第五十一話 誠の旗を掲げて

天文十八年(1549年)1月



 義藤さまに逢えなくて悶々としつつも軍備はしっかりと整えており、武野紹鴎たけのじょうおう茶屋明延ちゃやあきのぶに武具や旗指物はたさしものを発注していた。


「わかとのー、この陣羽織を皆で着るのですかい?」


「このまことの字はなかなか良いですな」


「この誠の字は我が淡路細川家の家祖である細川政誠ほそかわまさなり様から一字取ったものだ。どうだ格好良いだろう?」


 嘘である――むろん新撰組のパクリだ。

 俺は土方歳三が好きなんだよ、文句あるかぁぁぁ。

 新撰組の浅葱色のダンダラ模様の羽織って格好いいよね。

 まあ水色はちょっとアレなので藍色で発注しましたが。


「五郎八よ、陣羽織を着て色街に行くでないぞ」


「ええー、馴染みの女に見せようとおもったのによー」


「別に構わんよ。気風きっぷが良いところを見せるのは悪くないしな」


「与一郎様、あまり五郎八を甘やかさないで下され……」


「源三郎は堅いのー、たまにはハメをはずさないと人生面白くないぞー。若殿も俺と一緒に色街に繰り出しましょうや」


「いや、俺は謹慎がとけたばかりだからな遠慮しておくよ。ほら軍資金だ。俺に構わず行って来い」


「これはありがたい。ではさっそく」


 金森五郎八は銭を懐に入れて喜び勇んで出かけて行った。

 今日は傾城屋けいせいやで夜を明かすのであろう。


「……与一郎様、五郎八の言ではありませぬが、最近元気がありませんので、たまにはハメをはずすのもよろしいかと」


 米田源三郎の兄貴に心配されてしまった。


「元気ないかね?」


「ええ、商いなどはしかとこなしておいでのようですが、覇気がありませぬな。こんな時は酒か女がよろしいかと存じます」


「女と酒ねえ……主君がバカ殿では困るだろうに」


「何事も節操が大事かと、少しであれば問題はありませぬ。人生に娯楽は必要でありましょう」


「娯楽ねえ……、この陣羽織や旗指物は楽しんで発注したけどな」


 旗指物は淡路細川家の家紋である『九曜紋くようもん』と『誠』の二種類を用意した。

 色も朱色に金文字でまんま新撰組の隊旗のようである。


 細川家の家紋といえば「細川九曜紋(離れ九曜)」であるが、この「細川九曜紋」は江戸時代に熊本藩5代藩主の細川宗孝ほそかわむねたかが人違いで斬りつけられた事件があって、間違いを避けるために「九曜紋」から「細川九曜紋」に変更されたものなので江戸時代のものだったりする。

 細川家では「細川九曜紋」の前は普通の「九曜紋」を使っていた。


 細川家の九曜紋には織田信長に貰ったという逸話がある。

 織田信長の小刀のつかの部分にあった「九曜紋」を気にいった細川忠興ヤンデレ織田信長第六天魔王から九曜紋を賜って、以降「九曜紋」を細川家の家紋にしたという話らしいのだが、淡路細川家は普通に「九曜紋」を使っていたようなので、この逸話は最近疑問に思っていたりする。


