第5話 海域の主

 海面から現れた大ダコがその長い脚を使ってティナを海面下に引きずり込んだんだ。

 それは一瞬の出来事で、その光景を前に俺は怒りにえた。


「くそっ! マジかよ!」


 首輪の解除前日にティナをうばわれてたまるか!

 俺は急降下してそのまま頭から海面に突っ込んでいく。

 水の冷たさと潮流ちょうりゅうの圧迫感が体を包み込んだ。

 さっきまで海面に浮かんでいたはずの海棲人マーマンどもの群れは、大ダコが現れたことでクモの子を散らすように逃げ去っていた。


 海の中は差し込む太陽光によって明るく照らし出されていて視界は良好だ。

 その視界をめ尽くすように大ダコの姿が目の前にある。

 そいつは間近で見るとほとんど海の中の岩山のようだった。

 赤茶けた肌はゴツゴツしていて、8本の足の吸盤は一つ一つが俺の頭の大きさほどもある。


 俺はティナの姿を探し、即座に見つけた。

 十数メートル先で大ダコの脚の一本にからみ付かれて苦しんではいるが、失神していないのが不幸中の幸いだった。

 ティナは今も高潔なる魂ノーブル・ソウルを放って大ダコの脚を引きがすものの、すぐに次の脚に捕らえられて脱出できずにいる。


 まずいな。

 ティナの奴、戦意は失っていないが、あれじゃすぐに酸素欠乏でライフが底をつくぞ。

 俺はとにかくティナに近付こうと水中を懸命に泳ぐ。

 だが地上や空中のように迅速じんそくに動くことは出来ない。


 大ダコはティナを捕らえることに躍起やっきになっているせいか、俺には大して気を配っていないようだ。

 しかしそれでも海中で長く太い脚が8本も激しく行きっているせいで進路をはばまれ、俺はなかなかティナの元へたどり着くことが出来ない。

 クソッ!

 邪魔くせえ!


 俺は即座に体を回転させ、螺旋魔刃脚スクリュー・デビルブレードを繰り出した。

 ドリル状態で海中の渦巻うずまきと化してグングン進み、近付いてくる大ダコの脚を次々と弾き飛ばす。

 そしてついにティナが捕らえられている脚に近付くと、俺はそのまま鋭利な刃物と化している爪先つまさきを大ダコの脚に突き刺して自分の体を固定した。


 ティナの奴は……高潔なる魂ノーブル・ソウルの放射を止め、青い顔をしながらアイテム・ストックから何かを取り出している。

 もう呼吸が限界なんだろう。

 俺は大ダコの吸盤に触れないよう脚を伝いながらティナの元へ向かう。


 するとティナはアイテム・ストックから何やらノズルのようなものが付いた管を取り出した。

 管の先には手で持てる程度の缶が接合されている。

 大ダコの脚にからみつかれたままのティナは、そのノズルの先端に付いているマウスピースのような物を口にくわえた。

 

 途端にティナの口元からゴボゴボッと空気のあわあふれ出た。

 あれは……酸素ボンベか。

 さすが準備万端のティナだ。

 あんなもん持ってねえぞ普通。


 空気を吸い込んで落ち着きを取り戻したティナは、そこでようやく俺の姿に気が付いたようだ。

 俺はすぐにティナの元に近寄ると、ティナの口からマウスピースを奪い取ってそれを口にくわえる。

 ティナが目を丸くしているのに構わず俺は息を深く吸い込んだ。

 肺の中に新鮮な空気が満ちていく。


 まだ1、2分は呼吸なしでも活動できたが、吸える時に吸っておいたほうがいいからな。

 十分に空気を吸い込んだ俺はマウスピースを再びティナの口に押し込んだ。

 ティナは何やら怒った顔で俺をにらみ付けながらマウスピースをくわえていたが、俺はそれを無視して魔刃脚デビル・ブレードで大ダコの脚を切断しようと斬りつけた。

 だが、海中で蹴りの鋭さが損なわれることと、大ダコの脚がかなり硬いことが重なり、その表皮を傷つけることしか出来ない。


 それなら切断するまでやってやるだけだ。

 俺はティナの体に巻き付いている大ダコの脚を連続で蹴りつける。

 すると俺に加勢するためにティナがさらに高潔なる魂ノーブル・ソウルを放とうとしたため、俺はそれを目で制した。

 また連発すると暴走し始めるかもしれねえからな。

 この状況でそれは勘弁かんべん願うぜ。


 そして俺の攻撃を受けて怒りを覚えたようで、大ダコが後方から別の脚を伸ばして俺を捕らえにかかる。

 そうはいくかよ。

 俺は水中で身をひるがえし、ティナを捕らえている脚をくぐり反対側に移動して難を逃れる。

 もちろんかわした先にも別の脚があるのでこれもかわした……と思った瞬間だった。


 ガッ!

 急激に背後から吸い寄せられるような感覚を覚えたかと思うと、何かがバチンと背中にぶち当たった。

 鋭い痛みと強い密着感を覚えて背後を振り返った俺は目をいた。

 大ダコの吸盤が脚から1メートル近くも長く伸びて俺の背中に吸着してやがる。


 クソッ!

