第四十七話 吉田雪荷

天文十七年(1548年)7月



 領地である小出石村こでいしむらにさらに追加で募集した郎党を引き連れて向かった。

 合計すると兵の数は300にはなったが、正直いって今の現金収入だけで賄う兵としてはこのあたりが限界だったりする。


 古知谷ふるちだにでの開墾や狩りもさせているが兵は基本的には無駄飯ぐらいであり、メープルシロップを基本とする今の収入では厳しいものがある。

 これ以上の兵を揃えるには、無駄飯ぐらいの兵をなんとか使って別の収入を得ることを考えねばなるまい。


 古参の兵は斎藤利三に狩りをさせ、新参の兵と家臣は恒例の米田こめだブートキャンプ送りである。

 金森長近かなもりながちかも明智光秀も漏れなく強制参加である。

 こいつらは恐らく十分強いとは思うのだが、肉食による肉体改造と米田鬼軍曹の精神力強化を受ければ、さらに強くなって戦国無双並みに一騎当千にでもなってくれるかもしれん。(そんなわけない)

 それに我が淡路細川家の家風というか、洋風で行う調練にも馴染んでもらわねばならんからな。


 米田鬼軍曹がやり過ぎてイジメになっても困るので、光秀には俺がなるべく付いて指導をしていこう。

 主力になるであろう鉄砲隊を任せるので、鉄砲隊の運用方法で考えていることもおいおい教えていこうと思う。


 変な化粧をして『殺し間』にようこそとか言い出しては困るので、普通に鉄砲の十字砲火の有効性や火力の集中の有効性、アンブッシュにおける迷彩ボディペインティングの有効性なども光秀には教えておこうと思うのである。


「それがしの使命は愛する我が細川家のウジ虫を駆除することである!  分かったか、このクソ共が!」


 いつもの調子で米田鬼軍曹が元気に指導を始める。

 最近思うのだが、絶対に源三郎のヤツはノリノリで楽しんでやっているよな。


「さー! いえっさー?」


「ふざけるな! 大声をだせい! 金○マ落としたかぁ!」


「サー! イエッサー!」


「そこのお主、名はなんと申す」


「金森五郎八ごろはちであります! 米田軍曹? どの!」


「気に入った。屋敷に参って妹を手篭てごめにしてもよいぞ」


 米田源三郎に妹なんていたっけか? などと深く考えてはいけない。

 に俺が教えたセリフを言っているだけなのである。

 とりあえず金森長近らの新参どもには地獄を見てもらおう。


 海兵隊式訓練に肉食による体質改善、現代式部隊運用法の習得で部隊の質を劇的に上げていくぞ。

 残された時間は少ないからな。


「与一郎様、お客人でありやす」


 訓練を監督していたところで、中村新助から声を掛けられた。


 客人は呉服商の茶屋明延ちゃやあきのぶであり、茶屋殿には大垣から運んできた石灰と、京で集めて貰った古着を小出石村まで運搬して貰っていた。

 商家の当主である茶屋明延にわざわざ小出石村まで足を運んでもらったのは頼みたいことがあったためだ。


「何やらよいお話をいただけるとか」


 小出石村の屋敷でお茶をいただきながら商談に入るとする。


「ええ。茶屋殿には大垣の御料所ごりょうしょの又代官をお願いしたく思っております。さしあたって我が淡路細川家と三淵家、(京都)小笠原家が管理する御料所の代官になりますが……三淵家と小笠原家の了承はすでに得ております」


 いずれは大垣の御料所全域の又代官をお願いしたいとも思っている。

 正直、アホな幕臣に任せるよりも豪商に領地の管理は任せた方が安心ではないかと思っている。

 豊臣秀吉も徳川家康も倉入地くらいりち天領てんりょうの代官に豪商をあてていたりするからな。

 それに切実な問題として、ただでさえ少ない戦力を大垣に貼り付けて置く余裕がない。


「それは有り難いお話ですが……」


「それと石灰を運んで頂きましたが、美濃大垣にあります金生山かなぶやまで石灰鉱山の経営もお願いしたく考えております」


「あまりに良いお話すぎて、何か見返りを求められるのではないかと勘ぐってしまいますが」


「条件はあります」


「お伺いしましょう?」


「まずは信濃守護家たる小笠原家との仲介をお願いいたします」


 吉田神社の伝手にて入手したての情報なのだが、先週に信濃の深志城主である小笠原長時ながときが武田信玄(まだ晴信)にボッコボコにされたそうだ。

 恐らくは史実でいう『塩尻峠しおじりとうげの戦い』であり、近いうちに信濃小笠原家は崩壊するであろう。


 茶屋の本姓である中島家は元々小笠原家の血筋の家柄であり、小笠原長時とは親交もある。(諸説あります)

