第五十話 細川藤孝の敵

 天文十七年(1548年)11月



 義父の細川晴広から細川晴元に俺も出陣することを願い出たのだが、細川晴元の野郎はそれを恭順の意を示したと好意的に解釈したようである。

 とりあえず俺の出陣は反対されなかったので、義父と一緒に出陣する準備をすすめることになったのだが……これって初陣になるんだよな。


 細川藤孝の初陣っていつなんだろう?

 下手したらまともに記録があるのは織田信長の上洛戦とか、勝龍寺しょうりゅうじ城攻めとかになるかもしれない。

 1568年とかだからほぼ20年後じゃねえか……


 記録にはないのだろうが、恐らく数年後の三好長慶と足利義輝との争いのどこかで細川藤孝は初陣を果たしていると思われる。

 それにしてもこの時期に初陣するのは早いだろうし、そもそも江口の戦いに幕府の軍勢などは参加していない。


 俺が商いで稼ぎまくったせいで淡路細川家が裕福になっちまったものだから、細川晴元に目を付けられるわ、義父の細川晴広が張り切るやらで、こんなハメになってしまった。

 まあ色々やらかして悪目立ちし過ぎたということだな。


 何はともあれ領地から兵を率いて参陣しなければならないのだが、問題は補給だよなぁ……兵站へいたんとか補給線なんて概念がほぼ無いであろう時代だけど、戦場で飢えることだけは絶対に避けたい。