「よき旗指物と存じます」


「だろ? まあ皆にはすまんが俺の趣味全開で作ってしまったがな」


「皆も喜ぶと思いますよ」


 我らが愛すべき郎党は小出石村こでいしむらにて、吉田重勝よしだしげかつによる日置流へきりゅう弓術の特訓を受けているところだろう。

 領地の山で猪や鹿に鳥を狩りまくって、がしがし肉を喰ってムキムキになっているはずだ。

 そんな愛しの郎党達も来週には洛中へやってくる。

 いよいよ出陣が迫っているからだ。


 三好長慶・細川晴元の両陣営による摂津の国衆の引き抜き合いが加熱し、かろうじて行っていた和睦の交渉も決裂したようだ。

 年が明けて早々には出陣となるであろう。


 五郎八や源三郎には見透かされてしまっているようだが、義藤さまに逢えないからといって落ち込んでばかりもいられない。

 まずは三好長慶相手の初陣という無理ゲーを生き延びねば、なにも始まらないのだから……


 ◆


 年末年始は出陣の準備や戦評定などに追われてしまった。

 時期的には俺にとっては最悪のタイミングだ。

 吉田神社の節分祭の手伝いやメープルシロップの採取の準備がまったくできなかったからだ。

 饅頭屋宗二まんじゅうやそうじ殿が頑張ってくれているのでそこまで心配はしていないが、メープルシロップは俺の生命線なので真冬の出陣はできたら勘弁願いたい。


 これまでの戦評定で分かったことだが、三好宗三みよしそうぞうが考えている戦略は三好方を南北から挟み撃ちにするものであった。

 十河一存そごうかずまさらに榎並城えなみじょうで包囲されている三好政生みよしまさなりを救援するため、三好宗三は丹波から摂津北部に侵攻し、摂津国内の晴元方である伊丹いたみ氏や川原林かわらばやし氏、それと典厩てんきゅう家の細川晴賢ほそかわはるかたらと合流して北から榎並城にせまる算段だ。

 一方南からは和泉守護細川家の細川元常ほそかわもとつねの和泉衆や、援軍を依頼している根来ねごろ衆などが南から榎並城にせまるという計画だ。


 だがこれは間違いなく上手くいかない。

 三好長慶が河内の畠山尾州家はたけやまびしゅうけ遊佐長教ゆさながのりと同盟し、また和泉国内でも守護代の松浦守まつうらまもるが守護の細川元常に反旗を翻すからである。

 細川元常は和泉国内で三好方となる守護代の松浦守と争うことになり、榎並城の救援には向かえなくなるだろう。

 また尾州畠山家に近しい根来衆は晴元方に援軍を出すことはなくなり、逆に河内高屋城かわちたかやじょうからは遊佐長教が榎並城の包囲に加わることになってしまう。


 南北挟撃どころか和泉の細川元常は和泉で孤立し、榎並城の包囲には畠山軍が駆けつけ、三好長慶は摂津で三好宗三との戦いに集中できるようになってしまうのだ……だから勝てるわけねーから。

 これまでの評定の席で、三好長慶と畠山尾州家の遊佐長教が結ぶ危険性は細川晴元と三好宗三には重ねて伝えてはいるのだが、まあ対処のしようがないのも事実である。


 三好長慶と遊佐長教が合体すれば現時点で日ノ本に勝てる勢力などはいないだろう。

 それこそ、六角定頼ろっかくさだより朝倉宗滴あさくらそうてき斎藤道三さいとうどうさん織田信秀おだのぶひでが連合して細川晴元を救援してくれればあるいは勝てるかもしれないが……


 今のところ細川晴元が頼れるのは六角定頼だけであるのだが、六角定頼がまともに三好長慶と戦うために大軍を出すとは思えないんだよなぁ。


 だが俺が知っている史実の「江口の戦い」とは違う動きが一つある。

 それは幕府の動きである。

 幕府内の特に近衛家あたりが、「三好長慶の台頭を許すな、細川晴元を支援しろ」と大御所の周辺に圧力を掛けているようだ。

 それが淡路細川家の細川晴元への加勢と、さらには三淵みつぶち家までもが軍を出すことになったのである。


 これも俺のせいかもしれないな……もちろん実家である三淵家には多くの援助をしているし、借金の肩代わりなどもしている。

 そしてなにより大垣であらたな御料所の代官職を得ているので、淡路細川家同様に三淵家も史実より遥かに裕福になっているのだ。


 大御所の命により淡路細川家と三淵家、それと京都小笠原家などの奉公衆を中核とした幕府軍が参集され、細川晴元を支援することになっている。

 大将格として三淵晴員と細川晴広が率いる幕府軍(笑)が東山の慈照寺じしょうじに集結しだしている。

 ちなみに上野信孝うえののぶたかなどの親近衛派と思える奉公衆たちは出陣しないという。

 洛中に留まり大御所と公方様を守るための護衛を務めるのだそうですよ……ぷじゃけるな!