 ボロボロになった信濃小笠原家は越後の長尾景虎を頼り、その後に同族である三好(阿波小笠原)家の三好長慶を頼って上洛するのだが、ようするにそれを阻止したいのである。


 正直、小笠原家などたいした戦力にはならないとも思うのだが、それでも三好家に行ってしまう戦力を少しでもこちらに取り込めることは悪くないだろう。


 まだ一応は信濃の地で小笠原家はギリギリ頑張っているので、小笠原家は滅びます、とは茶屋殿には言えないのだが、どうせすぐに滅ぼされるので、この先落ちのびて来る小笠原一族を大垣に迎え入れることができれば多少の戦力にはなるだろう。


「問題ありません、小笠原家はかつての主筋にて今も懇意にしておりますれば」


「頼み申す。次に古着と石鹸のあきないのお手伝いをお願いしたくあります」


「はぁ、古着は伝手もありますので問題ありませんが、石鹸でありますか? 薬屋で商っているのは存じ上げておりますが」


 見てもらったほうが早いので中村新助に古着と固形石鹸にタライと、用意してあった洗濯板せんたくいた火熨斗ひのしを持ってきて貰う。

 炊事場に移動して古着の洗濯の実演を行い、その汚れ落ちを見てもらい、仕上げにクシャクシャの古着を火熨斗を使ってアイロン掛けする。


「どうですかな?」


 我ながら、この時代の古着にあっては極上品になったと思うのよ。


「ええ、なかなかの仕上がりかと」


 この時代の衣服はかなり貴重品であり、古着も古手屋ふるてやと呼ばれる今のリサイクルショップのような店で普通に売られており実は立派な商品になったりする。

 江戸時代には北前船きたまえぶねの交易品の中にも古着があり東北や蝦夷えぞ地まで運ばれ売られている。

 また江戸の町では古着屋街が形成されるほど人気商品だったりする。

 産業革命が起こる時代までであれば、古着は十分に商いになるのである。


 若狭小浜の組屋が仕入れたオカヒジキを小出石村に運び入れ、そのオカヒジキと石灰を使って固形石鹸を作る。

 さらにその石鹸を使って古着を洗濯し、綺麗になった古着をさらにアイロンで仕上げて日本海交易に従事している鼠屋を通じて東北や蝦夷地で売りさばいてもらおうという魂胆である。


 洗濯板は簡単な構造なので木材の端材はざいから兵に作らせている。

 洗濯板はこれが想像以上に登場が遅くて、中国で生まれヨーロッパで流行ったのちに、日本に持ち込まれたのは大正時代になってしまう。

 それまでの日本ではもみ洗いであり、江戸時代には洗濯板すら無かったりするのだ。


 火熨斗は京の釜座に無理を言って作って貰ったのだが、ようするに現代でいうアイロンになり、江戸時代から使われだしている。

 火熨斗も洗濯板も構造が簡単なので単体で売り出すとまず間違いなくコピー商品が作られ、正直儲けられる期間は短いだろう。

 それなら売り出す前に自分らで使ってクリーニング業で十分儲けてから、あらためて商品で売り出したほうがマシだと考えたわけだ。

 古着のクリーニングは手すきの兵にやらせるので、無駄飯ぐらいの兵隊が少しでも食い扶持を稼いでくれれば万々歳である。


 御料所の又代官

 金生山の石灰石鉱山の開発

 美濃における石鹸の製造販売

 古着の仕入れ

 将来の洗濯板と火熨斗の販売権

 室町幕府への御用呉服店としての推薦

 将来の羽根布団の製造販売の権利


 茶屋に委ねるのはこのようなものであるが、これだけの利権を与えての関係になってしまえば早々に裏切られるものではないだろう。

 大き過ぎる儲けは相手を縛ることもできる。

 それに加え商売に必要な幕府の奉行人奉書を得るための口利きも可能だ。


 茶屋明延には諸手をあげて喜ばれたが、いずれは貸しを大きくして返してもらうつもりなので、精々今のうちに喜んでおいて欲しいものだ。

 後日、一緒に大垣に向かい金生山の開発と又代官の件の調整を大垣で行うことも約束して笑顔で別れた。


 主目的は後世に「京の三大長者」のひとつとされ、徳川家の政商として名をあげる茶屋家を、いち早く足利将軍家の政商として抱え込んでしまうことなので、とりあえずは上手くいきそうで何よりである。

