脳に直接効くタイプの殺伐百合
城屋
聖女の笑顔と呪われた死神:能力都市虐殺喜劇
中国のとある研究所が『超能力者になれる薬』を大真面目に作っていたと世界が知ったのは、その研究施設が派手に爆発した後だった。
黄土地帯などから強風によって砂塵が舞い込む、いわゆる黄砂現象の被害者常連の日本を含め、その超能力者になれる薬は広範囲に飛散。
アジア大陸の人口、その約五割が何らかの超能力に目覚めたのだった。
手から火を出すパイロキネシスや、念じることで物を動かすサイコキネシスなどの有名どころから、水を砂金に変えたり紙に鉄板並みの硬度を与えたり、はたまた植物の成長を遅らせたりシャーペンの芯をひたすら短くしたりなどの役に立ちそうもないものも含めて、個性豊かな能力が世界を彩る。
それなりの事件によって、世界はそれなりに一変したのだった。
……それと比例するように治安は悪化したが、人間は慣れる生き物だ。
日本にもアウトローが幅を利かせるようになったが、二十年も経てば日常の一角になる。
◆◆◆◆
「あ。目が覚めた?」
「……」
人生の中で一度も無かったことに遭遇すると、人はフリーズしてしまう。
ましてや、寝た覚えがない知らない部屋で目を覚まし、近くにはエプロンを装備した気の良さそうな美人がいれば猶更だろう。
「……!?」
急いで頭を働かせる。まずは周囲の状況を確認。
どうやらここは誰か知らない人の家のようだ。部屋の趣味からすると女性の一人暮らしと言ったところ。リビングルームに一人分の臭いしか染み付いていない。
目の前で興味深げに自分の顔を窺っている茶髪美人と同じ臭いだ。ママよりも背の高い女性は珍しいな、と状況把握する脳の片隅で思う。
寝かされていたのは質のいい長ソファ。ついでに身体にはふわふわの毛布もかけられている。
拘束の類は一切されていない。身体は一切の瑕疵なく動く。
「……あれ?」
そこに違和感を覚えた。
怪我をしていない。掠り傷一つ、ない?
そんなはずはない。だって――
「驚いたよ。近くの植え込みに刺さってたんだよ、キミ。可愛いお尻だなー幻覚かなーと思ったら凄い焦げ臭いし。花火にでも巻き込まれた?」
「……ママ」
「ママ?」
「ママが爆弾を操る能力者で……たまに暴発する」
「キミのママは抜き身のニトログリセリンか何かなのか!?」
本当はたまにですら暴発しないが、今回はそうでもないと説明が付かない。
段々と思い出せて来た。
確か大きな仕事が終わって、妹たちも一緒にママと新宿あたりを練り歩いていたのだ。
とても楽しかった。新しい服も買ってもらった。映画も見た。
そうして時間が過ぎ、日が傾いて、ママの携帯に通知が入ったのだ。
ママは仕事の連絡をすべて携帯で済ませる。今日もそれと同じルーチンのはずだった。
だが――
『あら。チャンスね、これは』
美しい赤い唇を一度も見たことがない形に歪ませる。
一度家に帰り、妹たちを留守番させて、自分だけが外に連れ出された。
街灯だけでもの寒い雰囲気の場所だった。人気もない。
ママと一緒ならどこでも怖くはないが。むしろ、ちょっとしたデート気分で楽しかった。
『……このマンションね、私のむかしのお友達が住んでるのよ』
ふと立ち止まったママが、そんなことを言い始めた。
見上げれば随分と立派なマンションがそこにある。自分たちの住んでいるマンションと見劣りはしないが。
『変わった人だったわね。今でも元気にしてるのかしら』
『変わってるって、どこが?』
『怪我人が好きなんですって。正確に言うなら怪我人を治すことが』
医者なのだろうか。好きなことを仕事にできているのなら、それは立派なことだと思うのだが。
『ちょっと前まで近付けなかったのよね。国から頼りにされるような凄い人で、世界屈指の強力な能力者が護衛についていたから。三日前に死んでたらしいのだけど』
『へえ。凄い人と友達なんだね、ママって』
『ええ。でもまだママには近付けないから』
ボンッ!