 我らの愛すべき郎党たちも迎えに行った米田求政らに率いられて慈照寺にやって来た。

 調達した300人分の具足や武具を配り、兵糧の確認や飯の仕度に、米田源三郎求政、金森五郎八長近、明智十兵衛光秀、吉田六左衛門重勝らとの評定で大忙しである。


 翌朝、前日の労いの宴会明けで眠い中、最近日課の剣の稽古をする。

 もんもんとする気持ちを剣の稽古で発散するのだ。


「精が出るだろ」


 そこに聞きなれた懐かしい声で話しかけられた。


「新二郎! どうしてここに?」


「ああ、お主が出陣すると聞いて、居ても立ってもいられずにな、御所を抜け出されただろ」


 新二郎が身を引くと、そこには義藤さまが居られた。

 しかも大原女のような売り子のスタイルでとてもカワイイ格好をしておいでではないか。

 あまりにも逢いたくてしょうがなかったので俺は幻でも見ているのだろうか――


 ◆


 カワイイ女の子な義藤さまがここ慈照寺じしょうじに集結している幕府軍に見つかってしまっては面倒なことになるので、懐かしき東求堂とうぐどうに連れ込むことにした。


(別にいかがわしいことをするんじゃないんだからね! 筋肉バカも一緒なんだからね! 連れ込んで変なことしようなんて少ししか思ってないんだからね!)


「すまぬ藤孝……わしのせいでそなたが……」


 東求堂に入ってすぐに義藤さまが泣きじゃくりながら謝ってくるので困ってしまった。

 とりあえず落ち着かせようと思い、昨晩のうたげの残り物で簡単な朝飯を用意した。

 3人でのんびりと飯を食うのも久しぶりだ。

 しかも東求堂でまた3人でのほほんと出来るとは思わなかった……


「すいません、こんなものしか用意できずに」


「いや、美味しいぞ……」


「全然うまいだろ、冷えた天ぷらもなかなかいけるだろ」


 とりあえず食べてくれて泣き止んではくれたのだが義藤さまはちょっと元気がない。


「しかしよく御所を抜け出せたな」


「うむ、義藤さまが突然変装して抜け出すと言い出してな俺はビックリしただろ。だが男の公方様が女子おなごの格好をするだけで、まったくバレずに簡単に御所を抜け出せるとは思いもしなかっただろー」


 新二郎はこの期におよんでもまだ義藤さまを男だと思っているのか?

 まったくすばらしい節穴の目を持って居るようだ。


「そ、そうだなうまくいったな、はははは――」


 義藤さまも乾いた声で笑い、呆れた目で新二郎を見ている。


「その格好もよくお似合いですよ」


「そ、そんなに見るでない……」


 顔を伏してテレてしまったが、見るなというのは無理な注文という物だ。

 目の前に夢にまで見たカワイイ義藤さまがカワイイ格好でいるのだ。

 ガン見する以外にどうしろというのだ?


「そうだ新二郎。常御所つねのごしょに居る米田源三郎こめだげんざぶろう(求政)に、俺がここに居ることを伝え、しばし東求堂を人払いするよう頼んではくれまいか?」


「ああ、わかっただろ」


「すまんな」


 そろそろ皆も起き出してくるし、戦支度もある。

 俺が居ないでもなんとかなるのだろうが、探しに来られても面倒だからな。

 それに急ぎ聞かねばならないこともあるのだ。


「して義藤さま。お聞きしたきことがあります」


「ん……じゃが、まずは謝らせてくれ。わしのせいで藤孝を困らすことになってしまった。許すがよい」


「義藤さま……謝罪など不要です。義藤さまが忍んでカワイイ格好をしてまで私に逢いに来てくれたのです。あまりの嬉しさに困ったことなどどこかへすっとんで行きました」


「だ、だから、カワイイとかあまり言うでない……そなたは怒ってはいないのか?」


「怒る理由がありませぬ」


「じゃが……わしはそなたが調べた三好と晴元の兵力の数を記した物などを、伯父上らに取られてしまって、それでそなたが蟄居謹慎ちっきょきんしんになったというにもかかわらず何もできなかったのだ……」


「それは近衛家や大御所の側近どもによる策謀でありましょう。義藤さまが責任を感じる必要はありませぬ。それに過去のことでもあります。それよりもこれからのことを考えるためお力をお貸しください」