 しくじった!

 脚だけじゃなく吸盤まで伸びるとは……。

 俺は内心で悪態をついて身をよじるが、俺の頭ほどもある大きな吸盤に痛みがともなうほど強固に密着されていては、まったく逃れることが出来ない。


 そして俺が身動き出来なくなったのをいいことに、大ダコの脚がこの体に二重三重に巻き付いてきやがる。

 俺はほとんどがんじがらめにされ、なお大ダコの締め上げる力は増していた。

 ま、まずい。

 このままじゃ俺の末路は圧死か溺死できしだ。


 俺はすぐさま行動を起こした。

 体中の魔力を全開にする。

 水中であるために炎が巻き起こることはないが、俺の体温がグングンと上昇し、体が高熱化される。

 途端に俺の周りの水温も上昇を始め、体を縛り上げている大ダコの脚に変化が起きた。


 背中に張り付いている吸盤の力が急激に弱まり、ついにはがれ落ちる。

 すると俺の体に巻き付いていた他の脚の力も次々と弱まっていく。

 こいつも海棲かいせい生物だ。

 ご多分にれず高熱には弱いようだ。

 俺はそこに活路を見出した。


 高熱化した手と指で大ダコの脚を引きがし、俺はようやく体の自由を得た。

 だが……グッ!

 大ダコは俺をめ殺すのはあきらめたようだが、腹いせのようにその脚で俺を小突き回し始めやがった。

 クソッ!


 背中や腹を太い脚で叩かれ払われ、俺は情けなくも風に飛ばされる木の葉のように海中をグルグル回る。

 急所となる頭や胸を打たれないよう腕や足で防御するものの、四方八方から襲いくるタコ脚の嵐から逃れるすべがない。

 どうするか。

 ジリ貧の状況で必死に思考を巡らせる。


 すると視界のすみでティナが必死に大ダコの脚に何かを突き刺そうとしているのが見えた。

 あいつ……何をやってやがる?

 そんな俺の視線に気付いたティナの奴は持っている何かを頭上へかかげ、俺に合図するかのように振って見せる。

 何だかよく分からねえが、あれを使えばこの状況を打開できるってことか?


 ティナのヘンテコなアイテムにけてみるか。

 俺は向かってくる脚にタイミングを合わせて足をかけ、大ダコの力を利用して反動でティナのいるほうへ飛んだ。

 呼吸がきつくなりつつあったが辛抱しんぼうして、俺は再び螺旋魔刃脚スクリュー・デビル・ブレードを繰り出す。

 俺をなぐりつけようと振り下ろされた大ダコの脚を強い回転力で弾き飛ばした。


 そして何とか脚の包囲網を突破すると、ティナを捕らえている一本の脚に再び取りついた。

 先ほどと同様に爪先つまさきを大ダコの脚に突き刺して体を固定し、吸盤を避けてティナの元へたどり着いた。

 ティナは即座に口にはめていたマウスピースを俺に手渡し、俺はそれをくわえてようやく酸素を体に取り込む。

 そんな俺にティナは先ほど見せていた手の中の物を差し出した。


 それは筒状の金属で先端が斜めに切断され、その切断面が刃になっている特殊な道具だった。

 暗殺用の道具か何かか?

