第24話 天網恢恢

「くっ……うううううっ!」


 頭上からのしかかってくるやみの宝玉に俺は今にも押しつぶされそうになっていた。

 紅蓮燃焼スカーレット・モードによって身体能力が増幅した今の状態でも耐えるのが精一杯で、この逆境を好転させるすべがない。

 グリフィンの野郎はそんな俺をあざけるように笑って見下ろしながら、自分は空中に穿うがたれたうずの前に浮かんでいる。

 徐々に大きくなり始めているというあのうずが、反吐へどが出ることにグリフィンにとっての逃避行への出発地点だった。

 グリフィンが身をすべり込ませることが出来るほどあのうずが成長した時が、奴の勝利の瞬間となる。


「くそっ……そんなことをさせるかよ」


 やみの宝玉はここに至ってもなお肥大化を止めない。

 俺の頭上は完全に宝玉によって視界を埋め尽くされ、まるで天井が極端に低いフロアに閉じ込められているかのようだ。


『気分はどうだ? 世の中には罪人に苦痛を与えながらこうして体を押しつぶし処刑する部屋が存在するらしいぞ』


 いつの間にかうずとともに地表近くに移動していたグリフィンの奴は、冷ややかな口調でそう言った。

 だが、そんなムカつくグリフィンに、悪態のひとつでもかましてやる余裕が今の俺にはない。

 すでに宝玉は俺の手だけでは抑えきれなくなっていて、俺はもはやそれを肩に担ぐようにして自分の体をつっかえ棒のように使うしか出来なくなっていた。


 情けねえ。

 こんな風にしか抵抗できねえのか俺は。

 紅蓮燃焼スカーレット・モードの効果が俺の体を支えているが、バーンナップ・ゲージはもう残り3分の1を切っている。

 ものの数分で時間切れとなってしまうだろう。


 俺のすぐ真下では物言わぬティナが横たわっている。

 何も知らずにノンキな小娘だぜ。

 のしかかるやみの宝玉の重さに耐え切れず、俺はとうとう横たわるティナの頭の両脇に両手をついた。

 そして自分の肩と背中だけで宝玉の落下を押しとどめる。


「ぐっ……」

『ハッハッハ。いいザマだな。バレット。喧嘩無双けんかむそうの炎獄鬼殿もいよいよひざくっして死の運命にじゅんじる時が来たというわけだ』


 く……くそったれが。

 マジで頭にくるが、もう何も出来やしねえ。

 背中がミシミシと音を立て、羽が押し潰されていく。

 せ、背骨が砕ける……。


 俺は目の前のティナを見た。

 ティナは何も知らずに穏やかな顔で横たわっている。

 フンッ。

 最後にブザマに負ける馬鹿な悪魔の顔でも拝んで笑えば良かったのによ。

 まあ……何も知らずに死んだほうがコイツも楽か。


 あ~あ。

 ちくしょう。

 これで終わりか。

 シケた人生だったぜ。

 視界が真っ暗になっていき、ついに俺は背中からやみの宝玉に押しつぶされて……死んだ












 ……はずだった。

 暗闇くらやみに閉ざされたはずの視界の中で俺が聞いたのは、消え入るようなティナの声だった。


「……レットさん……バレットさん」


 ……人生最後の幻聴か。

 脳のプログラムが誤作動を起こしていやがるんだろうよ。


「……バレットさん」


 その声と共に何かが俺のほほに触れた。

 その感触が俺の意識を今際いまわきわから引き戻し、俺の視界に再び光がともる。

 目を開けた俺は思わず息を飲んだ。

 ティナの奴が……意識もライフもバグで失っていたはずのティナの手が俺のほほに触れていたんだ。

 