「これからのこと?」


「はい。蟄居謹慎は解かれましたが、私は幕府への出仕を止められたままで、自由に義藤さまにお会いすることが出来かねております。まずは私が自由に義藤さまに会うことができるよう何とかしたくあります」


「それは……」


「義藤さま、近衛家は私のことをどのように仰っておいででありますか?」


「う、うん……伯父たちはそなたのことを三好長慶にくみして我らが幕府に仇なす謀反者じゃと、そう言っておるのだ」


 伯父達とは近衛稙家このえたねいえ大覚寺だいかくじ義俊ぎしゅん聖護院しょうごいん道増どうぞう久我晴通こがはるみちのことであろう。


「義藤さまは私が謀反を起こすと思いますか?」


「そ、そんなことは思いもしない! そなたがわしに謀反を起こすことなどありえぬことだ! ……だが、母御前ははごぜまでもがそなたは信用が置けない、どうしてもそなたに会うことはならぬと言ってな……わしの言うことを聞いてはくれぬのだ……」


 義藤さまの信頼度が100%で嬉しい。

 だがしかし、近衛家からは総スカン状態やねぇ。


「義藤さま、私には近衛家から嫌われる理由が分からないのです。何かご存知ではないでしょうか?」


「うん。伯父も母御前も三好と十河そごうは許せぬと言っておってな、そなたの晴元ではなく三好家と結ぶ策をけなしておったのだが……」


「ん? 十河?」


「ああ、伯父たちは十河家に九条家が娘をやったと憤っておってな――」


「そ、それだぁぁぁ!」


「うひゃあぁぁ。び、びっくりしたぁ」


 俺が急に大声を出したものだから、義藤さまはびっくりして何やらすごく可愛らしい声をあげて倒れこんでしまった。

 その拍子に売り子の格好をしているので小袖の裾が短いのだが、そこから可愛い『おみ脚』があらわになってしまう。


 ギンッ! ――我を忘れてをガン見する俺である。


「急に大声を出すでないわ.……藤孝、起こしてくれ……?? おーい、ふ・じ・た・かー?」


 義藤さまが手を差し出して起こせとアピールしてくるが、そんなことはできない。

 ――何か重要なことに気づいた気がしないでもないのだが、今の俺にとって義藤さまのより重要なものはこの世に存在などしないのだ。


 サイズが少しあっていなくて長めの脚絆きゃはんと捲くれ上がってしまった小袖の裾との間のは偶然にも『絶対領域ぜったいりょういき』を生み出しているのだ。

 まさか戦国時代でこの領域を拝めるとは思わなんだ……眼福眼福がんぷくがんぷく……


 手を引いてくれない俺に少しムッとしながら、義藤さまが起き上がってしまい、お美しい『おみ脚』が隠れてしまった。

 なんてことだ! 残念なり! 無念なり! かむばーっく絶対領域ぃぃぃ。


「それで藤孝、なにか気づいたのか?」


 義藤さまが居住まいを正しながら聞いてくる。


「はい、この戦国の世で絶対領域の素晴らしさに改めて気付きました……」


「……何を言っているのだそなたは?」


 呆れた顔をされてしまったが、をガン見していたのはバレてないからよしとしよう。


「ええっと、そういえば何のお話をしていましたかな?」


「だから伯父たちが十河なにがしとやらに九条家の玖山公きゅうざんこうが娘を嫁にやったことを怒っていたと――」


 ああそうだった、義藤さまのに心を奪われすっかり忘れるところだった。


「それは九条稙通くじょうたねみち殿が三好長慶の弟の十河そごう民部大輔みんぶだゆう一存かずまさに娘を嫁がせ、それに近衛家の方々が怒っており、その三好家と協調しようとした私は敵だと、そういうことでよろしいですかな?」


「そう……だと思うぞ」


 そういえば十河一存の子の三好義継みよしよしつぐって、九条家の血を引いているから何だかんだで三好家の後継者に立てられたとかいう話があったな……

 だが、こんな早い時期から三好家と九条家が結びついているとは思わなかった。

 三好家は畿内を制圧して天下人になったからこそ、九条家と結びついたものだとばかり思っていたな……


(十河一存の嫡子である三好義継は作中の年である1549年生まれ。三好長慶の跡継ぎであった三好義興みよしよしおきが若くして亡くなったため、長慶の甥の中でも年長であり母方で摂関家の九条家の血筋を引く三好義継が後継者に選ばれたとされる)