 ティナはこれを懸命に大ダコの脚に突き刺そうとしていた。

 ……なるほどな。


 俺は即座にティナの目論見もくろみを理解して、それを受け取る。

 そして力を込めて大ダコの脚にその筒状刃物を突き刺した。

 大ダコの肉は固いが、筒状刃がかなり鋭くまされていたために、深々と突き刺さった。

 そして俺はその筒に人差し指を差し込むと、思い切り魔力を放出していく。


 すると筒の中の海水が煮たっていき、筒そのものが高熱を帯びていく。

 このまま魔力を込め続ければ、俺の熱でこの筒は溶解し始めるだろうが、俺はそれでも構わずに高熱を送り続けた。

 すると筒の突き刺さった大ダコの脚が熱で真っ赤にれ上がっていく。

 途端とたんに大ダコが激しく暴れ出した。


 俺が指から放出する高熱の魔力が筒状刃を通して大ダコの脚の中を焼いているんだ。

 俺は筒状刃が熱で徐々に変形し出すのも構わずに容赦ようしゃなく指先から高熱を放出し続けた。

 するともうこらえ切れなくなったのか、大ダコは俺たちを放り出すように脚を頭上へと跳ね上げる。

 その勢いで俺とティナも一気に海上へと跳ね上げられた。


「プハアッ!」


 水しぶきが舞う中、俺もティナもようやく味わう自然の空気を大きく吸い込み、空中で体勢を整える。

 ティナがらすゼエゼエとした荒い息遣いきづかいを聞きながら、俺は海面下に注意を払った。

 怒りに暴れ狂う大ダコだが、そのうちの一本の脚が赤くただれて動かなくなり、波間に漂っている。

 さっき俺が焼いてやった脚か。

 その脚には高熱によってすっかりゆがんだ筒状刃が刺さったまま残っていた。


「ティナ。さっきの変な筒はまだ持ってるか?」

「へ、変な筒って……。あれは天樹を補修する際に薬剤をみきに流し込む立派な補修具なんですよ」

「いいからあるならさっさとよこしやがれ!」

「ひえっ!」


 俺はティナが取り出した数本の筒状刃をほとんどひったくるようにして手に取った。


「ティナはここからまっすぐ上昇しろ。あの大ダコはおまえがねらいだ。100メートル以上は上空にいろ」


 ティナはうなづくと即座に上空へと舞い上がっていく。

 俺が言ったそばから、ティナをねらった大ダコの脚が海面を突き抜けて飛び出してきた。


「フンッ! そうはいかねえよ」


 正面から向かってくる大ダコの脚を俺は魔刃脚デビル・ブレードで蹴り飛ばす。

 切断するまではいかないものの、水中と違って鋭く足を振り抜ける今なら、大ダコの脚を弾き飛ばすことは出来る。

 俺はそうして海面から伸びてくる大ダコの脚を次々と弾き飛ばした。

 するといよいよごうやしたのか、海面が大きく盛り上がって大ダコの本体が現れやがった。


「ようやくお出ましか」


 俺は襲いくる大ダコの脚を避けて一気にその本体に襲いかかった。

 すると大ダコはその口から真っ黒なすみを俺に吐きかけてきた。


螺旋魔刃脚スクリュー・デビル・ブレード!」

 

 俺は咄嗟とっさにこれに反応して螺旋魔刃脚スクリュー・デビル・ブレードを繰り出し、高速回転のドリルと化した。

 すると大ダコのすみが俺の回転によって吹き飛ばされ、俺はそのまま螺旋魔刃脚スクリュー・デビル・ブレードで大ダコの本体に突撃する。

 大ダコは海面に沈み込もうとしたが、俺の方が早かった。

 俺の爪先つまさきが大ダコの頭頂部に突き刺さる。


 大ダコは錯乱したのか、悲鳴を上げる代わりに盛大にすみを吹き上げた。

 俺は構わずに回転を止めると、足が突き刺さったままの状態で大ダコの体の上に立つ。

 そして手に握りしめた筒状刃を大ダコの頭に深々と突き刺し、間髪入れずにその筒に口をつけた。

 そして思い切り魔力を込めた高熱の息を吹き込んでいく。


 高熱の吐息といきを目一杯吹き込んでやると、海面下に沈み込もうとしていた大ダコの体がビクビクッと二度三度揺れた。

 そしてその赤茶けた表皮がより赤く熱されていくのが分かる。

 俺は一切手をゆるめることなく魔力と共に息を吹き込み続けた。


 海面をバシンバシンと苦しげに叩いていた大ダコの脚が1本また1本と次第に力を失い、ついにはすべての脚が海面にプカリと浮かんだ。

 俺は大ダコの頭から足を引き抜くと、穿うがたれた大ダコの頭部の傷に手を差し込み、最大限の魔力を込めてトドメの一撃を放った。


灼熱鴉バーン・クロウ!」


 俺の灼熱鴉バーン・クロウを体内に直接撃ち込まれ、焼かれた大ダコはついにライフが尽きて息絶えた。


「ケッ。まずそうなでダコだぜ」


 俺はそう言って死んだ大ダコの頭の上に立ち、頭上を見上げる。

 すると上空に避難しているティナの後方に近付く影が見え、俺は声を上げた。


「ティナ! 後ろだ!」


 ティナの後方から接近していたのは大脚鳥おおあしどりを使って飛んでいた海棲人マーマンだ。

 俺は即座に飛び上がろうとしたが、周囲の海面が一斉にあわ立つのを見て動きを止めた。

 見ると、死んだ大ダコの周囲を取り囲むように海棲人マーマンどもの群れが姿を現したんだ。

 俺は舌打ちをして海棲人マーマンどもをにらみ付けた。

 こいつらは大ダコが現れた途端とたんに一目散に逃げ出した腰抜けどもだ。


「チッ。一難去って何とやらか。てめえらいい根性してるぜ。大ダコが死んだ途端とたんに群がってくるとはよ。いいぜ。ちょうど暴れ足りなかったところだ。相手をしてやるよ」


 俺が右腕をぐるぐる回して気合いを入れ直し、拳を握りしめたその時、上空からティナの声が響き渡った。


「バレットさん! 待ってください!」


 何だ?

 その声にも俺が周囲を警戒したままでいると、ティナの奴がすぐ頭上まで降りてきた。

 そのすぐとなりには大脚鳥おおあしどりに肩をつかまれた先ほどの海棲人マーマンがいる。

 一体どうなってやがる?


「この方々と戦ってはいけません。彼らはやむにやまれぬ事情があって私たちを襲ったのです。今は彼らにもう戦意はありません」


 ティナの言葉を聞いた隣の海棲人マーマンは、これ以上の戦意がないことを示す様に両手の柳葉刀りゅうようとうを海に投げ捨てた。

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