 味方? な細川晴元が俺らの分まで食わせてくれることはないだろうしな、自前でなんとかしなければならないだろう。


 食い物は保存食を用意して漬物なんかも有ればよいだろう。

 鉄砲の弾やら火薬やらもしっかり持っていこう。

 可能であれば補給できる根拠地が欲しいのだが難しいな……


 軍も急いで編成する必要があるのだが、先々月に行った兵の調練で問題があったりした。

 うちの明智光秀くんの鉄砲隊の指揮がグダグダだったのだ。


 光秀くん鉄砲の腕前は並みなのだが、部隊指揮の経験がないらしく鉄砲隊を上手く指揮できなかったのだ。

 うちの部隊の調練が英語とか使って特殊なこともあるが、まさか光秀が兵を率いることができないとは思わなかった。

 とりあえず光秀には兵法書を読んでもらって勉強させているが間に合うのかね……


 我が家には正直いって実戦経験のある者がまともに居ないのだ。

 実戦経験のない指揮官達を連れて三好長慶相手に初陣とか、初見で初代魔界村をクリアするぐらい無理ゲーだと思うのだわ。

 せめて死ぬ前にもう一度だけ義藤さまとラブラブデートがしたい人生であった……


 現実逃避してないで、せめて死なない程度には頑張れるようにしなければならないが、「江口の戦い」なんて三好長慶のワンサイドゲームでまず勝ち目はない。

 三好宗三と一緒に自滅することのないよう考えねばならん。


 あとはしばらく洛中を留守にするので、商いの方もなんとかしなければならない。

 農繁期じゃないだけマシだが、手広くやりすぎた商いをもっと委託して行こう。

 俺の生命線であるメープルシロップの採取精製と土倉(サラ金)業だけでも必要十分な資金はなんとかなるからな。

 そんなわけで懇意にしている商人を呼んで対策を考える。


 餅屋渡辺の川端道喜かわばたどうき殿には今出川御所や内裏だいり、公家衆などに定期的な煎餅せんべえの付け届けを依頼し、漬物や保存食などの生産と輸送もお願いした。


 茶屋明延ちゃやあきのぶ殿には大垣の又代官と石灰鉱山の管理をほぼ丸投げして、石鹸の生産と販売もお願いする。

 ついでに武器や具足の調達と大垣から兵糧を運んでもらう算段も頼み込んだ。


 角倉家の吉田光治殿にも北山城の又代官をほぼ丸投げして、若狭の組屋と鼠屋との取引も丸投げする。

 吉田光治殿と相談して清酒の製造法を清原業賢と吉田兼右のオジーズに解禁することにした。

 清原家と吉田宮司家にも今年から清水寺周辺で清酒の生産を始めて貰おう。

 清酒はもうこの三家に丸投げでいいだろう。


 鰻重や蕎麦も清原家と吉田家に丸投げの方向でいくとしよう。

 吉田兼有かねありさんや南豊軒周清叔父には店長というよりエリアマネージャーとして動いてもらう。

 蕎麦屋や鰻屋での儲けはもう良いのだ、必要な時に用意してくれればそれでよい。


 京釜座きょうかまんざ名越浄祐なごしじょうゆう殿にも屋敷までご足労願った。

 京釜座には技術提供を行って鉄砲の弾丸の増産をお願いするのだ。

 根来ねごろから貰ってきた弾丸を作る玉鋳型たまいがたを提供して、出陣するまでに急いで弾丸の数を揃えてもらおう。

 今までは自前で弾丸を作ってきたが、さすがに間に合わないからな。


 あとヒマそうな山科卿にも商売を振っていこうか。

 若狭の組屋を紹介して、珪藻土けいそうどの乾燥剤と七輪は委託してしまおう。

 利益にはならんけど、これも必要な時に物が入ればそれでよい。


 饅頭屋宗二まんじゅうやそうじ殿とは入念に打ち合わせを行った。

 もうしばらくすれば冬になる。

 メープルシロップのために知り合いとコネを総動員して今年もさらなる増産体制を構築していかねばならない。

 マジでメープルシロップだけは洒落にならんぐらい儲かるからな、まだまだ稼いでいこうず。


 利益率は減るし情報漏洩の危険もあるけど、これから商いは基本丸投げしていく。

 自分が現場に居なくても回る体制を作るのが大事だ。

 不労所得うめーじゃないけど、恐らく負け戦で都落ちになるだろうから先のことも考えていかねばならんわな……


 ◆


「松井新二郎や沼田兄弟とは会えたのだな」


「はい。新二郎殿の話ではやはり近衛家から若殿と会うことのないように指示が出ているとのことです。それと吉田家や清原家による公方様への講義についても今は止められているとのよしにございます」


 幕府足軽衆の身分がある柳沢元政やなぎさわもとまさには今出川御所に出入りするよう命じている。

 なんとか公方様と早期に接触したいのだが難しいようだ。


「近衛家から言われてしまえば清原家や吉田家ではどうしようもないからな」


 摂関家筆頭の近衛家と吉田家・清原家では家格が違い過ぎる。

 江戸時代には吉田家も清原家も近衛家の門流もんりゅうという家臣みたいなものになってしまうぐらいだ。

 近衛家に対抗する手段は今のところ思いつかないが、新二郎や沼田兄弟が側にいるなら義藤さまが危険なことはないのかな。


「新二郎殿から聞きましたが、公方様は病で伏せっているとのことです」


 うーん、本当に病なのか病ということにのか分からぬな。


「元政、すまぬが引き続き公方様に接触できるよう図ってくれ」


「はっ、私も公方様の元気な姿を早く見たいと思っておりますので頑張ります」


「うん、よろしく頼む」


 何やらよく分からないけど、どこかしらから情報を掴んでくる金森長近にも幕府の動きを調べて貰っている。


「若殿と公方様の変な噂が流れておりますな」


「変な噂?」


「はい、細兵は尻を使って公方様に取り入った――というものです」

(細兵は細川兵部大輔の略で細川藤孝のこと)


「ん? なにそれ」


「あー、若殿と公方様が男色関係にあり、若殿は公方様のお相手をして出世したという下世話なお話ですな」


「は? 義藤さまと俺が衆道の関係だというのか?」


「まあ、そういう噂です。ねたまれておるようですな……」


「尻を使うって、俺がかよ!」


「わかとのー、ってなんすか?」


 義藤さまはカワイイ女の子なのに衆道とかねーわ。

 しかも俺がウケって……


「うむ、の上で攻めてくる義藤さまもそれはそれで……」


「わかとのー、ってなんすか?」


 公方様ならぬ女王様な義藤さまも……アリだな!