 

 ◆


 さて米田ブートキャンプで新参者はヘロヘロになっている頃合だろう。

 特別美味しい飯を作って出迎えてやろうかな。

 メニューは斎藤利三の部隊が山で狩りまくった鹿肉のハンバーグに、鳥のから揚げをメインにいつもの鰻重や蕎麦に、おやつにもみじ饅頭もたくさん作ってあげた。

 酒も奮発して清水の神酒を振舞ってやるつもりだ。

 訓練でくたばっているところで、美味しい物で胃袋を掴みやさしくしてあげれば、忠誠心もぐっとあがるという寸法である。(ワレを神と崇めるがよいぞ)


五郎八ごろはち(金森長近)好きなだけ食ってよいからな」


「ういーっす馳走になりやーす。いやあ淡路細川家の何が良いって、いつでもこの極上の飯が食えるところでありますなぁ」


「五郎八が育った金ヶ森かながもりは一向衆徒の町のはずだが、肉食は大丈夫なのか?」


「はぁ、一向宗の幹部連中なんざ平気で肉も酒も女もたらふく食っておりましたぜ。まさに生臭坊主でありますなぁ」


「肉はいくらでもあるからな生臭坊主に負けないよう、たらふく食ってくれてよいぞ」


「ういっーす。このというものは初めて食しましたが絶品でありますな。いくらでも食えるってもんでさ。それに酒も最高ですわ。これで女でもいれば文句なぞ全くありません」


 ちなみに金森長近は82歳の高齢で子供をもうけた、生粋のであり、老いて盛んというか、とんだだ。


「女か……まあ金は出してやる。洛中へ戻ったら上等の商売女を買ってもよい。だが、夜鷹よたか辻女つじおんなではなくしっかりした傾城屋けいせいやに行ってくれよ」


 夜鷹や辻女は街角で客待ちをする『街娼がいしょう』や『たちんぼ』といわれるいわゆる売春婦で、『傾城屋』はのちの吉原などにみられる『遊郭ゆうかく』の原型のようなものだ。

