第19話 放っておけない

 リュウヤは苦悶の表情を浮かべて周囲を見渡していた。

 リュウヤの周りを松明を手にした群衆が取り囲んでいる。

 松明の炎が反射して、群衆一人一人の瞳にはギラギラとした炎のような光が宿っていた。


 ――憎悪や怒りの炎と言ったところか。


 リュウヤは肩で息をしながら、残る右目で周囲の動きを窺っていた。額から流れる血のせいで左目は開けることができないでいる。

 空を見上げれば窓から罵声と器物が投げつけられ、地上を見渡せば、無数の松明に照されて怒り狂った住民たちと、冷笑を浮かべるリルジエナの姿が映る。

 手負いとなっても、一刀で兵士を倒せるリュウヤにおそれて、容易に近づいてこないが、こん棒に包丁、槍と思い思い手にした武器をリュウヤに向けて囲み、ここから逃がさぬ気迫でいる。

 魔法で脅かして突破口をつくり、そこから逃げる。

 そうした選択肢も無いわけではなかった。

 だが、周りに被害を及ぼさないことと、一方でリルジエナを何としても倒さねばという意固地とも言える感情がリュウヤを踏みとどまらせ、それがリュウヤに泥沼のような状況をつくってしまっていた。

 そんなリュウヤに、頃はよしと見たリルジエナが、兵士に下がるよう指示すると、剣先をリュウヤに示しながら歩んできた。


『さあ、そろそろ決着と参りましょうか。そちらにはかなりのハンデがありそうですが』

「それなら、ハンデを無くして一対一にもらいたいね」

『暗殺という美しくない行為をするものには、そのくらいが相応しいでしょう。それに、町の住民は自分から私の味方になってくれたのですよ』

「そいつを殺せ!」

「やっちまえ、長官!」


 リルジエナの背後から、リュウヤに痛烈な罵声が再び浴びせられる。

 極度の興奮状態にある住民たちは、もはや冷静な思考ができなくなっていた。自分たちが味方しようとしている者たちが、常日頃人間を圧迫し、廃れているといえ喰らう存在であることも忘れていた。小さな幸せを守ろうとするあまり、何もかも忘れて憎悪だけがリュウヤに向けられている。


『……では、いきますよ』


 リルジエナはそう言うと、剣を霞構えのような姿勢で襲いかかってきた。 鋭く繰り出される突きにわずかに後退したのだが、受けにはまだ余裕があった。最後の一撃で捌いて反撃を試みようと思った時、背中に熱い痛みが奔った。


「くっ……!」


 リルジエナの剣を強引に弾き返し、背後を見ると包丁を手にした男がリュウヤを見据えて構えていた。両脇には鋤やハンマーを構えた中年の男女が男を守るように立っている。


『よそ見はいけませんよ!』


 横からリルジエナが殺到してきた。からくも弾き返したが充分ではない。脇から迫る気配を感じたが、ろくに見ないまま相手を蹴り飛ばすしかなかった。その後で倒した相手を確認してみると、斧を手にした中年女性が泡を吹いて倒れている。


『女性に足蹴りとは野蛮ですねえ』


 薄笑いのまま、リルジエナは倒れた女性に向けて、いきなり“大炎弾ファルバス”を放った。灼熱のエネルギー弾が女性を飲み込もうとする。

 一瞬、奇妙な静寂の間を挟んだあと、凄まじい爆音と衝撃波で広場が激震した。

 もうもうと立ち込めた煙が広場に充満していたが、、夜風に流されゆっくりと晴れていき、煙の下から現れたものを見て、群衆は驚愕の混ざったどよめきを起こした。

 ほう、とリルジエナは目を細める。

 そこには女性の前に立ちはだかり、大炎弾ファルバスを一身に受けたリュウヤの姿があった。障壁魔法も間に合わず、正面からまともに受けたせいで、衣服はボロボロとなり、皮膚もかなりに重傷を負っていた。