を振るってイジメてくる義藤さまも良いかもしれぬのう」


「わかとのー、ってなんすか?」


 いかんいかん、どうにも変な想像をしてしまう。

 義藤さまと逢えなくて俺の煩悩が(意味深)してしまうな。


「それで五郎八ごろはち、その噂はどこで聞いてまいったのだ?」


「御所の女房どもが噂をしておりました」


 女房といっても人妻ではない。

 御所において大御所や公方様の身の回りの世話やお仕事のお手伝いをする高位の女中みたいなものだ。


「お主は御所の女房衆と渡がつけられるのか?」


「へい、人妻はので逢引してねやをともにしておりまする」


 人妻だったー! この人下半身が猛獣だったわー。


「お、おう、そうか……」


「まあ噂の出所は近衛家とその周辺の者でしょうな」


「やはり近衛家は俺を公方様の周辺から排除しようとしていると?」


「そのほかにも金で今の地位を買ったなどとも噂されているようです」


「尻と金とか、酷い言われようだな」


「まったくですな。上野信孝うえののぶたかなども罵詈雑言を言いまくっております」


「上野信孝と近衛家は近しいのか?」


「そのようですな。上野民部や彦部ひこべ雅楽頭うたのかみなどは、ずいぶんと太閤殿下に擦り寄っているようですからな」


 上野民部大輔信孝は前々から口煩いヤツなのだが、これまではそこまで敵対する間柄ではなかったはずだ……近衛家もそうだ。

 近衛家はなんといっても公方様の母御前ははごぜの御家だ。

 付け届けは欠かさなかったし、近衛家には美濃や尾張の関係所領で便宜も図って来た。

 近衛家にここまで敵視される覚えはないのだ。


 上野信孝や彦部晴直はるなおなどは近衛家の手足に過ぎないだろう。

 まずは近衛家を何とかしないと動きが取れんな。


「すまんが五郎八、近衛家の動きを引き続き探ってくれ」


「へい、近衛家の女房も誘ってみましょう」


「お、おう、頑張ってくれ(何をだ?)」


 しかし上野信孝か……上野家はたしかに細川藤孝にとっては幕府内における敵ではあるのだが、それは上野信孝の息子の上野清信うえのきよのぶだとばかり思っていたのだがなぁ。


 いずれ出てくるであろう上野清信は元々警戒するつもりだったが、その親父にまで嫌われるとは……めんどくさい限りだな……


 ◆


 細川晴元から目通りを許すとの『とてもありがたーいお話』が来たので、京兆屋敷に出向くことになった。

 蟄居謹慎ちっきょきんしんを解いて貰うには細川晴元におべっかを使わねばならないのがムカツクところだが、まあここは我慢しよう……義藤さまにお逢いするためと思えばなんでもやったろうじゃん!


 若狭の鼠屋に頼んで手に入れた奥州馬を細川晴元なんぞに献上するために連れてもいるのだ。

 取次ぎに来た細川晴元の側近の高畠たかばたけ伊豆守いずのかみ長直ながなおに馬を渡して、義父の細川晴広と共に拝謁のために御殿へと向かった。


「よく参ったな淡路の」


「右京大夫(晴元)様にご機嫌麗しゅう存じます。こたびは我が息の参上をお認め下さり恐悦至極きょうえつしごくに存じます」


 何度見ても義父上が晴元なんぞに媚びへつらうのはムカツクな……


「そなたの大切な養子の兵部殿が儂のために兵を出そうと言うのだ。儂こそありがたく思うぞ」


「右京大夫様の寛大なお心にこの兵部、感謝の心しかありませぬ。右京大夫様のために奥州馬を用意させましたので宜しければのちほどお改めください」


 晴元におべっかなんぞ言わねばならんからが出てくるわ。


「殊勝な心がけじゃな。これからもそのような態度であれば儂もそちを悪いようにはせぬ。精進することだな」


「ははっ、ありがたき幸せ」


「それでその方はまだ儂が孫次郎(三好長慶)如きに負けると述べるのであるか?」


「私はあくまで情勢を調べ右京大夫様と三好長慶との予想される戦力を表したに過ぎませぬ。誤解なきようにお願いいたします」


「ふん、物は言いようであるな、まあ良い。それで孫次郎の兵の数は確かであるのか?」


「三好方の兵は恐らくは1万から1万5千に達しましょう。ですが畠山(尾州)家の遊佐長教ゆさながのり殿が娘婿の三好長慶に協力することになれば、その数はさらに増え2万を超えることにもなりましょう」


「気に入らぬ話だな……」


「申し訳ございませぬ」


「いや、その方の言ではない畠山金吾きんごのことよ。畠山とは和睦を結んだばかりであるのだが、あやつらは兵を出すというのか?」


「畠山家にとっては細川家の内紛は願ってもないことでありましょう。氏綱殿も行方は分かりませぬ。油断のなきようにすべきと存じます」


「ふん、畠山と和睦するべきではなかったわ」


 俺もそう思うよ。


「それで右京大夫様お願いでござりまする。我が家でも出兵の準備を行っておりますが、我が息が謹慎の身の上では準備が難しくあります。蟄居謹慎を解いていただけますよう大御所様に何卒おとりなしをお願いいたします」