「……ティナ」


 俺が思わずらした声にもティナは反応しない。

 ティナの目は開かれていたが、意思の光はともっていなかった。

 だが……俺は見た。

 傷つきげたティナの翼の根本に俺が巻いた布が翼の中に染み込むように溶けていくのを。

 元々ティナが俺のレッグ・カバーとして用意したその赤い布はティナの翼と一体化していく。

 すると堕天使だてんし化して黒く変色していたティナの翼がまたたく間に桃色にかがやあざやかな炎の色へと変化し始めた。

 そしてもう一つの堕天使だてんしの特徴として頭から生えていた角が消えていく。


「ど、どうなってやがる?」


 そのかがやく翼が俺の両脇を背後へと通り抜けたかと思うと、俺の背中にかかっていた圧力がフッと消えた。

 思わず俺が背後を振り返ると、燃え盛るティナの両翼は大きく伸びてやみの宝玉の表面にピタリと接し、その降下を押し留めている。

 奇妙な現象に目をまたたかせる俺の耳にまたもやティナの声が聞こえてきた。


「バレットさん……」


 俺が再びティナを振り返ると、先ほどまで白く生気の無かったティナのほほに赤みが差している。

 そしてバグで文字化けしていたティナのライフゲージは、いつの間にか正常な状態を取り戻していた。

 こ、これは……。


「ティナ……おいティナ」


 相変わらず俺の呼びかけには反応しないが、ティナのライフゲージの下に別のゲージが新たに出現しているのを俺は見た。

 それは【HARMONY gauge】と表示された桃色のゲージだった。

 HARMONY。

 俺がレッグ・カバーを通してティナと接続し、紅蓮燃焼スカーレット・モードを発動させた時のパスワードだ。


 ティナのこのゲージは俺のバーンナップ・ゲージ同様に能力ブーストのためのものに違いない。

 そう確信する俺の前でそのハーモニー・ゲージはすでに満タンを迎えて光りかがやいていた。


天網恢恢カルマ・モード


 ティナのコマンド・ウインドウにそう表示された途端とたん、ティナの燃え上がる翼がさらに大きく伸びて、俺の背後のやみの宝玉を後方へと押し込み始めた。

 その事実におどろく俺の前でティナがまたもや弱々しく声を上げた。


「バレットさん……」


 今度は確かに聞いた。

 何だか久しぶりにコイツの声を聞いたような気がするぜ。

 茫洋ぼうようとしていたティナの瞳に光が戻った。


「ティナ。ようやくお目覚めかよ」

「……バレットさん」


 そう言う俺の言葉にティナはしっかりとした反応を見せて静かにうなづく。

 その目には確かな意思の光が宿っていた。


「私、随分ずいぶんと長いこと眠っちゃってたみたいですね」


 ティナの体は元の天使のそれに戻っていたが、翼の色や大きさ以外にも大きく変わった部分がある。


「おまえ……その輪は何だ?」


 そう。

 見習い天使としてくすんだ色の輪をひとつ頭上に浮かべていただけのティナは今、煌々こうこうかがやく3連の輪をその頭の上にかんしていた。

 それはこの世界でただ1人、天使長イザベラにだけ許された仕様のはずだ。


「自分でも分かりません。恐れ多いことです。だけど……おそらく天使長さまがこの窮状きゅうじょうを見かねて私にお力を授けて下さったのでしょう」


 そう言うとティナはグッと力を込めてさらに翼を上へと押し上げる。

 すると翼はどんどん伸びて、やみの宝玉はグイグイと上に押し上げられていく。

 おかげで圧力から解放された俺はようやく立ち上がることが出来た。

 ただし背中側のそこかしこの骨が損傷しているようで、少しでも動くと激痛が走る。

 俺はくちびるを噛んでこれに耐えた。


「フンッ。天使長でも何でもいいさ。使えるものは全部使え。俺もそうやって今この時まで往生際おうじょうぎわ悪く生き残ってきたんだ」


 そう言うと俺はティナの手をつかんでその体を引き起こした。

 するとティナは起き上がりざま、俺の胸に手を当てて神聖魔法を唱える。


母なる光マザーズ・グレイス


 体中に温かさがみ渡り、度重なる戦いで負った傷や、やみの宝玉の圧力で砕かれたあちこちの骨があっという間に回復していく。

 天網恢恢カルマ・モードはやはり能力増強の機能があるのだろう。

 ティナの回復魔法は以前とは比べ物にならない治癒ちゆ力だった。

 だが……。


「ティナ!」


 俺の視線の先、ティナの復活に気が付いたグリフィンが手持ちの槍をティナ目がけて鋭く投げつけてきた。

 俺は即座にティナと体を入れ替えようとしたが、それよりもティナの動きのほうが早かった。

 

「ハッ!」


 ティナは気合いの声を発して素早く体を反転させると同時に飛んできた槍をつかみ取り、それをガツッとすぐかたわらの地面に突き立てた。

 ど、どうなってんだ……この身体能力の強化っぷりは。

 俺は海辺のとりででティナが上級種のアバンを軽くぶっ飛ばした時のことを思い返した。


『くっ……天使長の力か』


 苦虫を噛みつぶしたようにそう言うグリフィンはティナに投げつけようと持っていたもう一本の槍をその場に放り捨て、即座にメイン・システムを操作し始める。

 すると頭上から再びやみの宝玉が俺たちを押しつぶそうと降下してきた。

 ティナは腰を落として燃え盛る両翼を広げ、その翼で宝玉の降下を食い止めながら俺を見上げた。


「バレットさん。私、ずっと見ていました。この体の中から。だから状況は分かっています。あのやみの宝玉が私が何とかしますから……」


 そう言うティナと視線を交わし合い、俺はうなづいた。

 

「分かってる。グリフィンの野郎は俺が始末をつける」


 ティナはすぐに力を込めて両手を広げると、上方に伸びる両翼でやみの宝玉を押し留めながら得意の神聖魔法を放つ。

 