 しかしまあ、そういうことなら話は分かる。

 幕府が足利・近衛体制である限りは、九条家と結んだ三好家とは相容れないということだろう。

 うんこれは失敗したな……細川晴元との手切れはともかく、三好長慶と結びましょうという俺の提案は、近衛家には完全にNGであり必要以上に警戒させることになってしまったわけだ。


「分かりました義藤さま。この細川藤孝はこれより三好長慶を敵とします。母御前様には、義藤さまが説得して藤孝は三好家を敵とすることに同意したとお伝え下さい。そしてこたびの戦で私は三好家を敵に回して戦うことで、それを証明して見せましょう」


「……分かった。でも無理をせずに無事に帰ってくるのじゃぞ?」


「はい。私の望みは義藤さまと共にあることです。必ず生きて帰って参ります」


「ん――気をつけるのだぞ……」


 ◆


 ここ慈照寺じしょうじに集まっている幕府軍はだいたい半分ぐらいだ。

 残りの半分は相国寺しょうこくじに集結しており、これから東寺口とうじぐちで合流して西進する手筈になっている。

 だが合流してもその兵力は今のところ2,000ぐらいにしかならない。


 この幕府軍は史実では江口の戦いには居なかったであろう戦力だが、三好長慶と細川晴元の戦力差がありすぎるので、そこに幕府軍の2,000の兵力が加わったところで大勢に影響はないものと思われる。

 頑張りはするが頑張り過ぎて討死とか勘弁して欲しいからな。


「義藤さま、我らはこれより三好(長慶)勢と戦に臨むわけですが、恐らくは勝つことは難しいものと思われます」


「すまぬ。危険な戦に行かせることになるな……」


「勝つことよりも生き延びることを優先して戦に臨みますればそれほど危険なことにはなりません。ご安心くだされ」


「そうは言っても心配なのじゃ、わしはそなたが居なければ……」


 義藤さまが涙ぐみながら俺の手を握ってくる。


「義藤さま……」


 この数ヶ月あまり出逢うことが出来なかったため、二人の想いは昇竜拳しょうりゅうけんのように舞い上がってしまう……

 目と目が合いお互いの顔がどんどん近づいていく。

 藤孝は無意識のうちに義藤さまを引き寄せ、思わず抱きしめてしまおうとする。

 そして義藤さまは目を閉じ……二人は……


「いやあ熱くたぎるだろ! ちくしょう俺も出陣したかっただろ!」


 予想通りの暑苦しい男の乱入によって、あわてて飛び跳ねて分かれる二人であった。

 残念ながら待ちガイルのような鉄壁の防御があるため、この小説は簡単にはエロいムードにはならないのである……


「どうかしたのかだろ?」


「なんでもねーよ」ちくしょう、そんなこったろうと思ったよ。


「な、なにもなかったであるぞ」


「んーよくわからんが、使いの者が来たとかで源三郎がおぬしを呼んでいるだろ」


「分かった。申し訳ありませぬ。義藤さまはしばしここでお待ち下さい」


「ん、行って来るがよい」


 源三郎に会うために常御殿に向かう。

 向かう間に見ていたが、兵たちのほとんどは朝食を取り戦支度を整えていた。

 もうすぐにでも出発できそうな雰囲気である。


「源三郎すまない。使いの者と聞いたが?」


「与一郎様、お呼びたてして申し訳ありませぬ。渡辺出雲守殿よりの使いが参りました」


 使いの者は渡辺出雲守の出陣を報せるものであった。

 山城国の国人領主で田中渡辺氏の当主である渡辺出雲守はこたびの幕府軍に寄騎することになっている。

(少しでも兵の数を増やすために俺が頼んだのだが)


 我らが慈照寺を出陣したのち、渡辺殿とは吉田神社で合流することになっている。

 吉田神社で戦勝祈願をすることになっているのだ。

 むろん叔父の吉田兼右に無理やり依頼されたためであるが、士気を上げるのは悪くないだろう。


 渡辺出雲守殿のほかにも、近江山中の磯谷いそがい新右衛門しんうえもん久次ひさつぐ殿と山城高野の佐竹蓮養坊れんようぼう殿が小荷駄こにだを率いて我らに協力してくれることになっている。

