第三十一話 鉄砲

 天文十六年(1547年)11月


求政もとまさ。部隊を分けようと思うのだ。工兵隊30人、レンジャー隊30人、輸送隊30人で編成する」


「指揮はどのようになさいますか」


「全体の管理は求政に任せる。それと工兵隊を率いてくれ。レンジャー隊は利三としみつに任せる。輸送隊は(野村)新助でいいだろう。(指揮官が3人しかいないともいう)郎党の選別は適性を見て振り分けて欲しい」


「かしこまりました。作業の割り振りは如何いかがいたしますか」


「工兵隊は砦の工事の再開を頼む。レンジャー隊は利三の訓練を兼ねて狩りを続行だな。輸送隊は饅頭屋宗二まんじゅうやそうじ殿の手伝いでメープルシロップの採取の準備だ」


「その他の者については如何いたしますか?」


「山岡(仮名)にはもう一名補佐をつけて引き続き炊事役をやらせてくれ。それ以外の者については農業組として小知谷こちだにの農地の世話だな」


「わかりましたそのように編成を急ぎます。離隊希望者はいかがいたしますか?」


「給金をはずんで故郷に返すさ。無理に引き止めてもしょうがない。家の事情や人間関係に、体力的な問題もあるからな」


「そうでありますな。ただ高木(仮名)が残ったのは意外でした」


「たしかに、ははははは」


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【現在の戦闘力110】(パワーUPして初期亀っぽい仙人を超えた)

 工兵隊30人+ドリフ組5人+米田求政

 レンジャー隊30人+斎藤利三、輸送隊30人+野村新助

 農業組10人、炊事班2人、ついでに本人の細川藤孝


【現在の国力685石以下 実質500石未満か】(旗本並み)

 小石出村90石、小知谷0石、百井村30石、大見村134石、

 久多宮谷村90石、久多下村83石、久多中在地村90石、

 久多上村118石、久多川合村50石

(上記は江戸時代元禄期の石高であり間違いなくこれ以下です。しかも代官で押領おうりょうもしていないので、荘園領主に年貢をしっかり納めています)


 参考までに吉田家の吉田村770石、渡辺氏の一乗寺村千石です。

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 狩りの訓練をひと段落させ、小石出村こでいしむらの屋敷で米田求政と戦力配置のミーティングをしていたら、そこに柳沢元政が駆け込んで来た。


「殿、一大事です」(俺はまだ殿ではなく若なんだが)


「久しぶりだな元政もとまさ。どうした、なにが起こったというのだ?」


「公方様が出陣の準備をされております」


「は? 公方様が出陣? どこに? 敵は誰だ?」(この年に戦などなかったはずだが?)


に向かうそうです」


「ここに出陣? なぜに?」(意味がわからん)


「お手紙の返事が来ないからだそうです」


「は? お手紙って俺出したじゃん、元政に持たせたよな」


「はい。いえ。殿からのお手紙を公方様にお渡しし、公方様から殿への返書を頂いてまいったのですが、殿が不在でその返書を殿に渡せずに……」


「なんで? 手紙ならこの屋敷にでも置いておくか、饅頭屋宗二殿も居たのだから預ければ良くない?」


「公方様からこのは必ずや殿自らに直接手渡すよう厳命があり」


「それで、その公方様の返書はどこにあるの?」


「実はあり僕が大事に持っておりますが、お読みになりますか?」


「は? 3通もあるの?」(大事に持つってなによ)


「はい。こちらになりますので改めてください」


【公方様からの手紙その1】

兵部大輔ひょうぶだゆうからの手紙を貰いうれしく思う。

 兵部が小笠原殿と弓術の訓練をしていると知り、少しうらやましくなった。

 帰ってきたらわしとも弓術の訓練を一緒にするがよい。

 貰った土産も美味かった。

 出来ればこんどは兵部の手料理を振舞って欲しいものだ。

 元政にこの書状を託すゆえ、帰りの期日などを教えるがよい。

 また兵部から書状が届くことを楽しみにしておる。

 源左馬頭みなもとのさまのかみ


【公方様からの手紙その2】

『藤孝からの返書が貰えず残念である。

 だが郎党の訓練で忙しいとも聞いた。

 体に気をつけて頑張るがよい。

 わしも孫子の勉強を頑張っているからな。

 帰ってきたら分からないところを教えてくれるがよい。

 なるべく早く怪我なく戻ってくることを願っている。

 返書は手があいた時にでも書いてくれたらいいからな。

 足利左馬頭』


【公方様からの手紙その3】

『返書が貰えず心配である。

 与一郎は息災であるのか。

 お主の顔を見ない日が続き、わしは少し元気がないやもしれぬ。

 頼む一筆でよいのじゃ。

 便りが欲しい。そなたが息災でいることを知らせてはくれまいか。

 まさか怪我や病で動けないということはないであろうな。

 それならばすぐに元政を急ぎ寄こすがよい。

 わしはすぐにでも馬を駆け飛んでいくであろう。

 足利義藤』


「……元政。あー、えーと、俺はもしかして、この3通の公方様直筆のお手紙を無視したことになっていたりするのであるか? あまり聞きたくはないのだが、それで現在の義藤さまはどのような様子なのだ」


