第三十六話 斎藤道三
天文十七年(1548年)3月
美濃に行くにあたり、
荷物が多いので近江の
総勢は80人を越えてしまった。
大所帯になったので宿を借りるために途中の近江で、
(現在の滋賀県
日置吉田流初代の吉田
重賢殿の嫡子で現当主の吉田
この日置流の吉田家と同じく吉田(佐々木)厳秀を祖とする同族の角倉吉田家から連絡を入れてもらっておいた。
宿代代わりに礼物を用意していたのだが、逆に公方様の正使として宴席を設けられ歓待されてしまった。(吉田家の出自はいろいろな説があります)
吉田重賢は大御所足利義晴の弓術師範だったともいわれるので、せっかくなので宴席で吉田重政殿にも公方様の弓術師範になってもらえないか交渉してみた。
だが何やらおかしな話になってしまった。
「実は
ここでいう御屋形様とは六角定頼で、嫡子の四郎は六角
(家中以外で御屋形様を使うのは非礼とされるらしいのだが、分かりやすさ優先で)
「六角家と吉田家に揉め事があるのでございますか? 私で何か力になれるのであればご助力いたしますが?」
この旅は畿内東方の安定が目的なのに、直近の六角家中で揉め事なんてマジ勘弁して欲しい。
「実は、四郎様から日置流弓術の奥義の
六角義賢は弓の名手として有名なのだが、この日置流弓術を習っている。
ただ弓術好きが高じて日置流の奥義についてまで欲しがってしまったようである。
日置流吉田家としては奥義を
似た様な話は細川藤孝にもあったりする。
この時代とかく秘密主義で一子相伝とか面倒なことをいろんなところでやっている。
まあ技術や知識は生活の
「弓術家としては忸怩たる思いもあるかと思いますが、武家としては主家への奉公も大事にございます。ここは一旦、四郎(義賢)殿に相伝して、しかる後に四郎様から奥義を返して貰う形を取ることを考えてはみませんか?」
一子相伝なんざしていたら必ずどこかで破綻して失伝するものだ。
この時代いつどこで死ぬか分からないからな。
奥義を失伝しないためにも保険として信頼できるものに奥義を分散して相伝するのは悪くないと思うのだ。
それに主家たる六角義賢にも恩を売れるメリットはある。
というか日置流なんて歴史がまったくないんだぞ?
たかが2代で一子相伝とかどうでもよくないか?
「奉公も大事なことは分かりますが、四郎様が奥義をお返ししてくれるかどうか……、日置流を乗っ取られることにもなりかねません」
「それでは私からお願いしますので、公方様の
「公方様にお
「今は美濃への旅の途中でありますので、すぐにとは参りませんが私が四郎殿との仲を取り持ちますゆえ、出奔の儀はしばらくお待ち下さい」
美濃での任務後に吉田家と六角義賢との間を取り持つことを約して、翌日美濃へと向かった。
◆
美濃では同族である竹腰家を頼ることにした。
淡路細川家も竹腰家も
こちらもすでに義父の細川晴広に
この竹腰重直は竹腰
しかも
なんだかダメダメな話しかないのだが、一応親戚筋だから頼ることにしよう。
一応竹腰氏を
斎藤龍興のころには西美濃五人衆(西美濃三人衆+
稲葉レンジャイ!
安藤レンジャイ!
氏家レンジャイ!
不破レンジャイ!
竹腰レンジャイ! ――5人揃って西美濃レンジャイ!!
