの返しに少し傷ついていた。

 酔いのせいもあって、いささか感情的になる二人に、テトラが困り顔で仲裁に入った。


「彼はご家来さんじゃないのよ。知り合ってまだ数日なんだ」

「数日?」

「うん。ここに来る途中、悪漢に絡まれていたのを助けて、それが縁でね」


 その時、店の奥から男たちの怒号が響いた。声がした方を見ると、ビールジョッキをふたつずつ手にしたジクードが、巨漢に絡まれて凍りついている。


「……あの時も、あんな感じで」


 テトラは仕方ないなとため息をついて立ち上がろうとすると、リュウヤが手で制して立ち上がった。


「俺が代わりに行くよ」

「でも……」


 ためらうテトラにいいからと鷹揚おうように手を振って、リュウヤはジクードの下へと歩いていった。「何、ニヤニヤ見てやがんだ!」と凄む男に、涙目のジクードは何か返しているが、小さすぎて声が聞き取れない。

 リュウヤがおもむろに男とジクードに近づくと、「連れがごめんね」と愛想笑いしながら、ジクードからジョッキをふたつ受け取った。


「今日は戦勝祝いなんだから、勘弁してな」


 と言って、席に戻ろうとジクードを促した。しかし相手は普段から気の荒い力自慢の上に酔っている。その混濁した頭にはからかわれたという認識だけが残り、瞬間、頭に血が上っていた。


「待て、コラア!」


 怒鳴り声をあげるなり、巨大な腕を振り上げて、背後から猛然とリュウヤに襲いかかってきた。

 恐怖に歪むジクード。

 無表情のままなリュウヤ。

 殴りかかろうとした瞬間、男の大木のような身体が宙に舞っていた。


「あら……?」


 男はそのまま背中から落ち、受け身も取れずに気絶した。周りの客は呆気にとられてリュウヤと男を眺めている。

 リュウヤは苦笑いして、近くの店員に「酔って転んだみたいだから介抱してやって」と告げると、リュウヤはジョッキを持ってジクードと戻ってくる。

 周りの客も男を間抜けな奴だと嘲笑し、カウンターに空席がひとつ出来た以外は何事も無かったように元の酒場特有の喧騒へと戻っていった。

 だが、テトラの眼はしっかりと信実をとらええていた。

 男が踏み込むと同時に、リュウヤが強烈な足払いを仕掛け男を高く宙に舞わせたことを。


「いきなり凄い奴に会っちゃったな」


 瞳を輝かせ、興奮気味な様子でリュウヤを迎えるテトラに、クリューネは漠然とした不安を感じたが、酔いのせいだろうと思うことにして、残ったビールをひと息に喉の奥へと流し込んだ。

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