元勇者の異世界転送
ありあす
第1話
私はただの勇者。
正しく言えば元勇者。
ちょうど一ヶ月前、魔王を倒した事で私は勇者という職業から卒業したのだ。
魔王を倒した途端に世界中が手の平返し──という事もなく、皆が私を称え、使い切れぬ程の報酬が与えられた。
幼い頃から鍛練と勉学の日々、まともに遊んでこなかった私はようやくの安らぎにとても喜び、楽しみ、謳歌した。
けれども現在。
「暇だ……とても暇だわ……」
とてつもなく暇を持て余していた。
遊びを知らぬ私はいざ馴染みのない遊びというものに興じてみても、初めは新鮮さから楽しかったが徐々に飽きてしまった。
なんなら勇者の頃のように、人へと奉仕をしたいという気持ちが溢れ出てくる。
しかし、人々は私が力を貸そうとすれば「恐れ多い」「勇者様に手伝わせるわけにはいかない」「なんなら踏んで欲しい」と断られてしまう。
「日課の鍛練もしてしまったし……少し散歩でもしましょう」
私は街中をぶらりと彷徨ってみることにした。
ただただ歩いていると、街中の人々が皆、すれ違う度に礼をしてくる。
こういうのは苦手だ。
人にはそれぞれの役目がある。私は私の役目を果たしたに過ぎない、特別に感謝される謂れはないと言うのに。
「あれ、あんなお店あったかしら」
そこまで頻繁にこの街で散歩に出ているというわけではないが、明らかに異質な雰囲気を纏う紫色のテントが街中に存在していた。
看板を見ると、【転送屋】と書かれている。
お店の名前の少し下には【新しい人生初めて見ませんか?】とキャッチコピーのようなもの。
「新しい人生……」
その言葉に惹かれ、私はテントの中へと吸い込まれる様に入っていった。
中は非常に暗く、蝋燭が数本立っているだけ。
「イヒヒ……いらっしゃいませぇ……」
元勇者の私でも少しヒヤッとさせられる。
正に悪い魔女というのをそのまま絵に描いたような老婆だった。
外見での判断はいけない、と私は笑顔を作ってみせる。
「こんにちはお婆さん、どういうお店なのか聞きたいのですがよろしいですか?」
「看板を見なかったのかぁい? ここは転送屋さねぇ」
「その転送屋とは、何を売っているのですか?」
「イヒヒヒヒ……」
問いに対し、老婆は笑う。不気味に笑い続ける。
笑い続けて数十秒、君が悪くなってきたので笑いを遮る事にした。
「あ、あのお婆さん? 私、用事を思い出したので帰ろうかと……」
「新しい人生、始めたくないのかい?」
「……!」
今度は声を出さずに、ただただニヤけて見せる老婆。
老婆が言った事こそが私の目的だ、それをこの老婆も理解していると思えた。
「転送とは一体なんなのか、教えてください。新しい人生とは一体」
「イヒヒ……転送とは別の異世界への転送さね……そこへ行けば誰もお前を知らない……新しい人生を始められるのじゃ……」
「異世界への……転送……」
異世界と聞いてふと思い出す。
確か、私が戦った魔王も異世界からやってきたと言っていた。
まさかあれも転送でやって来たのだろうか。
「金はいらないよ、アタシにこの世界の金なぞすぐに意味がなくなるからねぇ……アタシが望むのは異世界からの異物による世の混乱……とは言ってもお前がその異世界で暴れて魔王になろうが、勇者になり世界を救おうが、それは自由さね」
知らない世界、そこにもまた魔王や怪物、悪党がいるかもしれない。
私は再び人に尽くしたい、敵がいればそれも叶う。
今の世界ではもはや終わってしまった、私の勇者の役目が再び果たせる。
決断までは早かった。
「行きます。行かせてください」
「イヒヒ……いいだろう」
突如、床が魔法陣の形に光り出した。
テントの中が強い光りで溢れ、次第に強い光は私の目に白しか映さなくなっていく。
堪らずに私が目を閉じていると、私はいつの間にか意識を失っていた。
「うう……」
目を覚ました私はテントの床で倒れていて、先程の老婆は姿が見えなかった。
騙されたかもしれない、そう思いつつ立ち上がる。
すると騒めきが外から聞こえ始めた。
「沢山の人の気配……?」
さっきまでいた街も人は多かったが、これほどの騒めきが起こるほどではなかったはずだ。
不思議に思いつつ私がテントの外に出ると、そこには知らない景色が広がっていた。
「あれは……城か……? それも沢山……」
先ず目に入ったのは、見た事もないような高さの建物。
軽く見渡しただけで数え切れない数、存在している。
そして、周囲を歩いている人々も皆見知らぬ格好をしていた。
これが異世界か、と私は感動と強い興奮を覚える。
「さてと……この世界の倒すべき敵はどこにいるんだろう」
とりあえずどこへ向かおうかと考えた時、ふと気付く。
今出て来たばかりのテントがなくなっていた。
すぐに帰るつもりはなかったとはいえ、テントがないという事はこの先も帰れない可能性を示している。
「そういえば帰れるかは聞いてなかった……」
うっかりしていた、と少し後悔をし始めた時、街中で急に女性の大声が響いた。
「ひったくりです! 誰か捕まえてください!」
叫んで女性を見ると、その女性の目線の先には鞄を手に駆けていく男の姿があった。
ひったくりというものが何かわからなかったので近くにいた男性に尋ねる。
「うわ、君それコスプレ……? ひったくりはほら盗人だよ盗人。かわいそうに、あの子は鞄を取られちゃったんだろうねー」
聞き終わると同時、私は駆けていた。
勇者は常人と鍛え方が違う、あっという間に追いつくと私は男を地に倒して鞄を奪ってみせる。