とかアホなことを思ってしまったりもした。
美濃には斎藤利三も実家の斎藤家に
利三の父斎藤
斎藤利藤が京に亡命したおりに
一応美濃斎藤氏の末裔なので、竹腰氏とともに斎藤
斎藤利賢・利三父子と美濃で合流して、稲葉山城の南の
『西の山口、東の川手』といわれ、この当時は美濃で最も栄えている町で、織田信長が
川手の町に
斎藤利政との会見は岐阜城下の
常在寺の住持は斎藤道三の父の
なんで稲葉山に行かないのかって? 立場上行けないのだよ。
現在の美濃においては公式には守護も守護代も不在なのである。
斎藤利政は守護代でもなんでもないし、公的には「斎藤
実力的には斎藤道三なのは皆様ご存知のとおりでありますがな。
そのへんの事情があり
まあマジでこれだけだと喧嘩売っているだけなので、その手紙に添えて、斎藤利賢の名前を借りて「道三様お願いだから来てください」という手紙も送ってある。
まあ、斎藤利政が来なかったらプランの変更もありだ。
斎藤利政を謀反者として断じてしまおう。
公方様を先頭に討伐軍を編成して美濃に攻め込むのもありなのよ?
土岐頼芸の正室は六角定頼の娘であり、定頼は頼芸を支援している。
斎藤道三は朝倉家・織田家とも対立している。
美濃国人の切り崩しも正直、自信がある。
それこそ西美濃三人衆なんて調略し放題だし、史実で斎藤氏を裏切った連中も結構頭に入っている。
斎藤道三の使えない美濃なんて価値はない。
三好家が暴れだす前に、細川京兆家に六角定頼、朝倉家、織田弾正忠家、若狭武田家の軍勢も合わせて美濃に攻め込んだろか?
やろうと思えばできなくもないのだ……朝倉孝景がもうすぐ死ぬのは痛いけど、宗滴はまだまだ元気だからなぁ。
斎藤道三ぶっ殺して、土岐家を追い出して公方様を美濃にお引越し頂くプランもありと言えばありかもしれん。
まあ、せっかくお土産も持ってきているので、無事に斎藤道三と会見したいところではある。
公方様からではない俺からの土産である。
俺からの斎藤道三への土産は、清水の神酒にもみじ饅頭の鉄板セットに加え、高級
「京釜」とは
三条釜座には日頃お世話になっているのだが、今回持ってきた釜は、その釜座の中でも最も腕のよい「
大坂の陣を引き起こした「
豊臣家は徳川家康の許可を得て方広寺の大仏殿を再建し、同時に巨大な
だがその
その方広寺の梵鐘の
名越浄祐は京釜師の名門「名越家」の実質初代であり多くの門弟を育てた、この時代最高クラスの鋳物師なのである。
三条釜座とは吉田神社の紹介で以前から懇意にしており、実は「スコップ」の発注をしていたりする仲である。
斎藤道三は何やらお茶の「毒殺」で話題になってしまっているのだが、茶の湯をけっこう好んでいたのは事実なようである。
そんなわけで最高級の京釜と茶杓と宇治抹茶を土産に持ってきたのだ。
斎藤道三との茶の湯なんてぞっとしないのだが。
歓待の姿勢を見せながら毒入りのお茶でも飲ませられたりしたら堪ったものではない。
まあ将軍の使いを毒殺するメリットなんてさすがにないと思うけどな。
夕刻、竹腰重直殿が斎藤利政の使いとして来訪した。
明日、常在寺で斎藤利政殿と会見することが正式に決まった。
来てくれるか心配したがトリアーエズ斎藤道三と戦う必要はなくなりそうだ。
