第17話 闇の宝玉

 やみ宝玉ほうぎょく

 それはティナを取り込んで修復術の力を手に入れたグリフィンが生み出した奇妙な黒い玉であり、回転するその黒玉は徐々に回転速度を上げながら少しずつ大きくなっている。

 成長していやがるのか。


 その周囲で戦闘に夢中になっている奴らはその宝玉を気にも留めていない。

 明らかに不自然なあの黒玉が見えていないようだ。

 あれは何かの仕掛けギミックなのか?

 グリフィンの口ぶりから、奴がこのふざけたショーを締めくくるために用意したものだということは分かる。

 そしてグリフィンの奴はあの宝玉ほうぎょくが切り札だとわざわざ口にして、あんな場所に適当に放置していやがる。

 裏を返せばあの宝玉ほうぎょくは多少のことじゃビクともしないってことだ。


 くそっ……嫌な感じしかしねえ。

 あの宝玉が徐々に大きくなっていくのを見るにつれ、そのままにしておくのはマズイという懸念けねんを俺は頭の中からぬぐい去れずにいた。

 その不気味な存在感もあいまってあせりはつのるばかりだ。

 俺だけに見えるってのも気持ちの悪い現象だ。

 間違いなく俺が不正プログラムに感染しているからなんだろうが、それならバグで狂った魔物どもにも見えているはずだ。


「くそっ! ワケ分かんねえよ!」


 いくらあせって苛立いらだちを吐き出しても、今の俺には何もすることが出来ない。

 グリフィンの光の槍は俺の胸を貫いて塔の外壁に深く突き立ち、俺をこの場から逃そうとしない。

 そんな俺の周辺、塔の外壁にいつの間にか備えつけられていた無数のかがみからは、バグでおかしくなった魔物どもが今も続々と出現し続けている。

 奴らの相手をするのは、運営本部から派遣された直轄ちょっかつ部隊の天使や悪魔どもだ。


 辺りは怒号と悲鳴に包まれた騒乱に支配されていた。

 そうこうしている間にもやみの宝玉は加速と成長を続けている。

 ちくしょうめ。

 すぐにでもここから抜け出さねえとならねえのに、いつまで俺は標本の昆虫みたいにここに貼り付けられてんだ。


 さらに悪いことに光の槍に胸を貫かれてから俺は、この体に魔力を循環じゅんかんさせることが出来なくなっている。

 ライフゲージのみならずバーンナップ・ゲージもバグで文字化けしちまった。

 海竜のふえがあれば水流を呼び出して無理やりにでも、それこそ体がちぎれてもここから脱出してグリフィンをぶっ飛ばしに向かえるんだが、ふえは奴に壊されちまった。


 そして俺の視界には少しずつノイズが走り出し、耳に響く戦乱の騒音が時折、途切れ途切れになり始めた。

 さらには俺の意思とは無関係に突然メイン・システムが起動し、バグで意味不明な文字の羅列られつとなった俺のステータスが目の前に並ぶ。


 どうやら不正プログラムにおかされているせいで、いよいよ深刻な症状が俺の体に表れ始めたようだ。

 俺は腹の底にたまった渦巻うずまく怒りを吐き出すように大きく息をついた。

 仮にここから抜け出せたとして、果たしてこんな体で何が出来るんだ?

