第三章 ムルドゥバ武術大会

第20話 聖霊の神殿の大神官ナギ

「……なるほど、それは大変でしたね」


 話を聞き終わると、白の法衣をまとった二十代半ばと思われる女性が、憐れみと同情の目を向かいの席に座る一組の男女に向けた。

 女から見て、リュウヤという若い男は、淡々と落ち着いた様子で食事をとっているが、もう一人のクリューネという若い女は、リュウヤの主なはずなのに、犬がエサを貪るように出された食事を喉に流し込んでいた。主という割には品位に欠けている。

 本当に主従の間柄なのだろうかといぶかしんだが、事情は人それぞれだろうと追究はしなかった。


「申し訳ありません。大神官ナギ様自ら、食事を用意していただいて」


 ナギの不審そうな視線がクリューネに向けられているのに気がついて、リュウヤが恐縮して頭をさげた。もうちょっと王女らしくできないのかと、怒鳴りつけたい気分だった。

 リュウヤとクリューネの二人が“聖霊の神殿”に到着したのは、今から一時間前のことだった。

 夜もどっぷりと更け、大神官ナギも就寝しようとする矢先で、突然の訪問にナギもさすがに驚きを隠せなかった。

 しかし、“聖霊の神殿”は各地の聖霊が集まり休むという、聖霊たちの憩いの場である。旅人もまた同じと、ナギは旅人を丁重に扱うことを信条としていた。

 住み込みの使用人も起こさず、自ら厨房に立って食事を用意し、風呂場や寝床代わりの倉庫を案内してくれた。


「……それで、大神官様。先ほどの件なのですが」

「レジスタンスとの接触……、ですか。確かに、あなた方の魔王軍に対する怒りはごもっともです。ここにも、魔王軍に襲われ家族を失った孤児を預かっておりますから、よくわかります」


 ナギにはクリューネはある村の領主の娘であり、突然、魔王軍に襲われ家族も土地も失った。生き残った家来である自分と共に、その敵を取りたいと説明している。


「それで大神官ナギ様なら、どなたか知り合いや伝手つてがあるかと思いまして」


“聖霊の神殿”は旅人が集まる場。

 旅人が集まれば、様々な情報を持ち人脈が生まれる。口にはしないが、ナギが旅人をもてなすのは、単に親切だけではないだろうとリュウヤは思っている。

 だが、期待とは裏腹に、ナギは「残念ながら」と静かに首を振った。


「私には伝手と呼べるものはありません」

「そうですか……」


 落胆してため息をつくリュウヤを、慰めるようにナギが言った。


「ムルドゥバ。ムルドゥバという都市をご存じですか?」

「ムルドゥバか……」


 リュウヤが答える前に、食事を済ましたクリューネが紅茶の入ったポットで自分のカップに注ぎながら言った。

 リュウヤが自分の空になったカップをクリューネの前に出したが、クリューネはそれを無視して自分だけさっさと飲み始めている。仕方が無いので、リュウヤは空しい気分になりながら、自分でポットをとって注いだ。


「魔法や剣に長けた精強な兵士や強力な大砲などを揃えていると、有名な都市国家じゃの。かつ、代々受け継がれてきた聖剣エクスカリバーの力もあって、魔王軍も容易に手をださないとか」