身体の中で、何かが弾けたような音。
強い衝撃によって自分の身体が宙を舞っていることに、落下するまで気付けなかった。
そこで視界は暗転する。最後に、痺れた鼓膜にママの声が遠く響いたような気がした。
『適当に挨拶しておいて。あ、帰ったらプリンを用意してあるから、早めに帰ってくるのよ』
それきり意識を保てなくなって、気絶したのだった。
「……」
――暴発じゃないなー。これ絶対暴発じゃないなー。声色が完璧いつも通りのママだったなー。
「……なんか子供らしからぬ遠い目になっちゃってるけど、キミ何歳?」
長身の女が、ソファの端に腰かけながら心配そうな顔を向ける。
ちょっと居心地悪いものを感じる。
「十二歳」
「ママの名前、わかる? ていうか住所は?」
「ママが知らない人には教えるなって……あ、ううんと、でも近くだから自分で帰れる」
「深夜だからお勧めできないなぁ。せめて送ってあげようか?」
「……いい、です」
怪我した幼い少女を自分の家に連れ込んでいるところ以外は、かなり真っ当な人物らしかった。
(まさか、この人……)
ママの言葉を思い出す。怪我人を治すことが好きな、むかしのお友達。
爆発でズタズタになったはずの身体が寝ている間に完治していることも含めて考えると、ここまでがママの計算なのかもしれない。適当に挨拶しておいて、とも言っていた。
「あの、もしかしてあなたは……」
「ああ、怪しいお姉さんじゃないよ。苗字は
「……
「べに? 紅色の? シブい名前だね」
「
「……心鏡……ね……」
一瞬、ほんの一瞬だけ華の表情に翳が差したことに紅は気付いたが、何事も無かったかのように振る舞う。
家庭の事情で、ママと姉妹全員の苗字はすべて別のものだ。名乗ったところで何かが割れるわけでもない。
明らかにこの状況はママが仕込んだものだが、事情が良くわからない。早く帰って指示を仰ぐべきだろう。紅はさっさと立ち上がり、玄関を探して外に出ることにした。
華はその様子に泡を食ったように慌てだす。本当にいい人のようだった。
「あ、ちょいちょいちょい! 待ちなって! 今結構なド深夜だよ!?」
「だから自分で帰れますってば」
「いや短距離でも危ないし!」
「平気」
ブスリ、と首筋に注射を入れる。
華からは、髪の毛が急に伸びたようにしか見えなかったはずだ。問題は無い。
「私も能力者。誰に襲われても返り討ち、です」
玄関を開け、冷たい空気に身を晒す。
少し高いが、飛び降りても問題は無さそうだ。今は薬液で身体能力と耐久力が三十倍以上に跳ね上がっている。
紅は廊下に出て手すりから身を乗り出し、足に力を入れて夜空へと飛び上がる。
後に残ったのは、驚いたように目を見開く華だけだった。
「……心鏡に、薬液操作の能力……あと爆弾操作の能力者、か……相変わらず行動早いなー、アイツ」
華は溜息を吐く。
彼女は紅が思っていたよりも、遥かに状況を理解していた。
「ていうか子供にママとか呼ばせてんのかよ。まだギリギリ二十代じゃなかったっけ……?」
むかしのことを思い出しながら指折り数えていた華だったが、途中で飽きたので年齢を数えるのをやめた。
◆◆◆◆
翌日。
「なんか忘れ物でもした?」
「……」
日曜日の十一時よりちょっと前。昼に差し掛かった明るい時間。
深夜に飛び出して行ったはずの紅は、また華の家へと戻ってきた。
「ママが、その……仕事の準備で忙しくって」
「うん」
「華ちゃんのところに遊びに行けって……」
「もう隠す気ねーなアイツ」
いや、隠す気があったのは紅だけで、実際のところあの女は最初から大っぴらに動いていたのかもしれないが。
この世で華のことを『華ちゃん』などと気軽に呼べる人間は、たった一人しか存在しなかった。
紅を含めれば二人目かもしれないが。
紅は恥ずかしそうに、小さい靴で地面をにじっている。物凄く遠慮がちだ。なんとなく好感が持てる。
あの女に育てられたとは思えない超いい子だった。
「入りなよ。茶くらいは出すさ」
「あの……」
「ん?」
「ママが……華ちゃんは凄いゲーマーだからうちよりゲームを沢山持ってるはずだって……」