 技のコマンドすらまともに入力出来ずに灼熱鴉バーン・クロウひとつ出せなかったとしたら、とんだお笑い草だ。


「……万策尽きたか」


 俺は肩を落として眼下を見下ろした。

 ゾーラン隊にいた頃、戦場で幾度も死にかけたし実際に死んでゲームオーバーになったことも一度や二度じゃなかった。

 残りライフがわずかの状態で敵に囲まれて、もうダメだと思ったことも数知れない。

 そうした経験があったからこそ俺は死のギリギリまで己を見失わずに戦うことが習慣づいている。

 だが、こんな生きてるんだか死んでるんだかも分からない状態でどうしろと……。


「よう。バレット。随分ずいぶんと派手にやられたな」


 ふいにかけられたその声が、俺の思考を遮断する。

 それはひどくなつかしい声だった。

 バグで耳がおかしくなっているせいか、それは……かつて俺のボスだったゾーランの声に聞こえた。

 ついに幻聴まで聞こえるようになったか。

 俺もいよいよ末期的だな。


 そう思って顔を上げた俺の目の前に浮かんでいたのは、引き締まった筋肉質の体と俺よりも頭一つ分は高い背丈を持つ、屈強くっきょう精悍せいかんな悪魔の姿だった。

 その男の顔を忘れるはずもない。


「……ゾーラン」


 現在、地獄の谷ヘル・バレーで最も魔王に近い位置にいると言われる上級悪魔のゾーランがそこにいた。

 げ、幻覚か?


「俺は耳だけじゃなく目と頭までイカれちまったのか」

「はあ? なに寝ぼけてんだバレット。しばらく見ないうちにすっかりフヌケになっちまったのか?」


 そう言うとゾーランは俺の頭をスパンと叩きやがった。

 その痛みで俺はこれが現実であるとようやく理解することが出来た。


「ゾ、ゾーラン……てめえ。どうしてこんな場所にいやがる」


 そう言ってにらみつける俺に、ゾーランはあきれ顔で肩をすくめた。


「戦火の元にゾーラン隊はつどう。この訓示を忘れちまったか」


 それは戦場こそがいこいの場という好戦的なゾーラン隊の大原則たる訓示だった。

 どこかで争いがあれば、すぐさま駆けつけて暴れるのがゾーラン隊だ。

 だが突発的に起きたこの戦いに、そんなすぐに駆けつけられるものか?

 まゆひそめる俺を見てゾーランはニヤリと笑ってみせた。


「……なんてな。実はこの近くで仕事があって、その帰りがけに面白そうな騒ぎを見かけて寄り道したってわけよ」

「そういうことかよ。ふざけやがって」

「まあそう邪険にするなって。しかし、まさかおまえの戦場いくさばだったとはな。で、その様子だと負け戦か? 相変わらず弱っちいなバレット」

「うるせえ……」


 出会いがしらに再会したゾーランに面食らっていた俺は、その顔を見て話し声を聞くうちに、徐々に昔の怒りがよみがえってきた。

 怒りを押し殺しながら俺は声をしぼり出す。


「ナメてんじゃねえ。俺はまだ負けてねえぞ」

「ハッ。そんなズタボロで何言ってんだ。どう見ても負けてるだろ。負け犬のツラだぜ」


 そう揶揄やゆするゾーランに俺は我慢できず、はりつけにされたまま塔の外壁をドンッと拳で叩く。

 そんなことをしてみても状況が好転するわけじゃねえってのに。

 動けない苛立いらだちも込めてゾーランをにらみ付けていると、奴の背後から巨大な翼竜が襲いかかってきた。

 だがゾーランは後ろを振り返ることもせずに羽を広げると、一瞬で身をひるがえして巨大翼竜の背後に回り込んでいた。

 そして手刀であっさりと巨大翼竜の首をねると、カカト落としで首なしの体を地面に叩き落とした。


 やはりゾーランの野郎は強い……。

 すきだらけに見えて全くすきがねえ。

 相変わらずムカつくほどの腕前だ。


「少しは変わったのか? バレット。あの頃のまま、力を振るうことしか考えていないのだとしたら、今のおまえのそのザマも理解できる」


 変わったのか、だと?

