第9話 束の間の休息

「フンッ。懺悔ざんげなら神にしな。それにな、おまえは勘違いをしている」

「勘違い?」


 気落ちして冴えない表情を浮かべながらティナは顔を上げる。

 そんなティナに俺は低く感情を抑えた声で言ってやった。


「闘争の場では色んな奴の思惑が交錯するもんだ。その中で自分の求める最高の結果を得られる確率は低い。どんなに腕が立つ奴でも準備不足や時の運で格下に負けることは少なからずあるからな。それをおまえごときが、たかだが1年や2年の訓練で得た力でどうにかなると思ってんなら、世の中をナメ過ぎだ」


 ケンカばかりしてきた俺だから分かる。

 戦場で思わぬアクシデントに見舞われ、当初の予定が大幅に狂うことは当たり前のように起きる。

 理不尽ってのはいつ襲いかかって来るか分からないもんだ。

 そんな時に大事なのは頭の切り替えだった。


 起きてしまったことへの疑問や後悔は一秒でも早く頭の外に放り投げ、目の前の事態に対処しながら、雪崩なだれのように襲いかかる危機をいかに最小の被害で切り抜けるか。

 そういう冷静な計算と冷徹な決断ができる奴だけが生き延びることが出来るんだ。


「弱い奴がい上がろうと思ったら、常に思考と神経を張り詰めておく必要があるんだ。強い奴の何倍も頭をひねらなきゃ、たった1%の勝機を逃しちまう。それが出来るようにならなきゃ、おまえがこの地獄の谷ヘル・バレーで出来ることなんざ、みじめな死を迎えることだけだ。そうやってシケたツラして落ち込んでる奴から順番に死んでいくんだよ」


 そこまで言うと俺は自分の声が思わず気色けしきばんでいることに気が付いた。

 俺は見習い天使相手に何を説教じみたことを言ってるんだ?

 馬鹿馬鹿しい。


「チッ。まあいい。暴走の原因で何か思い当たるフシはねえのか? たとえば魔法を連発し過ぎたとか」


 あの時、暴走し始める直前のティナはかなりハイペースで神聖魔法を連発していた。

 だがティナは目を伏せて首を横に振る。


「訓練時も魔法は先ほど以上に連発をしましたが、それが原因での暴走は一度もありませんでした」


 チッ。

 原因分からずか。

 何にせよ暴走が今後も起きるとすれば、ティナを戦力として考えるのは難しくなる。

 そうなれば上級種どもとの戦いにおける戦略は面倒なことに、大幅な練り直しを迫られることになるぞ。

 

「訓練の時と今とで何か変わったことはないのか? レベルが上がって魔法の威力が増大し、それによって体への負担が大きくなっているとか、何か原因があるはずだろう」

「……すぐには思い浮かびませんが、早急に対策を考えます」


 ティナはそう言うと口を真一文字に引き結んだ。

 やれやれ。

 前途多難だな。

 

「おまえがこの先もこの地獄の谷ヘル・バレーで仕事を続けるってんなら、自分の力はしっかりと把握して制御できるようにしておけ。そうしねえと、いざ戦闘になった時に戦況を見極めて動くことが出来なくなる。あのリジーのような悪魔に捕まったら、それこそ地獄のようなひどい目にあわされるぞ」


 俺がそう言うとティナは青ざめた顔で身震いをした。


「き、きもめいじておきます」

「……そう願うぜ。作業に戻るぞ。堕天使どもの邪魔が入ったが、一刻も早くとりでわなを完成させなきゃならん。さっきの堕天使どもがコンティニューしたら、俺がここにいることがうわさとして上級種の連中に伝わるかもしれねえ。おまえがいることもバレちまったからな。そうなれば上級種の奴らは攻めてくるぞ。のんびりしている場合じゃねえ」


 そう言ってとりでの中に戻ろうとする俺をティナが即座に呼び止めた。


「ま、待って下さい。バレットさん。先ほどはすみませんでした。痛い思いをさせてしまいましたね」


 そう言うとティナの奴はあらためて俺に頭を下げた。

 チッ……天使が軽々しく悪魔に頭を下げてんじゃねえ。


「別に大して痛かねえよ。ナメんじゃねえ」


 本当はかなり痛かったが、そんなことは口が裂けても言いたくねえ。

 俺の沽券こけんに関わる。

 回復ドリンクを飲んで体力は回復したものの、こいつの神聖魔法・高潔なる魂ノーブル・ソウルを超至近距離からまともに浴びた俺の背中はまだヒリヒリと痛む。

 さらに背中には堕天使に斬りつけられた傷が残っていた。


「そのままにはしておけません」


 ティナはそう言うとアイテム・ストックから包帯と塗り薬を取り出した。

 

