最終章 『桃炎の誓い』

第1話 赤角の悪魔

 ときの声が上がっている。

 合戦かっせんだ。

 無数の天使と悪魔が入り乱れて、互いに武器をぶつけ合い、戦い続けている。

 戦局はすでに佳境かきょうに入っていた。


 その時、ふいに轟音ごうおんが鳴り響き、空気が震え始める。

 見上げる夕暮れ時の黄昏たそがれの空に、無数の赤い光がまたたいた。

 それは燃え盛る炎に包まれた巨大な岩石群が落下する様子だった。

 合戦かっせん場に向かって落下してきたその大岩が破壊の轟音ごうおんを響き渡らせて大地に激突する。


 大地が……世界が悲鳴を上げた。

 地面がえぐられ、草木が焼け、猛烈な爆風と衝撃波が全てを吹き飛ばした。

 もはや天使も悪魔も戦闘どころではなく、合戦かっせん場には天魔の区別なく悲鳴が響き渡る。

 次々と落下してくる大岩による人智を超えた衝撃の前に、その場にいる者たちは成すすべなく逃げまどい命を落としていった。


 臆病者が一番に逃げ出そうとし、勇敢な者はその場に留まって岩石群を破壊しようと無謀な対処を試みる。

 だが、岩石群の落下速度は恐ろしく速く、逃げ出すことも迎え撃つこともままならない。

 圧倒的な脅威きょういを前に、皆が無力だった。

 降り注ぐ岩石群はお構いなしに全てを蹂躙じゅうりんしていく。

 そして状況は悪化の一途を辿たどり、ついに最悪の災厄さいやくが空を赤く染め上げた。


 岩石群の中でも群を抜いて巨大な岩石が、火をき上げながら無慈悲に落下してくる。

 空をおおい尽くさんばかりに頭上から落ちてくる超巨大岩石を前に、その場にいる全ての者たちが戦意を失って呆然ぼうぜんと立ち尽くした。

 ただ1人を除いては。


 その男は悪魔だった。

 混乱の真っただ中で天から落ちる絶望の火を見上げていたその男の視界に、あるコマンドが表示されたんだ。

 それは運営本部からの逆らうことの出来ない指令だった。


【NPC No:jadp03781:巨大岩石破壊後、機能を停止するものとする】


 その表示を見たその男は舌打ちをしておのれの運命をのろい、落下してくる超巨大岩石に向かって飛び上がった。

 そんな男の姿を見て仲間の悪魔らが声を上げ、敵である天使たちが息を飲む。

 その雄姿におのれの命運をたくすかのように、衆目は男の姿に釘付けとなっていた。


 眼前に迫り来る燃え盛る巨大岩石を前に男は自問する。

 果たして運営本部からの不可避の指令がなかったとしても自分はこうして仲間を、世界を守ろうとしただろうか。

 男は脳裏に浮かぶそんな雑念を振り払い、巨岩に突っ込んでいった。

 視界が暗転し、全てはやみに包まれ、男の命は……そこで尽きたのだった。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「……ん?」


 何か夢を見ていたような気がしていたが、それが何であるのか思い出すことは出来ない。

 ふと気が付くと俺は宙をただよっていた。

 いつからそうしていたのか、どのくらいそうしていたのか分からない。

 そこは黒いベールにおおわれたような空間だったが、やみというわけではなく、そこかしこに流星のような白い光が走っている。

 まるで満天の星空の中を飛んでいるような錯覚を覚えた。

 だが、自力で飛んでいるのではなく、俺は水の流れに翻弄ほんろうされてただよう木葉のような状態だった。


 羽はひどく疲れているのか動かせない。

 だが不思議な浮力が働き、俺は落下することなく浮かび続けていた。

 ここがどこなのかは分からないが、元の世界には戻れそうにない。

 俺はつい先ほどまで自分が置かれていた状況をかえりみる。


 グリフィンの手によって真っ白な空間に意識だけの状態でとらわれていた俺は、奴がティナの修復術を奪おうとする様子を映像で見せつけられていた。

 だがティナの体から修復術のプログラムを盗み出そうとしたグリフィンのたくらみは、ティナの意外な抵抗によってはばまれた。

 ティナは修復術が奪われる寸前に、自らその能力を消去したんだ。

 あれは万が一に備えての緊急手段だったんだろう。

 その抵抗をしたことでティナはグリフィンに命を奪われたのだが、その直後にティナの亡骸なきがらから視界を全ておおい尽くすほどの激しい白光が照射され、それを目の当たりにした俺は意識を失ったんだ。