◆
別室で差し向かいに、
お茶を出しているのは自分なので、一応毒殺の心配はありません(笑)。
今日の道三との会見は、幕府正使としての公式の謁見ではない。
本番は
その前の下交渉という位置づけである。
実際は逆で間違いなくこっちが本命だけどなー。
まず斎藤利政を呼びつけて上意下達の形どおりの形式だけやって、すぐに歓待した。
鰻重、蕎麦、天ぷら、おやき、煎餅、もみじ饅頭に清水の神酒という
さすがに道三といえども驚いていたようである。
「贅を尽くしたおもてなし、ありがたきことなり」
「いまだ公方様のことを貧乏公方などと申す者がいるようですが、それは実態を知らぬ者の
相変わらずのハッタリである。
室町幕府は相変わらず貧乏で、金持っているのは俺だからな。
まあ今年はメープルシロップが昨年比数倍
(間違いなくかの
「ほう、公方様や大御所様は京からよくお逃げとお聞きしましたが、それほど幕府は持ち直しておりましたか」
「公方様は細川
「お茶請けに、もみじ饅頭もご賞味くだされ」
「先ほども頂戴しましたが、これは格別なお味でありまするな」
「昨年より京で
「結構なお手前でした。良い師に学ばれたようですな?」
しかし何が悲しくてこんな
怖いものは怖い。
「
「我が美濃にはそこまで茶の湯に高じる御方はおらなんだ。さすがに京は違いますな」
「美濃守様(土岐頼芸)は
「ふむ。御使者殿にひとつお聞きしたい。美濃守様に直接ではなく、なぜそれがしのところへ参ったか」
「……何故だと思われますかな?」
「交渉の余地ありと、そう、考えまするが如何か?」
「美濃守殿の対応次第というところでしょう。ここからは私の個人的な意見になりますが、すでに土岐
「美濃守様ではなく、
「公方様に『飾りの
「美濃を食い尽くすマムシとは誰のことであるか?」
来たなプレッシャー。
そんなに威圧しないでくれ。
今の俺の気分はまさに
「公方様は飾りの鷹に興味はお持ちではありません。それに飾りの鷹ではマムシ殿の野望を抑えることは難しきこと」
「そのマムシ殿とやらは大層な野望をお持ちのようでありますな」だからマムシの如く睨むなって。
「そのマムシ殿はいずれ美濃を我が物とすることでしょう。ですがそこまでです。マムシ殿では国を奪うことは出来ても、国を維持することは出来かねるでしょう」
「ほう、儂では実力が足りないと仰せか?」マムシと認めるのかよ。
「実力はありましょう。ですが美濃は少し荒れすぎました。国人の力も強くなりすぎました。マムシ殿はたしかに実力で美濃を奪えるかもしれませぬ。ですが、力で奪ったものは力で奪い返されるもの。斎藤
◆
大御所が美濃守護と裁定された土岐頼純は昨年の冬に急死した。
だが頼純(頼武)派が消滅したわけではないのだ。
だが報復として侵攻する気があれば、美濃国内の旧頼純派である反頼芸(反道三)派の国人と手を組むことは
守護の土岐家は既に力などなく、ずっと世紀末状態だった美濃の内乱によって守護代であった斎藤惣領家や斎藤持是院家も既に滅びた。
小守護代の長井家も消えた。
その小守護代長井家を乗っ取り、斎藤
だがそれはドングリの背比べで、一つ頭が出たに過ぎないのだ。
土岐頼芸の落としだね?
土岐の血筋?