「はっ。公方様は一昨日、奉公衆の大館晴光おおだてはるみつ様、三淵藤英みつぶちふじひで様、朽木藤綱くつきふじつな様、荒川晴光あらかわはるみつ様、小笠原おがさわら稙盛たねもり様、彦部晴直ひこべはるなお様、飯河信堅いいかわのぶかた様、千秋晴李せんしゅうはるすえ様、石谷頼辰いしがいよりとき様、飯川秋共いいかわあきとも様ら、その郎党合わせて総数100の軍勢を召集するようお命じになりました。鷹狩りを行うと称して、軍勢をただいま整えております。明日には出陣すると聞き及んでおります」


「鷹狩りと称して出陣? それ大御所が許したの?」


「大御所様は鷹狩りとは武家の棟梁として殊勝な心がけであると、とても喜んでいるとか……」


超弩級ちょうどきゅうの親馬鹿か? それで公方様は明日にでも出陣してしまうのか? 俺はそれを止めるために戻るべきなのか?」


「申し訳ありませぬ。僕にはどうしてよいか分からず。相談しに急ぎ参りました次第です」


「今から慈照寺に向かうと徹夜になりますなぁ……」米田求政が嫌なことを言う。


「だよねえ……ところで俺が最も信頼寄せる傅役もりやくの米田の兄貴よ。俺の忠実なる臣下として、もちろん一緒について来てくれるよな?」


「主命とあらば同行いたしますが、どうなされますので?」


「この状況のうまい解決策とか何かあるかね?」


 公方様の手紙を読み終えた米田求政が俺に助言をくれる。


「対処不能……急ぎ飛んで帰って土下座しか手はありませんな」


「やっぱりそうなるよね。すまんが(米田)求政と(柳沢)元政は一緒に来てくれるか? 今はそれほど忙しくないし。(米田)求政にはあっちでやって欲しいこともあるからな。こっちは新助と利三に任せよう」(何で4人しかいない部下のうち2人が同じ名前の読みなんだよ紛らわしいにも程がある)


「分かりました。まずは三人で土下座でありますが相当な叱責は覚悟すべきでしょうなあ……蟄居謹慎ちっきょきんしんか、それとも打ち首ですかなぁ」


「打ち首までいくかね?」


「はて? 公方様次第かと」


 ◆


 こうして俺達3騎は完徹覚悟で急ぎ慈照寺までをするハメになったのである。

 夜を徹して馬を飛ばし、ようやく慈照寺についた我々が見たものは、やる気に奉公衆の皆さんと、俺を見て涙を流さんばかりに無事を喜ぶ義藤さまの姿であった。


 俺と求政と元政の主従はローリング土下座を見事に決め。

 公方様に心配をかけたことを必死に詫びるのであった。

 どれだけ叱責されるか末恐ろしかったのだが、何故か今回は公方様がものすごく物分りがよく。


「無事であったならよいのじゃ、うん、よいのじゃ……」


 などと涙を光らせながらも満面の笑みを向けてくれるものだから、俺の心は日本海溝より深い後悔に襲われるのであった。

 ……だが残る問題が一つあった。

 もちろんやる気に満ち溢れている奉公衆の皆さんである。


 奉公衆の皆さんには肉や鮎、野菜などのお土産を持ってきたのだが、とてもそのまま解散してくれる雰囲気がなく。

 公方様もせっかくだから鷹狩りはやりたいとのことであったので、吉田村周辺にて皆さんでピクニックの如くのんびりと鷹狩りを楽しんだ。


 俺はもう公方様に付きっ切りで世話をしまくった。

 公方様は終始笑顔であったはずなのだが、心の奥底ではやはり俺を許してはいなかったのだろう。

 鷹狩りの後、たぶんというか間違いなく予想通りに、一致団結して吉田神社に繰り出し、鰻屋と蕎麦屋になだれ込んだのである。


「鷹狩りご苦労であった。皆のものの働きに感謝する。本日は細川兵部が皆の者に奢りたいというので、この店で宴会を行うことになった。本日は無礼講である。思う存分に楽しむがよい!」 


「おう!」×100人ぐらい


 もちろんその軍勢を率いる謎の食いしん坊将軍は、予想通りに俺の全額奢りを宣言し、一致団結した謎の鷹狩り御一行様により、過去最大の兵力で攻めこまれた蕎麦屋と鰻屋は一瞬で陥落した。

