第23話 ダメ女

「……“防具は本運営が指定する革の帽、胴、小手、すね当てを着用。武器についても本運営が指定する長物、短刀、竹刀などを使用すること”」


 リュウヤはA4サイズの紙切れを片手に読みながら、綿で厚くくるめてその上に革を巻いた竹の棒を振っていた。

 振っているのは、明後日の大会で使用される、いわゆるこの世界での竹刀である。


「“決着は一本、または審判による判定。選手による申告”。“武器による打突以外に徒手足技、関節技は有効。但し武器を手から離した場合は反則とする”。……警察の逮捕術みたいで、意外と細かいな」

「随分と熱心じゃの」

「そりゃ明後日は大会だしな。テトラなら優勝できそうだし、少しは気合いも入るもんさ。これはテトラやジクードが協力してくれる見返りとしてやるんじゃないか。午後の数時間くらいだし、別にいいだろ」

「……」


 リュウヤの理屈はわかるが、それがクリューネには面白くない。

 クリューネにはまだ文句が言い足りず、口を開いた時、コツンと窓ガラスを叩く音がした。クリューネが窓を開けて宿の前の通りを見下ろすと、小指の先ほどの小石を手にしたテトラがジクードを従えて路上に立っていて、こちらに小さく手を振っている。

 リュウヤより長身のテトラは人通りの多い通りでもよく目立つ。時おり、通行人がテトラと窓際にいるクリューネを見比べながら通り過ぎていった。

 テトラたちはクリューネらと宿が異なり、“野菊”という屋号の宿に泊まっていて、リュウヤたちが宿泊する“りんご亭”はこれから訓練に行く錬成場の途中にある。だから、呼びにくるのはいつもテトラの方からだった。


「姫ちゃん、リュウヤ君いるう?」

「ちょっと、待っとれえ!」


 テトラはクリューネを“姫ちゃん”と呼ぶ。

 聞けばテトラは二十歳だという。自分たちより年長者なのだからお姉さんぶるのは致し方ないとしても、姫にちゃん付けはあんまりではないか、とクリューネは憤慨している。かといって、竜の国の王女が抗議するのも大人げないような気がするので、もどかしい気分で我慢していた。

 クリューネは窓から引っ込むと、に「テトラが来たぞ」と、不快感を圧し殺しながら告げた。


「お、もうこんな時間か」


 リュウヤは慌てて木剣や規則用紙など、簡単な荷物をまとめて立ち上がると足早に部屋を出た。表に出ると、テトラやジクードが待っていて、ジクードがペコリと頭を下げる。


「おはよ、リュウヤ君に姫ちゃん」


 言われてリュウヤが後ろを振り向くと、クリューネが仏頂面で立っている。


「なんだ、お前も来るつもりか?」

「私は、レジスタンスの情報集めをしに出掛ける。お前とは違うんじゃ」

「……そっか、迷子になるなよ」


 クリューネの嫌味を、リュウヤはあっさりと受け流す。

 それもクリューネには面白くない。


「じゃあさ、ジクードも一緒に行きなよ。一人で歩くよりは、まだ安全なんだし」


 テトラの指示に、ジクードは困惑こんわくの表情を見せた。クリューネをチラチラ見ながら、渋るように言う。


「私にはテトラ様のお世話という役目があると自任しておりますし、情報集めでしたら、私一人で充分なんですが……。いえ、クリューネさんが足手まといというわけじゃないですよ?テトラ様の命令でしたら、私ジクード、粉骨砕身ふんこつさいしんで……」

「もう、いいわ!一人でやる!」


 クリューネは言い捨てると、三人から背を向けて、さっさと歩き出した。背後から「ちゃんと夕飯には戻ってこいよ」というリュウヤの呼び掛けも無視した。

 後ろを一瞥すると、命令されたらしいジクードが、「待ってくださいよ」と追い掛けてくる。その向こうでリュウヤがテトラと何か会話した後、肩を並べて歩く光景が見えた。


 ――セリナとかいう奴がおるくせに、デレデレしおって。


 どうせ剣術談義だろうと想像はつくが、楽しそうに会話している二人はカップルのようで、苦々しい気分で後ろ姿を見送っていた。

 酒場でのトラブルの後、リュウヤに興味を抱いたテトラは、リュウヤにトレーナーと試合のセコンド役を依頼してきた。

 しかし、大会まであと三日ばかりしかない上に、リュウヤ達は大会出場が目的でムルドゥバに来たわけではない。

 リュウヤは思いきってレジスタンスの件を打ち明けて断ったのだが、テトラから「簡単な手合わせで良いから」、「私もレジスタンス探しに協力する」、「優勝してこの国に仕官出来れば、情報提供もしやすい」等と持ち掛けてくれば、悪い話では無いように思えた。