「……」
子供の釣り方も上達したらしい。
当然だが、年を食ったのはあちらだけでなく、こちらもそうなんだなぁと感慨深くなる華だった。
◆◆◆◆
家にあるゲームに片っ端から手を出し、それでも尚疲れを見せない紅に華はついに音を上げた。
「体力底なしかよ紅ちゃんさぁ!」
「だ、だって! だって凄いんですよ華ちゃん! 64のスマブラなんて古典作品まであるんですよ! 超凄いです宝の山です!」
いい子ではある。いい子ではあるのだが、結局のところ子供だ。あの女ほど年は行ってないが、それでも大人がこれに付いていくのは中々の重労働だった。
コントローラーから手を離し、天井を仰ぐ。
「……やっぱりアイツ凄いなぁ……」
「華ちゃんは、ママの友達なんですよね」
「……」
友達だった、と過去形に訂正したいところだが子供に行っても詮無いことだ。曖昧に頷いた。
「あの。ママってどういう人だったんですか」
「……一緒に暮らしてればわかるだろうに」
「それはそうなんですが、あまりむかしのことを言わない人で……」
「そりゃ言えないだろうな」
「え」
「何でもない。たまに意地の悪いことを言う以外は、正義感の強くて笑顔の綺麗な女の子。持って生まれた能力も破壊力抜群。頭も良くて行動力もあって、しかもアホみたいな美人だったよ。人気出ない方がおかしいってくらいのさ。
長くて黒い髪がすげぇ羨ましかったなぁ」
「長い……?」
「……今は伸ばしてないの?」
「短め、ですけど。長くしてるの見たことないです」
切ったのか。
……残念だな。また触れるかと思ったのに。
華は静かに落胆したが、話は続ける。
「能力者の養成所……それも国が運営してるちゃんとしたヤツの同期だったころから、一緒に色んな事件解決したさ。私たちみたいな実践向きの能力者って結構レアだからさ。もう十二年以上前のことかぁ。早いなぁ」
「……華さんの能力って」
「人体操作。いやまあ、脊椎動物なら割とどんなヤツでも治療できるけどさ。こんなんでも異名は『聖女』とか付けられるくらい精度が高いんだよ。凄いでしょ。
紅ちゃんのママのことも何回も治療したんだよ。アイツ、制御が適当で自爆同然の能力の使い方するからさぁ」
「ママが自分の能力で自傷しちゃうの見たことないです」
「滅茶苦茶成長してんな……」
思ったよりも十二年は長い。長すぎた。
あのときの赤ん坊が、今隣で自分の母親のことを質問している少女と同一人物。疑いはしないが、信じられないような事実だった。
「でも私に無視させないがために自分の娘を起爆させるかね。そういうところだけは変わらないなぁ」
「……華さんって、その、どこまで知ってるんですか?」
「キミのママの異名くらいは知ってるさ。『死神』だろ。裏社会最高峰の殺し屋」
「……」
「私の同僚が血眼で探してるよ。十二年間ずっとね」
無理だろうけどな、と華は確信している。
詳細は不明だが、何らかの能力によって必ず妨害を受けるのだ。顔の整形すらしていないのに、子供たちと一緒に堂々とショッピングを楽しんでいたという報告が出るのは何故か目撃されてからきっかり三日後。
常識を超えた情報操作能力だった。一体、どんな能力者を拾ったのやら。
「ずっと変だなって思ってたことなんです。どうしてうちのママは死神なんだろうって」
「……親が殺し屋なのはイヤ?」
「ママのことは大好きですけど。今の暮らしはちょっと窮屈です。人目を避けないといけないし」
「……ママに直接訊けば?」
「それ、同じことをさっきママに言われました」
「は?」
「『華ちゃんに聞いてちょうだい』って。それで教えてくれないのなら諦めて、とも」
華は自分の茶髪を引っかいた。
面倒ごとを誰かに押し付ける癖も治ってなかったらしい。
苦い顔を浮かべながらも、華は語ることにした。
おそらく、悩むだけの時間がない。
「……実験があったんだよね」
「実験?」
「私たちは自分に発現する能力を選べない。優しいヤツが爆弾の能力を持つことがあるし、とんでもない人格破綻野郎が物凄い治療の能力を持ってたりする。だからさ、ある日とある偉い人が思ったんだ。
