希少率0、8%木原東子の思惑全集 巻4 折り合い家族 「猫坂」「シルバーバックよ何処へ」「あっしのヨタ話」
@touten
第1章 「猫坂」 第1節 じいさんとニャンコ
いわゆる帰国子女の、そのまたはしり、であるせいか、齡五十に近くなっても主語の使い方に困っている「ボク」である。どちらかといえば「いい人っぽく」聞こえると妻は言う。
妻、か、ワイフという言葉で彼女のことを他人には言い表している。
いや、ボクらのことを文章にして残そうと思っているのでは全くない。
ある時期、ワイフは身内のことで苦労があり、その痛手を克服するのに難儀していた。ボクには余り衝撃を与えなかった不運だったが、少々隙ができたらしい。
冬の終わりがた、まだ夜の長さが昼よりずっと長いころ、我が家では不要だと思われた木の椅子三脚をベランダに積み重ねるということが起こった。
アパートのように。
翌日には茶色の「じいさん」がそこに座っていた。あとで血縁関係を考慮して与えられた名だが。
麻子は、これが実はワイフの実名だが、彼女は少々張りの失われた頬を笑いへとゆるませた。
そう言えばその数年前やはり古いパソコン椅子を放り出したのへ猫が来て座ったと、麻子が声を弾ませたことがあった。椅子を出したのも魂胆があってのことだったか。
ボクは勿論理性的な質だ。
動物を飼うどんな理由もなかった。
どうしてもというなら犬だが、それとて庭がなくては無理だ。
狭い犬小屋でもいけない。鎖につなぐのも論外だ。
しかしボクも人の子として動物は好もしい。
沈みがちな麻子の件もあり、ともかくじいさんを追い払わず、二人で眺めていた。
翌日、二回りも小さな、下半身つまり脚だけが白い猫が、うちの庭、実は庭を所有しているのではないけれども、そこに現れた。
じいさんがそれへ呼びかけた。
その子はひらりと我が家のベランダに舞い上がってきた。そして暇なボクらが雁首を並べているのへ、ガラス越しに猫語で挨拶した。
「ああっ、鈴を振るような声!」
麻子は不意をつかれたのか、感激して叫んだ。
ほとんどまだ仔猫だと見えた。
顔も白く、額の上は茶髪だ。背な全体へと茶色。しかし白い顔と白い手脚なのだ。ついでにきれいな形の長い尾も白い。
その娘はじいさんと少し話をしたらしく、またわれわれの前に来てどうも、と言った。
美しい声、うら若い乙女か。
夕方、じいさんがいなくてもまた姿を現した。
麻子はプラスチックの皿にダシジャコを入れたのをさっと戸の隙間から出した。
ありがとう、と鈴の声で言い、においを嗅いでから用心深くひとつずつ食べた。麻子は悦にいってへらへら笑った。
次の日はガラス戸を開けたままにしておいても、じゃ遠慮なく、という感じで平気で背を見せて食べた。
ボクは、悪い癖でワイフより賢いことをその時にも示そうとして、
「ネコ缶買ってきたよ」
などと袋をごそごそさせた。麻子は何も言わなかった。いいの? というような感じで。
了解発進、というわけで、いよいよ、次回遂に、ボクの見ている前で麻子はニャンコの背に手を伸ばした。仮の名前がついていた。
ニャンコは当然のように、待っていたかのように撫ぜられて食べながらグルグル言った。
麻子はやたらとホラホラホラと勝ち誇った。真顔になると
「どうしてかな、平気だよ。考えもしなかった」
「人間に飼われていて捨てられたのさ、決まってる」
いつものように麻子は不決定の表情で黙っている。納得していないのだ。
ボクはむかっとしていつものように批判を開始した。
「平気で非情で無責任なのさ、日本人は」
「え、あんたも日本人でしょ」
「そうだけどそうじゃない、ボクは異邦人だぞ」
ワイフはするっと逃げる態勢に入った。深追いはしない、ボクも。いやボクらのことはさておいて、今はニャンコのことだ。
食べ終わると口の周りを丁寧に舌でなめた。
それが終わると麻子の手のひらを求めて自ら額や喉首や背中や腹を差し出した。
まったく、なんてことだ。
この自然物はこの生命体はわれわれに与えられた。
啓治が生まれたとき以来の新生物とのふれあいという喜びはおのずと溢れた。
おまけにニャンコは魅惑的だった。
そのまた翌日、前日以来しっかりした慣習となったふれあいの一通りのおさらいが済むと、暖かい春めいた日差しを浴びてニャンコのアクロバットが始まった。
横たわって、つま先まで真っ白な細い四本の脚を順番に高く空に伸ばして見せた。その一本一本をゆっくりと舌で掃除するのだ。
舌の届く限りはどこまでも綺麗に清潔にした。当然ながら残った部分は首の下と背中、頭だ。耳と顔にも長いこと美顔術を施す。