そんなものは江戸時代の創作だ。
斎藤義龍は美濃の有力国人領主に担ぎ上げられたのだ。
国人領主達にとって非常に扱いにくい存在の斎藤道三を追い出すための神輿になったに過ぎない。
やったことは武田信玄(
たしかに武田信玄はその後、甲斐の国人領主を上手く
だがそれは武田信玄が絶対的な専制者として君臨したわけではない。
甲斐武田家は
――だから信玄亡きあと『格』の低い勝頼では国人衆を維持できず
斎藤義龍は当初は担がれただけであったが、彼は実に上手く国人をコントロール出来ていた。
斎藤義龍は頼純派、頼芸派の二派に分かれた美濃の国人らを『斎藤道三』を敵とすることで上手く纏め上げた。
そして義龍は長良川の戦いで見事に斎藤道三の首を上げ
道三派の国人の討伐も早かった。
味方した国人への恩賞も悪くなかった。
権威も上手く使った。室町幕府と上手に付き合い、
そして従来の制度から
斎藤(一色)義龍は見事に戦国大名に脱皮をしようとしていた。
だが命が持たなかったのだ……斎藤義龍が長生きできていれば、織田信長も美濃
斎藤道三は名目上の旗頭である土岐頼芸を追い出すのが少し早過ぎたのである。
頼純派と頼芸派の国人はつい数年前まで相争う間柄であり、守護土岐家の下では斎藤道三と同格であったのだ。
正解は息子義龍がやっている。
武威を示すこと。
家格を上昇させ国人領主より上位となること。
国人の被官化。
最後に国取りの大義名分である。
斎藤道三は元同格の者であった国人領主の被官化も満足に成しえぬままに、大義名分を得ぬままに土岐家を捨ててしまった。
早計であったといえよう。
織田信長は守護代織田
まだ戦国時代の前半はまだ大義名分が必要な時代なのである。
斎藤道三の動きは全てが早過ぎたのだ――
◆
「儂も斎藤惣領家や斎藤持是院家と同じく滅びるといいたいのかね?」だから睨むなよ、ただでさえ顔が怖いんだから。
「今のままではそうなりましょう。ですが公方様は左近大夫殿に期待しておいでです」
「ほう、公方様が儂ごときを?」
「公方様は尾張の弾正忠殿を大層お気に入りであります。その弾正忠どのと朝倉家の連合軍に対して見事な戦いぶりを発揮された左近大夫殿のことも大した御仁だと褒めております」
「弾正忠をお気に入りだと? 弾正忠と同じくというのは癪ではあるが、公方様に褒められるはありがたいことであるな」
「公方様は織田信秀殿とは直接お会いしておりますので。ですが現時点では幕府のではなく、あくまで公方様の御意思にございまする」まあ俺の意見だけどな。
「幕府と公方様の意思が違うと申すのか?」
「公方様も難しいお立場、全ての意思を
「幕府も面倒であるな」
「公方様としては公的には美濃の守護として土岐家をお立てしなければならない立場であります。ですが興味としては既に斎藤利政という御仁を気に掛けております。そのため腹心たるそれがしを美濃へ
「公方様は儂に何をお望みなのだ?」
「まずは美濃のご
「儂は土岐家の
「建て前はそれで結構です。公方様は美濃国内をまとめる
「
「公にはできぬことでありますが、美濃は斎藤左近大夫利政殿に、尾張は織田弾正忠信秀殿に期待したいと仰せであります」
「守護の土岐家や斯波家を差し置いて儂と弾正忠をのう」
「かつての斯波家や土岐家はたしかに足利家のために働いた。そのため数カ国の守護にも任命されました。しかし、土岐家も斯波家も応仁の大乱以降は将軍家に忠実であったとは言いがたく、また守護たるお役目を果たされておりませぬ。将軍と御家人とはご恩と奉公の関係。すでに公方様に対して満足に奉公できぬ者に旧恩を与え続けて、公方様に何の利がありますか? 新しき忠義者にこそ新恩を与えるほうが公方様の利になりましょう」
「この儂を新しき忠義者に仕立て上げる気かね?」
「斎藤家が忠義の家に
「儂のことを大根役者ではないと、お認め頂けるとは光栄の極みだな。で、公方様は儂にどう忠義を尽くせと仰せなのだ?」
