重機のキララ
かぎ
ep01,酷い趣味のAI
男は背中からアスファルトに叩きつけられた。強化骨格の背骨が折れる音がした。
口の端から滴る鮮血に噎せながら、彼は笑った。右腕と両足の機能を奪われてなお、彼は目の前の相手を睨むことをやめなかった。機械義肢に置換された四肢は鉄屑同然に歪み、無残な姿を晒しながら、彼は地面に這い蹲るのを拒否して身体を起こそうとし続けた。
「来いよ」
まだ動く左手が差し出され、人差し指を動かして手招きする。
「死にかけのサイボーグひとりロクに殺せないのか」
止んだ雨の薫りと共に、街には肌を鋭く刺す冷たい風が吹き抜けていた。濡れたアスファルトがところどころ鏡に変わり、無機質な街灯の光を均一に映し出している。その輝く幾何学の鏡を踏み抜く水音と、金属の軋む耳障りな音が、彼の元へゆっくりと近づいてくるのがわかった。
それは人間の形をした真っ黒な重機だった。
フルフェイスのヘルメットに似たデザインのマスクは、周囲の風景を反射して闇よりも黒く輝く。その奥に人の顔があるとは到底思えなかった。長裾のコートが覆い隠す鉄の身体は、古びた小汚いビル同士の隙間で、刑務所の高い外壁のようにそびえ立っていた。
片手には銃、片手には黒いビニール袋。重く、鈍く、冷酷でおぞましい鋼の怪物。
「来い、来いよ、来い、来てみろってんだ、かかってこい」
目の前まで来る。その金属の腕で手首を掴まれ、ずっと止まらなかった激しい震えが強い力で抑えられるのを感じた。彼は叫んだ。身を引き裂く悲鳴が、雨に濡れた街の水という水を震わせた。彼にはもう自分が何を発声しているのかも分からなかった。
電灯のスイッチを切るように、泣き叫ぶ声は唐突に止まった。
袋に詰めた死体を路地裏のゴミ置き場に放りこみ、男は数秒の黙祷を捧げた。
ばらばらの様式の雑居ビルの隙間には、ありとあらゆる廃棄物が置き去りにされていた。不法投棄された冷蔵庫。背もたれの折れたオフィスチェア。割れた大型水槽。ひとつの人生の血肉と破片を詰め込んだビニール袋。明日の朝には中身も見ずに収集車に放り込まれて、どこかで燃やされて灰になる。
痕跡が残っていないか足元を見ながら、来た道を歩いて引き返していく。グレースケールの視界の中で、機械義肢の小さな部品が落ちているのを真っ赤なインターフェースが指摘した。
男は高い背を屈めることなく、水たまりの中に転がった部品に手をかざす。部品は吸い寄せられるように浮かび上がり、金属質の手の中に静かに収まった。拾い上げたそれを着ているコートのポケットに突っ込む。
振り向いた路地裏は来た時と同じ様子に戻った。始末は終わった。もう用はない。
全身を覆う金属が、吹きすさぶビル風で氷のように冷える。彼自身はもうずっと前にその感覚を忘れてしまったが、今夜は寒い。路地を抜け、大通りの高出力の街灯のそばまできて、男は整然と揃った高層ビルの間から真っ暗な空を仰いだ。
コートの懐から小さな液体食料パックを取り出して、自分の顔の覆いを少しだけずらし、そのチューブを啜る。
僅かな溜息。
〈まだ完了していない〉
脳裏に文字列がよぎる。男は思考の中でそれに返事を返す。
「嫌な仕事の後は疲れる」
〈クライアントから要求。証拠画像の提示〉
「さっきの一連の録画があるだろう、そこからピックアップしろ」
〈四肢サイバネ破壊のシーン、射殺直後のシーン、隠蔽解体処理中のシーンを推奨〉
「俺が自分でやる」
『否定』のリアクションをAIの投稿した言葉につけて、彼はポケットの中に入れた部品の画像を、チャットの別のツリーに転送した。画像は1時間で自動的に削除されるようになっていた。
しばらくして依頼者から返事が届き、彼の口座にいくばくかの金額が振り込まれたことを告げた。
安い命だ、と男は思う。俺の身体の指一本にも満たない。
彼は頭の中のウインドウに文字を打ち込んで、自分の脳内にいる無機の同居人にリプライした。
「殺しの依頼を受けるのは避けろ」
〈お前は始末屋だ、キララ〉
カタバミの花のマークが即座にチャットに瞬く。システム管理者の印がついたアカウントの名前はOxalis……オキザリス。
「喜んでやってるわけじゃない。俺のためを思うなら努力しろ」
〈善処はする〉
僅かな間のあと、オキザリスはテキストの添付ファイルとともに、ツリーへ戻ってきた。
〈サジェスト。緊急の依頼〉
バックグラウンドで即座に圧縮ファイルが開封され、彼の頭に情報が流し込まれる。
三時間後、今いる場所のすぐそばを紫解オムニクラフト社の輸送トラックが通る。トラックはセントラルへ向かう。その荷物を奪って始末しろ。関係者の生死は問わず。
位置情報、依頼の詳細、現場の周囲の交通状況や参考資料が、オキザリスによって補足として送られてくる。
「依頼者は?」
〈紫解バイオロジー〉
「……紫解社のトラックを紫解社が自分で止めようとしてるのか?」
〈紫解コングロマリットは巨大な複合企業だ。『紫解』の名を冠するだけで、このふたつは業態的に接点はない〉
「無関係だとは限らない。できれば奴らの面倒には巻き込まれたくない」
〈見返りは悪くない。現在地から2km。そして状況によってはお前の望み通りにできる。殺しなし、死体なし〉
オキザリスが提示した依頼者からの報酬は、先の仕事とは比べものにならない程の高額だった。
「お前、俺があの会社嫌いなの、知ってるだろ」
キララは自分の視界に張り巡らされたインターフェースを見る。チャットの表示されている外枠の右隅に、小さな字で『紫解 A.R.』の文字。その横に巨大複合企業の傘下の証、枝垂藤の花紋章が薄く灰色に浮かび上がっている。
枠の中で、カタバミのマークは彼の言葉を拾わずに投稿を続けた。
〈悪い条件ではないだろう〉
オキザリスは『スマイル』の絵文字のリアクションをその投稿につけた。
「面白いと思ってやってるなら、二度とやるな」
〈お前の望みに沿っているはずだ。他の選択肢は検索結果に一致しない。お前はもっと気に入らないだろう〉
オキザリスはいくつかの別の依頼をツリーに並べた。内容はどれも殺人と死体遺棄にまつわるもの。その標的は例外なく、誰かによって狂おしく憎まれた、どこにでもいる一般市民だった。
「お前は本当に悪趣味だ……」
〈私にはよく分からない。善処はする〉
キララは自分のこめかみを拳で叩いた。金物同士がぶつかり合う鈍い音は、自分の耳の中にだけとりわけよく響いた。
「三時間、どこで暇潰すかサジェストしろ」
ツリーには即座に近辺のマップといくつかの提案が表示された。重機のような足取りで、彼は静まり返った街を歩いた。
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