高潔なる魂ノーブル・ソウル!」


 その手から放たれたそれはティナの姿をした桃色の炎のかたまりとなって舞い上がり、やみの宝玉にブチ当たる。

 すると目玉の化け物が大きく揺らいでさらに上へと押し上げられた。

 天網恢恢カルマ・モードで強化されたその威力はすさまじい。

 あれならいけるはずだ。


 だが、ティナのハーモニー・ゲージにも限りがある。

 神聖魔法を放つごとに着実にそれは減っていく。

 モタモタしているヒマはねえ。

 

 一方の俺もまだ紅蓮燃焼スカーレット・モードを持続していたが、残りゲージはもう4分の1を切っている。

 持って後1分ってところだろう。

 俺はティナが地面に突き立てた槍を引き抜くと、それを手に矢のように走り出した。

 

「グリフィン!」


 グリフィンはやみの宝玉で俺たちをつぶすべく、血眼ちまなこになってメイン・システムを操作していたが、俺はそこに思い切り槍を投げ込んでやった。

 グリフィンは魔塵旋風ダスト・デビルを放ち、槍を粉微塵こなみじんに消し去ると、苛立いらだまぎれに声を上げた。


『邪魔をするな!』

「ハッ! もうてめえを守ってくれる魔物どもも堕天使も人喰い虎チャンパワットもいねえ。全部てめえが切り捨てちまったんだから当然だよな」

『フンッ。どうでもよい。1人で己が身を守れずどうする。これから私は永劫えいごうの1人旅に足を踏み入れるのだ。あなどるなよ』

「残念ながらその旅はキャンセルだ。俺がここでてめえを討つ!」


 グリフィンは連続で魔塵旋風ダスト・デビルを放って俺を寄せ付けまいとするが、そうするとやみの宝玉の制御がままならない。

 今、奴は俺とティナの両方を同時に相手にする必要に迫られているんだ。

 必ずすきが生まれる。

 刻々とバーンナップ・ゲージが減っていく中、ジリジリとあせる気持ちを抑えて俺はそのすきが生じる瞬間を待った。


 背後からはティナが連続で高潔なる魂ノーブル・ソウルを放つ気合いの声が聞こえ続けている。

 今のあいつなら必ずあの目玉の化け物をどうにか始末するだろう。


 俺は不思議な高揚感を覚えていた。

 誰かに背中を任せられるってのはこんな気分なのかもしれない。

 ゾーラン隊に所属している時でさえ、こんな気持ちになったことはなかった。

 弱くてガキだったティナの奴が今は一端いっぱしの戦士に見える。

 そこに至るまでのあいつの苦難の道を知っているからかもな。


『あと少し……もう少しだというのに』


 グリフィンの野郎はすでに頭の大きさくらいに広がったうずうらめしそうに見つめている。

 一秒でも早く脱出口を確保したいという奴の焦燥感しょうそうかんが伝わってくる。

 そうはいくかよ。


 俺は魔塵旋風ダスト・デビルを避けながら奴の間合いにジリジリと寄っていく中で、グリフィンの遥か後方にいつの間にか1人の人影が浮かんでいるのが見えた。

 思わず目をらすと、そこに浮かんでいるのが女悪魔のリジーだということに俺は気付いた。

 今まで一体どこに行っていたのか……ん?

 アイツ何をやっているんだ?


 リジーはこちらを見ながら何やら自分の二の腕の辺りを指差し、そこをゴシゴシとこするような仕草を見せている。

 あの女……どういうことだ?

 ジェスチャーで俺に何かを伝えようとしている。


 俺は魔塵旋風ダスト・デビルを避けながら自分の二の腕を見た。

 そこには当然のように、リジーが製作した俺専用の手甲・灼焔鉄甲カグツチが装備されている。

 これをこすってどうするってんだ。

 いぶかししみながらリジーがやっているような動作をしてみると、いきなり手甲の表面がガチャリと縦にスライドし、何かのスイッチが入ったように手甲から白い蒸気が立ち上ぼり始める。

 そして心なしか、腕にピッタリとフィットしていた手甲が緩んだような気がした。


 何だこりゃ?

 驚く俺にリジーはそれを投げつけるような動作をして見せた。

 そこで俺は思い出した。

 リジーがこの手甲を持ってこの場に駆けつけた時のことを。


 あいつは周囲をバグの魔物でおおい尽くされた包囲網をくぐり抜けて現れた。

 その際にこの手甲がまるで隕石いんせきのように空から降ってきてグリフィンをぶっ飛ばしたんだ。

 まさか……。


「奴のすきを作れるかもしれねえ。やってみる価値はある」


 俺は半信半疑ながらもタイミングを計り、グリフィンが魔塵旋風ダスト・デビルを放った直後に脱出口のうずを気にする素振り見せた瞬間をねらった。

 いけっ!

 俺が両手を左右から鋭く振り抜くと、手甲は意外なほどあっさりとこの手から抜けて、グリフィン目掛けて火を噴きながら超高速で飛んでいった。

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