「ひとつ。鷹を飾りつつ美濃を取りまとめて頂くこと。ふたつ。織田信秀と和睦し同盟を結ぶこと。みっつ。時が
「いつまで鷹を飾っておけばよいのかね?」
「時が
「上洛して何をせよと?」
「公方様のため戦って頂くことになりましょう。しかるべき武功を示せばまず美濃守護代は新しき斎藤家の物となります」
「飾りの鷹はどうするのかね?」
「京へ置いていかれるがよろしいでしょう。守護は本来、在京が本務のはずですから」
「飾りの鷹は美濃へ帰ろうと望むが
「公方様の在京の命を無視した守護など
「ふはははははっ。その
「マムシは共食いもいたしますが、縄張りを守って仲良く共存したく存じます」
◆
「まあ良い、その絵図は気に入った。利にも
「まずは、将軍の仲裁後も争いとなり、土岐頼純殿とそれに
「おぬし斎藤正義の件も存じておったのか、どこまで知っておる?」
「
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斎藤
1532年に初陣し、主に東美濃で頼純方と戦ったとされる。
1548年に土岐一族の久々利三河守頼興に久々利城内で謀殺された。
斎藤妙春は先の関白
持是院家の血筋で斎藤
この人の初陣の1532年では斎藤道三はまだ
持是院家の斎藤利良(妙全)も1538年まで存命なので、斎藤正義はその後継と思われる。
室町末期の斎藤氏は系図も混乱し人物比定も出来てないのですが、はやく研究してくれ。
近衛稙家の庶子説は
――謎の作者細川幽童著「どうでも良い戦国の知識」より
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「ふん、食えぬ御使者だ。それで儂と御屋形様がハゲ坊主になればよいのだな?」
「それで朝倉家にはなんとか納得頂き、頼芸殿と和議して頂くよう取り
「朝倉が素直に和議を結ぶのか?」
朝倉孝景はそろそろ亡くなる
このタイミングなら和議は成立すると見てよいだろう。
朝倉家と土岐頼芸の和議には頼芸の
「そこは公方様の
「ふん、まあよい。で、次は?」
「織田弾正忠信秀殿との和議」
「弾正忠も素直に和議に応じる
「ご安心下さい。私は織田弾正忠の正式な幕府の
「儂の娘を人質に出した上に大垣まで差し出せと? それでは
「織田信秀殿にも大垣は放棄頂きます」
「うん? 信秀も大垣を放棄するとはどういうことだ?」
「大垣は将軍家の
「なんだと? 儂に大垣を公方様にタダで差し出せというのか?」
「タダではありませぬ。左近大夫殿と弾正忠殿が和議の上、公方様の公認のもと
◆
「越中守と守護代の格式ということか?」
「越中守の意味は分かりますな」
「……斎藤惣領家の
「帯刀左衛門尉家の越中守はただの
「公方様は良いとして、『幕府』が認めるのか?」
「そこはまあ何とかします。それよりもマムシ殿」
「なんだね」
「マムシ殿は危ういのです。たしかに実力はありましょう。ですがその実態は斎藤家の同名衆に過ぎない
「お主は儂に着飾れと申すのか」
「土岐頼芸殿では美濃を統治する能力はありますまい。ですが、斎藤同名衆に過ぎない左近大夫殿では、美濃をまとめるのもこれまた難しい。播磨守護の赤松家や越前守護の朝倉家も元は出自も定かではありません。それが足利将軍家への奉公により、両家とも守護になりおおせただけ。ですがどちらも将軍家の権威を利用して今の家格を築いております」
「儂にもそやつらの真似をしろと? 公方様を利用しろと言うのか?」
「まずはご自身の新しき斎藤家の家格の上昇をお考えになるがよろしいかと存じます。現状では斎藤殿に服しておられる多くの国人衆と同格でありますゆえ、それでは公方様としてもお声を掛け辛い。それに武家にとって将軍というものは利用するための存在でありましょう?」
「お主、本当に公方様の腹心か?」マムシ殿がニヤリと笑って来る。