「……」


 リュウヤは力なく、膝から崩れ落ちた。

 そのリュウヤを見て、怒号のような歓声と器物がリュウヤに浴びせられる。助けたはずの中年女性からもだ。

 リルジエナが勝ち誇ったように近づいてくる。


『さ、これでおしまいにしましょう。イバラ紋様のヴァルタスさん。竜の姿に戻ればもっと楽だったでしょうに』

「……お前には関係ないだろ」

『ま、そうですね。あなたはもうすぐ私に倒されるのですから』


 リルジエナが剣を振りかざした。

 ここまでかと観念したその時だった。

 突如、上空から響き渡った雷鳴にも似た咆哮と嵐のような突風よって、広場に集った住民や兵士たちは一斉に耳を塞いでその場にしゃがみこみ、猛威を奮う風に飛ばされまいと必死で耐えた。

 燃え盛っていた無数の松明は突風によってかき消され、辺りは月の光を残して暗闇と化した。


「おい、見ろ……」


 住民の一人が空を指さした。住民や兵士が指し示した空を見上げると、どよめきが町にこだまする。

 月を背に、巨大な白竜が建物屋根に佇立し、眼下をへい睨していた。

 リュウヤは呆然と白竜を見上げていた。


「……クリューネ、か」


 その白竜は大気を震わすほどの雄叫びをあげたあと、重々しい口調で、しかし見た目の割に澄んだ声を街に響かせた。


『我は神竜バハムート。竜の国にて神託されし、王の中の王。汚らわしい人間どもよ。この戦は我が聖戦。“竜魔大戦”での復讐の旗揚げとなる。いかなる妨げも許さんぞ』

『あれがバハムート。……なんと美しいドラゴンか』


 リルジエナは陶然とした表情で、バハムートを見つめている。他の住民や兵士は威圧感に圧せられて、息を呑むしかできないでいる。

 そのバハムートが次にリュウヤを睨んだ。


『情けなし、竜の力を持つ男よ。魔王に復讐を誓いながら、情に流され意固地となり、非情にもなれず、進みもせず退きもせず、ただ無為に時間を重ねるとは』

「……うるせえよ、バカ」

『だが、未熟なる強者よ。お主に機会をやろう』


 バハムートの巨体が反り返り一気に口を開くと、白い光が炎となって吐き出された。

 炎は周囲の群衆や兵士を掻き散らし、白い炎の壁が円となって取り囲む。そのなかにはリュウヤとリルジエナだけが残された。


『これで余計な邪魔は入ることはない。存分に腕をふるって、奴を我が聖戦の前哨戦での生け贄とせよ』

「……とりあえず、サンキュと言っておくよ、クリューネ」


 伝説の神竜バハムートが現れたことで、兵士は戦意を失い既に逃げた兵士もいる。彼らからバハムートの存在は知らされるだろう。

 その場合、人間がかくまっていたのと、潜んでいたのでは魔王軍の町の人間に対する印象も扱いも異なるだろう。

 リュウヤの礼は、そういう意味での礼だった。

 リュウヤは剣を杖代わりに立ち上がると、ボロボロになった上衣を破り捨てた後、額の傷を“全快癒リーフレイン”で流れる血と火傷を修復した。


『傷は治せても、体力までは戻せませんよ。あなた、立っているのがやっとではないですか』

「安心しろ。貴様を斬るだけの力は残っている」


 リュウヤが脇構えで剣を構えてみせると、リルジエナの目を細め、口の端を歪めて笑った。

 ボロ雑巾と化した男に負けるはずがない。そんな勝利を確信した笑みだった。


『……では、やってごらんなさい』


 霞構えのリルジエナがじりじりと右から廻るように間合いを詰めるのに合わせ、リュウヤも右に足を運ぶ。

 リルジエナが短い気合いを発した。鋭い一撃で斬り込んできたが、リュウヤはその一刀をはねあげ、逆袈裟斬りで一撃を返した。

 切っ先に肉の手応えを感じたが、浅いと直感した。

 現に後ろに飛んだリルジエナは、気に入りの服ごと斬られ血を滲ませながらも、憎々しげにリュウヤを睨みつけている。それで火がついたらしく、次は猿のような甲高いおめき声をあげて、リルジエナが殺到してきた。