清潔はプレディター、捕食者の死活を制する流儀である。と同時にこの行為は気持ちを静めるものでもあるらしい。
ニャンコはすたすたとアパートへ向かい、一室を選ぶとくるくると丸まった。
手持ちのもので充足し、必要十分である清々しい存在に対し、ボクは当然感嘆の気持ちを抱いている。
しかしボクにとって彼女が清潔十分かというととんでもない。ボクは一切のばい菌を徹底的に排除する質である。近代的な人間界ですら汚辱でいっぱいではないか。
そのためにルールを宣告しておく。
麻子のような境界と限界を知らない女にどう振舞うべきかわかっている。決して室内に入れないこと、事後の手洗いを徹底励行、傷つけられないようにすること。当たり前のルールであり、ボクの許容限界である。
外猫、という言葉はないと思うが、えさをやるが所有の概念はなく、人間と自然のいい付き合い方だと思った。とりあえずは新鮮な喜びの日々が始まった。
ニャンコの鈴が鳴ると、ボクがそれっと言う。
麻子がひざ二つで空間を塞ぎつつベランダへのドアを、即開ける。
「ああ、ほれほれ、よしよし」
などの意味のない発声、カキカキ、対話、えさやり。身体掃除、そばに置かれたダンボールの敷物の上で休息。
帰宅したボクにその日の猫関係の報告。食事前に手洗いしたかどうかを麻子に尋ねる。
ニャンコは何時であろうとお構いなく気ままにやって来るようになった。心が洗われるような美しい響きを聞かせる。
麻子がすでに就寝していると、仕方なくボクが世話をする。まるで奴隷だ。効率化と衛生のためにボクは紙の皿を使うようにした。
ベランダのドアの枠に首筋をこすりつけるので、今やドアを開けるのも汚いと感じられた。ボクはちり紙でドアを開け閉めした。
ひとり息子の啓治は受験生だったのでこの騒動を嫌がったが。しかし命あるものにかかわるので安易にえさを断つこともできない。
ボクらは猫坂を下っていくのを知らなかった。
最後の寒波がやって来た。
ガラス戸を開けたままでは耐えられなくなった人間側が、ついに当座の譲歩を示した。戸口から五十センチ四方なら猫を入らせてもいいとした。
ニャンコは隙をついてもっと深部に侵入しそうだったが、われわれも頑張ってそれを阻止し続けた。何かの音を聞きつけて、自分から出て行くこともあれば、抱えられてひょいと出されることもあった。五分もするとすぐ呼び鈴がなったりした。
ある朝やっと明るんだころ、北側のキッチンのドアから麗しい自然の声が聞こえた。
ボクは例のごとくパソコン室で格闘中だった。
寝室からは驚いた麻子が現れた。
寝ぼけたままガラス戸越しに見下ろしている気配。しきりに鈴が鳴っている。
ドアのきしむ音、閉まる音、そして静寂。
ボクはそのまま目前の難事に集中した。
一時間は過ぎたと思う。
何気なく居間に戻ると、ソファに麻子が横たわって眠っている。小型の電気毛布を使って。なにこれ、といぶかしく思ってよく見ると、足元においてある一畳分のホットカーペットの上で、ソファに背を寄り添わせ白い四肢を投げ出して眠っている動物がいた。
平和な眺めだと感じてしまった。
「だってね、こちらも眠たいし寒いし、ニャンコはお利巧に静かに身じまいをしてさあ、私の足元にうまく入り込んで有難いニャンとも言わずに、寝入ってしまったんじゃない。
それでしばらくどうしようか、と考えていたんだけど、私も眠たくなってそっと足を引き上げて横になったのね」
麻子は幸せを感じたようだった。
ややして後、ニャンコのほうは満足して目覚め、入ってきたドアまですたすた歩くと、上を向いてドアが自然に開くのを待っていた。
ニャンコは、金属の敷居をひらりと跳び越え、ベランダから最低限の衝撃で跳躍して行った。丸い白い足元が愛らしかった。
それから勿論これが日課となった。寒い朝の冷気の中からホットカーペットに移ることの快適さを想像してみてほしい。それを禁じることが誰に出来よう。
ニャンコは何の手間もかけなかったし、麻子は喜んで早朝のその時間をすごしたのだ。
ある夜、ボクはローソンに出かけた。マンションから数歩出た生垣から鈴の音が転がり出た。
ニャンコ、と思わず呟いた。
尻尾をピンと立てて喜びいっぱいの影が足元に来た。
「なにさ、どうしたんだい」
ボクはここで彼女を撫でたり抱いたりはしないし、ズボンに擦り寄られても困る。素早く歩き出した。
「一緒に行くかい、ちょっとビールを買いに。まっすぐ坂を下るんだよ」
囁き声でボクは言った。
「ええ、いいわよ、知ってるわよ」
「気をつけて。道路をわたるから」
「大丈夫。毎日行ったり来たりしてる道路だから」
「危ないよ、君らは強いライトで何も見えなくなるんだろう?」
「そうなの?」