 奴らは信じられないスピードで蕎麦と天ぷらと鰻重を喰らいつくし、五苓散ごれいさんを服用しながら、びるように吉田の神酒を飲みつくした。

 さらには締めと称してとろろ汁や煎餅せんべいまで要求される始末であった。


 吉田神社が誇る蕎麦屋と鰻屋が炎上もしていないのに、翌日完全に休業した。

 自慢の巫女ウエイトレスも両店長もオジーズも手伝わされた俺や求政も誰一人立ち上がれないほどの肉体的&精神的大ダメージをくらったからだ。


 さらにその翌日から俺は交代で3日ごとに両店の厨房に立ち続けさせられた。

 両店の店長とウエイトレスが交互に3日間の休暇を取り温泉旅行に出かけたのだ。 もちろん旅行代金はである。

 そして計六日間、俺と求政と元政で店をまわすはめになったのである。


 その後、俺はお手紙の件を何度か義藤さまに聞いてみようと思ったのだが、少しでもその話題を出そうものなら、とてもこの世のものとは思えないお美しい微笑を俺に向けるので、恐ろしくなって手紙の件を公方様には聞けなかったのである――


 ◆


 ――良く分からない騒動があったりしてダメージを受けまくったが、アレは思い出してはいけない何かだ。

 うん、さっさと忘れよう。


 俺はやるべきことをしなければならないのだ。

 まだ小さいが領地を得て地盤もできた。

 兵も雇用し訓練も始めている。

 ここからさらに戦闘力を上げるために、新兵器の購入を開始したいのである。


紀伊きいの国の根来ねごろまで行きたいのだ。道案内を頼めるか?」


「紀伊の国の根来まで? 生薬しょうやくの買い付けで紀伊の国には何度か行っておりますが、何用で根来まで向かわれるのでありますか?」


「うむ、鉄砲を買いたいのだ」


「鉄砲……でありますか?」


 米田求政に頼みたいことは生産が始まったばかりの新兵器、『鉄砲』の購入のお供である。

『根来』に鉄砲の買い付けに行くにあたり求政に道案内や準備をお願いした。


 そして次にいろいろあって、非常に言い出しにくいのだが、公方様に根来まで鉄砲の買い付けに向かう旨の報告だ。

 だがまた慈照寺を留守にするわけで絶対怒るよなぁ――


「武器購入のため、紀伊の国の根来へ向かうことを、お許しいただけますでしょうか?」……(義藤さま、怒ってます?)


「ほう、今度は根来とやらに行くと申すのか。そなたは良いのう、いろいろな所へ遊びに行けて。まったくもって羨ましい限りである。そなたのことなどを心配することは金輪際こんりんざいまったく無いので、どこへでも好きなところへ行くがよかろう」……(べ、別に怒ってないぞ)


「あ、遊びに行くわけではございませぬ。鉄砲と云う新兵器を調達に向かうのであります」……(お土産も必ず買って参ります)


「新兵器の鉄砲とな? それがどれだけ大事な物かは知らぬが、恐らくは御部屋衆おへやしゅうが忠誠を尽くすべき将軍よりもよほど大事な物であるのだろうな」……(で、いつごろ帰ってくるのだ?)


「この与一郎にとっては公方様への忠節が第一、鉄砲は公方様を守るために必ずや役に立つと存じます」……(10日ほどかと)


「相変わらず口だけは達者であるのう。まあよい。もう挨拶はこれでよかろう。早くどこへでも行くがよい」……(無事に早く帰ってくるがよい)


「しばらくの留守をお許し下さい」……(必ずや)


 口では怒っていたが一応許しはもらえた。(と思う)

 どうしても鉄砲は必要なのである。

 ここは一時涙を飲んででも公方様の元を離れ、断腸の思いで行かねばならないのだ。


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 鉄砲伝来について

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 1606年に書かれた「鉄砲記」によれば、1543年の8月に種子島にポルトガル人が漂着し、領主の種子島時堯たねがしまときたかがポルトガル人から鉄砲2挺をボッタクリ価格でお買い求めになった。

 また火薬の調合もこのとき伝来したとされる。

 だが鉄砲記の記述はかなりいい加減だったりする。


 面倒なのですっとばして結論をいうが、ポルトガル人は種子島に漂着したのではなく、平戸や五島列島などを拠点にしていた後期倭寇わこう頭目とうもくの一人である王直おうちょく(五峰と名乗る)が、鉄砲を売りつけたいポルトガル人とともに種子島に交易のために来島したのである。


 鉄砲記では1544年には再度ポルトガル人が来島し、種子島の刀鍛冶の八板金兵衛やいたきんべえが娘を生贄にして鉄砲の尾栓びせん(銃身の末端)に使うネジの製造技術を習得し、国産の鉄砲を完成させたとされる。