 室町幕府も足利義晴が傾城局けいせいのつぼねに御触れを出して、遊女の統制や税の徴収を図っていたようである。


「本当ですかい。いやぁ話の分かる御大将の元で働けて幸せだなぁ、ですが傾城屋ではえらく金がかかりますがよろしいので?」


「うむ。ちまたでは梅毒ばいどくという性の病気が流行っていると聞く。大事な臣下がそんな病にかかるぐらいなら、軍資金はいくらでも出すから評判の良い店に行って欲しい」


「いやあ本当にふとッ腹な御大将だ。この五郎八、受けた恩は必ず返しますので期待してくだされ」


「うむ、期待させて貰おう。それと俺は遠慮しておくが、利三などの若い連中も一緒に連れて行って裏町の仕来りを学ばせてやってくれるか?」


「ガッテン承知の介! 若い者に天国を見させてあげやしょう」


「うむ、それと五郎八には任務を与える。今後も夜の街での情報収集は五郎八に任せるゆえ精々励んでくれ」


「それは仕事で女郎じょろう通いをしても良いということでありますかな?」


「うむ。行く前には声を掛けてくれ軍資金を持たせるからな」


「ああ、はやく洛中に戻りたいでござるー」


「まずは鍛錬をしっかり頼むぞ。しっかり鍛えた男はさぞやモテるであろうからな」


「ういっす! みっちり鍛えて京娘をメロメロにさせてご覧にいれましょう」


 金森五郎八はなかなか愉快な男で心配はいらないな。いい意味でムードメーカーにもなってくれるだろう。


 さて、問題はかの本能寺な男だが、心配していたのだが米田源三郎とはうまくやっているようだった。

 うちの光秀くんには無駄な教養がないため、あまり源三郎とはぶつかっていないようだ。

 現時点では源三郎の方が圧倒的に知識が豊富なため、うまく教えを受けながら付き合っており問題なく鉄砲隊の指揮権を引き継いでくれそうである。


 残る問題は米田是澄こめだこれずみにやらせている硝石しょうせき培養法ばいようほうであるが、こちらも特に問題はなさそうであった。

 硝石作りは角倉家が力を入れてくれており、当主の吉田光治よしだみつはるの叔父である堀紀兵衛ほりきへえ殿が乗り込んでガッツリやってくれている。


 米田弟も角倉家も医学薬学の知識が豊富であるため硝石作りには持って来いの人材だ。

 準備も予定通りに進んでおり、これなら3年後には培養法による硝石が手に入りそうな感じである。


 北の領地でやるべきことは概ねうまくできているので、源三郎に引き続き指揮を任せて洛中に戻ることにする。

 六角義賢の用事をこなすためと、あまり洛中を留守にすると寂しがりやの義藤さまが駄々をこね始めかねないので早々に帰らないといけない。

 お土産に鹿肉を持って帰り、ハンバーグでもご馳走すれば食いしん坊将軍のご機嫌はとれるであろうからな――


 ◆


「う、うまうまじゃ〜♪」


「これはうますぎるだろ!」


 とか気取ったことは言わないが、鹿肉で作ったハンバーグはなかなか美味しく義藤さまにも好評だった。

 人力で肉をひき肉にした、肉だけハンバーグに目玉焼きをのせて醤油をかけたロコモコ風なハンバーグであり、現代のハンバーグを知るものとしては味付けに物足りないものを感じるが、まあこんなものだろう。


 ハンバーグにはつき物のタマネギもケチャップもこの時代では手に入れようがないからな。

 ちなみにハンバーグの起源は18世紀のドイツといわれている。

 タマネギが日本に入ってくるのは江戸時代末期で食用になったのは明治の頃だったりする。

 ケチャップも同じく日本に入ってきたのは明治になるので、あきらめるしかない。

 ハンバーグを改良するとすれば、冬になったらダイコンおろしで和風ハンバーグが良いかもしれない。


「して、義藤さま。六角家の嫡男である四郎義賢殿の依頼の件ですが、話をすすめてもよろしいでしょうか?」


「うん? たしか弓術の相伝がどうとか言っておったな」


「はい。近江川守かわもりの吉田家は日置へき流弓術を起こし、当代は吉田助左衛門すざえもん重政しげまさ殿になります。日置流はその奥義を一子相伝の技としているのですが、主君の嫡子である六角義賢殿がことのほか弓術にのめり込みまして、一子相伝の奥義を我が手にしたいと、吉田重政殿に詰め寄っております」


「ふむ、吉田家は家業と主君への忠義で板挟みになっておるということだな?」


「左様です。重政殿は六角家からの出奔まで考えていたようでありますが、縁あって私が相談にのり、今のところ出奔は思いとどまっております。対策として奥義を六角義賢殿に相伝した上で、改めて六角義賢殿から重政殿の嫡子である吉田重高殿に辺伝することを提案いたしました」


「それであれば奥義も相伝でき、主君への忠義も尽くせることで安心できるということであるな……それで何が問題であるのだ?」


「重政殿が心配しておりますのは、六角義賢殿が奥義を我が物として、吉田家に返さず自己の物としてしまうことを恐れております」


「ああ、そういうことか。そこでわしが六角家と吉田家を仲介し、六角義賢殿に吉田家にしかと奥義を返すことを誓約させれば良いということだな?」


「ご明察恐れ入ります。公方様が仲介の労を取っていただければ、重政殿も安心して義賢殿に伝授することができるとおっしゃっております」


「ふふーん、六角家にも吉田家にも恩が売れるなどと思っておるな? お主もなかなか悪よのう」


 セリフがなにやら悪代官っぽいが、れっきとした将軍様である。


「次代の佐々木六角家の当主となる六角義賢殿と公方様との間に個人的な恩義が作れることは悪くない話でありましょう。それに吉田家は六角家の武の要、六角家と吉田家が仲違いを起こし、六角家の戦力が落ちることは避けたくあります。これはどなたにとっても良い話になるかと存じます」


 パンっ! 扇いでいた扇子を勢いよく閉じて、我が主が命じる。


「相分かった! 委細はその方に任す。うまく取り計らうがよい」


「ははっ」


 六角義賢は後年、三好長慶と和睦した足利義輝の政権に対して兵を挙げたり、義輝の死後には足利義昭の上洛に協力しなかったりするなどしている。

 基本的には協力関係にあり、足利義晴を本拠である観音寺かんのんじ城下に数年間匿った六角定頼と、その定頼を管領代かんれいだいにまで任じた足利義晴との関係に比べると、足利義輝と六角義賢の関係は少し弱かったのではないかと思われる。


