彼女の笑顔は月の裏

女良 息子

彼女の笑顔は月の裏

 剣道部のエースである花園ススキは、その苗字に反して何とも花の無い女だった。

 見た目こそ整っているものの、その美貌に浮かぶ表情は無愛想以外の何物でもない。

 初めて見た時は単にそういう社会生活で損をしがちな顔付きなのかと思っていたが、暫く経って性格に由来するものだと確信した。良く言えばクールでミステリアス、悪く言えば無口で不気味。それが外界から花園ススキに下される評価だ。

 部員の中には彼女を指して宇宙人と呼ぶ者もいた。

 なるほど宇宙人。

 物静かで何を考えているか分からない花園にはピッタリな渾名だろう。

 そんな性格をしているので、当然ながら部員からの支持が得られず、同学年どころか上級生にも勝ち星を挙げられる剣の腕前を持っておりながら、花園が私たちの代の部長になることは無かった。じゃあ誰が部長になったかというと、ナンバー2の私である。ナンバー2と言うと、まるで私があともう少しで花園に並べる実力の持ち主かのように聞こえるかもしれないが、実際はそんなことはなく、彼我の間には超えられないくらい高い壁があった。

 私<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<花園ススキ、くらいの差だ。

 二番手の私ですらそんな実力の開きがあるので、他の部員は猶更だった。花園ススキとその他諸々で構成されたチームによる団体戦の功績なんて、予選リーグを突破できれば良いとこである。私たちの代の剣道部が誇れる成績と言えば、花園ススキの個人戦の戦功くらいだ。

 そのくらい花園ススキという剣士は強かったのだ。

 これで私が王道スポ根漫画の主人公だったら、「なにくそ!」と対抗心を燃やし、特訓を積み重ねた末に花園を打ち負かす熱い展開が待っていたのかもしれないが、現実にそんなことはなかった。 

 「剣道ってかっこいいなあ」という浅い理由で剣道を始め、繰り上がりで部長になっただけの私はそこまでの熱意と根性を持ち合わせていなかったし、そもそもどれだけ鍛錬を重ねたところで花園に勝てるビジョンが少しも浮かばなかったのだ。

 やる前から諦めていたといっていい。

 どれだけ頑張っても勝てるわけがないという、嫉妬する気も起きない劣等感だけが心中にあるばかりである。

 花園ススキとの付き合いは中学校を卒業するまでの三年間に渡ったが、結局彼女がどういう人間なのか詳しく知ることはなかった──私が知ろうとしなかっただけなのかもしれないけど。

 碌に会話をしたことがないし、好きな音楽だって知らない。

 笑った顔も、見たことがない。



 中学生の身分に別れを告げた後、花園は県境を越えた向こうにある島原だか糸島だか鹿児島だかの剣道の強豪校に進学したらしい。中学時代の個人戦での成績が評価された推薦入学である。一方、私は近場の公立校に入学した。

 そういうわけで、私と花園ススキの進む道は分かたれた。元々同じ道を歩いてすらいなかった気がするけども。

 私は高校でも大して上手くない剣道を続ける理由を見つけられなかったので、部活は別の何かを始めることにした。吟味に吟味を重ねた結果、軽音楽部に決まった。理由は「ギターを弾けるのってかっこいいなあ」と思ったからだ。

 一から始める軽音楽は難しかったけど、一音、一節、一曲と演奏できる部分が増えていくにつれて、段々と熱中していった──そんなこんなで季節は過ぎ、十二月。

 すっかり寒くなった外気に満たされた駅のホームで、私は電車を待っていた。今年最後の練習を終えた夕方のことである。

 黒いギターケースを背負いなおしながら、かじかんだ手を口元に運び、はあ、と息を吐く。吐息は両手にほんの僅かな温もりを授けてくれたが、一瞬後には肌を切り刻むような風が襲来した。これならハンドポケットしていた方がまだ温かい。

 その後も寒さと悪戦苦闘を繰り広げ、危うく敗北を喫する一歩手前まで追い込まれたところで、ようやく電車がやってきた。寒気から逃げるように乗り込む。

 暖気に迎えられ一息ついた私は、車内にいた先客を見て息を呑んだ。

 なぜなら、そこにいたのは花園ススキだったからだ。

 見間違えるはずがない。前に見た頃から髪は少し伸びており、制服か道着の姿しか見たことがない体は厚手のコートで包まれているが、その顔は──そこに刻まれている殺風景な表情は、間違いなく花園ススキだった。