「反省したなら開放します。反省出来ないならその命ないと思いなさい」
「あーあー分かったよ! もーやりませんー!」
私はそれを聞くと男を開放した。
そして鞄を返しに行こうとして立ち上がると異変に気付く。
周囲を人に囲まれ、謎の手で握れる程度大きさの道具を私に向けていた。
謎のパシャパシャという音が響く。
奴らはひったくりとやらをした男の仲間で、私は攻撃をされているのだろうか。
反撃するべきかと考え始めた時、声をかけられた。
「あの、鞄を取り返してくれてありがとうございます」
鞄を取られていた女性だ。
私は微笑みながら鞄を渡す。
「聞きたいのですが、この周りの方々は何をしているんですか……? 私の身体に影響はないようですが、攻撃なのでしょうか」
「い、いえこれは……行きましょう。わたしもあまり撮られたくはないですし」
彼女はそう言うと私の手を取り、その場から連れ出した。
連れられるがままについて行くと、知らない文字が書かれた看板──知らない文字の筈が不思議と読むことができた。
どうやら喫茶店に連れて来られたようである。
私達は椅子の二つある席で向かいに座った。
「先程は助かりました……いろいろと大切な物が入っていて……」
「気にしないで下さい。私はすきでしていますから」
にっこりと笑顔を作ってみせる。
「ところでその格好はコスプレですか? かっこいいです」
「コスプレ……とは?」
「なりきり系なんですね……」
よく分からない言葉だったので意味を知りたかったが、何故か納得されてしまった。
「何かお礼をしたいのですが……これぐらいでいいでしょうか?」
知らない紙を数枚見せられる。
しかし私には価値がわからない。
どうしようか、少し考えてから答える。
「あの……足りませんか?」
「いいえ、お金はいらないので……良ければ数日泊めてもらえないでしょうか? 私はそちらの方が嬉しいのです」
「え? ま、まあいいですけど」
野宿でもよかったが、せっかくの縁である。
もう少し彼女と話してみたく、尋ねてみたが了承されてよかった。
喫茶店を出ると私達は彼女の家へと向かう事にする。
着いたのはお城と思わしき建物。
「まさか貴女は姫でしたか……!」
「違いますよ! 私の部屋はこちらです」
建物の下、周囲にいた女性方が何やら私を見ながらひそひそと話している。
まさか勇者なのに気付いたのだろうか、などと思いつつ私は案内されるままに着いて行く。
階段を数度登り、廊下をしばらく行くと扉の前で彼女はここだと言う。
「あまり綺麗じゃないですけど……お上がり下さい」
扉を開けながら彼女はそう言うと、靴を脱ぎ部屋へと入って行く。
作法は分からないが、入口にはたくさんの靴がある。
私も彼女を真似て靴を脱ぎ、部屋へと入っていく。
部屋の中は知らないものばかりだった。
私はそれを一々聞いていくのも手間をかけると思い、とりあえず知らない物の事は置いておくことにする。
何に使うのかは見て覚えればいいのだ。
「この人が入っている板はなんですか!? 呪いで閉じ込められているのでは!?」
「テンプレートな質問ですね……設定に忠実なの私は好感が持てます」
興奮してついつい質問してしまったが、また何やら納得されてしまう。
人様の物を壊して確認するのもいけないので、彼女が用を足している時にこっそりと板に話しかけてみたが、私への返事はなかった。
「布団が一つしかなくて……一緒でいいですか?」
「お構いなく、私は獣に襲われない環境ならどこでもありがたいので」
「あはは……」
それから布団の中、彼女が私の話を聞きたいと言う。
なので私の経験したことを簡単にまとめて話してあげた。
彼女は楽しそうに笑ったり、驚いたりしてくれる。
こちらも話すのが楽しくなりしばらく話していたが、しばらくして彼女は眠ってしまっていた。
私もそれを見て瞳を閉じ、眠りにつくのだった。
──
どうも知らない世界で気疲れしたのだろう、随分と眠ってしまった気がする。
起き上がり、部屋を見渡すと彼女はいなかった。
代わりに台の上へと手紙が置いてある。
「お仕事へ行ってきます、お腹が空いたら冷蔵庫の物をすきに使って下さい……か。冷蔵庫……?」
冷蔵庫というのが分からない、しかし幸いにも私は勇者の力とやらで前もって食べていれば一週間ぐらいは空腹を感じない。
とりあえずは食べなくても問題はないだろう。
「部屋にある物は全てが新鮮、少し見せてもらいましょう」
テレビというもので映る映像、この世界の本の内容、外に見える建物、それらを見ているだけで時間はあっという間。
床に座って本を読んでいるとき、彼女は帰って来た。
「お疲れ様です」
部屋の扉が開くのを聞くと、私は出迎えに顔を出した。
彼女は昨日の街中でよく見た身なりをしている。
だが注目すべきはそこではない。
「なにか……あったんですか?」
彼女は酷く泣いていた。
私が声をかけると、声にならない声を発しながら床へと崩れ落ちる。
よく聞けば、上官に酷い言いようをされたらしい。
「恩人を泣かせるとは許せないです……!」
この世界へ来た目的を改めて思い出し、私は決めた。
立ち上がり、彼女に問う。
「貴女の上官はどこにいるか分かりますか?」
「わたしは……先に帰っちゃったから……まだ会社にいると思います……ぐす」
それから勤め先と上官の名前を私は確認する。
用意は完了した。
「ではその上官──斬って参ります」
悪党は斬らねばならない。
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