「それがしは公方様のたっての願いを聞きとげた大御所様の許可を得て、はるばるこの美濃にまで参っております。それに私の立ち位置は調べればすぐにお分かり頂けるものと存じますが?」
「よほど公方様に信頼されている自信があるようだな」自信というか平成の俺には足りなかった愛も金もコネも、ようするに甲斐性があるぞ。
「まあ、まずはそれがしや公方様がしかとお役にたつことを確認して頂きましょう。朝倉と織田との和議が成らねば何も始まりませんが、朝倉家と織田家との和睦はしかと公方様が仲裁されます。先も申しましたが、美濃守護の後継者であった土岐頼純殿と持是院家の斎藤正義殿がお亡くなりになった混乱の責任を取り、土岐頼芸殿と斎藤利政殿には出家頂き、交渉をまとめます。和睦成立後に大垣の御料所としての寄進があれば、土岐頼芸殿には
「やって見せよう。儂も公方様に見捨てられぬようにせねばなるまいからな」
「左近大夫殿には和睦交渉中は美濃を押さえてもらいます。今後はあまり無理に頼純派の排除は致しませぬよう願います」
「よかろう。
「それでは、頼芸殿との会見の件よろしくお頼み申す」
「まかされよう」
◆
「ところで、わしの土産はその京釜にこの茶杓に宇治茶だったな」
「はい。是非お持ち帰り下さい。それと先ほどお出しした酒も樽で用意してござればそれもお持ち帰り頂き頼芸殿にもお渡し下さい」
「おう、あの酒は美味かった。京ではあれほどの酒があるのだのう。美濃ではあれほどの酒は手にははいらぬわ」
「こたびの和睦がなれば美濃も落ち着きましょう。さすれば美濃へ酒を運ぶことも容易かと。できれば美濃紙など産物の
「そうであるな国を富ますことを考えよう。そういえばお主の持ってまいった料理などにも驚いたわ。だが美濃にも美味いものはあるぞ。頼芸殿との面談の折には豪勢な
「期待させて頂きます」
「おおそうじゃ、まだ少し早いのじゃが木曽川の
(旧暦の3月は新暦の5月になり、鵜飼のシーズンは現代では5月から11月、鵜飼はやれるかなあ。まあ、やれることにしておいてください)
「舟などが沈没しないようにしかと手配願います。まあ、私は
「なんだ泳ぎは得意なのか、残念であるな」
「あまりぞっとしませんな」
「ふはははは、それこそ幕府に喧嘩を売るようなマネはせぬわ。良い土産や、良い『絵図』まで頂いたからな。それに儂はお主を気に入っておる。それはそうと頼芸殿にも土産は持参しておるのか? やはり儂の物より良い物なのか?」
「左近大夫殿にとって良い物かどうか……美濃守殿への土産は『物』ではありませぬゆえ」
「物ではない?」
「
「がっはっは、たしかに御屋形様は喜ぶであろう。やはり抜け目の無いやつよ」
「それがしも頼芸殿のために
「なんと?
「これでも観世流
「これは参ったな。では儂もその席で
「左近大夫殿は
「知らなかったのか? 儂の父は旅の猿楽師であったこともあるのだぞ」(そんな説もあったりします)
――こうして、美濃のマムシ斎藤道三との会談は成功裏に終わった。
翌日は道三が手配してくれた鵜飼を楽しんだりもした。
残念ながら? 舟が水没したり、水中の忍者に襲われたりするようなことはなかったけどな。
観世流一座も美濃に参ったので、その打ち合わせなども行った。
そして斎藤利政殿との会談の二日ののち、
ほぼ形だけのセレモニーである。
斎藤利政殿との下交渉の合意内容そのままだからだ。
まあ、俺と利政殿が
会談後、土岐頼芸殿と斎藤利政殿は合意のとおりに剃髪して、それぞれ土岐宗芸入道、斎藤道三入道となった。
形だけの出家ではある。
さてこれで美濃は一応まとまった。
マムシの斎藤道三のあとはマネーの虎の織田弾正忠信秀と話を付けねばなるまい。
道三に信秀という戦国の化け物級相手に交渉の
だが公方様のために役満狙いでいかなければならない『自称公方様の忠臣』としては、高めのツモを狙って行くしかないのである――
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