『持って産まれる能力をある程度操作できないか』って。まあ、言っちゃえば人体実験。それも胎児や赤ん坊を使ったとびっきり非人道的なの」
「それが?」
「結論から言っちゃうと紅ちゃんがその実験の失敗例」
「はい!?」
「問題はこの実験をやってたのが国だったってこと。それを知ったキミのママはごっさキレて……キミを攫って……それを止めようとした私を爆破して……まあ、あとは国に楯突く最強のアウトロー『死神』の完成ってことさ」
それを聞かされた紅は絶句していた。
どうやら母親から触りすら聞かされていなかったようだ。
「失敗例ってことはさ、キミのママが出奔しなきゃキミは国に処分されて、今この世に存在すらしていないってことだ。アイツ、悪いヤツだったから悪いことしてるわけじゃないんだよ。むしろ完全に逆なのさ」
「……本当の親子じゃないってことは察してましたけど……それは……」
――あ、思い出した。そういやあのときあの女、十七歳だったな。
自分より何歳か年上ということだけは覚えていたが、正確な年齢はすっかり忘れていた。
華が最後に見た相棒の姿は、目の中の血管が何本か破裂していたせいで朧気だが、多分泣いてるんだろうなというくらい小さかった。
声帯も焼けてたので、恨み言の一つすら言えなかった。
「というかむかしの日本って国ぐるみでそんな実験やってたんですか!? 冗談でしょ!?」
「マジマジ。キミ、妹いるんだっけ?」
「いますけど」
「その妹、どっから来たの?」
「気が付いたらママが連れてくるって感じで、どこからとかは……」
「全部キミの実験のフォロワー施設から攫ってきてるんだよ。義賊なんだよね、やってることが」
その際、死刑は免れないレベルの人数殺しているので、内容が善行だとしても決して許されないのだが。
紅にとってはそれよりも、国がそんなことをしているということの方が信じ難く受け入れがたいようだった。
いや、それよりも更に受け入れがたい事実が一つ。
「……私がいなければママは、今ごろもっと幸せに……」
「意味のない仮定さ。キミ、その名前と苗字、付けたの誰だと思う?」
「ママ……」
「だけじゃないんだな。ちょっとだけだけど、キミの傍に私がいた時期があったんだよ。国ぐるみの実験だとわかるまでの、ほんのちょっとだけだけど」
「……華ちゃん?」
「心鏡って苗字考えたのは私なんだよね。まさかマジに採用するとは思ってなかったけどさ」
華は照れ臭くなって、顔を適当な角度に逸らした。
「キミを私のところによこした理由、なんとなくわかってくるってモンさ。アイツは……思い出話でもさせたかったんだろうなぁ、多分」
「……ママのこと、今でも好きですか?」
「好きさ。また会いたいなぁ」
「伝えておきます! 絶対に!」
「んん? お、おう」
また曖昧に頷いてしまった。
どうせ伝えようが伝えまいが、きっと出会うことになるというのに。
その後、かなり長い時間、数多くのゲームを紅は遊びつくし、夕方になるとあっさり帰って行った。
残った華は静かになった部屋に取り残された気分になり、ソファに適当に身を投げ出して、眠気に身を任せる。
◆◆◆◆
ガチャリ。
一人暮らしの部屋で、自分が中にいるにも関わらず、何故か部屋の鍵が開けられた。
予想はしていたこととは言え、かなりの恐怖だ。
思わずソファから跳ね起き、玄関に目をやる。
段々と汗ばんで、息が荒くなるのがわかった。
「……久しぶり。十二年ぶりね、華ちゃん」
夕方からずっと電気を付けてなかったので、部屋に明かりはほぼ入っていない。
だが、月明かりだけの部屋は彼女が入ってきた途端、明度が上がったように見えた。
なるほど、確かに艶やかな黒い髪は短くなっているが、美しさはあのころと遜色はない。むしろ増している気がする。化粧の仕方でも変えたのだろうか。
黒い動きやすそうなパンツスタイルのスーツに、白い手袋。軽装だが、油断できる要素などどこにもない。
触られただけで、華は次の瞬間粉々になるだろう。