 俺はこいつの元を離れてから、変わるために一日も欠かさず牙をみがき上げてきたんだ。

 

「ナメなんよ。俺はいつか必ずてめえを超える」

「ハッハッハ。おまえ昔からそんなこと言ってやがったな。楽しみにしていると言いたいところだが、まずはその状況からどう抜け出すのか、お手並み拝見といこうか。もちろん俺の手助けは期待するなよ?」

「いらねえよ。おまえの手なんざ借りてたまるか」


 いつまでもゾーランに情けねえ姿をさらしていられるか。

 ムカつくゾーランの顔に腹を立てていた俺の怒りが少しずつ冷めていき、やがてそれは冷静な決意へと変わっていく。

 俺は……昔のままじゃない。

 今までもこの先も必ず前に進んでみせる。


 両拳を握り締めると俺はもう一度、自分の体を動かすために深呼吸を繰り返す。

 バグで狂った体中の神経を再構築するんだ。

 ドレイクから学んだ意識の力を体中に張りめぐらせようと俺は集中した。

 そんな俺を見ながらゾーランはムカつく笑顔で言う。


「ま、ここがおまえの戦場いくさばだってなら手出しをするつもりはなかったが、どうやらもうそういう段階じゃないらしいな。あそこにいる天使や悪魔は直轄ちょっかつ部隊の奴らだろ。かなりヤバイ案件なのか?」

「……興味本位で手を出せば、てめえの兵隊どもは全滅するぞ」


 俺の言葉にゾーランの顔から笑みが消え、真意を探るように奴の目がじっと俺の目の奥をのぞき込む。

 俺はその目を静かに見つめ返した。


 ゾーラン隊は何も大将のゾーランだけが強いわけじゃない。

 確かに上級悪魔でキャラクター・ランクAのゾーランは頭3つも4つも飛び抜けた強さを持つ存在だが、それ以外の幹部連中から下っに至るまで、どいつもこいつもみっちりきたえ上げられた戦闘のエリート集団だ。

 俺も所属していた時は下から数えたほうが早いくらいだった。

 当時の俺は腕に自信があっただけに世界の広さを痛感したもんだ。

 だが……。


「ここはまともな戦場じゃない。腕っぷしの強さだけじゃ対処は不可能だ」

「俺の隊のメンツをよく知ってるおまえがそう言うからにはそうなんだろうよ」


 そう言うとゾーランは辺りを見回した。

 そこかしこで直轄ちょっかつ部隊と魔物どもが戦いを繰り広げている。

 そして塔の外壁に貼られたかがみの中から現れる魔物どものうち、ゾーランの存在に気付いた牙亀を初めとする飛翔性の魔物どもが奴に襲いかかった。


 ゾーランは先ほどの巨大翼竜同様にそいつらを一瞬で木っ端微塵こっぱみじんに打ちのめす。

 だが、魔物どもがライフを失ってもなお動こうとするその様子に、ゾーランは顔をしかめて言った。


「確かに……見るからに様子のおかしな手合いがいるようだな。だがバレット。あまり見くびるなよ?」

「なに?」

「俺の部隊はあの堕天使だてんしキャメロン率いる堕天使だてんし軍団にも打ち勝ったんだ。バグで狂った魔物ごときに後れを取ることはねえよ」


 そう言うとゾーランは塔の外壁に貼りつけられたかがみをじっと見つめた。

 そしてそのかがみの前に移動すると、そこから現れる牙亀を即座に両断して地面に叩き落とす。


「このかがみが魔物どもの発生装置ってわけか」


 そしてゾーランはそのかがみを叩き割ろうと拳を叩き付けた。

 だがその拳は水面を叩くようにかがみの中に吸い込まれる。

 舌打ちをしてゾーランは拳を鏡面きょうめんから引き抜いた。


「物理的な攻撃は意味が無いってことか。ならやることは一つだな」


 そう言うとゾーランは指笛ゆびぶえを響かせた。

 高らかに鳴り響くその音色は、俺も良く知っている全員集合の合図だ。

 空の彼方からときの声を上げてゾーラン隊の奴らが降下してくる。

 俺はハッとしてゾーランに声をかけた。


「待てゾーラン。あの牙亀どもが集まっている辺りの、波打ちぎわの上に浮かぶ黒玉が見えるか?」


 俺の言葉にゾーランはまゆひそめ、波打ちぎわに顔を向けた。

 だが、すぐにに落ちない顔で俺を振り返る。


「特に何も見えねえが? 何かあるのか?」


 やはりゾーランにも見えねえか。

 俺はくぎを刺す様に奴に伝えた。

 