「あの光は何だったんだ……」


 そんなことを考えていると、俺のすぐ目の前を白い光が横切った。

 そのまぶしさに目を細めていると、背後から唐突に声をかけられた。


「よう。新入り。死んだ気分はどうだ?」


 俺が振り返ると、そこには見たことのない1人の悪魔が俺と同じように宙にただよっていた。

 そいつは俺よりだいぶ背が低く、人型の悪魔としては小柄こがらなほうだったが、その眼光は鋭く、そして頭から生える角は赤くかがやいている。

 赤角はめずらしい。

 俺はぼんやりとその角を見ながら、問われるままに感じたことを答えた。


「何とも言えん。死ってのは意識が消えることだと思っていたんだが、こんな風にただよい続けるだけか?」


 俺の言葉に赤角の悪魔は愉快そうに笑う。


「ハハッ。おまえは誰だ? ここはどこだ? とか聞かねえんだな。変わった奴だ」

「別に興味ねえ。どうせNPCの俺には理解出来ねえことなんだろうしな。ここのところ立て続けにそんな出来事ばかりで、もうそういうのは食傷気味なんだ」

「そうかい。ここはな、何らかの理由でコンティニューすることなく本当の死を迎えたNPCがたどり着く場所さ。言ってみればNPCの墓場はかばだ」


 NPCの墓場はかば……。

 俺は周囲を静かに見回す。

 相変わらず流れ星のように白い光がそこかしこを行きっているものの、俺や赤角の悪魔以外には誰の姿も見えない。


墓場はかばって割には閑散かんさんとしてんな。他のNPCはいねえのか?」

「いるさ。その辺を飛び回ってんだろ。あの白い光がNPCのたましいとも言うべきかな。いや、残りカスと言ったほうが正しいか」


 そう言うと赤角の悪魔は声を立てて快活に笑う。


「あの白い光が?」

「ああ。そうさ。NPCとして廃棄処分になった奴は皆ああなってこの墓場はかばにやってくるんだ。おまえはめずらしく肉体を持ったままだったんでな。つい声をかけちまった」


 確かにあの真っ白な空間にいた時とは違い、俺は今、自分の肉体を持った状態でここにいる。

 それが何を意味することなのかは分からないが、そんなことを考えるのも何だか疲れちまった。


「そうか。で、俺にはどんな選択肢が残されている? それともそんなもんないのか? 良ければ暇潰ひまつぶしに教えてくれ」

暇潰ひまつぶしときたか。ま、人生は長い暇潰ひまつぶしだからな。さて、おまえに選択肢が残されているのかどうかは知らん。だが、この場所から抜け出したいとかいうのは無理だし、生き返りたいなんてのはもっと無理だ。そういった意味じゃ選択肢なんてないのかもな。だが……」


 そう言う赤角の悪魔はニヤリと笑う。


「この場所では自由に動き回れるし、時間は無限にある。そう考えると選択肢は無数にあるかもしれん」


 フンッ。

 謎かけじゃあるまいし。

 こいつは相当な暇人ひまじんなんだな。


「こんな場所で何が出来るんだ?」

「そうだな。とりあえず……他人の歴史をのぞき見ることが出来る」


 そう言うと赤角野郎はすぐ近くに飛んできた流星をパッと素早く手でつかみ取る。

 それは速すぎてまったく見えないほどの動作だった。

 こいつ、何者なんだ?


「こうしてこのNPCが生前、どういう人物だったのかをのぞき見るんだ」


 奴がそう言うと、その手の中の光がフワッと空中に浮かび上がり広がっていく。

 するとその光の中に、あるNPCの姿が映し出された。


「見てくれ。こいつは最近のアップデートの際に行われたマップ変更のあおりを食ってその役目を終えた天使のNPCだ。たまたまそのマップの中で周回する役目をになっていただけで、こいつには何の落ち度もない。いて言うなら凡庸ぼんように過ぎたため、再登場のがなかったということか」


 その話に俺はNPCの命のはかなさを改めて感じずにはいられなかった。

 だが、今までだってそんなことを考えて来なかったわけじゃない。

 鍛錬たんれんの最中、1人やみの中でまどろむ夜、燃えたぎるようなケンカを終えてふと気持ちの冷めた瞬間。

 そんな折々に俺はこの【生】がいつまで続くのかと考えてきた。


 もちろん答えなんざ出るはずもない。

 ある日突然、俺たちにはどうすることも出来ない理由で、この命は終わりを迎える。

 どうせ俺はNPCだから、それも宿命さだめと思って折り合いをつけてきたんだ。

 

 グリフィンはそれに逆らおうと足掻あがいている。

 だが、あいつはそのために自分の【生】をじ曲げた。

 自らの体を捨て、思念体とかいうふざけた亡霊に成り下がり、他者の体を操って生きる。

 そんなことをしてまでおのれの【生】にこだわるのは本末転倒としか思えねえ。

 何よりそのために巻き込まれた俺が、グリフィンに共感なんて出来るわけがない。

 