「おっかしーなー。護衛はマンションのそこら中にいたはずなんだけど?」
「頸動脈をふっ飛ばしたらみんな静かになってくれたわよ」
「……そうかい」
「この日をずっと待ってたわ。前の護衛だと手も足も出なかったんですもの。何で死んじゃったのかしら」
「お前ほど上手くやれなかったのさ」
「……あら。そう。逃げようとしたのね、私みたいに」
そういう人間は多かった。
この世に能力者が溢れかえってから、あらゆる物が変貌してしてしまった。
その変化に耐えるために、あらゆる人倫が踏みにじられている。
一刻も早く、この乱痴気騒ぎを収める方法を見つけなければならない。極論、もしも世界を滅ぼす能力者が産まれたときにはすべてが終わるのだ。
世界の本音についていけなくなり、アウトローになった(なろうとした)能力者は数知れない。
「なあ。何でここに来た?」
「決まってるでしょう。私の職業、知らないわけじゃないわよね?」
「私が何した?」
「実験」
声色も喋り方も、十二年前と一緒だった。
華自身はよくわからないが、おそらくお互いに。
「……今、あの実験に加担してるのよね。それも相当上の立場で」
「しゃあないだろ。必要なことだったんだから。お前と別れてからずっと考えてたことだよ。『私は私のやり方でみんなの笑顔を守りたい』ってね」
「人体実験の規模が更に拡大してるようだけど?」
「早く終わらせたくってね。予算もたっぷり貰っちゃったし」
「……よくも、まあ……私を前にして、そんなことを」
「お前が訊いたことだろうが! 怒るくらいなら最初から訊くんじゃねぇ!」
華の能力、人体操作は実験において万能だった。
成長も、テロメア修復による疑似的な若返りも自由自在。
どんなシチュエーションの、どんな実験でも再現可能だ。
流石に死んだ人間を蘇らせることだけは不可能だったが。
「誰かがやんなきゃいけないことだ。実際無秩序だろ、今の世界は。強力な能力者に対抗できるのも現状能力者だけだし。何でもいいから制御方を確立しないとダメなんだよ。なりふり構ってられねぇ」
「……私の子供、今三人いるのよね」
「へえ」
「……三人だけなのよ。本当はもっと助けたのに! すぐ死んじゃうのよ、あなたたちのせいで!」
「そもそもの話、私たちがいなきゃ存在すらしてない命だろ」
「命を弄ぶことに罪悪感は!?」
「無いね! 一切、無い!」
これだけは、紅と会ってから絶対に断言しないといけないことだった。
「くだらねぇ小細工しやがって。あんなガキ見せられた程度で考え変えると思ったか? 浅はかアンドナンセンスなんだよ!」
「紅はあなたのことを気に入ってたみたいよ」
「私はガキが嫌いだ。十二歳以下の連中は特にだ! アイツさえいなきゃ、お前の隣にいたのは私だった! くだんない話しながらゲームやって、バカみたいに笑ってよ……! 何よりも!」
――誰よりも優しかったお前が、人を殺したりする必要も無かった。
そこから先は、もう喋る必要がないと思ったので口にしなかった。
十二年前の時点で、運命が決定的に狂ったのはどちらだったのか。
華にはもうわからない。おそらく、目の前の元友達にも。
「殺したきゃ殺せよ。何も変わりゃしねぇ。私がいようがいまいが、実験は止まらない。ただ滞るだけだ。みんなが笑顔の未来が、ちょっと遠のくだけだ。その世界に私がいないのはひたすら残念だけどな」
「……」
かつての友達が、自分に死を齎すために近付いてくる。
華は項垂れ、そのときをじっと待っていた。
不意打ちのチャンスを。
(……コイツはここで殺す。それ用の毒液はちゃんと用意している。一滴でも身体の中に注射できれば、十分も待たずにあの世行きだ)
他の誰かに、それこそこの国の法に殺させるのも耐え切れなかった。
どうせ死ぬのなら、自分の目の前で、自分を目に焼き付けて死んでほしい。
人体を爆発物に変える能力は、触らなければ発動しないということは長い付き合いで知っている。
その隙を突いて殺す程度の勘は、まだ鈍っていないつもりだ。
(さあ、来い。来い。来い……!)