上弦の月の下をこんな風に猫の影と散歩するのも実に一興だった。
後になり先になり、立ち止まったり見上げたり話しかけたり返事したりした。
犬のいる家の前でニャンコは姿を消した。しかし通り過ぎてしばらくすると
「ああ、うるさい犬ね」
と言いながら出て来て、尻尾をぴくぴくさせる。
ローソンの明かりが強くなるところでまた消えた。
店から出てきて二十歩ほど歩いた。
「どこだい、ニャンコ」
と思わず小声で呼んだ。
「ここよ、どうしてあんなところに行くの」
「君にもするめ買ってきたよ」
「そうなの、ありがとう」
ボクとこでは昔、犬を飼っていた。
散歩のときは急に飼い主を忘れたような振る舞いをして、全体的に騒々しかったものだ。こんな静かな散歩をしてみて始めてわかった。
その後この散歩も日課となった。
「麻子、一緒に行ってごらん、面白いよ。猫と散歩できるなんて誰も知らないよな」
「いいわ、真夜中だから。想像するだけでも楽しいけど」
じいさんはいなくなった。一度ニャンコがじいさんの顔にパンチを食らわす場面を見た。彼女にこの場所を譲る羽目になったのだろうか。
困ったこともある。
ニャンコが南のドアから帰って来る。しかししばらくすると北のドアに向かって、
「開けて開けて、外に出たいの」
と高音を発する。しかし出してやると二,三分で声高に開城を叫ぶことだ。
余り猫とのコンタクトを隣近所に知られたくないので、彼女の大声に閉口してわれわれは中に招き入れるのだが、中に入っても空腹や甘えたいではなく、まもなく鳴きたてる。
「外に行くの!」
出してやると、すぐ戻って入れてと言う。入れる、出たがる、出す、入りたがる、入れる、出たがる、の繰り返しがいつも夜に起こった。
この弊害に悩まされるのはつまりボクだ。
のちにわかったことだが、麻子の研究によると、
「あのネ、ニャンコはさ、松男さんと散歩に行こうって言ってるわけ。そしてね、猫にとってのお互いのコンタクトは母子家族関係だけでしょ。
ニャンコは松男さんを子供だとしか認識できないから、散歩に連れ出さなきゃならないのよ」
「どこでそんなこと読んだんだ? 初耳だぜ。またいい加減なことを」
「そうなんだって! ケーブルテレビのジオグラフィックでも説明してたの」
「なきゃならない、って何だよ」
「つまり訓練よ。サヴァイヴァル訓練よ。世の中の仕組みを教えるの」
この胡散臭い話はしかしおおむね当たっていたらしい。
猫がねずみを家人に持ってきて、食べるでもなく半殺しのままにしておく、
というよく聞く話もこの路線で理解できる。
子猫に狩の訓練をさせるつもりだ、家人に自慢したいわけではない。これを始末して食べてみなさい、と言っているのだ。
つぶらな瞳で黙って待っている。意図が理解されるのを。
マンションの敷地の一角には鉄条網という恐ろしいものがある。
しかしその下部のスペースを猫は通り抜けられる。
その向こうの竹林のあたりもニャンコは昼寝のテリトリーとしているらしい。
逆に北側の道路を渡った先はどこまで出かけるのか、まったくもってわからない。
他にここら辺で自在に出没するのは、白いのでシロとボクらが呼ぶ凶暴なボス猫と、真っ黒なのでクロと呼ばれる気の荒いメス猫、ミケと呼ばれる三本脚のこせこせしたメス猫の、合計四匹となり、じいさんはまったく消えた。
じいさんは消えたが、その姿は消えなかった。
そっくりの子猫がニャンコから産まれたのはこんな生活がしばらく続いたあとのことだ。
ニャンコのお腹が膨らんできたのはわかっていた。
今頃子宮摘出つまり中絶つまり命を断つというのはボクには考えられなかった。
人間の女性が早期に中絶する自由を持つのには賛成だ。
しかしいつから胎児とするか、つまりたとえば「いくら」という、たいていの人にはおいしいという魚の卵、これが食べられて苦痛を感じるのかという問題がいつもボクを悩ませていた。
犬猫は去勢せざるを得ないだろう。ガス室で殺される子供を増やすよりは。
それも場合による。
つまりオスメスを問わず去勢された猫は生き延びることが困難になると思われるのだ。この後われわれはこの問題に十分につきあうはめになる。
猫はほんの数ヶ月で妊娠する可能性がると、麻子は知識としては知っていたそうだ。が、深刻に考える前にことは進んでいたのだ。
頭はするっと通るのにお腹はベランダの柵の間を通り抜けるのがやっとというころになった。
春になっていた。
いつの間にかニャンコは来なくなった。
どこかで産んだのに違いない。産まれてきたにちがいない。
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