「何をそんなに苛立いらだった顔してんだ? おまえはもう死んだんだから生きていた間にあった嫌なことなんざ忘れちまえよ」


 赤角はそう言うと先ほどと同様に飛びう他の光にも触れ、そのNPCたちの人生を垣間かいま見る。

 

「そんなことをして何になる?」

「それこそ暇潰ひまつぶしさ。ただまあ、誰にもかえりみられることなく消えちまったNPCの人生だ。最後に俺が覚えておいてやるのも悪くねえだろ」


 そう言うと赤角は周囲を飛びう光に目を細めた。


「こいつらは誰にも必要とされなくなっちまって、こんな姿に変わり果てちまった。ここはそんな奴らがどうすることも出来ずに彷徨さまよう場所だ。せめて俺が見届けてやるのが最後のなぐさめってもんだろう? ま、善意なんかじゃなく、俺の趣味しゅみ道楽だけどな」


 フンッ。

 酔狂すいきょうな男だ。

 だが、何でこいつや俺には体が残されているんだ?

 そう思い俺は自分の体を見つめる。

 そんな俺の様子を察したのか、赤角は言った。


「おまえがまだ肉体を持っているのは、きっとおまえがまだ誰かに必要とされているからだな」

「なに?」

「おまえに消えないでほしい。どこかの誰かがそう思ってくれているうちは、体は失われない。そう思われなくなっちまった奴らが、ここにいる光に変わっちまう」


 そう言う赤角の周りをいくつもの光が回り続けている。

 まるで一時のなぐさめを求めるように。

 

 俺に消えて欲しいと思っている奴らはくさるほどいるだろうが、消えて欲しくないと思っている奴などこの世にいるものか。

 以前の俺ならそう疑わなかっただろう。

 だが今、俺の頭にチラつくのは見習い天使の小娘の泣き顔だ。


 チッ……こんなことを考える俺自身にひどく腹が立つ。

 だが、この俺に消えてほしくないと、あの甘っちょろい小娘はおそらくそんなことを思っているだろう。

 自惚うぬぼれでも何でもなく、容易に想像できる。

 俺は内心で舌打ちして目の前の赤角を見やった。

 

「おまえはいつからここにいる?」

「そうだな。向こうの時間でかれこれ4~5年ってところか」

「その間、おまえの消滅を嫌がっている奴がいるってことか」

「ま、そういうこったな。あきらめの悪い奴がいるんだろ」


 まったく気にしたふうもなく肩をすくめる赤角に、俺はわずかに逡巡しゅんじゅんしてから問いを続けた。


「どうにかして向こうの世界に戻ろうとは思わなかったのか?」


 俺の問いに赤角は一転して真顔になった。

 そして自分の頭の角をコリコリと指でかきながら静かに言う。


「思わなかったさ。一度もな」

「……なぜだ? もう現世に未練がないってことか?」

「ま、そんなところだ。戻ったって仕方ねえしな。で、おまえはもう里心がついちまったか? 大方、元の世界にやり残したことでもあるんだろ。やめとけやめとけ。戻ったって同じだ。運営本部の意向ひとつで終わっちまうチンケな命なのは変わらねえぞ」


 こいつの言う通りだ。

 だが、そうだとしてもこのまま負けたまま引き下がるのは腹の虫が収まらねえ。


「……ぶんなぐってやらねえと気が済まねえ奴がいる」


 そう言って俺はイマイチ力の入らない拳を握りしめた。

 そんな俺を見て赤角はため息をつきながら言う。


「やれやれ。復讐ふくしゅうか。ま、怒りってのは【生】につながるエネルギーになりやすいもんだが、それもここにいりゃ次第に消えていく。ロウソクはいつか必ず尽きるもんさ」

「……元の世界に戻る方法はねえのか?」


 俺のたび重なる質問に嫌気が差したのか、赤角はつまらなさそうにそっぽを向いた。


「さっきも言った通り、ねえよ」


 にべもなくそう言う赤角だが、俺は奴の態度に違和感を覚えた。


「無いと断言するってことは、おまえは以前に試したことがあるな? 元の世界に戻ろうと試したことが」

「おまえ……しつこい性格だな。現世で嫌われ者だったろ」


 嫌そうにそう言うと赤角はあきらめて本当のことを言った。


「何度か……方法を試したことがあった。ここに来たばかりの頃にな」


 やはりそうか。


「だが、全ては徒労に終わった。この場所は入口しかない。出口はないんだ。一方通行さ。墓場からよみがえる死者はお呼びじゃないとさ」


 そう言った赤角は言葉とは裏腹にサッパリとした表情をしていた。


「ま、今はそれでいいと思っている。俺の成すべきことはここにある。そう思えるようになったからな」


 そう言うと赤角はスッと手を伸ばし、身近を飛び交う光の一つをつかみ取った。

 それをマジマジと見つめ、赤角は口元をほころばせて言った。


「見つけたぜ。ジジイ」

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