 この日置流弓術の件で六角義賢と公方様が親交を深め、史実では弱かったであろう信頼関係を厚くすることができれば、これは幕府にとって大きな力となるに違いない。

 公方様の許しが出たので、さっそく六角義賢や吉田重政殿に上洛を促す早馬を送り、歓待の準備もすすめることにした。

 日置へき流吉田家の同族である角倉すみくら吉田家に協力を仰ぎ万全の準備をして、六角義賢殿一行を出迎えることにする。


 六角義賢も日置流の相伝の件では気を揉んでいたのであろう、すぐさま吉田重政を伴って上洛して参った。

 今出川御所にほど近い相国寺を宿にしてまずは六角家の歓迎の宴を開いた。


「おお兵部大輔ひょうぶだゆう(藤孝)殿、こたびは公方様への仲介の労痛み入る」


「我が淡路細川家も元は佐々木の一族であります。佐々木の宗家であらせられる左京太夫さきょうだゆう(義賢)殿にご助力することが出来嬉しく思いまする」


 『佐々木』だったり『細川』だったり、淡路細川家ってどっちにでもなれる便利な家だわ。


「そうであったそうであった。我が佐々木の一門に兵部大輔殿が居てくれたことを嬉しく思うぞ。これからも同族としてよろしく頼むわ」


「はっ。佐々木一門と申せば、今宵こよいの宴は角倉吉田家が差配しております。角倉吉田家も佐々木の一族にございますれば、この機会に吉田与左衛門よざえもん光治殿を紹介させていただきたくお願いいたします」


「おう、同じ佐々木一門であれば歓迎するぞ。是非紹介していただこうか」


「ありがたき幸せ。与左衛門殿お許しを得ましたぞ。こちらにて左京太夫様にご挨拶を」


嵯峨野さがのにて酒の商いをやっております。角倉屋の吉田与左衛門と申します。今宵左京太夫様に御意を得られましたこと、佐々木一族として嬉しく思います。これをえにしとして我が角倉屋を懇意にしていただきたくお願い申し上げます」


「今宵の酒も角倉屋の酒であるのか? なかなか良い酒である。同族のよしみもある。今後は懇意にすることを前向きに考えてしんぜよう」


「ありがたきお言葉でございます。ささ、左京太夫様もう一献」


「おう」


 この機会に六角家を紹介して角倉家にも恩を売っておくわけである。

 同族とはいえ機会がなければ商家の当主では、佐々木六角家の嫡男にお目通りは簡単にできるものではないからな。


 淡路細川家に日置流吉田家、角倉吉田家という非常につどう今宵の宴は、金に物を言わせて豪勢にやりまくった。

 六角義賢は終始ゴキゲンであり上手く行ったとは思う。

 ちなみに費用の大半は角倉家に出させているので、別に俺の懐は大して痛んでいない。(これ大事)


 ◆


 翌日、公方様や大御所に御供衆おともしゅう走衆はしりしゅうなどの奉公衆ほうこうしゅうの面々に、主賓の六角義賢とそのお供を連れて東山ひがしやまの吉田神社へ向かった。

 せっかくの機会なので幕府の行事として、吉田神社の神事として、弓術の一大イベントを開催してしまったのである。

 無論費用は吉田神社の全額負担であるが、吉田神社の権威付けのためか吉田兼右叔父は喜んで出してくれた。(俺の懐が痛まないのが大事)


 大御所と公方様を吉田神社の神殿に迎え入れ、神酒拝戴式しんしゅはいたいしきから始まり、まずは騎射の儀式である流鏑馬やぶさめからイベントは始まった。


 取り仕切るのは武田流弓術の武田刑部大輔ぎょうぶだゆう信実のぶざねであり、まず一番手として登場し見事に騎射きしゃを決めていった。

 実はこの武田信実は若狭守護武田信豊たけだのぶとよの弟であり、安芸あき武田家の9代目で最後の当主だったりする。

 安芸武田家の滅亡後に出雲で死んだとされていたが、最近の説では生き延びており上洛して奉公衆として足利義輝・足利義昭に仕えていたとされている。

(定説とは違うのだが、細川藤孝の武田流弓術の師は在京することの多かったこの武田信実であると考えている)