「あい分かった。大御所へのとりなしは任せてもらおうか」


「ははっ、ありがたき幸せ」


「軍議の際には淡路殿にも参加して貰うからな。よろしく頼むぞ――」


 そんなわけで細川晴元の援軍として出陣することは決まったわけなのだが、すぐに出陣ということにならなかった。

 三好長慶の動きが何やらぐずぐずしているのだ。

 三好宗三を討つといって兵を挙げたのはいいのだが、その後の動きが遅いのだ。

 その鈍い動きはまるで「細川晴元様とは戦いたくないの。今からでも宗三ではなく私を選んでよ!」という想いのようであった……乙女カヨ。


 ◆


 細川晴元は献上した奥州馬を喜んで礼状なんぞ送って来た。

 せっかく奥州から取り寄せた名馬なので喜んで貰えてありがたいというか、単純なヤツなので助かる。


 しばらくして今度は大御所の側近より今出川御所に出頭するよう指示が来た。

 細川晴元から話がいったのであろう、これは蟄居謹慎を解いてもらえるかもしれない。


 義父と一緒に今出川御所へと参上したのだが、我が淡路細川家の株は駄々下がりのようである。

 御所では話しかけて来るものは居ないし、露骨に目を逸らされる有様で、まだ十代のピチピチなのに窓際族の気分だよ……トホホ。


「兵部大輔殿ご苦労である。右京兆殿よりたっての願いがあり、また大御所様の格別な慈悲もあり、その方の謹慎を解くことにあいなった。今後は身を慎み迂闊な行動を取らぬよう心がけることだな」


「さすがはホタル殿よ、取り入るのがお上手なことだ」


「節操がないにもほどがあるわ」


「袖の下を使うことに慣れておいでのようで」


 政所執事の伊勢貞孝いせさだたかに、上野信孝うえののぶたか彦部晴直ひこべはるなお杉原晴盛すぎはらはるもりと居並んだ大御所の側近から嫌味のオンパレードを喰らった。

 まったく嫌われたものだな……


 常御殿つねのごてんから退出して公方様が居るであろう離れに向かったのだが、呼び止められ行く手を阻まれてしまう。


「兵部殿、公方様への出仕は控えるでおじゃる」


 俺を呼び止めたのは久我晴通こがはるみち殿であった。


「淡路細川家は出陣の準備で忙しいはずよ、このような所でいつまで油を売ってるつもりだ」


 続いたのは大覚寺門跡だいかくじもんぜき義俊ぎしゅん殿であり俺を遮ってくる。


「早々に立ち去り、武家の仕事をこなすがよかろう」


 最後に聖護院門跡しょうごいんもんぜき道増どうぞう殿までが現れ、俺を睨んで来る。

 愛しの義藤さまへお逢いする道は、近衛家の兄弟達によるジェットストリームアタックによって阻まれてしまうのだ。


 義俊と道増はただの坊主ではない、大僧正だいそうじょうとして権門のトップに立ち僧兵をも率いる中ボスみたいなものだ。

 久我晴通は権大納言ごんだいなごんであり、現在の源氏長者げんじのちょうじゃでもある。

 コイツらだけでも厄介この上ないのだが、近衛家にはさらに太閤殿下まで控えている。


 近衛家と敵対しないように付け届けや便宜をはかって来たのだが、これはもう完全に敵視されており、今まで送って来た賄賂は役に立っていないなこりゃ……


(前関白の近衛稙家このえたねいえ、大覚寺門跡義俊、興福寺こうふくじ別当べっとう一乗院いちじょういん覚誉かくよ、聖護院門跡道増、権大納言・源氏長者の久我晴通と義輝母の慶寿院けいじゅいん近衛尚通このえひさみちの子で全員兄弟だったりします。こいつらが近衛・足利体制を支える近衛家のメンバーである)


「我らが公方様にこびを売られては困るからのう」


「控えろこわっぱ!」


 さらに後ろからは追いかけて来たのであろう彦部晴直と上野信孝までやって来て、俺は完全に包囲されてしまう始末だ。

 分が悪いにもほどがある、おとなしく退散することにした。


「それではなにとぞ公方様にこの差し入れをお渡し下さいませ」


「ふん。いい加減袖の下はやめることだな」


 一応彦部晴直が受け取ってくれたが、素直に公方様に渡してくれるとは思えない。(公方様への差し入れは近衛家のスタッフにおいしく頂かれてしまいます)

 蟄居謹慎は解かれることになったのだが、近衛家のゾーンディフェンスに阻まれ続け俺の幕府への出仕は止められたままとなる。

 俺は公方様に逢うことができずに、しばしもんもんと過ごすことになるのだ……

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