 忘れ去られている気がしないでもないが、この三名は以前に吉田神社にて公方様が拝謁を許された者達である。(十四話 節分祭を参照のこと)

 小荷駄隊が運ぶ兵糧や酒などの補給物資は川端道喜かわばたどうき茶屋明延ちゃやあきのぶ角倉光治すみのくらみつはる饅頭屋宗二まんじゅうやそうじら町衆に依頼して準備して貰っているところだ。


「渡辺殿を待たすわけにはいくまいな。よし源三郎、出立の触れを出してくれ」


「はっ」


 金森五郎八長近をはじめ明智十兵衛光秀、吉田六左衛門重勝、斎藤内蔵助利三らと他の隊に出陣を触れさせていた米田源三郎求政らが揃いのダンダラ模様の陣羽織を着て居並んでいる。

 ちなみに柳沢新三郎沢元政は伝令として洛中に残り、米田こめだ甚左衛門じんざえもん是澄これずみ硝石しょうせき作りでお留守番だったりする。


 我が隊のほかにも兄貴の三淵藤英みつぶちふじひで小笠原稙盛おがさわらたねもり殿ら他の奉公衆の部隊も戦支度を終えたようである。

 相国寺のほうに集結していた大将格の細川晴広と三淵晴員の親父たちもそろそろ相国寺を出陣している頃だろう。


 ぶおおおおおお♪ ――法螺貝ほらがいが吹き鳴らされる。


 先陣の兄貴を先頭に続々と幕府軍が慈照寺を出て行く。


「源三郎、少し時間をくれ」


「はっ。ですが与一郎様どちらへ?」


 東求堂とうぐどうから出て心配そうにこちらを見ている義藤さまに視線を送る。


「あれはたしか許婚いいなずけの沼田家の娘御むすめごでしたか……分かりました。ですが短めに願いますぞ」


「ええ? 若殿に許婚が居るんですかい? おお、なかなか可愛らしい娘ですなぁ……それで若はいくら誘っても女遊びをしないわけだ」


「いいから五郎八、行くぞ」


「すまんな……しばし頼む」


 さすがは源三郎の兄貴だな、義藤さまの姿を見て察してくれた。

 義藤さまのことを沼田家の娘で俺の許婚と勘違いしたままだが、まあいいだろう。

 郎党らの指揮を米田源三郎に任せて、東求堂に急いで向かう。


「義藤さま。これより出陣します」


「うむ。無事に戻るのだぞ」


「先ほども申しましたが私は生きて帰って参ります。さすれば義藤さまには負けたあとのことをお考えになっていただきたくあります」


「負けたあとのこと?」


「はい……残念ながら勝つことは難しく、我らは三好長慶に追われて洛中から落ち延びることになるやもしれません。まずは速やかに洛中から退去できるようにそなえを行っておいてください。それとできれば落ち延びるのではなくこもる算段を取っていただきたいのです――」


 そう史実の江口の戦いとは違うところがもう一つある……

 三好宗三や細川晴元が三好長慶に敗れるのは良い。

 問題はその後だ。

 我らには三好長慶に対抗するために取りうる手が無いわけではないのだ――


「では新二郎、義藤さまを頼む」


 義藤さまと内密の話を終え、新二郎に声をかける。

 また義藤さまの側を離れるのは心配でしょうがないのだが、新二郎と沼田兄弟が側にいれば直接的な危険は対処できるだろう。


「おう、任されただろ」


 新二郎と拳と拳を合わせてグータッチをする。


「では行って参ります」


「うむ……気をつけるのだぞ……」


 正直いうと逢えない間にもしかしたら義藤さまに俺は切り捨てられたのではないかと落ち込むこともあった。

 だが、義藤さま自らが御所を抜け出し俺に逢いに来てくれるということをやってくれたのだ。

 生まれ変わる前の俺とは違って今のは幸せ者だな……


 もう何も迷うことは無い――俺は義藤さまのために戦うだけだ。

 我が忠誠心の全てを義藤さまに捧げるために、愛すべき郎党や頼もしい家臣とともに誠の旗を掲げて出陣するのだった――

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