「おい。余計なことを……」

「神聖魔法を禁じられたのですから、このくらいはさせてもらいます」

「必要ねえ」

「いいえ。いつ上級悪魔が攻めてくるのか分からないのでしょう? でしたら万全にしていただかないと」


 断固とした口調でそう言うティナは俺の背中の傷に塗り薬を塗り込み、治療に取り掛かった。

 チッ……面倒くせえ小娘だ。

 俺は黙っているのも居心地が悪いので、前を向いたまま口を開いた。


「その極端に高い光属性は生まれつきの仕様か?」


 天使は皆、光とやみの属性の天秤てんびんが光側に傾いているものの、その傾き具合は個々によって異なる。

 しかし一般に高位の天使ほど光の属性度がより高くなる傾向がある。

 ティナのように見習いの身で、天秤てんびんが完全に光側に振り切れているのはめずらしい。


「ええ。私は生まれた時からずっと天使長さまのおそばにいましたから」


 そういうことか。

 属性の天秤てんびんは周囲の状況に左右される。

 自分の周囲に光の属性を持つ者がいると自分の光の属性度が上がるし、その逆にやみの属性を持つ者に囲まれていると、天秤てんびんやみ側に傾いて行く。

 天使長イザベラは天国の丘ヘヴンズ・ヒルで光の純度が最も高い存在だと言われていたし、そんな天使長の側付きだったティナがその影響を受けないはずはなかった。

 

「認めたくはねえが、おまえの神聖魔法は上級種の奴らと戦う際の強い武器になる。それだけの光の純度の高さなら、おまえのレベルの低さに関係なく、やみ属性の悪魔にとっては強烈なダメージになるはずだからな」

「え? バレットさん。私のこと認めて……」

「だが、無茶な使い方をすればまた暴発をするかもしれねえ。そうなればその武器は途端とたんに俺たちの命を危うくする爆弾と化す」

「……はい」


 ティナは俺の治療をする手を止めずに、沈んだ声を発した。


「だからここぞという時まで出来る限り使うな。出来れば奴らにトドメを刺す直前まで温存しておけ」

「は……はい! あの、バレットさん。私をアテにしてくれてるんですか?」

「アホ。調子に乗るなよ。猫の手も借りたい状況なんだぞ」

「ね、猫ですか……もう」


 そう言うとティナは何か別の薬剤を取り出し、それを俺の肌に塗り込んでいく。

 途端とたんに強烈な痛みが肌を刺した。


「イテッ! 何を塗ってやがる」

「我慢して下さい。私の魔法でバレットさんの肌は思いのほか傷ついているんです。ちょっと染みますが、よく効く薬剤がありますので。これを塗っておかないと後に響きますよ」

 

 そう言うとティナはその塗り薬を俺の肌に練り込んでいく。

 俺は顔をしかめて痛みをこらえながら、気をそらすためにティナに声をかける。


「おまえは……一体何種類のアイテムを持ってやがるんだ」

「え? どうでしょう……おそらく数百種類には及ぶかと」


 数百……まるで卸問屋おろしどんやだな。

 あきれて閉口する俺をよそにティナは得意気に語る。


「万が一に備えて私がアイテムを多く持つようになったのは、ある下級兵士さんの影響を受けたからなんです」

「下級兵士?」

「ええ。あまり知られていないことですが、例の天樹の塔での戦いで、黒幕である堕天使キャメロンを倒して下さったのは、異世界から訪れたその下級兵士さんでした」


 意外な話だ。


「その堕天使を倒したのは、ゾーランの奴がその実力にれ込んだっていう魔女じゃないのか?」

「いえ。実際にキャメロンを倒したのはその魔女の家来……ではなく友人の下級兵士さんでした」

「その下級兵士ってのはそんなに強かったのか?」

「いえ。その人は……武力という意味では決して強くありませんでした。むしろ弱かったです。ですが知恵と勇気でそれを補い、何より多くの人に好かれて助けられながら、天国の丘ヘヴンズ・ヒルを守ってくれたのです」


 ティナの話は俺にはいまいちピンとこなかった。

 知恵と勇気なんて言うと青臭くてこっ恥ずかしいが、要するに戦略・謀略と各局面における決断力だろう。

 それは分かる。

 力のない奴は頭を使って敵の裏をかくしかないからな。


 だが、誰からも好かれて助けられてってのは俺には一切縁のねえ話だ。

 それって他力本願ってことじゃねえのか。

 もし他人が裏切ったらどうする?