 武田信実に続いて弓自慢の奉公衆も流鏑馬に参加して儀式は大いに盛り上がっている。

 大御所も吉田兼右よしだかねみぎ叔父の酌を受けながら、豪快に酔っ払って喜んでいた。


 続いては同じく騎射の儀式である笠懸かさがけだ。

 こちらは小笠原弓術の小笠原稙盛おがさわらたねもり殿が差配しており、やはり一番手で見事に射抜いていった。


 だが本日一番盛り上がったのは、満を持して登場した公方様による笠懸の騎射であろう。

 マジメに小笠原稙盛殿から弓術を学んでいた我が主の腕前は中々のものであり、力強さはないが実にしなやかな良い騎射を見せた。


 うん、下手すると俺より上手いかもしれない。

 笑顔というかドヤ顔で戻って来た公方様を労いながら手ぬぐいを渡す。


「藤孝、どうだ見事であったろう」


「はっ、我が主の腕前に感服いたしました」


「ふふーん、次はそなたの番であるからな、楽しみにしておるぞ〜♪」


 ちくしょう、可愛い顔して余計なプレッシャーを掛けてくれやがりよってからに……

 北の山中でアンブッシュして動物を狩りまくった俺の腕前を見せてくれよう。


 流鏑馬と笠懸に続くのは、本日のメインイベントで歩射ぶしゃの儀式である百々手式ももてしきである。

 本日は趣向を凝らして、日置流と奉公衆との対抗戦になっている。

 六角家・日置流から六角義賢と吉田重政を中心とする弓自慢が10人出場し、奉公衆の弓自慢10人と対決するわけである。

 その奉公衆10人の中になぜか俺も居たわけだ……


 10人の射手が10本射って命中の数を競う。

 本来の神事である百々手式とは違うのだが、余興なので気にしてはいけない。


 弓術を極めたいという六角義賢の腕前は見事なものであり、吉田重政にその嫡男の吉田重高よしだしげたかと、さらには弟の吉田重勝よしだしげかつを揃えた日置流に対して、奉公衆側はものの見事に惨敗した。

 俺? うん戦力にならずに公方様に笑われた……


 諸々の儀式が終了し、流鏑馬や笠懸、百々手式で結果の良かった者に対して公方様からお褒めの言葉と、下賜品かしひんが手渡された。

 下賜品は吉田神社から提供された吉田の神酒に神棚かみだなである。

 吉田兼右が本日の弓術大会に協力した理由はおわかりになったであろう。

 完全に宣伝目的で、神棚普及活動の一環にしていた。


 儀式の締めくくりは日置流の奥義の相伝である。

 六角義賢と吉田重政とその嫡子の吉田重高が公方様の面前に着座し、日置流の奥義を吉田重政から六角義賢へ相伝し、六角義賢が習得したのちは吉田重高へ奥義を辺伝することを誓約した。

 公方様からも日置流の相伝に関して御内書ごないしょを発給し、日置流の相伝は将軍の公認するものとなったのである。


(御内書は本来将軍の発給する私的文書であったが公的な性格も持つようになっていた。本来の将軍の公的文書は御教書みぎょうしょになる)


 将軍に大御所、さらには満座の奉公衆が居る中での誓約であるので、六角義賢が日置流弓術を私物化する心配はないであろう。

 というか六角義賢は公方様に日置流の相伝者と公認され感涙していたぐらいだしな。


 夜には今出川御所いまでがわごしょに戻って宴会を行ったが六角義賢は終始ゴキゲンであり、日置流の相伝の仲介は成功裏に終わったといってよいだろう。

 六角義賢の支援を受けたい俺としてはこの結果に満足していたのだが、それ以上の幸運が俺のもとに舞い込んで来たのだ。


 宴会の最中に吉田重政殿から感謝の言葉を述べられ、予期せぬことを言われた。


「これなるは我が弟にて六左衛門ろくざえもん重勝と申します。兵部大輔殿にはお見知りおきのうえよろしくお引き立てお願い申し上げます」


「六左衛門重勝に御座います。この吉田重勝、吉田家の危機を救ってくださりました細川兵部大輔様に生涯の忠誠を誓いまする。なにとぞ配下にお加えいただきたく伏してお願い申し上げます」


 そんなもの諸手をあげて歓迎するに決まっている。

 こうして後世、日置流雪荷派へきりゅうせっかはの創始者となる吉田雪荷よしだせっか(重勝)を配下に迎えることになり、我が細川家の弓隊が劇的にパワーアップすることになる。

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