 まるで月のお姫様みたいな美貌は、今もなお健在である。

 他県に行ったはずなのにどうしてここに? ──ああ、そうか。年末だから帰省しに来たのか? よく見ると足元にボストンバッグがあるし。

 思いがけない再会に私は大そう驚かされたが、対する花園はというと、こちらに気付いていないようである。

 存在に気付いていないのではなく、私が中学の時同じ部活に所属していた女子Aであることに気付いていない。

 ……まあ、そうだよね。同じ部活に所属していたとはいえ、それ以上の関係じゃなかったし。

 私は花園と違って見目麗しい外見をしているわけじゃないし。

 気が付かれないのも仕方ない。

 声をかけるかどうかで一瞬迷ったが、向こうは気付いていないのにこちらから声をかけるというのも中々癪なので、ここは見なかったフリをすることにした。たとえ話しかけても会話が長続きしなさそうだし。

 電車に揺られること十分弱。家の最寄りの駅に到着したので、気まずい空気から逃げる様に降車する。

 花園ススキも同じ駅で降りた。


「なんでっ!?」


 と叫びそうになったが、彼女は私と同中なので最寄り駅が同じでも全然不思議じゃないことを悟り、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 風に吹かれながら駅の構内を歩き、改札口を出る。この時の私の心中は、「ようやくこの一方的に感じる居心地の悪さから解放されるんだな」という安堵感で満たされていた──その時だった、花園の電話が鳴ったのは。


「もしもし──ああ、先輩ですか」


 どうやら先輩からの着信らしい。向こうの高校の先輩かな。

 このまま花園の傍で立ち止まって話を聞き続けるのは趣味が悪いし、意味もない。そりゃあ話している姿を見たことが殆どない花園がどんな会話をするのか興味がないといえば嘘になるかもしれないが、私はその場を去ることにした。

 しばらく歩き、路地を曲がる手前まで来たところでふと振り返る。

 花園はまだ通話を続けていて──その顔は笑っていた。

 口元をほんの少し歪めるだけでありながら、しかし普段の花園を知っていれば、大きな変化として目に映る笑顔である。

 私は愕然とした。

 まるで月の裏表がひっくり返る天変地異が起きたかのような衝撃だ。

 あの花園が笑っているだと?

 微笑みを浮かべている花園は、宇宙人なんて渾名が全然似合わない、普通の女子高生に見えた──そう思った瞬間、さっきまで芯まで凍りそうなほどに冷えていた体が、かあっと熱くなる。

 気が付くと、私は来た道を駆け足で戻っていた。

 衝動のままに背負っていたギターケースを両手で掴み、振り上げる。

 そのまま花園の脳天目掛けて振り下ろそうとしたが、直前になってこちらに気が付いた彼女が、慌てた様子で後方に飛んだ。私の怒りに任せた攻撃はそれだけで空振りに終わった。ギターケースが地面に叩きつけられた音が鈍く響く。 


「ふざっけんなよ!!」


 感情のままに大声で叫ぶ。


「なに地球人になってんだ!!」

「地球、人? え……?」


 訳が分からない、と言いたげに首を傾げる花園。

 そりゃそうだろう。突然現れた暴漢がそんなセリフを吐けば、誰だって首を傾げるに決まってる。

 花園からすれば、寒さで頭がやられた狂人が戯言を喚いているようにしか見えないはずだ──いや、実際の所、今の私は戯言を喚いている狂人なのか? 

 そもそも「地球人になった」という言い方自体が間違っているのかもしれない。花園が入学したのは剣道の名門校だ。当然、自分と同じくらいの強さの剣士がゴロゴロといるだろう。少なくとも、中学時代とは比べ物にならない環境だ。そんな場所で自分と同じ「宇宙人」と交流し、笑い方を身に着けたのかもしれない。

 あるいは凡人の私では想像もつかないドラマティックな体験があったのか。

 いずれにしても確実なのは、私の知る花園ススキはもういないということだ──私が知ろうとしなかった花園ススキはもういないということだ。

 そして、そんな彼女が見せる笑顔は、どんな嘲笑よりも私の心を傷つけたのだった。



 結局私はそれから自分が中学時代の同期だと明かすこともなければ、それ以上の何かをすることもなく、逃げる様にしてその場を去った。

 走って走って。逃げて逃げて。

 家に着いて階段を駆け上がり、自室に入って床に倒れこむ。

 それからどれくらいの時間が経ったのだろう。気付けば夕暮れはとっくに過ぎ、夜になっていた。

 窓から差し込み室内を照らす月明かりが今はどうにも不快に思えたので、私はのそりと立ち上がり、カーテンを閉じようとする。その途中で何かに躓きそうになった。ギターケースだった。

 そういえば、と数時間前にギターケースを叩きつけたことを思い出す。

 壊れていないか今更になって気になり、中身を取り出した(そんな心配をするくらいなら最初からやるなという話だが)。

 試しに弦を弾いてみると、それはもう耳を塞ぎたくなるくらい酷い音が奏でられた。

 まるで今の私のグチャグチャな感情を代弁しているかのようだった。

 

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