焦がれた土塊

チャッチャラバベ太郎

焦がれた土塊

パァン!

グラブに心地よい音が響いた。


「何キロ」

「160キロ」

「アンタじゃ取れないだろ、それ」


早朝の公園、キャッチボールをする二人の若人。

長身の野球帽の子と、ポニーテールの制服の少女、私。

ボールが互いを軽やかに行き来し、白球は新品のように真っ白だ。

アイツとの会話も白球の音が鳴るたびに、軽口が交わされる。

「しかし上達したね、ノーモーションで投げ返してくるとは」

「私を舐めるのはそろそろやめたら?」

「目に入れても舐めてもかわいいんだからいいじゃない?」

「こんなかいがいしく朝の4時から調整に付き合うレディに対して汚いたとえ、ねっ」

「うおっ」

大暴投。

ボールは帽子の子の遥か上に飛んでいき、落ちる…筈だった。

「とおっ!」

…ダイビングキャッチ。

胸から滑り込み、見事に地面に落ちる前にキャッチ。

「まったく、どこ…」

「大丈夫!?」

そんなボールを投げた私は顔色を変えて駆け寄っていく。

「よせよ」

「でも、サラ」

「よせ」

そう言い放つと彼女は野球帽をかぶり直しながら立ち上がり、駆け寄ってきた私のグラブにボールを押し付ける。

「心配は明日の風が飛ばしてくれるさ」

「…真実は飛んでいかないわよ」

風が吹いて、私の髪が舞い上がっていく。


「今日は絶好のデート日和なんだ。乙女心はあんまり傷つけないでくれ」

「私の心はあんたのせいで大嵐よ」

私はグラブからボールを取り出し、強く地面に叩きつけた。

白球が大空に向かって飛んでいく。

「…性別を偽って学校に入学、150キロの球を見せつけ即弱小野球部のエース、そして今日は県大会決勝、まるきり馬鹿が書いたサクセスストーリーね」

「高校球児はみんな馬鹿だよ、96歳の中古ビッチとデートする権利にアオハルを投げ打ってるんだから」

「だったら……」

「でも、」


ボールが私の目の前に落ちて、トントンと跳ねる。


「それでも、初恋の子に会いに行くと決めたんだ」


【遊里お兄ちゃん、負けちゃったね…】

【…え】


【うわああああああああああ~~~!】

【泣くなよ凛、俺たちが泣けなくなるだろ?】

【でも、団地の住民皆で応援してきて、祝勝会の準備も万端だったのに…3年でついに決勝まで来て…】

【おばさんもいいよ、今日これなかった母さんたちの分までありがとう。ほら、凛も泣いてないで…】


【うるさい!ゆり兄ちゃんの負け犬!!わたし、負け犬は嫌いだ!!!】

【おい!そっちは車道―――】


【きゃあああああああああああああああああ!】

【救急車、救急車を呼ぶんだ――!】

【おい、エースが血まみれだぞ!どうなってんだよ!】

【トラックだよ!おい、手がタイヤの下に…】


【ゆり、兄ちゃ…?】

【…ぁ…】

【!ゆ、】


【甲、子…園…】


その時の私は、言葉一つ発さずに球場のフランクフルトを口から落としているだけだった。

10年前の、やかましい太陽が輝く夏の日だった。


「焦がれてるんだ、あの魔性のスタジアムに」

「ただの土塊よ、あんな土を集める人間の気が知れないわ」

私は毒を吐き捨て、ボールを拾った。

「それでも」


「あの時の夏が終わらないんだ、会ってこないと」

「私が電車賃もホテル代も全部出してあげるのに?」

「うん」

「私が秋にも冬にも一緒に色んな事楽しんだのに?」

「うん」


「私は、ゆり兄ちゃんよりもあなたの事を愛しているのに?」

「うん」


そう言うわよね。

私、貴女の事を知っているもの。


でも知らないでしょう?

貴女は私のこと。


「知ってる?ここ、TV局のすぐ近くの公園なの」

一言一句を放つたびに全身から震えが噴き出していく。

和図わらしいセミの鳴き声は絶望へのオーケストラ。

「私、昨日の夜TV局に手紙を送ったの、この公園に来てくださいって」

今ならまだ引き返せると正面の馬鹿の親友の私が叫ぶ。

うるさい、知るか。

「そして、私がこの早朝にアンタを誘った理由」

目の焦点すら合わなくなり、目の前の阿保の絶望の表情すら曖昧になる。

ああ、良かった。

「ゲームセット」


私、やっと笑顔になれたわ。




やかましい雑音達が、私達の耳に響いた。




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