 リュウヤは八双構えの姿勢となって待ち構える。

 リルジエナが放った剣は、肩を狙って影のように伸びてくる。しかし、リュウヤは重い斬撃をやわらかく受けとめ、身を入れ替えて流すと、リュウヤは脇構えに変化した。

 次に頭を薙いできたリルジエナの刃をくぐり抜けると、リュウヤは低い姿勢のままリルジエナの逆胴を存分に払って、そのまま駆け抜けた。

 刃に充分な手応えが残った。


『……』


 リルジエナはぱくぱくと口を喘がせていたが、やがて力を失い、地面にドゥッと音を立てて倒れていった。


「どうた、見たかあ!」


 茫然自失となっている群衆が騒ぐ前に、機先を制すつもりでリュウヤが叫んだ。


「我は竜の国バハムート第一が家臣リュウヤ・ラングこと紅竜ヴァルタス。人の姿を借りて、憎き魔王軍の長官がひとり、リルジエナを討ち取った!」

「……」

「これより我が主バハムートと2人、魔王軍成敗に向かう。下賤な人間どもよ、今宵のような邪魔は許さんぞ!もしあれば……」


 リュウヤがバハムートを促すと、バハムートは巨大な口を開き、真っ赤な口内から光のエネルギー波が溜め込まれ、咆哮とともに光の柱がリルジエナの塔を呑み込み、崩壊する間も与えず瓦礫ごと消失していった。


「では、人間どもよ。さらばだ!」


 リュウヤは身体の節々が痛むのを我慢して、バハムートが待つ建物を駈け上り、バハムートの背に乗った。


「待たせた。行こうぜ、クリューネ」


 リュウヤが軽く叩くと、バハムートは天空を仰ぎ、勝利の雄叫びといった咆哮をした。


『人間どもよ、健やかに暮らせ』


 バハムートが白く広い翼を扇ぐと、一瞬で上空に舞い上がり、何度か旋回したあと南の方角へ雄叫びをあげながら飛び去っていった。

 白い炎もバハムートが飛翔する時の猛風で消えている。月だけが変わらず煌々と町を照らしている。

 夢でも見ていたかのようで、夜空を見上げたまま、住民たちは誰も動けないでいた。


  ※  ※  ※


 広大な草原のはるか先地平線から朝日がのぼる。リュウヤとクリューネは太陽に向かいながら、並んで歩いていた。


「あの町は大丈夫かな」


 不安げに呟くリュウヤにクリューネはこともなげに「大丈夫じゃろ」と言ってせた。


「我々も散々“竜だ、復讐”と強調したし、竜の戦さに巻き込まれたとしか認識しとらんじゃろ。経済的にも魔王軍には大事な町であるし、人間どもへの追及もそれほどでもなるまい。それに長官がいなくなっても、町を動かしていたのは人間じゃからな。リルジエナがいなくなって、今までが異常だったと気がつくんじゃないか?」