 だが、テトラにどれほどの実力があるかわからない。

 とりあえず、明日手合わせしてからという話になって、その日は終わった。

 その翌日、実際にテトラと錬成場で手合わせしてみて、前日までテトラに抱いていた疑念が氷解した。

 テトラは非凡の才能の持ち主で、強靭な体力や膂力りょりょくだけでなく、どんな攻撃でも体勢が崩れない受けの粘り強さと鋭い返しの斬撃には類まれなるセンスを感じていた。

 一方のテトラも自分が見込んだ通りリュウヤは相当な実力者で、まともに戦えば歯が立たないことを覚っていた。年下のリュウヤにも素直に教えを請いにくる。

 自然、リュウヤの指導にも熱が入るようになり、数日とはいえ、互いに充実した訓練の日々を過ごしていた。


「……面白くないの」


 クリューネはだらしなくテーブルに足を載せ、立ち寄った喫茶“ラ・キファ”のカフェテラスからぼんやりと通りを眺めている。

 クリューネの前を、人相の悪い中年男が血相を変え、周囲を見渡しながら走り去っていった。

 周りの品の良さげな客や、道を通りがかる厳格そうな老人が眉をひそめているが、クリューネは気にしない。

 クリューネのなかには置いてきぼりにされたような、強い疎外感がある。


 ――しかし、喧嘩は好きじゃが、剣も格闘技もやる気はならんしの。


 たとえ多少かじったところで、リュウヤとテトラが見せた親密さは自分では無理なような気がする。そう考えると、新たに劣等感も生まれてきて、余計苛立(いらだ)ちを感じるのだった。

 そうこう考えている内に、ジクードが虫でも飲み込んだような、情けない顔をしてテラスに現れた。


「行って参りましたあ」

「うむ、大儀」


 ジクードが大汗をかきながら、カフェテラスに入ってくると、クリューネは腕を組んで、さっそく報告を聞く体勢をつくった。


「で、なんかあったか?」

「銅銭十枚で勘弁してもらいました」

「……は?」

「いやあ、話し掛けに行ったら、いきなり胸ぐらつかまれちゃいまして。有り金全部のとこを何とか値切ってもらいまして」

「……もう、いいわい」


 明るく照れ笑いするジクードにクリューネはただ落胆するしかなく、カツアゲされた経緯などという、どうでもいい解説を打ち切らせた。

 幾らリュウヤに腹を立てていても、ぼんやりと過ごしていても意味がない。

 しかし、将たるものはあくせく動くものではないという話を、昔宮廷の家庭教師から何となく聞いた覚えがあるので、ジクードを調べにやらせ、自分は“ラ・キファ”で泰然と待つことにしていたのだった。

 

「礼に奢ってやる。何でも注文しろ」


 不首尾だったとはいえ、寛容さを示すのも将たる役目などと鷹揚に笑ってみせる。

 ジクードは注文表を目にすると、上目遣いのまま遠慮がちに尋ねた。


「いいんですか。ここけっこう高いのばかりですよ」

「任せい。金はあるんじゃ」


 トンとクリューネは、自分の平らな胸を叩いた。

 旅の金はいつもリュウヤが管理していて、小遣いに幾ばくか貰っているのだが、“ラ・キファ”でお茶をするほどの持ち合わせなど持っていない。

 そこでクリューネはメキアの頃を思い出し、人相の悪い中年男から財布を素早くくすねてきたのである。

 大した金額ではなかったが、ここの支払いくらいは問題ない。


「お、来よった。来よった」


 ケーキ数点と紅茶が運ばれてきたのを見て、クリューネは声をあげた。

 さすがに盗んだ金とは言えず、後ろめたさを誤魔化すように、「喰え、喰え」と自分を励ますように声を張り上げた。

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