 そんな他人のかじ取りひとつで沈むかもしれない舟には乗れねえな。

 そうした俺の胸の内など当然知らず、ティナは話を続ける。


「その下級兵士さんは自身に不足している力を、各種のアイテムを効果的に使用することで補っていたんです」

「だからおまえはその真似まねをしようと思ったのか」

「はい。私も自分の弱さはよく分かっていますから。困窮こんきゅうした事態に直面した時、迷いなく対処できるよう、色々なアイテムを詰め込んできました。ちょっと詰め込み過ぎましたけど」


 そう言ってティナは恥ずかしそうに頭をかいた。


「備えるのはいいが、それよりも訓練でもして早く下級天使に昇格した方が良かったんじゃねえのか? その方が手っ取り早いだろう」


 天国の丘ヘヴンズ・ヒル地獄の谷ヘル・バレーでは、俺たちNPCが唯一昇格できるのは、見習いから下級種へのパターンのみだ。

 俺たち下級種と上級種の間に大きな差があるように、見習いと下級種の間にある実力的なへだたりは決して小さくない。

 ティナも下級天使になれば今よりかは幾分マシになるだろう。

 だが、俺の言葉にティナは少し複雑そうな表情を見せた。


「私は……ある理由で見習いの身から昇格することが出来ないのです」

「昇格できないだと?」

「ええ……すみません。機密事項もありますので多くは話せないのですが、NPCとしてそういう仕様になっているんです」

「何だかよく分からねえが、それもおまえの持つ特殊性ってことか」


 おそらく政治的な背景もからんでいるんだろう。

 ティナは修復術という特殊な力を身につけている一方で、天国の丘ヘヴンズ・ヒルによってある種の制約を受けているってことか。

 俺の言葉にティナは神妙な面持ちでうなづいた。


「バレットさんにはどうでもいいことかと思いますが、あまり色々と話せなくて申し訳ありません」

「フンッ。俺はリジーの奴とは違う。根掘り葉掘り聞くメリットは俺にはねえよ。おまえが俺の邪魔さえしなけりゃな」

「邪魔なんかしませんよ。むしろバレットさんにとって大いなる助勢になるつもりです。ところで……床に並んでいるあれは?」


 ひとしきりの治療を終えたティナは、俺たちの前方の床に広がる光景に指を差して不思議そうにそう言った。

 とりでの屋上に所せましと並べられたそれは、数多あまたの武器だった。

 ティナはそれらを見て感嘆の声をらす。


「すごい数の武器ですね」


 床の上に広げられているのは小刀や手斧ておの短槍たんそうといった数々の武器だ。

 先ほどの堕天使どもの襲撃を退けた俺たちは、副産物の恩恵おんけい享受きょうじゅすることが出来た。

 それらがこれらの武器だった。


「ロスト・アイテムってやつだ」


 堕天使どもとの戦闘に勝利した俺たちは、これらのロスト・アイテムを戦利品として手に入れた。

 堕天使どもは野盗集団というだけあり、数々の略奪物資を持っていやがった。

 この世界ではゲーム・オーバーになると持っているアイテムの中から無作為むさくいに一つが失われる。

 それがロスト・アイテムだ。

 まあ特殊な品ではないので資産的価値はほとんどないが、これらの武器には使い道がある。


「比較的、短くて小ぶりな武器が多いですね」

「まあ野盗の連中は軍隊みてえに真正面から合戦やるわけじゃねえからな。強襲して強奪して離脱するには身軽な武器のほうがやりやすいだろうよ」

「そういえばバレットさんは武器を使ってないですよね。いつも素手で戦っているんですか? 大勢を相手にするなら武器があったほうがいいんじゃないですか?」


 そう言うティナに俺はかつてのことを思い返した。

 俺も色々と武器を試してみたことがある。

 剣術、槍術、棒術。

 だが、どれも自分にしっくりこなかった。


 武器を自分の手足のような感覚で使うことが苦手で、結局のところ素手で戦うのが最も戦いやすいという結論に行き着いたんだ。

 それに俺に武器が合わないもっと決定的な理由があった。


「戦っている最中に俺の手から放出される熱で、武器がヘタっちまうんだよ」


 そう。

 炎の属性が強い俺は戦闘中に戦意が高まると、両手から高温の炎が吹き上がる。

 これが金属の武器を溶かし、木製の武器を燃やしちまうんだ。

 そんな有り様だから手甲すらつけられない。

 俺の着ている胴着・鳳凰黒衣フェニックスは燃えない布で編まれたものだが、しょせん布なので武器に使うことは出来ない。


「な、悩ましいですね」

「別に。持ち慣れないもんを持つより、自分の拳や蹴りで戦うほうが性に合ってるんだよ。俺は」

「だからリジーさんに鍛冶かじ仕事をお願いしたんですね」


 それも聞いてやがったのかこいつは。

 ティナの奴は不思議そうに首をかしげ、前方の武器群を見つめた。


「でも、それならあの武器はどうするんですか? 売ってお金に換えるとか?」

「あんなもん売ったって二束三文にしかならねえよ。それより、あれには重要な使い道がある」


 ティナの治療によって傷の痛みはいくらかマシになった。

 これなら明日にはすっかり回復するだろう。

 俺は立ち上がると、ティナの奴を見下ろして言った。


「さあ。つかの間の休息は終わりだ。これから忙しくなるぜ」

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