だが、そのときはついに訪れなかった。
彼女はふと、足を止める。
「……浅はかなのは、あなたの方ね」
「あ? ……ぶっ……!?」
こみあげてくるものがあった。
現実のものとは思えない痛み、苦しみ。そして、口から零れる赤い液体。鼻からも、とめどなく溢れてくる。
あまりのことに、ソファに再度倒れ伏してしまった。臓腑が丸ごと得体の知れない蟲に貪り食われているかのような生理的嫌悪感――
「私だって自分のやっていることに罪悪感なんて無いわよ。私の方が正しいんですもの」
「テメェ、一体、何を……!」
「電気付けるわね。そうした方がわかりやすいから」
パチン、と一気に明るくなった部屋には特に何もないように見えた。
だが、違う。具体的には若干、霞がかかっている。
「まあ端的に言って毒ガスね。事前に抗生物質飲んでないと完全アウトなヤツ」
「これ、お前の能力じゃ……!」
「ないわよ。あなたが散々貶した十二歳以下のガキ……紅の能力よ」
苦痛も忘れるような一言だった。
「おまっ……自分のガキに殺しさせてんの!? 親として恥ずかしくねーのかよ!」
「人間として恥ずかしいアンタに言われたくないんだけど!」
「がああああああっ……マジかよ、こんな……私、ここで死ぬのかよ……チクショウ、チクショウ……!」
また口から血の塊を吐き、ソファの上でのたうち回る。
美貌はもう台無しだ。かつての友の断末魔を眺める彼女は、ひたすら寂しそうな顔だった。
「……あー……でもまあ……仕方ない、かぁ……こんな世界だもんなぁ……友達に殺されることも、たまにはあるかなぁ……」
「……名前」
「あぁ?」
「……再会してから、まだ名前、呼んでもらってない。お願い、呼んでくれる?」
「最期の一言にリクエスト付けるヤツあるかよ……」
華は諦めが速かった。
負けをもうすっかり認め、あとは力無く笑うだけだ。
呆れは混じっていたものの、どこか晴れやかな笑顔だった。
「……
「はい。華ちゃん」
「……紅ちゃんにだけはよ……あんまし罪重ねさせんなよ。私のことはノーカンでいいって伝えとけ……一応、私だって名付け親なんだぞ……」
「はい」
「……ああ、クソ……変えたかったなぁ。お前がもう、そんな顔しないような世界、欲しかったなぁ……悔しいなぁ……悔しいなぁ……」
――あと髪。長い方が似合ってたぞ。
その言葉を言えたかどうかもわからない内に、聖女の華は力尽きた。
「……う……」
悔しいと言っていた割りには。
その死に顔が、まるで笑っているように見えた。
言葉とは裏腹の笑顔が、深く翠の胸を突き刺す。
「……ママ。泣いてるの?」
部屋の外から、愛娘の声が聞こえた。
翠は無理やり気丈な声を作る。
「別に! もう友達じゃないもの! それに、私がやったことで私が泣くの、おかしいじゃない?」
「ううん、ママじゃなくって、今回は私が……」
「殺された本人がノーカンでいいって言ったんだから、あなたは気にしなくていいのよ」
随分な暴論だ、と言ってて笑ってしまう。
むかしから、何一つとして変わってない女だった。
「……みんな笑顔の世界、か」
華と過ごした思い出。彼女の遺した一言一句が、呪いのように翠を締め上げる。
みんな笑顔でなくていい。自分と自分の周囲の人間だけが幸せなら。華とは真逆の理念で動く翠も、いつかはこんな風に殺されてしまうのだろうか。
「……後片付けして帰りましょうか! あと華ちゃんの実験レポをかっさらって、次にどの施設を襲うか考えましょう!」
「家族、増える?」
「ええ、きっと!」
だとしても、今だけは笑顔で。
いつか死んでしまうそのときまでは。
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