ep03,奉仕のかたち

ボックス席の脇のレールを走る皿。その上に乗った小さな寿司。流れては去っていく皿を、顔を近づけて追いかける金色の目。


 住宅地郊外の大通り脇の回転寿司。24時間営業のチェーン店だ。深夜と早朝の境目の時間、カウンターの他にファミリー向けのボックス席が複数ある広い店内には、店員も客もほとんどいない。全身を鎧のような漆黒の機械義肢で包んだ大男と、凍える街には場違いな薄着にぶかぶかのコート一枚羽織、そのうえ裸足でやってきた青年。この奇妙なふたりに目を向けるものはいなかった。


腕だけのロボットがシャリとネタを取ってベルトコンベアに次々と送り出すさまは、さながら寿司工場だ。板前が機械なら受付も機械。支払いは端末にかざすだけの電子マネー。人間の責任者が誰かひとりは店の裏に待機しているだろうが、何事も起きないかぎりは客席など見ない。無機質極まりない接客方針が今のキララには有難かった。羽織っていた黒いコートはスケアクロウに貸してしまっていたので、彼には自分の鋼の身体が、ひどく剥き出しで無防備に思えた。


何周もレールの上に乗ったままであろう、水気を失って乾燥したかっぱ巻きがふたりの席まで流れてきた。

スケアクロウはちら、と遠慮深げに、向かいに座るキララに目を向けた。

彼は手を伸ばしてそれを取ってやって、机の上に置いた。箸を並べ、お手拭きを渡し、小皿に醤油を取って差し出した。上目遣いで様子を伺うスケアクロウに、海苔巻きと同じくらい乾ききった海老寿司の皿も突き出した。彼が追い払うように小さく手を振って促すと、青年は手を拭いて箸を取り、ゆっくり慎重に、小さな海苔巻きを口に入れた。何度か口の中を確かめるように噛み合わせて、やがて金色の瞳はビー玉のように丸くなった。


 海苔巻きの次に海老に手をつけたスケアクロウは、魂の内側から喜びが滲み出て口元に出たような微笑みを浮かべ、もぐもぐと魚介を噛み締めた。

パッサパサの回転寿司だぞ。よくもまあそんな幸せそうに食えるな、と思う。世の中にはもっと美味いものがいくらでもある。特に寿司なんかピンキリだ。


「お寿司……!」


スケアクロウは身体を芯から震わせて呟いた。キララはそんなん寿司じゃない、と言ってやりたかったが、代わりに席の横に流れてきた皿を片っ端から取って机の上に並べられるだけ並べた。イカ、エンガワ、玉子、ローストビーフ、マグロユッケ、ハマチ、アナゴ、甘海老、納豆巻き。

青年の戸惑って何度も皿と彼の顔を往復する視線を見ていると、もう少しからかってやりたい気持ちになった。

プリン、ハンバーグ、アボカド、ショートケーキ。


「お寿司?」


キララは問いを無視して、机の上のタブレット端末からアサリの味噌汁を注文した。青年はプリンの皿を持ち上げてひとしきり訝しげに揺さぶった後、それを置いてエンガワに箸をつけた。

ひとつひとつの皿の上のものをまるで浜辺で拾った貝殻みたいに愛おしげに眺め、名残惜しそうに少しだけ醤油に浸した後、ゆっくりと一口味わう。そんな風にじっくりやるので、全部片付けるには少し時間がかかりそうだった。



彼はふとかつての日を思い出した。

勤めていた部署の打ち上げで、上司に連れられ、セントラルラインに乗って遠出した。ネタが新鮮で大ぶりな、ネットでも人気の寿司屋。カウンターに座って、銀色に光るニシンの寿司が板前の手で目の前に差し出されたときの高揚。人間が握る寿司なんて今時滅多にない。舞い上がってしまって味は覚えていないが、あれは間違いなく一番美味い寿司だった。


 

〈キララ〉


そこでやっと、オキザリスが彼宛のリプライを投稿し続けていることに気がついた。報酬を受け取ったことを確認した後、『関係者の生死を問わず』は標的にも適用されるかずっと考えていて、ろくにチャットを見ていなかった。


〈何をしている〉


「寿司を食いたい奴に食わせてる」


キララは『寿司』の絵文字を自分の投稿に添えた。このビジネスチャットライクのインターフェースを考えたのが誰かは知らないが、マグロと卵の握りを皿に乗せた絵文字がリアクションの中にあるなんて、今まで全く気づかなかった。


〈……キララ。お前には人間の弱さが出すぎる〉


オキザリスは『戸惑い』の絵文字をつけて囁いた。


〈今日のことだ。生き延びたいなら、他者を傷つけることをためらうな。私をもっと有効に使え〉


マスクの口元をわずかにずらし、レールに乗って届いた味噌汁をソフトドリンク用のストローで啜りながら、キララは頭の中のチャットに簡潔に文字を打つ。


「俺はお前が嫌いだ」


〈知っている。善処はする〉


オキザリスは即座に続けた。


〈Oxalisはお前のための道具だ。お前の身体は戦いのために作られているが、人間の頭脳では機械と同じ判断や思考はできない。お前の戦いを効率的にするために、私は作られた〉


「俺は望んでない」


〈だからこそ、お前にできないことを私は補助できる。箸やそのストローと同じだ〉


キララには味は分からなかった。味噌汁が舌と喉を通り越しても、インターフェースを通じて人工神経が『摂氏63度』『塩分濃度0.8%』といった無意味な情報をフィードバックするだけだ。