「そうです。そこで来週、誰もが参加出来る格闘技の大会が行われるそうです」

「……」

「レジスタンスの方々も、一人でも多くの人材を求めているはず。見極めるには打ってつけの場所ではないかと」


 ナギの言葉は、途方に暮れていたリュウヤに、新しい道を切り開かせるものだった。「ここからだと、どこが一番近いルートですか」と急いで尋ねた。


「ここの港から定期の船が出ています。ムルドゥバまで町を二つ経由して行くことになりますけど、船酔いは大丈夫ですか?」


 ナギはそう言って、ニッコリと微笑んだ。


  ※  ※  ※


「空いている場所が倉庫とはな」

「泊まっている旅人は他にもいるんだぞ。飯食わせてもらって、風呂にも入らせてもらったのに文句言うな。大神官様にも失礼だぞ」


 リュウヤは布団を敷きながら、クリューネをたしなめた。早く床に就きたいのに、自分に敷かせて横から文句ばかり言っているクリューネに少し腹も立てていた。


「だがの、“聖霊の神殿”などと言うから、もっと豪奢で大きな神殿をイメージしてたんじゃ。それが以外と小さくて質素だっから、肩透かしというかの」

「お前の小屋より、よほどマシだろ。一緒が嫌なら外で寝ろよ」


 突き放すようにリュウヤが言った。

 クリューネの本音としては、リュウヤとほとんど添い寝状態なのが恥ずかしく、思わず駄々をこねてしまったのだが、まるで察しないリュウヤの鈍感さにむくれていた。


 ――お前ももう少し、照れや恥じらいくらい見せたらどうだ。


 メキアでは見た目から子どもと良く間違えられていたが、自分も立派な女である。遠慮して外で寝るからねとかしなくていいから、ごめんねと一言くらいあってもいいだろうにと、クリューネは思っている。

 クリューネは不満そうに口を尖らせながら、薄暗いレンガ造りの室内を見渡していた。

 調度品、雑貨品等が収納されている倉庫は樽や木箱が所狭しと置かれていて、クリューネとリュウヤが眠るスペースは自分たちで空けたものの、横になるとくっついてしまいそうになる。

 リュウヤはよほど眠いのか、敷き終わるとさっさと布団の上で横になってしまった。


「お前、スペース取りすぎ。もう少し端に寄れ。貴様と私は主従の間柄だと、お前が先ほど大神官殿に言ったではないか」

「……うっせえなあ」


 リュウヤはもぞもぞと、芋虫のように身体を動かした。クリューネにしても、いつまでも立っているわけにもいかないから、ぶつぶつ愚痴を言いながら横になる。

 横になってみると、リュウヤの背が目の前に広がっているので、変に気恥ずかしくなって反対側に身体を返した。


「リュウヤ」

「ん?」

「レジスタンスに、本当に協力するつもりか?」

「魔王軍の影響が少ないはずのメキアで、あんな目に遭った。相手の長官を斬ったし向こうも警戒しているだろう。そんな敵地に入っていこうてんだ。味方はいないと、色々と辛いだろ」

「お前でもそうか」

「食う寝るくらいは安心したいよ」


 ふうんと呟いてクリューネは身体を落ち着きなく動かした。

 竜の力を得てもはや無敵なはずだが、メキアでの経験がよほど身に堪えたらしい。こんな男でも支えが必要なのかと、どこか嬉しく不思議に安堵する想いでした。自分も頼りにされる味方のひとりなのだろうかと、気がつかれないようにリュウヤへと身体を近づけていった。


「……やっぱ狭いの」

「明日の船は早いんだから、文句は明日にしてもう寝ようぜ」


 大きなアクビした後、リュウヤの声は小さくなり、やがてイビキへと変わっていった。


「イビキうるさいの……」


 クリューネはぼやいてみたが、ピーピーと子犬が寝言を言っているようなイビキよりも、背中に伝わるリュウヤの体温が気になっている。後ろを振り向くとリュウヤの広い背中が映る。見ているうちに、クリューネの手が伸びて自然とリュウヤの背に触れていた。

 衣服ごしてもわかる。岩のように硬くぶ厚い背中だった。不思議と安心感がある。触れた手のひらに体のエネルギーが伝わってくるようだった。


 ――もっと触れてみたいな。


 そんな思いが浮かぶと、クリューネは重力に引かれるように、その身をリュウヤに寄せていく。


「……ナ」

「え?」


 夢から覚めたように、クリューネはリュウヤが発した言葉に耳を澄ませた。


「……セリナ、セリナ」


 クリューネは身体を起こし、リュウヤの顔を覗き込むと、顔を歪めたリュウヤの目に涙が浮かんでいた。

 それを見ると、クリューネはリュウヤから静かに離れ、横になるとシーツを抱き締めるように身体をすくめた。何も始まっていないのに言い様のない敗北感や虚無感がクリューネを襲っていた。


「……ひとりで勝手に盛り上がって、私が馬鹿みたいじゃないか」

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