「あの辺りに部下を近付かせるな。俺だけにしか見えていないようだが、あそこにはヤバイもんがある」

「……何だかよく分からねえが、せっかくの警告だ。頭の片隅かたすみに置いておくぜ」


 そう言うとゾーランは降下してきた部下たちに声高に命じる。


「総員! かがみの前に陣取れ! 魔物の出現を食い止め、かがみくぎ付けにしろ!」


 ゾーラン隊の連中が一糸乱れぬ編隊飛行で降下してきて、次々とかがみの前に陣取った。

 中には俺が見知った顔もいる。

 かつての同僚たちはかがみの中から出てくる魔物どもを各々の武器で次々と切り捨て、その拡散を防ぎ始めた。

 奴らに切り刻まれ、地面に叩き落とされた魔物どもはそれでもまだ動こうとするが、そいつらは直轄ちょっかつ部隊に封じ込められていく。

 

 さすがだ。

 ゾーラン隊は目の前からひっきりなしに現れる魔物どもを次々と打ち倒し続ける。

 だが、これではキリがない。

 かがみの中から現れる魔物どもは尽きることなく次から次へと出てきやがる。

 その様子を見つめながらゾーランは俺に声をかけてきた。


「バレット。この馬鹿騒ぎの主催者はどこにいる? 俺がそいつを叩く」

「待ちやがれゾーラン。奴は俺の獲物だ。後から来た部外者はすっこんでろ」

「馬鹿野郎。そんなザマで何をほざいてやがる。俺の部下だってスタミナが永久ってわけじゃねえんだ。こんな作戦はいつか限界がくる。そうなる前にケリをつける必要があるだろうが」


 冗談じゃねえ。

 ここまできて他人にケツ持たれてたまるかってんだ。

 俺は胸に突き刺さった光の槍をつかみ、思い切り引き抜こうとする。

 そんな俺の頭をゾーランが拳でボカッとなぐりつけた。


「さっさと黒幕の居場所を言え! 弱いくせにつまんねえ意地張ってんじゃねえぞ!」

「うるせえっ! 奴は俺の敵だ! 横取りなんてさせねえぞ!」

 

 俺はなぐられようが何されようがゆずるつもりは毛頭なく、意識の力を奮い立たせて光の槍を引き抜きにかかる。

 だが、俺とゾーランの言い争いも長くは続かなかった。

 唐突にその場の空気が大きく様変わりしたからだ。

 

 ドンッという衝撃をともなう空気の揺らぎが、俺の体を通り抜けて背後へと消えていく。

 まるで心臓を直接叩かれたかのような衝撃に俺だけじゃなくゾーランも一瞬、顔を強張こわばらせた。

 奴も同じものを感じたんだ。


「……何だ?」


 俺は即座に例の波打ちぎわに目をやった。

 するとそこに浮かぶやみ宝玉ほうぎょくの回転が、いつの間にかピタリと止まっている。

 少し目を離していたうちに宝玉ほうぎょくはすでに直径1メートルほどの大玉へと変化していた。

 それはまるで空中に穿うがたれた黒いあなのように見える。

 そして何も知らずにそのすぐそばを2匹の牙亀が飛び、それを追って直轄ちょっかつ部隊の天使が飛来した。


 すると……やみ宝玉ほうぎょくの中から3本の長く黒い手が突き出してきて、2匹の牙亀と天使の体をつかんだんだ。

 その奇妙な出来事に俺は瞠目どうもくして声をらす。


「なっ……」


 やみ宝玉ほうぎょくの中から突き出してきた3本の手は、つかんだ牙亀どもと天使を一瞬で宝玉ほうぎょくの中に引きずり込んでしまった。

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