「そうだと良いけど」

「お主が心配しても、仕方あるまい。何が出来るわけでもないし、恨まれるだけじゃろ」

「……そうだな」


 それにしても、とクリューネはリュウヤの身体をまじまじと見つめた。


「……随分とひどい有り様じゃの」


 クリューネは眉をひそめてリュウヤを見上げる。上半身は裸で下衣もボロボロ、傷は魔法で治したとはいえ煤やホコリだらけだった。


「ま、自業自得なとこがあるがの」

「さっき言ってたの、本心?」

「何がじゃ」

「『未熟な強者』てとこ」

「事実そうだろう。底知れぬ実力がありながら余計な手間ばかり掛けて、わざわざピンチになって。見ているこっちが苛々するわ」

「リルジエナに対する意地もあったし、一度は諦めたけどさ、いざとなったらクリューネが来てくれるかなあ、と片隅で考えちまったんだよなあ」

「そんなご都合な……」

「でも、来てくれたじゃないか」

「……放っておけんからの。お主の寂しそうな顔を思い出したら」


 クリューネの言葉は後半小さくなり、口の中で呟いていた。

 これから二人きりの旅かと考えると、不安の割合を大きく占めるが、リュウヤを見ていると私がいないとなと使命感や保護者に似た感情がクリューネの中に涌いてくる。


「俺もお前を頼りにしてるよ」


 いきなりの告白にクリューネの顔が熱くなった。


「魔王軍の復讐は一人じゃ難しいと痛感したよ。意見してくれる奴がいないと迷いが生まれる」


 テパもいてくれればと、リュウヤは今は亡き親友を思い浮かべた。あいつなら良いアドバイスや心の弱い部分を補完してくれただろうに、と。


「ところで、ここはどこじゃ?」


 亡き親友を思い出し、たそがれるリュウヤには気がつかず、恥ずかしさのあまりに自分のことで頭が一杯のクリューネは、慌てて周りを見渡した。

 辺りは草原ばかりで、人も魔物の姿もない。不思議な静けさがあった。


「カートランド地方。知っててここに来たんじゃねえの?」

「飛んでいるときは体を制御するだけで精一杯での。遠くまでいくとよくわからんくなるのだ。それに、私は竜族の王女。元々は深窓の令嬢だからの。外の地理もよく知らん」

「……それで、よくミルトまでたどり着けたな」

「まあ、船乗ったら、ちょうどミルト行きだったんじゃよ。隠れられるならどこでも良かった」

「まったく」


 リュウヤはため息をついた。頭のなかで、ヴァルタスから託された情報や知識から、辺りの地理を引っ張り出してきた。


「近くに“聖霊の神殿”があるはずだから、そこで休ませてもらおう。もう金も服もないし」

「金や服ならあるぞ」


 先ほどまで何も持っていなかったのに、いつの間にかクリューネはリュウヤのリュックを背負っている。何か入っているのか、普段の倍以上に膨らんでいた。


「竜に変身すると、衣服や物は結界内に預けられる仕組みになっとるんじゃ。鎧までは無理じゃったが、ブーツやおんぼろローブも持ってきたぞ」

「そうか。少し休んでから、魔王軍の領土に向かうか……」

「二日後にな」


 クリューネの予想外な言葉に「えっ?」とリュウヤの声がうわずった。


「変身すると三十分しか持たないし、次までは二日ほどかかる」

「……選ばれた力の割に、使い勝手悪いな」

「私に文句言うな。二日待って、三十分て行ける距離まで飛べばいい。で、変身出来るまではお主がきちんと守る。リュウヤは第一の家臣なのだからな」


 咄嗟に出た言葉だったので、思い返すと随分と厨二的な発言だったと、リュウヤは照れて頬に熱を帯びた。しかし、男女二人きりで何かけじめを考るなら、それが一番しっくりくるかもしれないなとも思えた。


「わかりましたよ、姫」

「お、何かやっと冒険者らしくなったの」


 そう言うと思い出したかのようにクリューネの腹が鳴り、腹が減ったから、その聖霊の神殿とやらに行こうと、クリューネははしゃぐようにスキップを踏み出し、リュウヤを促す。


「慌てると転ぶよ、姫」


 注意した矢先、さっそく転んでみせるクリューネに、リュウヤは呆れながらも、クリューネの後をゆっくりとした足取りでついていく。

 やがて二人の影は、朝日の光と遠く地平線の彼方に隠れて見えなくなっていった。

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