 日本人は昔から世界的にも技術のコピーの習得は変態級なので、さっさと鉄砲の自作をはじめちゃったわけだ。

 鉄砲の生産が日本で始まったわけであるが、種子島からソッコーで各地に生産技術が伝播でんぱし始める。

 根来や堺、国友、伊豆、日野などに伝わっていった。


 まずは紀州の「根来」であるが、種子島時堯が最初に購入した鉄砲2挺のうちの1挺は根来衆の津田監物けんもつ算長かずながが種子島に渡り、これまたボッタクリであろう価格で購入し根来に持ち帰っている。

 根来衆はどうやら紀伊-土佐-薩摩-明や琉球という交易ルートであきなっていたふしがある。

 津田算長は鉄砲記では種子島の住民のようになっているが間違いなく根来衆である。


 津田算長は持ち帰った鉄砲の複製を根来の刀鍛冶の芝辻清右衛門しばつじせいえもん妙西みょうさいに依頼し、芝辻は1545年に「紀州一号」を完成させたという。

 鉄砲鍛冶となった芝辻はのちに「堺」に移り、堺における鉄砲の生産の祖となったともいわれる。


「鉄砲記」には、もうひとつの堺ルートも記されている。年は不明だが堺の貿易商の橘屋たちばなや又三郎またさぶろうが種子島に渡り、1年滞在して八板金兵衛から鉄砲の製造技術を学んだという。

 鉄砲製造技術の習得後、橘屋又三郎は堺に戻り、大々的に鉄砲製造と販売を行い「鉄砲又」の異名で呼ばれるようになる。


 この時代の堺は関西圏最大の貿易都市であり、軍事工場でもあった。

 武野紹鴎も今井宗久も皮革商人・武具商人である。

 また堺には河内鋳物師いものしといわれた鋳物師の集団が移住している。

 鋳物師とは仏像や梵鐘ぼんしょう(寺の鐘)などを作ってきた金属加工の技術集団で、彼らの中から鉄砲鍛冶となり堺で鉄砲を造るものが現れた。

 堺は芝辻清右衛門や橘屋又三郎、そして後年には今井宗久らの手によって一大鉄砲生産拠点となったのである。


 次に近江の「国友」である。

 1663年に書かれた「国友鉄砲記」では種子島時堯が島津貴久の仲介で1544年に将軍の足利義晴に鉄砲を送ったとされる。

 この鉄砲は細川晴元の手で近江の国友村の国友善兵衛くにともぜんべえらに渡り、国友での鉄砲生産が始まったとされるが、これはちょっと早過ぎるうえに突っ込みどころが多過ぎる。


 国友村に細川晴元から鉄砲製造の依頼があったとするならば、もろもろの理由で1548年6月から1549年6月の間ではないかと考える。

 種子島の慈恩寺じおんじから京の本能寺を経由する法華宗ルートを使って細川晴元に鉄砲が献上されており、細川晴元から本能寺への礼状もあったりするのだ。


 国友村における鉄砲製造開始については、少なくとも1553年には国友製の鉄砲が贈答されるなどしており、国友村でもその前には間違いなく鉄砲の生産は始まっている。

 国友村の鉄砲製造開始については、個人的には1544年ではなく、上記の1549年ごろだと考えている。


 織田信長が1549年7月に国友村に鉄砲500挺を発注し、翌年の1550年の10月に受け取ったという話もあったりするのだが、間違いなく無茶な話である。

 織田信長は少なくとも1553年の正徳寺における斎藤道三との会盟時には数十挺は所持していたようだが、1549年の国友村が半年で鉄砲500挺を完成させるとかまずありえない。

 国友村における全盛期の生産能力でも半年でそんな数は製造できません。


 国友と同じ近江の「日野」でも鉄砲は生産されている。

 だが日野の鉄砲生産開始時期は1555年以降といわれており、生産開始は遅かった。

 日野の鉄砲製造は国友から鉄砲鍛冶を招聘して開始したものであろう。


 細川晴元への献上の件で触れたが、京の「本能寺」は種子島で生産された鉄砲を京で販売するルートとして機能していたと思われる。

 織田信長が本能寺を重視していたのは鉄砲購入ルートと関係しているのだ。

 近年の研究では本能寺でも鉄砲の製造が行われていたとする説も出ているが、鉄砲製造については確証がまだない。


 以上のように、畿内において鉄砲を購入することを考えた場合、「根来」、「堺」、「国友」、「本能寺」、「日野」などが購入先となるのだが、作中の1547年11月の時点において、間違いなく鉄砲の製造開始が始まっているのは、畿内で真っ先に鉄砲製造が開始された「根来」である。


 鉄砲を購入するのに普通考える「国友」や「堺」ではなく、わざわざ「根来」まで買い付けに行くのはこのためなのだ。

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