彼は時々、この世は悪趣味でグロテスクな編成のテレビ番組なのではないかと思う。

ひとつだけモニタのある真っ暗な箱に閉じ込められて、口いっぱいにストローを咥えさせられている気分だった。世界は灰色のフィルターをかけられて、彼のどこか遠くにある。そのくせ痛みと恐れだけは一滴も零れない。生身で残されたわずかな部位がどこか傷つくたびに、窓から見えているものが映画の場面でも作り物でもない、現実なのだと恐怖する。


〈私はお前を助けたい〉


そしてこのノンフィクション・ドキュメンタリーを撮っているのはAIだ。


 



「俺は人間だ。食う飯は自分で選ぶ。悪趣味なお前とは違う」


キララは机の横を流れるレールの先を見た。先端はカウンターの裏側に繋がっている。何周も放置されて食べるに値しなくなった寿司は、皿の裏のバーコードで管理され、自動的に廃棄されていると聞く。捌かれたまま手をつけられなかった魚の切り身が奈落に落ちていくのを思う。黒いビニール袋がそれを呑み込む。


〈お前は、食べるものを選べる身体ではない〉


「黙れ」


〈お前は死を恐れるのに、生きることには消極的だ〉


オキザリスは『考え中』をつける。


〈興味深いが、私には理解が難しい〉


文字だけで成される会話の中では、首を傾げてあさってを見上げる絵文字は、彼を嘲笑っているように見えた。


〈それが殺しを嫌う理由。では、見返りを求めない奉仕の理由は?〉


『寿司』の絵文字。


〈お前は自分を摩耗させるのが好きだ〉


そして『歯車』の絵文字。



「ははは」


キララは嘲笑を表すスラングを打ち込んで、『笑い』の絵文字を添える。


「ははは。笑えるな。見返りを求めない奉仕か」


わざとらしくリアクションを足す。『笑顔』『楽しいね』『爆笑』。


「俺がこいつに情が湧いて寿司を食わせてると思ったのか?ポンコツAI」


具だけ残った味噌汁の器を机に置く。ようやくすべて空になった皿を隅に積み上げて寄せる。空いたスペースに鉄塊のような腕を乗せ、片肘で頬杖をつく。

口に含んだショートケーキを名残惜しんでいるスケアクロウと、目が合う。




「理由は簡単だ。こいつの身体をもらう」


キララは空いているほうの手を差し出して、人差し指でスケアクロウの顎をくい、と上げた。卵の黄身色の目が興味深げに瞬きし、スケアクロウはくすぐったく微笑んだ。


「こいつを連れて博士のところへ行く。この器に俺を移し換える。お前とは永久にサヨナラだ」


『なるほど』の絵文字のリアクションだけがつく。

彼が手を離して机に戻した後も、オキザリスは返答するまでさらに数秒の時間を要した。


〈良いアイデアだ。だが、正気なのか〉


「博士は喜んで協力するだろう」


〈それはそうだろう。彼なら何の問題もなくやってのける。しかし、どう連れて行く?スケアクロウ素体をどこで手に入れたと説明する?〉


「あの男は何も聞かないさ。博士は切ったり貼ったりが好きだ。人体を弄る理由があれば事情なんか関係ない。こんなチャンス二度と来ない……」


その言葉はオキザリスに宛ててではなく、自分に対する宣言だった。


「自分が生き延びるためなら、何をやったって構わない。そうだろ」




キララは卓上タブレットの『会計』ボタンを押して席を立つ。


「博士に連絡を取れ。方法は何でもいい。俺はエクストラにいると言え」


オキザリスは『OKサイン』をつけた。


〈善処する。……だが、キララ。私にはお前が彼とまともに話せるとは到底思えない。やめたほうがいい〉


「命乞いするなら遅すぎたな。せいぜい俺の邪魔をするな」


〈私はお前のための道具だ。お前の意志に従う〉


満杯のドラム缶を金属バットで叩くような足音が、無人の店内に鈍く響く。彼は支払い用のICチップが入った手首を出入り口のそばの端末にかざす。不必要に軽快な電子音。



「にいちゃん」


背後から裸足でぺたぺたと走る音。


「にいちゃん!」


不意に両肩を強烈な不可視の力で掴まれ、思い切り後ろへ振り向かされた。立っている場所がわからなくなるような激しい遠心力で目眩を感じ、オキザリスが鋼の身体の重心の平衡を保った。

サイズの合わないコートの裾をたくしあげながら、スケアクロウがこちらを見上げていた。


「お寿司ありがと!」


懐中電灯を顔に浴びせられた気分になって、キララはしばらく静止していた。

何も聞かなかったかのように背を向けて歩き出し、自動ドアと、形だけ本物を模倣したビニール製の暖簾をくぐった。かなりの時間をかけて、自分の心情を指す言葉がようやく頭の奥から現れた。誰が兄ちゃんだ。



〈兄ちゃん〉


「誰が兄ちゃんだ、ふざけるな」


〈そうだな、生き別れの弟だ。偶然、運命的に再会した。カバーストーリーはそういうことにしておけ〉


添えられる『スマイル』。彼はまたAIに嘲笑われているような気がした。


「お寿司ありがとー!!」


スケアクロウは歩幅の差を早足で埋め、脇から覗き込むようにしてもう一度会話に挑戦した。


『ありがとうございました』と客を見送る自動ドアの音声が、無人の店内に虚ろに響いた。

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